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20.休日の朝に
しおりを挟むギスギスした空気で終わった射撃訓練から二日経ち、今日は非番の日だ。私は簡素な出立ちのまま、宿舎内のニナの部屋まで足を運んでいた。
「ニナ、アリアだ」
「はーい! お待ちしてましたよ、どうぞ!」
ノックのあと、中から聞こえた明るい声。ニナに会うのは久々だなあと嬉しい気持ちになりながら、ゆっくりとドアを開いた。
引越しが終わってから初めて入るニナの部屋は、クリーム色と山吹色のファブリックで統一された暖かみのある部屋だった。ほぼ私物のない私の部屋と違って、どことなく秋の日向を彷彿とさせる。
そこには先客が居た。
「アリア、なんだか久しぶりね」
「デイジーもここに居たのか。調子はどうだ?」
「ありがと! 体は元気なんだけど、精神的に参っちゃうわ」
「サマンサ様とフィルファールナ様に目をつけられちゃいましたもんね」
やれやれと首を振る二人。
久々に耳にした名前に、笑顔のまま固まってしまう私。
サマンサ・ウッドフィールズ様とフィルファールナ・オーダ・バシー様は第三師団の女性貴族騎士だ。伯爵令嬢と隣の帝国に縁のある貴族令嬢でおふたりとも魔力が多く、魔術に長けていて、なんというか……貴族らしい貴族だ。
回帰前私もたくさんお勉強させられた。
「アルも……いえ、あれは単純に気に入られたみたいだけど」
「アル君の瞳は菫のよう! でしたっけ」
「鳥肌になりながらお礼言ってたわねあの子」
「私たちのほうは多分アルさんと仲が良いのが羨ましいんでしょうね。とは言え、普通のやり取りしかしてないんですけどねえ」
ハア、と重いため息をふたり同時に吐いて力なく笑っている。回帰前もアルは良く構われて、そして逃げていたのを思い出した。私はアルとあまり交流が無かったから、その点のやっかみはほぼ記憶にない。
「なんというか、その。大変そうだな……」
「そのうち慣れるわ。ところで今日はどうしたの?」
気を取り直して、デイジーが私に問いかける。
「ああ、アリアさんがウチの商会に行かれるんですよ」
「うん。給金も入ったから、孤児院に差し入れを買おうと思って。ニナに一応挨拶と、オススメがないか聞きにきたんだ」
あとドレスコードが無いかもそれとなく確認してもらうつもりだった。
今は部屋着だけれど、一応外出用のワンピースを持ってきている。使い古し感は大差ないが仕方がない。
深い紺色の詰め襟に、申し訳程度にタックの入った長袖。回帰前は王女殿下にいただいたカメオのブローチを襟元につけてよく着ていた。
「ウチは基本的にドレスコードは無いですよ」
そうニナのお墨付きをもらって安心する。
そんな私たちのやり取りを見ていたデイジーが、閃いた! と言わんばかりに手を合わせた。
「ねえアリア! 私、手慰みにいくつか襟巻きを作ったんだけど持っていってくれないかしら」
「いいのか?」
「ええ! 多分作ってた時疲れたのか、単に毛糸が縮れたのか、気持ち短いのよ!小さくなったセーターを解いて作ったから、毛糸がちょっと硬いのだけど」
「そんな! 充分だよ、ありがとう!」
ブランケットやマフラー、大きな布は用途が広く孤児院ではとても重宝していた。
短めというのも小さい子にとっては安全でありがたい。
取ってくるわね! と言い残してデイジーは部屋を出て行った。
「みんな喜ぶだろうな」
「良かったですね! さてアリアさん、唐突なのですが、もしよかったらコレを……」
ベッドサイドのチェストから、ニナが小さな紙袋を取り出す。
しゃらん。と音を立てて彼女の手のひらに出てきたのは、貝の真珠層が美しいバレッタだった。
「わ……」
「最近売り出そうと思って作った試作品なんですけど、いかがでしょう。夜光貝のバレッタです」
にこにこと笑うニナの顔には邪気は無い。
だが、人からアクセサリーを貰うという事自体に体が固まってしまう。
ブレスレットでも、アンクレットでも、チョーカーでも無い。だから、大丈夫なはずだ。
そう頭で考えるけれど、変な汗が手のひらを濡らす。
せっかく出来た友人を信じたい。
でも、また以前の二の舞になってしまったらどうしよう。
そうぐるぐると思考の迷路に陥る私を見て何か思ったのか、ニナが明るい声を出した。
「押し付けてすみません、お気に召しませんでしたね」
「! い、いや。あまりにも綺麗で。私には勿体無いなと」
「何言ってるんですか! アリアさんに着けてもらえたら、良い宣伝になると思っての事だったんです……すみません。気を悪くしちゃいましたか?」
「そんなことは、無いんだ」
「ただ本当に、装飾品には馴染みが無くて」
そう誤魔化す。私の顔は今、一体どうなっているのだろうか。
心なしか肩を落とすニナ。
部屋の空気がいよいよ落ち込んできたのを破るように、ただいまー!と陽気な声がドアを勢い良く飛び込んできた。
「数えたら六本もあったわ! あら?綺麗ね、二人どちらにも似合いそうよ。どっちのなの?」
デイジーの登場に、私もニナもわかりやすく安心する。「合わせてみた?」とニナの手のひらからバレッタをそっと取って、ニナの側頭部、私の後頭部でまとめたシニヨンの上にそっと当てた。
「うーん、そうね! ニナの髪色にもいいし、ちょっと入った孔雀色がアリアの瞳とよく合ってるわ!」
「そうなんです! その象嵌された違う貝の色がアリアさんの瞳の色みたいだなと思って!」
「ならこれはアリアへのプレゼントなのね! 良いじゃない! アリア、着けてあげるわ」
あれよあれよという間にデイジーが背後に周り、髪に触れる。私は覚悟を決めてギュッと目を閉じた。
「ふふ、アリアさん。バレッタは髪を挟むだけなので痛くないですよ」
私の表情をみて、ニナが微笑ましそうに笑っている。
その声と、デイジーの楽しげな声に、私はそろそろと力を抜いた。
回帰前に貰ったアクセサリー達。
記憶があるとき渡されたそれらは、強い赤色や錆色をしていた。そして渡してきた人の口調は強く、どこか見下してくるような声で。
こんな優しい笑顔では、決して無かった。
「はい! 出来た」
「わあアリアさん! はい、鏡!」
合わせ鏡の要領で後頭部のバレッタが見える。
手のひら程のオーバル形をした、上品な真珠色。端っこに少しだけピーコックグリーンが入っている。
ドレッサーに映る私は、初めてのアクセサリーに嬉し泣きをした少女のような、笑っているような、複雑な表情をしていた。
少しだけ滲む視界に、嬉しそうな友人の姿が見える。
ダグラス中尉から貰ったハンカチに加え、大切な宝物が、また一つ増えた。
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