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1.傭兵を引退する事になった日
しおりを挟むその日は、ノースブルグの街の近くに出る魔獣の大捕物があった。
冬本番を前にして気の立っている殺人熊を一匹でも多く仕留めるようにと、領主から命が下ったのだ。
昨年はブナの実が豊作だったのに。否、そのせいか、増えた生き物たちの数に見合わず今年の実りは凶作で、近傍の森の生き物達は皆飢えていた。
農作物や、家畜。
時に人さえも狼や熊の餌食になる始末。
冬になると熊達は冬眠するが、しっかりと食えず太れなかった熊は、冬半ばで食べ物を食べに起きる事がある。
もちろん冬なので森の中に餌は見つからない。そうなると、殺人熊は人里へ寄ってくる。そうして、お察しのとおり山間の村は大きな被害を受けるのだ。
過去にも何度か熊のせいで人死が出た記録が、この領地には多くあった。
ギルドは腕の立つ冒険者達や傭兵を雇い、領主も私兵団から人を出すほどの大所帯で、深い森の中に挑む。
アタシもそれに乗じて、冬の前にひと稼ぎしようと目論んでいた。
何せ根無草の傭兵。しかも女。
ただでさえ冬は仕事が無く、今の所持金だけでは年越しもままならなさそうだったからだ。
胸元から取り出したお触れ書きには、仕留めた熊は解体し、個別に売ってもいいと書いてある。
実に太っ腹な領主だ。
それにニンマリと笑ってキスを落とすと、再度胸元へと仕舞い込んだ。
鼻唄混じりに雪でぬかるんだ森の道を歩く。
肝や爪は売って、毛皮は自分の防寒着、肉は干し肉にでもして冬越えの足しにしようと思っていた。
「おいスカーレット。今日の獲物は何だ」
酒でやけたダミ声に、思わず怪訝な顔を隠せないまま振り返る。
大きな赤鼻を寒さで更に朱く染めた昔馴染みが、気安い顔ですぐそばにいた。やれやれ。同じ隊列だったとは。
「そうさね、今日は風もないし狩弓も持ってきたよ。あとはナタ」
「おうおう、勇ましいこった」
「アンタに言われたかないよ。なんだいその大剣、森の中で振り回すのは向いてないんじゃないかい」
うるせえ、ほっとけ。と悪態つく同業者。
おおかた新しく手に入れた剣を見せびらかしたいだけなのだろう。叩き切る。というよりかは相手を殴り飛ばす方が上手く出来そうな、分厚い幅の剣だった。
ふう、と呆れてため息をつく。
同業者はそれを無視したまま、まるで少年のような顔で剣の値段だとか利点だとかを話している。
ノースブルグの森は深いブナ林が大きくなったもので、奥の方は鬱蒼とした雰囲気だと聞いていたけれどどうなることやら。
「まあ、人の心配してる余裕もないか」
そうぼやきながら、念の為にとナイフと麻袋を多めに詰め込んだ荷物を背負い直した。
「う、うわああ!!!」
そんな、嫌な予感ほど当たるもの。
大剣を木々に阻まれて、同業者の男が危ない目に遭っているのを見て、アタシは心底呆れ返った。
四つ脚で迫り、男に今にも食らいつかんとするそれは、痩せてはいるものの、大きな体躯をしている熊だ。
よほど飢えているのだろう。
パサついた毛並みであるにも関わらず、その黒い瞳はギラギラと嫌な光を放っていた。
よしておけばいいのに。このまま見捨てて行けない甘い自分に嫌気がさす。
「あーあ、とんだ貧乏くじだよ」
きりきりと狩り弓を引き、放つ。
弓矢は樹々の間を抜け、真っ直ぐ熊の目を貫いた。
ギャンと聞こえるのは熊の短い悲鳴。
大きな体だったからか、やつはそれでも倒れない。
弓矢を撃ったのがアタシだときちんと認識して、倒れる男からこちらに敵意を向けてきた。
雪を蹴り上げ、真っ白な地面から覗いた腐葉土の黒を軌跡にしながら一目散に駆けてくる。
腰の抜けた同業者の男が、悲壮感に満ちた声でアタシの名前を叫んだ。
両手でナタを持ち、迎撃する。
組み合った瞬間、ムッとこもった獣臭とその力の強さに顔を顰めた。
熊の眉間目掛けて振り下ろしたナタが、奴の顔に傷を付けるけれど、まだ仕留める程ではない。
熊の背後にいる男はまだ腰が抜けて立てない様だ。
よく研いできたナタだけれど、こうやって取っ組み合ったままだと思ったように振るえない。怪力のまじないが込められたアミュレットも長くは持たないだろう。均衡が崩れるのはきっともうすぐだ。
「チッ……ついてないね!」
腕も足も胴も、対熊用に火蜥蜴の分厚い革鎧をしこんである。だが、頭だけは普通の防寒用の帽子にしていたのを悔やんだ。
アタシは覚悟を決めて、目に突き刺さったままの矢に頭突きを繰り出した。
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