上 下
8 / 33

8.異なる過去を生きる

しおりを挟む


 宿舎の中は、人事異動の話でもちきりだった。

 女子棟でこれだから、平民ひとの数が多い男子棟はもっと騒がしいだろう。
 女が三人寄ればかしましいとはよく言ったもので、きゃらきゃらと明るい笑みを見せる彼女らが眩しい。つい感情を凪にさせる癖がついている自分のつまらなさを振り返って、私物の入った麻袋を抱えながら、小さくため息をついた。

 執務棟が新兵の部署から、第二師団の部屋へと移るため引越し準備をする必要がある。
 消耗品の在庫を確認していると、石鹸が残り少ないことに気づいた。次の非番の日には買い物に出なければならないな。と考えていたとき。にゅっと、まるこい手が横から伸びる。

「これ、いかがです?」

 ラベンダーだろうか。青と紫の蕾のような花弁が所々に入った薄緑の石鹸から、ふわりと優しい香りがした。

「うちの新入荷なんです」

 にっこりと、昼寝する猫のような笑みで立っていたのは、私と入れ違いに第三師団へ配属されたニナだった。

「……いくらです?」

 茶色くない石鹸なんて初めて手にする。獣臭さも全くなく、パウンドケーキのような断面をしげしげと眺めた。王女殿下も好まれそうだな、これ。なんて感想が口から溢れると、ニナの目がきらりと光った気がした。

「差し上げます。お近づきの印にってことで」
「……それは…」
「もし気が引けるのであれば、そうですね。色々と教えてくださいますか? 王女殿下のこと」
「……」

 猫の目に狩の気配が混じる。

「前から思っていたんですけれど、随分とお詳しいですよね、王女様について。不思議だったんです」

 邪気は、感じない。スラム街の市場で見るぬたっとしたやり取りのような感じの悪さこそ無かったが、ニナのやけに強い圧に戸惑った。

「なに「推しなんでしょ?」

 オシ?
 被せるように畳み掛けられた言葉に馴染みが無く、聞き返す。うんうんと嬉しそうな顔で、ニナは続けた。

「王子様方の下で、かつ粒揃いの人たちが揃う第二師団に配属されたにもかかわらず、デイジーさんや私を驚きの顔で見つめるということは! きっと第三師団が本命だったのでは? そして王女様のお好みに詳しい平民ときたら王女様推しなのかと思いまして」
「はあ……いや、よく見てましたね」
「接客業やってましたから!」
「ふ、ふふふ。そうか」

 呆気にとられている私に向けて、パチリと閉じられた片目。やけに完璧なそれについ笑いが漏れた。 

「そうだな、尊敬しているよ。私のような素性が知れない者でも、殿下はお優しいから」

「アリー」と呼んで、笑いかけてくださった。私の元主人。回帰前、帝国の王子様は気のいい方に見えたけれど、彼女は幸せになっただろうか。私の死が彼女の足を引っ張っていなといいのだが。とまで考えて、意味のない事だとかぶりを振った。

「素性……でもアリアさんの髪色は、帝国由来のものではないのですか?」
「……え?」
「あちらの貴族の方には多いですよね、銀色の髪」
「ああ……だが、私の髪は銀というより鈍色だ。帝国貴族は、瞳の色も銀が入っているだろう? 私は違う」

「同期ですし、お好きな口調で構いませんよ」とのことなので、甘えることにした。その上で、出自の話になってしばし世間話に興じる。
 恐らく商人の懐柔術なのだろうが、こちらもツテを作って損はなかった。
 会話の中に出たが、回帰前に見た帝国貴族達は、輝く月のような白銀の髪を持っていた。瞳は青や緑など色の違いはあるものの、ベースに必ず銀を感じさせる神聖な淡い色彩をしている。ちなみに王子は、金の瞳をしていた。
 ブリキ板に似た青銀の髪に、濃い緑の瞳である私が彼等と並べば、一目で別物だとわかるだろう。

「そうですか~」と、ややしょげた顔をするニナ。でもニナのように、帝国に行っても馴染みやすいだろうと考える人は居るかもしれない。
 回帰前の人事はそんな思惑だろうか、と思考が傾きかけたところで、慌ててニナに視線を戻した。

「ニナ、王女殿下はラベンダーやローズだけでなく、プラムの香りもお好きだそうだ」

「え?」と喜色を浮かべる彼女に頷く。
 回帰前、王女殿下が探していたのを思い出して。

「夏になれば、王都はすぐ暑くなるだろう? 汗の匂いを誤魔化すための、爽やかな香りの髪の香油など無いだろうか。この石鹸もきっとお求めになるだろうが、香油もあれば喜ばれると思う」
「なるほど! 実家に話しておきます!」
「ああ。審査に通ると良いな」
「こういう情報助かります~!登城した甲斐がありますね」

 メモを取り出したニナに「流石に機密事項はわからないが」と釘を刺しておく。承知のハンドサインが返ってきた。

「もし上手くいったらでいいんだが、儲かったら時々買い物しに行かせてくれ」

 城下町の店は、質の良いものを扱う上級店だと一見さんお断りのルールに則っているため、許可が必要だった。
 第二師団もいずれ王族警護で貴族と接する機会も出てくるだろう。回帰前は王女殿下とその侍女が教えてくれた身繕いみづくろいを、一人でもちゃんとしておきたかった。

「もちろんです! どうぞご贔屓に」

 にっこり笑って差し出された紹介状に、元よりそのつもりだった事を知って、頬が火照った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

来世はあなたと結ばれませんように【再掲載】

倉世モナカ
恋愛
病弱だった私のために毎日昼夜問わず看病してくれた夫が過労により先に他界。私のせいで死んでしまった夫。来世は私なんかよりもっと素敵な女性と結ばれてほしい。それから私も後を追うようにこの世を去った。  時は来世に代わり、私は城に仕えるメイド、夫はそこに住んでいる王子へと転生していた。前世の記憶を持っている私は、夫だった王子と距離をとっていたが、あれよあれという間に彼が私に近づいてくる。それでも私はあなたとは結ばれませんから! 再投稿です。ご迷惑おかけします。 この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

悪役令嬢に転生したので、推しキャラの婚約者の立場を思う存分楽しみます

下菊みこと
恋愛
タイトルまんま。 悪役令嬢に転生した女の子が推しキャラに猛烈にアタックするけど聖女候補であるヒロインが出てきて余計なことをしてくれるお話。 悪役令嬢は諦めも早かった。 ちらっとヒロインへのざまぁがありますが、そんなにそこに触れない。 ご都合主義のハッピーエンド。 小説家になろう様でも投稿しています。

【コミカライズ】今夜中に婚約破棄してもらわナイト

待鳥園子
恋愛
気がつけば私、悪役令嬢に転生してしまったらしい。 不幸なことに記憶を取り戻したのが、なんと断罪不可避の婚約破棄される予定の、その日の朝だった! けど、後日談に書かれていた悪役令嬢の末路は珍しくぬるい。都会好きで派手好きな彼女はヒロインをいじめた罰として、都会を離れて静かな田舎で暮らすことになるだけ。 前世から筋金入りの陰キャな私は、華やかな社交界なんか興味ないし、のんびり田舎暮らしも悪くない。罰でもなく、単なるご褒美。文句など一言も言わずに、潔く婚約破棄されましょう。 ……えっ! ヒロインも探しているし、私の婚約者会場に不在なんだけど……私と婚約破棄する予定の王子様、どこに行ったのか、誰か知りませんか?! ♡コミカライズされることになりました。詳細は追って発表いたします。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

私が妻です!

ミカン♬
恋愛
幼い頃のトラウマで男性が怖いエルシーは夫のヴァルと結婚して2年、まだ本当の夫婦には成っていない。 王都で一人暮らす夫から連絡が途絶えて2か月、エルシーは弟のような護衛レノを連れて夫の家に向かうと、愛人と赤子と暮らしていた。失意のエルシーを狙う従兄妹のオリバーに王都でも襲われる。その時に助けてくれた侯爵夫人にお世話になってエルシーは生まれ変わろうと決心する。 侯爵家に離婚届けにサインを求めて夫がやってきた。 そこに王宮騎士団の副団長エイダンが追いかけてきて、夫の様子がおかしくなるのだった。 世界観など全てフワっと設定です。サクっと終わります。 5/23 完結に状況の説明を書き足しました。申し訳ありません。 ★★★なろう様では最後に閑話をいれています。 脱字報告、応援して下さった皆様本当に有難うございました。 他のサイトにも投稿しています。

氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました

まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」 あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。 ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。 それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。 するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。 好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。 二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。

処理中です...