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26.朝の酒場にて
しおりを挟む夢を見ることもなく、深いところから浮上するように目が覚めた。
耳に届くのは鎧戸の外で唸る風の音。
それから数人の生活音だ。
目を開く前に、ひと通り部屋の気配を探ってから、横になったままぐうっと伸びをした。
階下から複数のイビキが聞こえてくる。深酒をした後特有の、喉を鳴らすような大きなものだ。
眠りにつく前に見た店の盛り上がり様を思い出した。
「ふふ。平和でいいねえ」
起き上がって、小さなドレッサーに腰掛ける。
叩いて柔らかくした端切れとティアナから買った顔用の水薬で顔を拭い、三つ編みを解いてすいた。
髪結いや着替えなどの身支度をすませて、荷物を纏めるとき、昨日着ていたシャツでつい一拍動きが止まる。
閣下の浄化魔法のおかげで洗い立ての手触りになった、生成り色のシャツ。
なんの変哲もないはずのそれをじっと見つめる。
脳裏では、閣下の、あの柔らかいアイスブルーの光が浮かんでいた。雪の結晶が光っているような、優しい光。
それからまるで自分が生粋のレディにでもなったかのような扱いに小さく笑いが込み上げてきて、でもまたすぐに仕舞い込んだ。
今日もまた冷え込むだろう。
皮のビスチェの上にカーディガンを羽織って、部屋を出た。
「おはようさん。親父さん、昨日はありがとう」
「おはよう、スカーレット。無事でなによりだ」
寝こけている呑んだくれを起こし、水を与えている亭主に声をかける。
階段から見下ろした酒場の床は、まあまあ酷いことになっていた。
酒瓶に、皿代わりの平らなパンや若い冒険者達が落ちている。
「おやおや。片すのを手伝おうかね。ネズミが来ちまうよ」
「悪いな。朝飯は多く盛ってやる」
どこに何があるのか把握し尽くしている店の奥から、箒を持って酒場に戻る。冒険者達をつつき、起こしながら作業しているうちに、朝の明るさが店に入ってきた。
「今日はまあまあ天気が良いね。薄曇りだが、朝が明るい」
この地域は冬に晴れることがほぼ無い。
大きな山が雲を留めて毎日薄暗いのだ。
朝、明るさを感じられるくらい雲が薄いのは天気が良い方だった。
「スカーレット、朝餉だ。あらかた片付いたから座って食え」
「ああ、いただくよ」
ことり、とカウンターに朝食が並べられる。
黒パン、野菜と腸詰のスープ。
亭主が言っていたとおり、腸詰が他の人より多く入っていた。ブラックペッパーとハーブが効いた、豪華な朝食ににんまりする。
胃の中に熱が入ると、起き抜けに湧いた僅かな感傷が、ゆるゆると溶けていくのを感じた。
「お前さん、またどっかに行くのか?」
「ん? タルンの村にね。仇の報告をしてくるよ」
「ああ……あの熊の……ちょっと待っとれ」
若い冒険者達に酔い覚ましの白湯を振る舞い、酒棚から小瓶を持ってくる。
「教会の祈祷した新年用の新酒だ。持ってけ」
「いいのかい? 高いだろうに」
「俺はそこまで行けんからな。代わりに祈ってやってくれ。それにこれは領都じゃなくてこの街の飲んだくれ神父がツケがわりに多く寄越してきたもんだ」
気兼ねなく持ってけ。と、再度押し付けてくる小瓶を苦笑いしながら受け取る。
神事が似合わないこの街の神父だが、彼が祈祷したものなら、きっとあの村の奴らも喜ぶだろう。
あの村は数世帯しか村人がいなかった事もあって、必要な神事はここの神父が併せて担っていたから。
「わかったよ。途中で余裕があったら採取もしてくるつもりだから、今日帰らなくても心配しないどくれ」
「気をつけろよ」
「ああ。三日くらいで戻るよ。ハンナによろしく」
「あいよ」
ご馳走様。と食器を戻し、外套を着込む。
ハンナはまだ寝ているようだ。顔を見たかったけれど、冬の天気は変わりやすいから、天気のいいうちに行けるところまで行った方がいい。
会えないことを少々残念に思いながら外出した。
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