The Anotherworld In The Game.

北丘 淳士

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解れる曲解

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 栞の勝負勘は付入る隙間を見出した。涼がここで下手に結論を出してしまえば、彼の性格上それは高確率で覆らない。涼が真原道場を辞める時、栞は嫌で嫌で散々抵抗したが、彼は決して首を縦に振らなかった。飄々とした態度とは裏腹に、相当な一刻者だということを骨身に沁みて覚えている。涼が答えを出す前に、もう一歩間合いに踏み込め、と本能が告げた。

「それよりあんたに一つ聞きたいことがあるんだけどさ」
 俺が先ほどの答えを考えている間に、栞はさらに質問を投げかける。
 俺は眉を顰めながらその先を待った。
「私のことは……、どう思ってる?」
「どう思ってるって……」
 またもや曖昧模糊な問いに対して、答えが詰まる。
 だが俺は前もって思っていた言葉を自然と出す。
「お前、俺のことライバル視しているのじゃないのか?」
「はぁ!?」
 栞は座っていた椅子を跳ね上げ、テーブルに両手を突いて噛付かんとばかりに身を乗り出して迫る。
 俺は顔を引きつらせ、固まったまま慄然と栞を見上げていた。
「何よそれ! 私があんたをそんな風に見ていると思ってたの!」
「え、えっと……、ち、違うんですか?」
 血相を変えて俺の顔を覗き込む栞に対し、思わず敬語で突いて出た。
 両手をついて前のめりになっていた身体を退きながら、栞は憤怒と憐憫の混じった顔で俺を睨んだ。「そんな訳無いじゃない! どこをどう勘違いしたらそうなる訳!?」
「え、ええ~~!!」
 俺に対して行った数多の悪辣な所業を鑑みると、自分の判断は決して間違いではない、はず。それなのに栞は、ううう……、と唸り、一方的で理不尽な雑言が口から出掛かっているように見えた。だが、すかさず空腹の虎を宥めるが如く、俺は機先を制す。
「でも今日みたいにフランクに話しかけてくれたほうが俺は楽しいよ。いや……、嬉しいかな」
「え? そ、そう!?」
 彼女の表情が一転する。
「毎朝、執拗に悪態ついてきたり、殴ったりしてくるから、嫌われていると思われてもしょうがないと思うぞ」
「そ、そうなんだ……。ご、ごめんね、今まで。『ツンデレが流行っている』って聞いていたからさ……」
「ツンデレのデレが無いぞ! デレが!!」
 栞は素直に謝ってきたが、俺は声を大にして言った。
「ったく勇二の奴、許さないんだから……」
 忌々しげに物騒な言葉を吐き捨てる。勇二君は栞の弟だ。勇二君が心配になってきた。
「じゃあさ……」
 少し桜色を帯びた栞の顔が俺の目を上目遣いで覗き込み、何かを告げようとしていた。やや間が開いて口を開く。
「これからあんたのこと、りょ……」
 なにか言いかけた栞を館内に流れだしたアナウンスが遮る。
『御来館の御客様に~、御連絡申し上げます』
 俺たちは顔を上げてアナウンスに耳を傾けた。
『本日、当館は後五分で~、閉館の御時間となります。御来館の御客様は~……』
 入館して実質一時間程だったのだが、フードコートの天窓には茜色の空が顔を覗かせている。
 一瞬俺に目を落とした栞は、腰に手を当てソッポを向きながら言う。
「また来週、デ、デートに誘いなさいよね!」
 その顔は天窓からの茜色に照らされたように赤く染まっていた。怒っているのか照れているのか判らない。
「わかった、誘うよ。今日は……楽しかった」
 その言葉に栞の顔は紅潮を増す。
「わ、私も、楽しかった……」
 そう俯きながら呟いた。
 俺たちは揃って席を離れ、皓皓と光る白いもやの掛かった出口へと向かう。出口近くで栞は後ろ手に振り返る。
「また絶対誘ってよね! 涼!」
 屈託の無い笑顔を俺に向けた。初めて俺の名前を呼んだことを誤魔化すような、淡い恥じらいの混じった素直な笑顔だった。
 
 部屋に戻ってきた栞は、そのまま顔を両掌で覆いベッドに倒れこんだ。耳まで真っ赤になった顔を上げることが出来ない。
 なんであんなに恥ずかしいこと聞いちゃったんだろう。
 この世界のデートイベントが二人の心情を意図的に高ぶらせ、強制的に好感度という隠しパラメータを上げていた。当然二人はそのことに気付かない。デートイベントが終了して冷静に内容を回顧したところで、羞恥が奔流となって襲い掛かってきた。
 でも……。なんか色々聞けたし、服の好みも分かったし、本音も聞けたし……、楽しかったなぁ……。
 もう「ゲームの中」という認識はすっかり無くなっていた。この世界はやや現実離れしているものの、なぜかすぐに馴染んでしまい、何よりもお互いの仕草や息遣いが現実的で、「ゲームの中」という認識のほうが消失してしまう。
 また、あんな風に素直に話せるかな……。
 栞はようやく顔を上げたが、今後のデートを妄想して湧き上がる感情に心音は早まり、手を伸ばして手繰り寄せた枕に、紅くなった顔を隠すようにうずめた。

 俺たちは残りの二ヶ月間、毎週末のデートを重ねていく。
 今までに無かったその状況は、お互いの間にあった曲解や誤解を少しずつ修正し、滞っていた会話や思いが、油を注したかのように滑らかに疎通していった。
 
 栞は膝まであるアイボリーのチュニックを翻しながら、唐突に尋ねた。
「ねえ、なんでうちの道場辞めたの? 師範……じゃなかった、父さんは期待のホープだと喜んでいたのに」
 赤茶色の髪は緩くパーマがかかり、チュニックと共に軽やかに揺れている。
 簡素だが趣のある灯台が見下ろす遠浅の浜辺の上を、俺たちは歩いていた。きめ細かい砂はサンダルにまとわりつく。
「う~ん…… まあ、栞の前で理由を言うのも気が引けるんだけどな……」
 少々口ごもったものの正直に話すことにした。
「他の連中のやっかみが鬱陶しくなってさ」
 栞は身内の恥を曝された感じで、恥ずかしげに顔を伏せた。だが直ぐに俺の顔を見て話始める。
「確かにあの頃は涼に対する大学生たちの、いびりが酷かったもんね。私に対する連中のやっかみも鬱陶しかった。でも私は館長の娘だったから、そこまで酷くなかったけど……」
 当時を回想したせいか、俺は微かに口元が堅くなる。そんな俺の服の裾を二回引っ張って栞は尋ねた。
「でも今は見かねた父さんがすっかり膿を取り除いて、うちの雰囲気は随分変わったんだよ。ねえ、戻ってこない?」
 俺は直ぐにかぶりを振った。生半可な事では、俺の意思は変わらない。栞はそれを知っていたので、深追いはしなかったのだろう。
「そうよね。私なんかがあの道場の門下の頂点じゃあ、涼からしてみれば、つまんないもんね」
「そんなことはない」
 俺は再びかぶりを振り、素直に言った。
「武道に関する栞の才覚は異常とも言えるレベルだと思うぞ」
 自分を負かした相手からの意外な評価に、栞は顔を綻ばせたものの、直ぐに眉根に皺を寄せる。
「なにそれ! それはそんな女に勝った俺はもっと強い、って言いたいわけ!?」
 堅くなっていた口元を緩めながら、俺は弁明した。
「栞の直感と勝負所の目利き、速さ、体重移動を効率よく利用した絶技、そして女の子の小さい拳と手刀、足刀。そんなのが急所に刃物のように刺さるのを想像すると、身の毛もよだつね。俺はただ『読み』を特化させただけに過ぎないんだ」
「読み? 読みなら私も使っているつもりなんだけどな」
 ややむくれ顔で、砂を蹴り上げ踵を返しながら俺の顔を覗き込む。
「それをもっと深めたんだよ。おそらく同調ぐらいだと思うんだけどな」
「同調ね……」
「たぶん初対面相手だと、俺はそこまで強さを発揮できないんだ。その点、栞は強い。俺が栞に勝てるのは、ずっと栞を見てたからな。だから栞に勝てることが出来たんだ」
「へっ!?」
 突然の告白めいた言葉に、俺に向けた栞の口は緩み、次第に顔全体が崩れて歓喜の色が溢れ出す。
 栞が相好を崩した理由に気付いた俺は慌てて訂正する。
「ば、ばかっ! 違うぞ! 勘違いすんな!!」
「照れなくてもいいってば!」
 崩れるかんばせを左手で押さえながら、栞は体重の乗った張り手を俺の肩に振り下ろした。
「いてっ!」
 俺は非難の声を上げたが、実際は痛みを感じていない。この世界独自のルールが働いていて、「肉体的なダメージ」というものは無効になるのだが、「痛い」と身体が判断して反射的に声に出してしまった。
「私ね……、真剣勝負に負けるのは凄く悔しいんだけど、涼に負けたときは悔しくなかったんだ。涼が頑張っていたのは見ていたし……」
 頬に赤みを残したまま、栞は述懐し始める。
「それに、普通の人は私に勝ったら鬼の首をとったかのように自慢するんだけど、涼はそんなことしないで『大丈夫?』と言って握手してくれたよね。それが何だか清々しくて眩しくって、……嬉しかったの。練習の時、自信を付けさせるために負けてやったのに、無礼な態度の人に対しては倍返ししたけど」
 何か良いことを言っていたのに、最後に物騒な徒し事を付け加える。
「そっか。俺はそれを勘違いしてたんだな……、悪かった」
 栞は可愛く頬を膨らませ、怒っているかのような表情を見せるが、すぐに笑みを綻ばせて小さく頷く。そしてごく自然に俺の左手を握った。紅く変色した太陽は水平線に沈みかけ、簡素な灯台に光が瞬き始める。今日のデートも終盤だと雰囲気が伝えていた。もうそろそろ眼前にゲートが現れ、吸い込まれるように今日が終了してしまう。
「ねえ涼。……私、もう時間が残されてないの」
 端末が表示するカレンダーは、来月以降が記されていない。すなわち今月がこの世界の終わりだと暗に告げているようだった。当初の「告白する」「告白される」という不条理な掟は覚えている。だが俺たちにとって、すでにこの世界は現実として置き換わってしまっていた。
 この世界は、あと一週間を残すのみ。
 一週間以降、万物は一切存在を許されない。漠然としていているものの確実と感じられるその現実が、今までの二ヶ月のデートの日々をより美しく、彩に満ちた眩い宝石に変えていく。
「わかっている」
 その磨いてきた宝石の輝きを再び曇らせないようにするため、やるべきことは一つだった。
「校庭の桜の下で待ってるから」
 栞は俺の腕を握っていた手を名残惜しく離し、前に出て翻りながら言った。後から付いてきた赤茶色の髪が夕凪を切るように靡く。それとほぼ同時に栞の前方に白いゲートが現れる。小さく頷いた俺を確認した栞は背を向け、振り返らずにゲートを潜った。

 部屋に戻った俺は、画面を見る。いつもはこちらからデートに誘っていたのだが、今回は栞の方から誘いがあった。
『真原栞があなたをデートに誘っています。日にち・日曜日、場所・桜の木の下で』
 すぐ下に『OKしますか?』と出ていたので、迷わずタップした。
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