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9.看板メニューは煮込み料理
しおりを挟む残ったミードを飲み干し、ジョッキを置く。
机とジョッキが触れたごとんという音で、ハッとした男衆はまた動きだした。
ただ、奥のテーブルにいた冒険者達の交わされていた会話は控えめになり、ちらちらと視線を感じる。
「親父さん、ミードのお代わりを」
「あ、ああ。わかった」
「スカーレットさん、なんでそんなあっけらかんとしてるんですかあ!? 私びっくりしちゃいましたよ!」
「いや、驚かせるつもりは無かったんだがなあ」
雑に束ねた赤い髪をひと撫でし、背中に流す。
「もう長いことやったし、アタシもいい歳だ。そろそろゆっくり生きようかと思ってね……」
ちょいちょいとハンナを近くに寄せて、耳元で「ヘマしちまって、怪我をしたんだよ」と本当の理由を囁く。
「スカーレットさん……」
「ほらよ、おまちどうさん」
酒のお代わりと焼き立てのバケットを亭主から受け取りながら、続けた。
「心配かけたね。まあ、今は何ともないからさ。しばらくはこの街にいるつもりだし、また世話になるよ」
「……っ、はい!」
少し寂しそうな表情をみせつつも、ちゃあんと笑顔になってくれるハンナ。泣き虫だった昔を思い出して、その成長に胸が温まった。
「……あの赤鹿が引退とはな」
「はは! あったねえ。その小っ恥ずかしい二つ名も、やっと返上できそうだ」
「冒険者でもなく一傭兵、しかも女の身で二つ名を戴くなんぞ、滅多にねえってのによ」
もったいねえ。と背中の方から声が聞こえる。
思ったよりも好意的な声色に、思わず振り返ると視線が合う。気まずげな顔をしているのは、二十に届くか届かないかの年頃の若い男たちだった。
「気のいい奴らだ。許してやってくれ」
亭主がそう独り言の様に呟く。
つい癖で弓の遠視スキルを活かせば、寒くはない室内なのに、耳を赤く染めているのが見えた。
「ふふ、可愛いじゃないか」
ありがとうよと小さく口にして肩をすくめる。
彼らはゆっくりと視線を前に戻しつつ、軽く酒杯をあげて応えた。
珍しいねえ。そう口の中で呟く。
傭兵は魔物の氾濫などの異常時を除いて、ダンジョンには入らないという棲み分けをしているけれども。それ以外の場所で仕事の被りやすい冒険者達は、こちらにいい感情を持たないことのほうが多いのに。
「覚えとらんのか? ちいと前に、北の王国から下ってきた野盗の捕物があっただろう。あいつらはその前線の村にいたガキどもさ。傭兵達の中で唯一殺さずに賊を戦闘不能にしたお前さんのこと何回も何回も聞かれたわ」
「子らは疎開させたと聞いてたんだがね。じゃあ投擲で残ってた奴らか」
記憶を探りながら彼らの横顔を眺める。
長い傭兵生活のなかで、色んな戦場を歩いたが、振り返ると北の隣国に関する戦闘や警備が一番多かった。
北に位置する王国は気温が低い上に火山があるせいか、穀物が育ちにくく、冷夏になると治安が荒れるのだ。
こっちも食料が豊富というわけではないはずなのだが、それでも隣国よりかは幾分豊かであるため、食うに困った奴らが流れてくる。
そしてそれは特段珍しいことじゃあない。
せっかく険しい山道を上手く越えて来れたのだから、穏便に馴染む努力をすればいいものを、血迷ったか欲がでたのか、徒党を組んで村を襲うような輩も稀に混じっているのだ。
人間、飢えて追い詰められると思考が鈍る。
斬り捨てるには気が引けて、捕らえて情報を聞き出したことがあったが、それだろう。
「結局のところは奴隷落ちさせちまうし、声高に胸を張れる所業でもないんだけどねえ」
略奪者は基本的に殺す。殺しても咎められない。だか時折、掠奪を未然に防げた時にだけ情状酌量が効くこともある。刑期の決まった奴隷落ちなんかがそうだ。
苦笑しながら煮込みを口に運ぶ。
「……まあ、厳しいが仕方あるまいよ。生きてたら色々ある……とにかく、お疲れさん。今日のお代はまけといてやる」
「なんだい。全部じゃあないのか」
「馬鹿野郎、お前さんまだ飲み始めたばっかりだろうがよ」
あえてガハハと大きく笑う亭主。
アタシもミードを片手に軽口を叩いた。
酒が流していくのはまろやかな肉と野菜の味。後味に仄かな苦味が残るのは、きっと煮込みに使われた赤ワインのせいに違いない。
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