俺の子を産んでくれないかって言われたから快諾してみた

キシマニア

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2.傷だらけのスカーレット

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 矢が、熊の目にさらに深く突き刺さる。
 そしてガーだかボーだか、低い獣声を上げて熊がもがくように腕を振り回した。

「ぐっ、い! 痛いいっっだい!」

 視線を逸らさないよう固定したまま、乱れた前髪を雑に払う。
 血の混じった泡を吹きながら、熊はのたうち回っていた。こちらも額がどうなっているのかわからないが、嫌な温度の血が流れていくのを感じる。
 頭を振り、やつの視界から外れたこのチャンス。ここを制さないと未来はないのは、本能で理解していた。

「うっ、りゃあああ!」

 奴の首の動脈目掛けて、思い切りナタで斬りつける。
 毛皮が硬いのか、脂肪が厚いのか、動く丸太を切っているような手応え。しかし、思ったより力が入ったおかげで、手にしていたナタは上手く急所に入った。上から振り降ろすばかりだったのを、横凪ぎに払ったから、角度がよかったのかもしれない。

 赤い血が雪を背景にバッと散る。

 切りつけた力の慣性に逆らわず、サイドステップを踏むようにして距離を取った。

「ハァ、ハァ 女の顔に傷をつけたんだ。くたばっとくれよ……!」

 とここで、アミュレットの効果が切れる。
 長く力を入れていた反動で、がくりと四肢から力が抜けた。距離を置こうとしたが、ぶるぶると手足が振るえて上手く動かせない。そうしている間にも、最後の足掻きをみせる熊の爪が体を掠めていく。

「ガッ!」

 最後の必死の抵抗を避けきれず、ブーツの金具に引っかかった爪のせいで、アタシは勢いよく吹き飛んだ。
 ぐらり、視界が歪む。
 ズキズキするこめかみと、爪に持ってかれた方の足の踵が燃えるようだ。

 眼の中心に向かって白く星が飛んで見える。そんな視界のなか、熊はだんだんと動きを鈍らせていった。
 まだ目の前にアタシが居るかのように数度宙を掻いたあと、ようやっと地面に横たわる。

 氷点下の空気に、熊の傷口から白く湯気が立ち昇っていった。
 ああ、良かった。

「はあ、はあ」

 心底安堵して、ひとつため息をつく。
 逸る鼓動と呼吸を落ち着けようと、深呼吸に努めた。

 赤鼻の男は、いつの間にか姿を消している。

「はあ、薄情なこった。本当に、運がない」

 地面の雪にパンチを食らわせながら悪態をつく。
 ブーツは赤く滲み、嫌な方へと曲がっていた。

 四つん這いで熊に近づき、麻袋の中から巾着型のアイテムボックスを取り出す。熊にその口を寄せれば、しゅるりと亜空間へ吸い込まれていった。
 完全に仕舞い終わるまでほんの数秒だが、戦闘中はこの刹那が命取りになる。
 服の内側に縫い付けていたものは言わずもがな。持ってきた麻袋の中身は、先ほど投げられたせいでいくつか壊れてしまっている。
 額からの血が止まらず、片目が効かない。
 まだ動けるうちに割れた瓶を除けながら手探りで薬を探した。手袋に染みていく紫色の液体。嫌な予感に手の動きが早まる。
 そうして探り当てた瓶の色をみて顔を顰めた。

「中級と上級のポーションが、くそっ」

 かろうじて残っていたのは、緑と紫を混ぜた色の下級ポーション。
 ヤケクソになりそれをグッと呷って、地面に仰向けに横たわる。

 傷を負った額や足首、取っ組み合った腕に筋肉痛の様な痛痒さが広がっていく。それが落ち着くのをじっと待っていた。下級ポーションだから深い傷は治らないだろう。
 その証拠に治癒に伴う痛痒さは強くなく、すぐに我慢できるほどまで薄れていった。

 灰色の空。そこにインクを落としたような濁り雲が真上に来ている。
 きっと、これから雪がたくさん降るだろう。
 チラチラと舞う雪が、大きな牡丹雪になる前に帰還した方がいい。

 今日何度目かのため息をついて、麻袋からスクロールを取り出した。
 びちゃり、と滲む羊皮紙を力任せに破る。

「高いってのに。まあ、背に腹はかえられないさね」

 スクロールから灯った薄緑の光に目を閉じる。
 ギルドに戻り次第やらねばならないことを頭で考えながら、また雪に身を任せた。

 スクロールから枝垂れ桜のように光が降り注ぐ。
 その眩さに溶け入るようにスカーレットの姿は見えなくなり、荒れた雪原だけがその場に残った。

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