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8.穴熊の隠れ家亭
しおりを挟む「冬のこの時期に、野菜が食べられるなんて、ありがたいねえ」
見た目にも綺麗な甘唐辛子をひとつ。甘酢の爽やかな酸味と、野菜本来の甘さが咀嚼するたびに増して、なんとも美味しかった。
それ用にあつらえたのか、ピックの持ち手にはビネガー瓶を重ねたような模様が小さく彫られている。
ドワーフらしさをここで発揮するあたり、流石と言うべきか。
「冒険者や傭兵が通う安宿とは思えない出来さね。貴族が来ても満足するんじゃないかい」
ここは冬が長い土地だ。
酢漬けは、秋の終わりに漬けたとしても、雪が深くなるこの時期まで漬けていると酸味が強いものが多くなってしまう。けれども、今食べているものは程よい酸味のものだった。
もっと大きな通りに店を構えた方が儲けは良かろうに。そう思いつつも、気軽にこられなくなるのも寂しいから口にはださない。
次は皮を剥いた赤茄子。これはこの店でしか食べたことがないが、水っ気が多く遠征時にも重宝していた。
以前ねだって絶賛してから、夏の終わり辺りになるとアタシ用にいくつかとっといてくれたっけ。
「二十日大根の塩漬けばっかり食べてたのもあるんだろうが、甘くて美味いよ」
「はっは! チーズと交互に食え! 酢物は空きっ腹だと胃に障るからな」
亭主の作業音を耳にしながら、言われた通りチーズを口に入れる。
続けてぐい、とジョッキを傾ければ、ミードの優しい甘さがふわりと鼻を抜けた。つい半分ほどまでごくごくと飲んでしまって、慌てて傾きを戻す。
勿体無いという気持ちが喉まで出かかって、それから。
「ああ、そうか」
もう、装備の整備の為にお金を取っておかなくてもいいのだ。と、思い至った。
もちろんゼロにはならないが、今までのように予備や行き先を考えて、アイテムボックスに複数備えておくようなことは、もうしなくていい。
万能な革鎧と防寒着、森を進むときに道を開くナタや解体用のナイフ、狩弓、短剣は丁度いい厚さのものが一本もあれば充分事足りるだろう。
あのトマトも、もう余分に取り分ける必要はないと伝えなくては。
「今いいかい? 親父さん」
「あ? 猪肉ならもう出るぞ。ほら、お前さんの好きなビーツをこうして多めにだな」
「ああ、嬉しいよ。でも催促したわけじゃあないんだ」
そこまで耳にすると、亭主がようやくカウンターから顔を上げた。
「アタシはもう傭兵を引退するから」
「これまで色々と便宜を図ってくれたろう? ありがとうよ」と続けつつ、亭主が差し出した木の椀を両手で受け取る。
ビーツと赤ワインで深い色に染まった肉がテラテラと匙を誘う、目にも魅力的な一皿だ。
それにばかり目を奪われていたから、反応が一拍遅れた。
「す、スカーレットさん、傭兵を、やめちゃうんですか!!??」
「あ? ああ、そうだよ」
盆を胸元に抱え、半ば叫ぶ様に驚くハンナ。
髭同様豊かな眉を上げた亭主と、店内にいた少ない冒険者たちの息を飲む声が、やけに大きく聞こえた。
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