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30.PTSD
しおりを挟む「フローラ!」
ライラが見たこともない必死な顔で、私に手を伸ばしている。
クラウス様の髪さえ、真っ白に染めていく濁流のなか。大事な友人である彼女を少しも慮ることもできないまま、周りの何もかもが意識の外へと逃げていった。
痛くないように、それでいて離さないように。
腕の中にあるものをやわく抱きしめる。
もし、患部が腕だとか足だったなら、私だって、こんなに取り乱したりはしていなかったかもしれない。
でも前頭部を押さえる彼の仕草が、私には脳をやられてしまったように思えてならなくて。
恐怖が心臓を握り込んだのをありありと感じた。
命に関わる部分。
それも、少しの損傷でも大きな影響を残す場所だから。
「嫌……治って。治して。女神様」
「……ッ」
やっと出会えた、大事なひとなの。
呪文も印も魔法陣も介さない、大きな力の奔流に身を任せる。
ライラが私を呼ぶ声も、ダフ達が駆け寄ってくる荒い足音も、ルーカスが転移してきたことにも。もう何も目にも耳にも届かない。
ただただ沢山の光が涙と共に溢れて、ストロボを焚いた時のように、瞬間みんなの視界を灼いていく。
私の背を撫でるクラウス様の手。
辛いだろうに。痛みを堪えた震える手が、必死に私を落ち着かせようとしてくる。
でも、私もこの力を。恐怖をもう、抑えられない。
光源である私の頭にフラッシュバックしていたのは、旅の途中で喪った人々の顔だった。
旅の先で訪れた、荒れた村々。
枯れ草さえ残っていないメインストリートのあちこちで横たわる人々。
彼らの、どこでもない空虚を見つめる眼球や、日の光さえ負担だと言わんばかりに顔を覆って事切れている痩せた遺体。
「ああ、……っ」
まるで映画のフィルムを切って貼ってつなげたように、頭の中は次々に切り替わっていく。
道中、魔物との戦いで亡くなった人たちの、魔物の、死んだ肉が見える断面。赤黒い、酸化した血液。鼻にまとわりつくような腐臭。
壊れた街の防壁に、杭の柵。投擲台のロープがゆらゆらと風に靡いている。
その傍らには驚いた表情のまま、明らかに生きていないとわかる負傷を負った民兵が座っていた。
手には折れた剣にひしゃげた盾。
まだ年若い彼らは、元の世界ならきっと学ランに身を包んでいたはずだ。
そんな彼らのまぶたをそっと閉じてくれた同行者の騎士達。優しく、朗らかな笑顔に助けられたっけ。
そんな彼らも、血に染まった体には似合わないほど、眠るように穏やかな顔で召されていった。私達を護るために。
遺体を埋めることも叶わなかった。壮絶な最期。
飲み込んで、胸に澱ませてある、いつかのあの日が。
かしゃりかしゃりと、頭の中を覆っていく。
彼らの死を厭う気持ちは無い。けれど、過酷な旅が終わった平穏な日々を知っている今、私は、もう、大切な人を喪うことが何よりも怖かった。
ゲームの中では、決して死ななかった王子たち。戦闘で負けたとき、セーブポイントに戻った彼らは、死んだ状態ではなく瀕死のステータスになるだけだった。赤色のそのゲージは、主人公の魔法で回復させることができた。
でも、それはゲームの中での話。
王子達は騎士達が身を挺して護り、危険な目にあう事自体が稀だ。
騎士達と逸れてからは、私はマメに彼らに回復を施した。
転生してからでは、死んだ人を生き返らせることなど、やっぱり出来なかったから。
ただただ願いを込めて、温かい大きな体を抱きしめた。
「この世界に呼ばれた私の役目はもう果たしたでしょう!?」
見返りでもご褒美でも。なんでもいい。だから。
「治して! 女神様!」
まるで呪文のように、女神の真名を叫ぶ。
この世界の誰も知らないその響きは、強い強い言霊となって、さらに眩く私の魔力を輝かせた。
時間にしてほんの数秒。
ルーカスは目を見開き、その刹那、周りの人を守るための結界を展開させた。
ダフがライラを守るように、胸の中へと抱き込む。
迸る光のなか。
懐かしい花の香りと、困ったような声が聞こえた気がした。
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