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18.名前が冠するもの

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 軍人さんの泊っている宿は、街を治める要人などが住む区域の中にあるこの街一番の宿だった。
 彼はすたすたと迷いなく歩いていくが、エントランスに足を踏み入れる直前で立ち止まる。するりと抜けた腕に、軍人さんは疑問符を浮かべた。

「どうした?」

 磨かれた床に、こつこつと鳴る磨かれた革靴。
 こちとら森をかけずりまわった後のブーツだ。しかも負傷して血が付いた跡や、熊の爪の傷もある。

「本当にいいのかい? アタシのようなもんが入っちまって」

 こんな身なりだし、汚しちまうよ。と、両手を広げた。

 厚手のシャツに、冒険者御用達のズボンと革のビスチェ。
 あちこちに道具を仕込むためのベルトやポケットが付いた、女らしくない、実用的なデザインだ。彼のケープコートがあらかた隠してくれているとはいえ、尻すぼみしてしまっても不思議ではないだろう。

「ふむ。俺は気にならないが……これでどうだろうか」

 彼は小さく呪文を唱える。すると淡いアイスブルーの光が頭上から降り注いできた。
 降りたての雪のようなやわらかい魔力にそって、土埃や血痕が昇華されていく。
 使い手の見た目には似合わない、優しい魔法だった。

「洗浄の魔法かい?」
「どちらかと言うと浄化魔法だな。戦場でよく役に立つので覚えた」

 なんてことでもないかのように言い「さ、こちらだ」と案内を再開する。

「魔法が使えるだけですごいと思うがねぇ」

 こつこつと軍人さんの靴音と、足音を極力立てないように歩く歩き方が染みついたアタシの歩みが再び始まる。
 そうして通された部屋は、予想していたけれど一番いい部屋だった。
 別館の建物自体が宿になっている、使用人や護衛を連れて移動する貴族用の宿泊所だ。

「おかえりなさいませ。閣下」
「ザイルは居るか?」
「ええ、首を長くして待っておいでです」
「そうか」

 コートを預け、侍従と二言三言会話したのち応接室に案内される。
 いま閣下って言ってたねえ。と、頭を掻いた。
 彼の持つ爵位の高さはどんなもんだろう。侯爵以上だと、平民を娶るには身分差が大きすぎる。

「こりゃ良くて妾かも知れないねぇ」

 思わずぽそりと呟く。
 軍人さんの耳には入らなかったようで、アタシの茶の好みを聞き、メイドに指示を出す彼の顔はこちらに向かなかった。
 今後の話をする流れで、身元調査もされるだろう。軍部所属なら尚更だ。
 まあキャンセルされたらそれはそれで仕方がない。と納得しつつ、この場は高級なお茶を楽しむ事にした。

「ありがとう」

 お茶を置いてくれたメイドに笑いかける。目を伏せつつも、淑やかな笑みで配置場所へ戻る彼女を見て、使用人の質の高さに感心した。主人が夜更けに連れ込んだ、どうあがいても貴族には見えない女なんて不審者でしかないだろうに。
 出された紅茶も相当良いところのものだ。
 軽く薄い口当たりの茶器は真っ白で、中の茶の色が紅く映える。

「良いお茶だね」
「ありがとう。東の産地のものだ」

 砂糖が無くとも、香りと果物を感じさせる後味が印象に残る、本当に良い茶葉だった。田舎の子爵位程度ではお目にかかれない質の高さ。この辺りでは伝手がないと、まず手に入らないような。

 しばらく当たり障りのない会話でお茶を楽しみ、両者とも茶器を卓上に戻してから、軍人さんは口を開いた。

「さて。ここへ来て初めて名乗る無作法を許してほしい」

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