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15.そうして始まる与太話
しおりを挟むリュートを囲む輪から、わっと歓声があがる。
カーティシーとボウアンドスクレープを決めるハンナ達に、馴染みの客たちが拍手を贈っていた。
先ほど口にした諦念を散らすように、アタシも両手を鳴らす。
「孤児院か」
ぽそり、と拍手に紛れて耳に届いたのは、軍人さんの囁きだった。
顎に手を当てて、何やら考え込んでいる様子。目は合っているのに、意識が違うところに向いていそうな。そんな目の色をしている。
「ああそうさ。教会がバザールを開く間、護衛をしたことがあってね。人手はどれだけあっても有難いと言ってくれていたから」
と言っても、懐の寂しい教会から金銭はもらえないから、貴族が慈善活動で来る時だけなんだがね。と肩をすくめる。
相手の言葉は独り言だったかもしれないけれど、一応返答しておいた。
「貴女は、子供に忌避感は無いのだな」
「ん? ああ、まあ。危ない時とかは口を出すが、基本的には可愛いと思っているよ」
「そうか……」
孤児院にいるヤンチャ坊主達のことを思い浮かべ、思い出し笑いしつつ言うと、軍人さんは「では……」と、居住いを正してこちらに向き直った。
「貴女に、お願いしたい事がある」
そう言って、隣の席から床に座し、片膝をつく。
突然の行動に、呆気にとられてただ見守るようになってしまった。
軍人さんと気安く呼んでいるものの、彼はきっと位の高い将校か貴族かなんかだろうに。こんな田舎の酒場で床に触れるような人では決してないはずだ。
内心どうしたもんかと慌てていると、彼は真面目な顔をして「スカーレット殿」とアタシを呼んだ。
あえて名乗っていなかったから、周りから耳にしたものを口にしているのだろう。
「俺の子を産んでもらえないだろうか」
拍手が、ぴたりと止まった。
誰かが咽こむ音、エールのジョッキが床に落ちた音、それらだけを残し、あたりは静まり返る。
商人や貴族がふところに仕舞っている懐中時計の音だって聞こえてきそうな静寂だ。
大きな魔物と対峙した時、先に動いた方が負ける空気感のような心持ちになって、相手を見据えた。
新手の冗談だろうか。とも思ったりもしたけれど、目の前の男はずっと静謐な目でアタシを見続けていた。
生憎と言うかなんと言うか。
からかい半分、て訳ではなさそうだ。
時間を稼ぐために、手にしていた酒を飲む。
さて。どうしようか。
女に対する口説き文句としては、最低と言って良いほどのありえない誘い文句。ただ、これまでの会話から察するに、そういう冗談で女を買ったりするようなヤツには思えない。
きっと何か理由があるのだろう。
外野がひそひそと会話する声も全部流し聞きつつ、そもそも自分が相手をどう思うかを考えてみることにした。
ごくり、ごくり。
酒が無くなるまで嚥下し、時間をかけて思案する。
それから、ごとん、とジョッキを机の上に雑に置くと、アタシはゆらりと立ち上がった。
ヒソヒソ声がぴたりと止む。
皆が固唾を飲んで見守っていた。
「……相分かった。いいよ、アタシの胎で良ければ」
は。と漏れた吐息の音は、誰のものだったのだろう。
自らそう言っておきながら、驚いたような表情を見せる軍人さんに対し、アタシは、不敵に笑った。
「……いいのか」
「おうさ! ただひとつ、アタシにも子供を育てさせておくれよ。それを約束してくれるなら、何人でも、神サマが赦すだけ産もうじゃないか!」
相手はおそらく貴族。きっと出産に係る環境の整備は十分に整えてもらえるだろう。しばらくは身動きが取れなくなるが、自分の子を孕んだ女を無碍に扱ったりはしないはずだ。
これからの話の持っていきようでは、一度諦めた家族を持てるかもしれないし、それに。
今まで戦場で命を繋いできてくれた直感が、悪い賭けじゃないと告げてくれている。
これからアテもなく命を消費していくよりも、よっぽど理想的な生き方になるに違いないと、そう思った。
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