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湖畔のトンネル

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D子さんは農業関連団体に勤めていたことがあった。

彼女が仕事である農家を訪ねた時の事。

商談が終わる頃には、辺りは暗くなっていた。

周囲は山に囲まれ、田畑があるのみである。
民家は点々として、人通りも少ない。

農家の主人は言った。
「大通りの道路から出て帰るといい。近道になるけど、湖の周りを走るのはやめときいよ」

主人の言うように、帰り道は遠いけれど大通りの整備された車道と、近道だが山の中の湖周辺を迂回するルートがあった。

できるだけ早く帰りたかったD子さんは、
「ご心配ありがとうございます」
とだけ答えて、車を発進させた。

D子さんは、暗い山村が不気味だった。

はやいところ帰りたくて、つい、避けるように言われた湖の道を目指した。


その湖は森に囲まれ、昼でも驚くほどしんと静まり返っている。
湖畔には、かつて景気の良かったころ建てられたレジャーボートの店や、喫茶店、土産物屋の廃墟があった。

D子さんは湖畔を通り過ぎ、廃墟を横目に見ながら車を走らせる。
不気味だ。
木々の間から目を光らせる鹿の姿も気味が悪い。

D子さんは嫌なことを思い出した。

かつて、この湖畔に建っていた施設で、人が命を落とす事件があったらしい。

確か…女性が被害者だったと噂では聞いた。

D子さんはますます気味悪くなり、先を急いだ。

そして、道路の幅員が狭くなり、小さなトンネルへと差し掛かった。

トンネル内は、より一層暗かった。
月明りも届いておらず、天井のコケが付いた古い電灯もおぼろげな灯りをつけているだけ。

D子さんが怯えながらトンネルを通過していると、なぜか車がエンジントラブルを起こし、トンネルの中ほどで止まった。

D子さんは軽くパニックを起こした。

車のエンジンは止まり、ヘッドライトも消えたのだ。

一瞬にして、周囲は闇が深くなる。

D子さんは、慌てて何度もアクセルをふみこんで、キーを回した。

「お願い!動いて!」D子さんは恐怖でそう願っていた。

その時、D子さんの背筋を冷たいものが走った。

視界の右端。

運転席ドアの前に何かがいる。

D子さんは、おそるおそる顔は前に向けたまま、眼球だけ右に向けた。

それは白い服を着た女性だった。
暗い中、かろうじでトンネルの中にさす月明りが、薄く輪郭を形作っている。

女性はゆらゆらと、軽くゆれるようにして立っている。

日の落ちた湖に、なぜ女性一人トンネルの中に立っているのだろう…
ありえない。

D子さんは、本能的に「見たらヤバい」と思ったらしい。
その女性をできるだけ視界に入れないよう、何度もエンジンキーを回した。

視界の端で…その女性がD子さんの窓ガラスに手を掛けようとしているのが分かった。

その時、エンジンが目覚めたように駆動を開始した。

ヘッドライトが点灯し、車の調子が戻った。

D子さんは前だけを見て、アクセルを全開にし、そのトンネルから逃げたそうだ。

トンネルを出る際、D子さんはルームミラーを見た。

そこにいたはずの女性は消えており、トンネルの中には何もいなかったという。

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この話。

D子さん以外の人からも聞いている。

その噂では、当該湖のトンネルで「ライトを消してはいけない」という言い伝えだった。

ライトを消すと、女の姿の何かが現れるそうだ。

D子さんの証言とも合致するので、私自身寒気がしたのを覚えている。


【おわり】
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