上 下
16 / 33

16.強かなる教え

しおりを挟む

「……アリア。どうした」
「……っわ、いや。なんでもない」

 顔色を悪くしている私に、ガラントが声をかける。
 ヒソヒソ声だが、リュシオン卿が気付いたら面倒な事になるだろう。
 回帰前、嫌でも身に付いた彼への対応が私の口を噤ませた。
 先ほど言われたとおり。経験していないはずの体が覚えているのだ。

 チラリとリュシオン卿がガラントを見る。

「そこ。無駄口を叩くなら外で腕立てしてこい」
「……は」

 ほらきた。

「腕立てもわからんか? よろしい。慣れ親しんだサーキットにしてやろう」
「なッ」
「申し訳ありません! 行ってまいります!」

 私は立ち上がると腰を九十度まげて謝罪した。反論しそうなガラントの腕を取り、そのまま研修室を後にする。

「ほお……」

 ねっとりとした視線。ぞわぞわとうなじが逆立つのを感じた。白い蛇に服を着せたらきっとこんな姿になるに違いない。
 困惑の声を上げるガラントと、早歩きで退出する私を一瞥し、リュシオン卿はもう興味の無い様子で続きを話し始めた。
 面倒な事になったな。と、ため息を飲み込む。

 修練場が見えたところで、ガラントの腕を離した。

「っは、アリア。本当に部屋を出なくても」
「じゃないと目の敵にされてたぞ。しかも、今日だけでなく、今後ずっとだ」
「嘘だろう? 何故わかる」
「なぜって……」

 早足と怒りとで若干息の上がっているガラント。
 回帰前はそうだった。とは言いようがない。
 仕事を教える。使ってやる。そう言いながら、睡眠時間を削るほど仕事を与えられるのだ。
 昼食時間が無い日もあったし、夜間勤務の急な割り当てもあった。

「……宿舎で、第三師団の友人から」
「ああ。モンテ商会の三女か……」

 ぐしゃぐしゃと藍色の髪をかき混ぜ、ガラントは舌打ちをする。
 粗暴な仕草をするけれど、基本的に常識人で優等生な彼をリュシオン卿のサンドバッグにするのは回避したかったのだが……性急すぎた。

「すまない。彼は口答えが一番嫌いで、口にした罰はすぐ実行しないと大変なことになると……」
「女隊士にもそうなのかよ……」
「……すぐに出てきたから大丈夫だと思う」

 ガラントは。と、そのあとに続く言葉は言わない。
 女隊士にではなく、平民に対してそうなのだ。

「私を心配してくれただけなのにな。ごめん」
「……いや。逆に巻き込んでしまったな」
「問題ない。私は学がないから、正直なところ体を動かしている方が性に合ってる」

 意図して口角を上げ、ガラントを見上げた。

「……そうか」
「ああ。座学の内容は、ベンにでも聞くよ」
「アルバスも教えてくれるだろう」

 そこで会話を打ち切り、私たちはサーキットを始めた。
 午前の鐘が鳴り終わった後、リュシオン卿を探し頭を下げる。
 私もガラントも汗だくの様相を見ても顔色一つ変えない。だが、何も言わずに昼食にでも行けばまたネチネチとやられることは明白だった。

「申し訳ありませんでした!」
「……次は無い。午前の補講もなしだ」
「以後気をつけます!」
「……ふん。行ってよし」

「ありがとうございます」とガラントが踵を返す。私はあえて一歩遅れて、ガラントに続いた。

「アリア、とか言ったか」
「……はい、閣下」
「生まれは?」

 やっぱり帰してもらえなかったか。
 私を振り返るガラントに、目で先を促す。
「直答をお許しください」「許す」の平民が貴族に発言する時の作法を遵守したのち、私は口を開いた。

「貧民街の生まれでございます」
「なんと……親もか」
「顔は覚えておりません。物事ついたときより、おりませんでした」

 リュシオン卿は私の髪色をじっくり検分した。
 親由来なのか確認したかったのだろうが、私の最初の記憶は孤児院と、ルフタをはじめとする義兄弟きょうだい達との毎日だ。

「ふむ……それにしては、礼儀ができている」
「お褒めにあずかり光栄です。入隊して身に付けた付け焼き刃でございます」
「……第二でなく、第三師団で使ってやろうか?」

 空気の揺れる音がして、ちらりと背後をみる。
 貴族と平民との差に驚きの表情をしていたガラントだったが、リュシオン卿の言葉にさらに息を飲んだ様子だった。
 早く行け。と目で訴えるが、ガラントは動こうとしない。

「ありがとう、ございます」

 リュシオン卿はこの国の侯爵位だ。軍の家系で、長男以外の兄妹には国の役職に就いている者もおり、実のところ侯爵以上の影響力を持っていた。
 彼にとっては戯れでも、本当に囲い込もうと思ったらそれが出来る。

 もし本当にそうなったらなったで、腹をくくろう。
 そう覚悟を決めかけたとき、不意に脳裏で優しい声を思い出した。

(いい?アリー。女の武器にはね……)

「そうだろう……役に立て。お前をかっ」
「ぜひ閣下がには、どうぞご用命ください」
「!」

(体や美貌だけじゃ無い。大胆なおとぼけと、笑顔もあるのよ)

 にっこり。
 回帰前に王女様から習った笑い方で笑みを送る。

 リュシオン卿は怒りにカッと顔を赤くした。
 本来なら一中尉に人事の権限などないが、自分にはその限りではない。と、新しく配属された兵士に力関係を知らしめるつもりだったはずなのに。
 貴族の家名を深く知らぬ民に、それは効かない。
 だが人目のあるここで無知な下民に狭隘きょうあいな心を晒しても損をする。

 彼は苦々しい顔になったが、にこにこと笑う私の表情を見て思い直したのだろう。すぐにそれを隠した。
 代わりに誤魔化しの咳払いをする。

「……ああ。楽しみにしておけ」
「はい!」

 事実、貴方が師団長に就くことなんて無い。

 そんな事を考えているとは微塵も感じさせない、無邪気な女の顔で、私は退室の挨拶を口にした。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

来世はあなたと結ばれませんように【再掲載】

倉世モナカ
恋愛
病弱だった私のために毎日昼夜問わず看病してくれた夫が過労により先に他界。私のせいで死んでしまった夫。来世は私なんかよりもっと素敵な女性と結ばれてほしい。それから私も後を追うようにこの世を去った。  時は来世に代わり、私は城に仕えるメイド、夫はそこに住んでいる王子へと転生していた。前世の記憶を持っている私は、夫だった王子と距離をとっていたが、あれよあれという間に彼が私に近づいてくる。それでも私はあなたとは結ばれませんから! 再投稿です。ご迷惑おかけします。 この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

悪役令嬢に転生したので、推しキャラの婚約者の立場を思う存分楽しみます

下菊みこと
恋愛
タイトルまんま。 悪役令嬢に転生した女の子が推しキャラに猛烈にアタックするけど聖女候補であるヒロインが出てきて余計なことをしてくれるお話。 悪役令嬢は諦めも早かった。 ちらっとヒロインへのざまぁがありますが、そんなにそこに触れない。 ご都合主義のハッピーエンド。 小説家になろう様でも投稿しています。

【コミカライズ】今夜中に婚約破棄してもらわナイト

待鳥園子
恋愛
気がつけば私、悪役令嬢に転生してしまったらしい。 不幸なことに記憶を取り戻したのが、なんと断罪不可避の婚約破棄される予定の、その日の朝だった! けど、後日談に書かれていた悪役令嬢の末路は珍しくぬるい。都会好きで派手好きな彼女はヒロインをいじめた罰として、都会を離れて静かな田舎で暮らすことになるだけ。 前世から筋金入りの陰キャな私は、華やかな社交界なんか興味ないし、のんびり田舎暮らしも悪くない。罰でもなく、単なるご褒美。文句など一言も言わずに、潔く婚約破棄されましょう。 ……えっ! ヒロインも探しているし、私の婚約者会場に不在なんだけど……私と婚約破棄する予定の王子様、どこに行ったのか、誰か知りませんか?! ♡コミカライズされることになりました。詳細は追って発表いたします。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

私が妻です!

ミカン♬
恋愛
幼い頃のトラウマで男性が怖いエルシーは夫のヴァルと結婚して2年、まだ本当の夫婦には成っていない。 王都で一人暮らす夫から連絡が途絶えて2か月、エルシーは弟のような護衛レノを連れて夫の家に向かうと、愛人と赤子と暮らしていた。失意のエルシーを狙う従兄妹のオリバーに王都でも襲われる。その時に助けてくれた侯爵夫人にお世話になってエルシーは生まれ変わろうと決心する。 侯爵家に離婚届けにサインを求めて夫がやってきた。 そこに王宮騎士団の副団長エイダンが追いかけてきて、夫の様子がおかしくなるのだった。 世界観など全てフワっと設定です。サクっと終わります。 5/23 完結に状況の説明を書き足しました。申し訳ありません。 ★★★なろう様では最後に閑話をいれています。 脱字報告、応援して下さった皆様本当に有難うございました。 他のサイトにも投稿しています。

氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました

まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」 あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。 ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。 それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。 するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。 好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。 二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。

処理中です...