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思い詰めた会社員

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会社勤めのEさんは、神経衰弱になりそうだった。

末端社員のケアなんて微塵も考えない拝金主義の本社や役員、上司の心無いパワハラ、苛烈なノルマ、周囲を蹴落とす事しか考えない同僚たち…

その全てが嫌になっていたEさんは思い詰めていた。
仕事をやめてしまえば路頭に迷うし、やめたいと上司に告げるのすら怖くて出来なかった。

こうなったらいっその事、屋上から飛び降りた方が……

縁起でもないことを考えて、Eさんは眠りについた。

翌朝、なぜかスッキリとして、清々しい気分だった。
朝日は暖かく、冷たいキレイな空気が肺を満たし、そよ風は心地よかった。 

原因は分からなかった。
昨日まで思い詰めていたのに。

会社の駐車場に車を止める。
いつもなら蕁麻疹が出そうなほど入るのがイヤな会社の駐車場だが、今日は気分がいい。

Eさんは車を降りて青空を仰いだ。

すると、数件先のオフィスビルの屋上が見えた。
灰色のスーツを着た男性が、青空を見上げている。

その男性は元気よく体操を始めた。
身体を伸ばし、飛び上がり、機敏に動く。

「やぁ、元気なサラリーマンだな」
Eさんは笑った。
おれも若いサラリーマンらしく、屋上で始業前の体操でもしようか……と思ったそうだ。

突然、元気に体操していたサラリーマンは、ひらりと手すりを乗り越えた。

「あっ!」
その光景に愕然としたEさん。
束の間、サラリーマンはひょいと屋上から飛び降りた。

Eさんは恐怖で動けなくなり、膝が震えた。
そのうち、サラリーマンが落ちたであろうあたりから、悲鳴が聞こえて慌ただしくなった。

そのサラリーマンは、自ら人生の終焉を迎えたのだった。

Eさんは、かかりつけの心療内科医に言われた事を思い出した。

「Eさん。一番危険なのは、辛くてしんどいと沈んでる時じゃないんだ。実は、それを乗り越えて、何かしてみようと少し元気が出てきた時なんだ。何だか、腹が決まったように心がハツラツとしたら……どこへも行っちゃいけないよ。私に電話しなさい」

Eさんは、未だにあの光景が頭を離れないという。
あのサラリーマンは、少し時間が違ったEさん自身の姿であったのかもしれない。
そう思うと身震いした。

以来Eさんは、すっぱり転職して、収入は低いが精神的に気楽な仕事を選んだ。
現在はのびのびと暮らしているという。

【おわり】


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