上 下
27 / 104

冷たい手

しおりを挟む
ハウスクリーニング業に従事していたTさんの話

ある夏の暑い日、空き家の清掃に取り掛かっていた。
埃だらけの古びた日本家屋で、軒先の雑草もぼうぼうに生えていた。
依頼主は空き家の持ち主の親族で、「手つかずの空き家をきれいにしてほしい」との依頼だった。

依頼主は「目につく範囲で良い」と妙な事を言っていた。「古い家で、思わぬ所に空間や部屋があったりする。そんな部屋を見つけても、放っといてくれ」とも言っていた。

スタッフはその言葉に首をかしげたが、依頼主は鍵を郵送して、早く取り掛かるように催促した。
Tさん含め清掃スタッフは要望通り早めに取り掛かったのだった。

ススやほこりを払い、床の間を雑巾がけ、畳みをしっかりと拭き清めた。
一応、全ての部屋や厠などを掃除し終えた。
Tさんは引き続き、草が伸び放題の軒先や庭をきれいにした。

「よし、熱いから休憩すっぞ」コワモテの現場リーダーがスタッフに休憩をとるように告げた。
Tさんは芝刈り機を停め、家の裏手に座った。

Tさんは家の壁にもたれると、汗を拭き、お茶を飲んだ。
すると、突然首筋がひやりとした。

手だった。
誰かが自分の首筋を触ったのだ。
真夏なのに、氷水に浸けたような冷たい感触だった。

Tさんが飛びあがって振り向く。
Tさんが座っていた壁の高い位置に、エアコン用と見られる穴が開いていた。

だが、2mほどの高さだ。
エアコン用の狭い穴だし、誰かが手を通して首を触るなど不可能だ。

そこでTさんは、うすら寒くなった。
だれかが手を通す云々以前に、このエアコン穴はどこの部屋なんだ。

家を隅々まで掃除したが、この位置でエアコン穴が開いている部屋なんてどこにもなかったぞ。

Tさんは不安になったのと、やり残しの疑いがあるため、リーダーに報告した。
ただ、冷たい手に触られた…というのは黙っていた。

スタッフ全員で屋内に入る。Tさんのいた位置に行くと、一見漆喰壁のように見えたが、壁と全く同じ外観に作られた引き戸を発見した。

引き戸を引くと、鋼鉄製の内扉があり、鍵の外れた南京錠が掛け金にぶら下がっていた。

中扉を開くと、小さな部屋だった。
スタッフの頭がちょうど天井に着く程度の高さで、2畳ほどのスペースだ。
赤茶けたシミの広がる痛んだ畳が張ってある。
部屋の隅には、和式の水洗トイレが剥きだしで備えられている。

部屋には殺風景で何もない。
換気用の小さな高窓と、エアコンの穴が目につく程度だ。

「茶室かな…」スタッフが言う。
「ばか…こんな茶室があるか」リーダーが言う。

「パニックルームとか?ほら、不法侵入者から逃げるための部屋」Tさんが呟いた。

「いや…」リーダーが言った。「俺は若い頃ヤンチャしててよ。暴走族をやってて、捕まったことがあんだよ。そう…この小さな部屋に畳みと…水洗トイレ…。留置所がこんな部屋だった」
Tさんは背筋が寒くなった。


誰かを閉じ込めていたということだろうか。

「留置所でも、もう少しましだぜ…。これは、座敷牢ってやつかもな」
リーダーが言うと、スタッフたちは血の気が引いた。

Tさんは疑問を口にする。
「エアコンの穴があるってことは…最近まで使われてたんですかね」


一同の顔はより一層青くなり、その部屋は掃除せずに引き上げたそうだ。
不思議と、その「座敷牢」はほとんど汚れていなかった。

Tさんは、未だに冷たい手に首筋を触られた感触が忘れられないそうだ。

なぜあの時冷たい手が自分を触ったのか、何を訴えたかったのか…

未だにTさんは悩んでいるそうだ。


【おわり】
しおりを挟む

処理中です...