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2.そうして回帰した先
しおりを挟むほんの鼻先で、落雷が轟いた。
「!!!!、っは、ハァッ、は」
それと同時に飛び起きた場所は、薄暗く狭い、慣れ親しんだ騎士団宿舎の自室だった。
オーク材のベッドと、洗いざらしのシーツがぎしぎしがさりと硬い音を立てる。
段々と呼吸が落ち着いても、しばらくの間心臓は早鐘を打ったままだった。
「心臓、動いてる……私、わたしは……」
夢?
そんなまさか。とかぶりを振る。今さっきまで感じていた火の反射熱も、団長の温度も覚えているほどなのに。悪夢にしては、あまりにも精密すぎた。
じっとりと蒸した空気に、鈍く頭痛がする。
ザアザアと、雨戸を強い雨が叩いていた。
入隊時に先輩隊員から貰った、寝巻きにしている男物のシャツ。大きくはだけさせた胸元を、そっと見る。
「生きてる……」
日にやけた首の下、女性にしては筋肉質な胸には治癒しきった細かい傷しかなかった。夏に鎧で蒸れて掻きむしった痕とか、訓練中の滑り込みによるかすり傷だとかばかりで、団長の剣によるものではない。
団長の剣は、体格に合わせて通常より大きい。あれに貫かれていたとしたら、現状が治癒魔法をかけられたあとだったとしても説明がつかない。一般的な治癒魔法は、あそこまで深い傷なら跡が残るものだからだ。
ざらり、と項垂れた頭から灰色の髪が落ちてくる。そのまましばらく、意図して深呼吸を繰り返した。冷静さが今は必要だった。
雨だからズレているかもしれないが、体感では未だ夜明けまで数時間ほどあるだろう。
眠気などどこかに行ってしまっている。
深呼吸などでは混乱を鎮めきることが出来ず、どうしても確かめたくなって、寝巻きの上から雨天用の外套を着た。
ギイギイ軋む宿舎の玄関を抜けて、宿舎の入り口で不寝番をする門番の静止に構わず外へ飛び出す。石畳から補正されてない土の道へ入り、ゴミが散乱するドブくさい小道へ進んだ。
その先に、スラム街はそのままあった。記憶よりゴミの量や位置が変わっているが、燃えた跡などない。
あれは、やはり夢だったのだろうか。
ザアザア。雨に打たれたままの私に、そろりと小悪党が近づいてくる。
スリにでも狙われているんだろうな。と、意識の端でぼんやり思ったが、何となく気怠くて動けなかった。
外套の下には寝巻きしか着てない。金目のものなんて無いから無駄足だぞ。なんて他人事のように考えながら。
フードから滴り落ちる雨水をぼんやり見つめ、そっと瞼を閉じたのと、スリが伸ばした手が届くのが、ほぼ同時だった。
「おい、そいつはやめとけ」
雨音の中でも不思議に通る声。
びくりと肩を揺らしたスリが、跳ねたように飛び退いた。気配なく声をかけてきた男の顔を見るや否や、慌てて暗闇へ逃げていく。
それを一瞥して、男は肩をすくめた。
「いよォ、久しいじゃねえか。こんな夜更けに巡回ですかい? 騎士さま」
「……ルフタ」
縮れた赤髪に、鳶色の瞳。
共にスラムでの幼少期を生き抜いた、いわゆる幼馴染だった。必要悪を人間にしたような奴で、この街の秩序を拳で守る荒くれ者。
だが生来は情に厚く、下から慕われるようなカラリとした性分だった。
大火の日に、一番に私が殺した。
「ンだよ、幽霊でも見たような顔しやがって。ちゃあんと生きてるよ」
トン、と手の甲で軽く胸元を叩かれる。
ああそうだ。本物だ。
容姿だけでなく、すぐに片眉を上げるクセさえ全て以前通りだった。あの日もこうしてスラムへやってきた私を、里帰りした家族を受け入れるかのように迎えた彼。片手を上げ挨拶代わりに寄越す悪態を無視して、私は。私の手は、短剣をその腹に刺した。
困惑と苦悶に歪む表情はしっかりと記憶している。ただ一つ、大火の日にあったはずの口元の傷痕が、今夜のこいつには見当たらない。
「ルフタ、ッ」
「……お前、本当にどうした?」
ガバリと距離を詰めた私の顔を、訝しげに覗き込む。両肩に手を置いて「冷えてんじゃねーか」と怒ったような顔で心配するところは、幼い頃と全く変わっていなかった。
自分以外も生き返っていることに喜びを感じ、あわせて一つの確信を得る。
震えてしまう声で、私は尋ねた。
「……ルフタ。今日は、何日だ……?」
「あァ?」
「変な事を聞いている自覚はある。答えてくれ。今日は、何年、何月、何日だ?」
「暦さえわからねえ奴だと馬鹿にしてる訳では無さそうだな……霜の月、二十四日だ」
私が火をつける二日前だった。二日しか猶予がない。と思っていたら「帝国歴533年」と付け加えたルフタの声に、さらに一年前だと気付いた。
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