The Anotherworld In The Game.

北丘 淳士

文字の大きさ
上 下
23 / 36

因縁の対決

しおりを挟む
 白いもやを潜った京香は、風化した石壁が佇む遺跡を歩いていた。人の気配は全く無い。空に蔓延る曇天の下、山あいから吹く肌寒い風が京香のショートカットを撫でる。その遺跡の遥か遠く、鬱蒼とした常緑樹に包まれた山腹に、厳然と聳える洋城が見えていた。その城は中央に赤い屋根の楼閣を見せるだけで、象牙色の高い城壁が取り囲んでいる。楼閣がなければ要塞か、はたまた監獄のようでもあった。京香はしばらくそこに向かって走ったが、全く距離が縮まらない。ただ、手をこまねいていたものの歩みだけは止めなかった。
 歯噛みしながらその城を見つめている。一旦足を止めて、乱れた襷がけを解いていたときだった。
『警告 対戦者接近中』
 黄色の文字が眼前に浮かんで点滅を繰り返す。
「きたか……。今度こそレイナルドだといいが」
 そう思いながら素早く襷を締めなおすと、二メートル程の高さの石壁の上から毎朝聞いている声がした。
「あんたもとうとう来たのね」
『対戦者と遭遇。戦闘開始まで十秒……九……』
「真原……」
 訳知り顔を京香に見せつけながら、石壁から飛び降りた。
「なぜ真原がここに……」
「そうねー、私に勝ったら教えてあげる。ただ負ける気はないわよ。涼は私が助けるんだもの!」
 『涼』という単語を栞が口にした途端、瞠目していた京香の眸がゆっくりと据わる。
「お前、涼様の居場所を知っているのか……?」
「何度も言わせないでよ、勝ったら知る事になるわ! というか私には勝てないけどね」
 二人のみなぎる闘志に呼応するように、視界に浮かぶライフゲージが右端まで急速に満ちる。
『戦闘開始』
 眼前の黄色い文字が砕け散った。
 栞は重心を低くして身を屈め、一直線に京香へと突っ込んでいく。
 柄に手をかけた京香は微笑した。
 栞の速度は驚異的だが、それは『一般人にしてみれば』なだけで、踏み込みの位置、重心の移動、肩の動き、呼吸、相手の癖などが、多大な情報となって予め京香に教えてくれる。
 武道の勝敗を決める最大の要素は間合いである。初歩は基本技や運足などを反復し徹底的に刷り込んでいくが、習練していくにつれて戦いは、陣取り合戦にも似た間合いの取り合いになる。自分の間合いで如何に相手を制するか。圧倒的不利の状況で、栞は猛進し間合いを縮めてきた。
 左に佩いた刀が、京香の裂帛の気合と共に鞘から抜き放たれる。右足を強く踏み込み、斜めに切り上げた。だが京香の会心の一撃は白い火花を撒き散らして、道着の下に隠した栞の左甲で防がれる。
「なっ……!」
 両断出来ると確信していた京香の判断が一瞬鈍り、栞は左甲を軸に回転し、その遠心力で加速された右裏拳が京香のこめかみを襲った。バックハンドブローだ。
 脱力からの加速が破壊力を高め、本来なら意識を一瞬で刈る程の一撃が京香を頭を叩いた。
「ぐっ! 鉄甲か……!」
 仰け反りながらも問う京香に、返答すらしない栞が更に間合いを詰める。京香の間合いで戦わない、という最低条件を常に保つよう、本能が身体を動かし始めていた。
 
 二人はしばらく一進一退の攻防を続けていた。
 いや、栞が手甲を有効活用してひたすら攻撃を繰り出し、京香が基本防禦に回って時折鍔ぜり技などで栞のライフゲージを削っている状況だった。だがそのうち京香の鍔ぜり技も、栞の手甲に触れた瞬間に栞が刀を掴み取ろうとし、決定打を放つ機会は訪れない。息をつかせない時間が二人のライフゲージを摩していた。二人の感覚と技巧は、同レベルの好敵手相手に繰り出し続けることで相乗、増長し、高レベルの将棋にも似た陣取り合戦を形成する。
 自然と栞の顔に恍惚とした笑みが浮かび、それがいっそう彼女の獰猛さに拍車をかけていた。
 気が昂った栞が、相変わらず冷静な京香に対して、集中を切らさないよう技を放ちながら話しかける。
「あはは! 面白い……、面白いわね!」
 京香はひたと栞の目を見つめながらも、返答はしない。拳撃と剣戟が互いの間合いを掠めていく。
「あんた、今日の落ち込み具合とは別人じゃない!」
 栞は左手の手甲を基点に、踊るように京香を攻め続ける。
 栞の拳は、京香の今だ完全に拭えないトラウマと重なり、恐怖と怒りが喉から酸っぱい物を込み上げさせていた。その雑念が、今まで精緻に組まれたプログラムのように正確無比な剣戟を繰り出していた京香の流れを、僅かながら乱す。鍔競りからの左面、そこからの追撃に迷いが入った剣尖は不用意に軌道を変えて栞の肩口へと吸い込まれる。
 栞は受けるでもなく、上体を反らして刀を逃がす。逃げた刀は栞の鼻先を抜けて遺跡の石壁に白い火花を発生させた。
「成長しないわね!」
 仰け反ったまま、栞は左手で刀を壁に押し付けて押さえ込み、京香の太刀の中ほどに身体の捻りを利用して加速された右拳を放つ。鋼の太刀が絶叫を残して二つに折れてしまった。
「終わりっ!!」
 折れた刀が中を舞う向こうで、栞が獰猛の中に寂寥を含んだ複雑な表情を再び京香に向けた。これで楽しい時間は終わるのか、といった感じである。
 そんな栞とは対照的に、京香は胸中を掻き乱した雑念を吹き飛ばし、栞と初めて対峙した日を思い出していた。狭隘に誘い込まれて、栞に竹刀を折られた瞬間を。涼を奪われるのではないかという焦りが、呆然としていた京香を包み込んだ瞬間を。その瞬間を反芻しながら積んできた練習が、栞が慢心により油断した刹那に京香の身体を突き動かした。
 放った右拳で折った京香の刀を掴もうと、栞が手を伸ばしたときだった。折剣に栞の手が掛かるや、京香は刀から左手を離し背後に回した。背中に逆さに佩いた脇差にその手を掛け、身体を右に捻りながら逆手で抜刀する。栞の右手に左下から斬閃の衝撃が走り、一気にライフゲージを奪われる。
 あっ、と小さい声を洩らしながら栞は飛び退った。京香のライフゲージは三割、対して栞は四割まで減っている。
「二刀!!」
 栞は痛くないはずの右手を押さえながら、瞠目した。
 京香は左手の脇差を器用にくるりと回して順手に持ち替え、左手を下段、折れた刀を中段に構えなおす。
「ようやく抜刀する時間が出来た。前回の戦いで成長したのは、お前だけじゃない」
 京香は呟く。嘆息を吐き出しながらも、京香の表情は冷静な状態に戻っている。
 今までのリズムが狂うことを余儀なくされる栞の顔に、うっすらと不安の色が浮かび始めていた。それを好機と京香が初めて突進する。上下左右からの流れるような剣戟が、僅かに身じろぐ栞を襲った。それは先程太刀による一刀両断を狙った動きではなく、切り刻むといった感じに近い。
 逆手、順手と両剣を持ち替え、不規則なリズムを刻みながら虚を交える幻惑の剣捌きは、今まで攻め一篇だった栞を逆に追い詰める。栞との間合いが開かなかったため今までなかなか出せずにいた突きが、脇差になることで繰り出せるようになり、京香の連撃の派生をさらに増やしていた。
 右胴のフェイントからの左突きが栞の胸元に入り、ゲージが残り僅かになったところで栞は最後の意地を見せる。京香の幻惑の剣をかわすことなく、すべて左手甲で受け止め自分の間合いへと誘う。だが京香の表情は狂わない。
 京香の五連撃をその手甲で受けきったときだった。栞の左腕を覆う手甲が、甲高い音を立てて裂ける。栞が感じていた違和感が京香の策によるものだと気付いたのは、京香の口の端が微かに釣りあがっているのを見たときだった。
「手甲の同じ場所を狙っていただなんて!」
 京香は前回の魔女っ子との戦いで、武防具が壊せることを知って、狙ったのが功を奏した。
 防御する術を失った栞は京香の緋袴に隠れる脚に右下段蹴りを放つも、左の脇差に拒まれる。そのまま脇差に右足を斬り上げられ、間髪入れず右折剣で胴を一閃した。
 栞のライフゲージが尽きる。体は動かなくなったはずだったが、栞は無理やり手を伸ばしてきた。だが京香の残心に弾かれた。
「あんたが涼を助けに行くなんて。少しは彼女に対して自重しなさいよ……」
 ようやく動きが止まった栞は朧気な白い光に包まれ、曇天の下に散っていった。
「私は真原を、涼様の彼女と認めてない」
 残心を解き、脇差を納刀した京香は、そう呟きながら好敵手が散った虚空を眺めていた。
しおりを挟む

処理中です...