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第2章 魔導の御子
7 結婚相手
しおりを挟む「次は火です。火傷には気をつけて。先ほどと同じように魔力をほんの少し出して、こう唱えます。『炎よ燃えろ』」
「『炎よ燃えろ』」
ボウッ!
「うわっ!」
「『消えろ』。もう少し魔力を減らしましょうか」
「す、すみません…」
アークと共に魔臓の在りかを見つけ出してから三日後。
魔臓が安定するまではと休養を言い渡され、俺はその間ろくに起き上がれもせず、点滴と共にほとんど寝てばかりいた。
しかしその間、下腹部の多少の違和感と引き換えに、全身の熱と痛みはかなり快方へと向かっていた。
今朝は熱もすっかり下がり、晴れてフィリップから魔法を習うこととなったのだが…。
これが、かなり難しかった。
魔法のイメージを明確にして、魔力をほんの少し出しつつ、呪文を唱えるのだが…。ほんの少しと言われても出すぎてしまうのか、さっきから初級魔法だというのに暴走気味だ。
「火属性も後回しにした方が良さそうですね…」
「はい、俺もそう思います…」
今日はヘルシエフは仕事らしく、見学はアークだけだった。
先日のことを思い出すとかなり気恥ずかしいが、あれは特訓だったのだと自分に言い聞かせて考えないようにしていた。
あの時はキスしたいとか裸で抱き合いたいとか、とてもまともとは思えないほどの願望が頭を占めていたが、今ではすっかり落ち着いていた。
魔臓が機能し始めたからだろうか。
しかしこうして改めて見ると、アークは驚くほどのイケメンだった。
真っ黒な服に真っ黒なマントが印象的すぎるが、カウボーイみたいな帽子と高い鼻梁の下に隠れた切れ長の鋭い眼光は目の醒めるような青色で、睨まれると恐ろしいのにドキドキしてしまう危険な魅力がある。
サラサラの銀髪も、後ろで無造作にまとめているだけなのに絵になるのだ。
身体も鍛え抜かれているし、近衛兵を手玉に取るほど強いし、足も超人的に速いし、ぶっきらぼうだけど優しいし、おまけにいい匂いまでする。
こんなイケメンが女の子にモテないはずがない。
そしてこんな人が俺みたいなちんちくりんな子どもを相手にするはずがないわけで。
男同士がどうだと悩む以前の問題なのだ。
俺はアークを敢えて見ないようにしながら、平常心を心がけた。
気をつけていないと最初の水は酷い大洪水が起こるところだったのだ。病棟が流れなくて良かった。
お世話になっている三人にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
「次は地魔法ですが…しかしここでやっては衛生管理棟までひっくり返しそうですね…ふむ。ではこれはどうでしょうか。『土よ、姿を変えろ』」
フィリップは地面の土を一掴みすると、両手に挟んで魔法を唱えた。すると手のひらにはいびつな形の陶器が出来上がっていた。
「え?わあ…お皿ですか?すごい、こんなことまでできるなんて…」
「これは少し難しいものですが…おそらく君ならできるでしょう」
「はい、やってみます!」
俺はフィリップがやった通りに土を手に挟んでみた。
「『土よ姿を変えろ』」
するとみるみる内に手の中の土は消えてしまった。慌てて手を開くと、手のひらには何もなかった。
「おい、今のは…」
少し離れた所で見ていたアークがすぐ横に立っていた。
「…っ!!」
この人の神出鬼没は心臓に悪い。
俺は悲鳴を上げそうになり、それがまた恥ずかしくなって、赤くなったりモジモジしたりしてしまった。
「…これか。ええ、小さいですが、魔石ですね。しかも純度も高い」
「…『魔導の御子』は伊達じゃないな」
「魔石まで生み出すとは…セオ。身体は…大丈夫そうですね。むしろもっとあふれてきてる」
フィリップは地面から何かを摘み上げて眺めていたが、俺を見て目を細めた。魔導士は人の魔力もある程度は感覚的にわかるものらしいが、俺は言われないとよくわからなかった。
「へ!?あ…っ、んっ、えいっ…あれ?う、うう…」
しかし再び魔臓に魔力を詰め込もうとしたが、中々うまくいかなかい。なんだか入れても弾かれてしまう気がする。
「よせ。無茶はするな。魔臓が破裂するぞ」
「ひぇっ!?は、破裂!?」
アークが肩に手を置いて止めに入った。ビクッと肩が跳ねてしまい、俺は目を剥いて驚いた。
「多過ぎるんだ。お前の小さな魔臓はもう飽和状態なんだろう…後は、出すか…毎日使い切るしかないな」
「使い切る…」
「ふむ…では折角なので、これでいきましょう。魔石なら取っておけますし、他所の国でも売れますから。『土よ盛り上がれ』」
そう言うと、フィリップはどこから出したのか、病院の裏庭に土の山を築き上げた。
俺はその山から土を両手いっぱいに乗せて、今度は始めから魔石を作るつもりで同じ言葉を唱えた。
「『土よ、姿を変えろ』」
両手いっぱいの土でようやくビー玉サイズの魔石ができた。青色の透き通った綺麗な宝石だ。
先程アークの瞳の色を見て作りたくなったのだ。
「わあ…ちゃんとカットが入ってる。綺麗…」
「多少言いたいことはありますが…何にせよこれで魔道具作りも捗るというものです。生産部の連中も、魔石が魔石がとうるさいですからね」
フィリップは少し複雑そうに顔を歪めて、自分の白髪頭を撫でる。
フィリップの瞳も美しく、澄んだ明るい紫色だ。
「俺、これで皆さんのお役に立てますか?」
「そりゃもう。泣いて喜ばれますよ」
「良かった…じゃあ張り切って作ります!次は何色がいいかなー!」
「はあ…私はこのことを報告に行ってきます。アーク、少し見ていてもらえますか」
「ああ」
二人は何やら難しい顔をしていたが、俺は役に立てるとあって、いそいそと魔石作りに勤しんだ。
紫にピンク、赤、青、緑、オレンジ、黄色。それに白、黒、透明や虹色も少し…思いつく限りの色の宝石が次々と出来上がる。
俺はアークに止められるまで魔石作りに夢中になった。
それから再びアークに抱き上げられて、病院の食堂に来ていた。
ガヤガヤと騒がしかった食堂が、アークの登場でシンと静まりかえる。
「あ、えっと…管理官、そろそろ降ろしてください…」
「構わん。その身長では見えんだろう。おい。すまんが取り分けてくれ」
「は、はいっ!ただいま!」
「どれにするんだ?」
アークは厨房から人を呼ぶと、優しく尋ねてきた。
食堂の料理は確かにどれも背の高い棚に並べられているが、見えないほどではないのに。
「あ、あの…では、おにぎりを…」
数日ダウンしていたので、念願のおにぎりは今日まで持ち越しになっていたのだ。
「それだけか?肉は食えないか?」
「あ、管理官はどうぞお気になさらずに、たくさん召し上がってください」
「はあ…おい、これを一つと…後は適当に見繕ってくれ」
「はっ!」
アークは厨房の中の人に向かってそう頼んだ。そんなサービスもあったのかと思ったが、もしかしたらアークが特別なのかもしれない。
というのも、席を探そうとすると、一番近くに座っていた人たちがザッと立ち上がってビシリと敬礼したからだ。敬礼は日本と同じで、右手を額にかざすものだった。
「アーク特務管理官!こちらをどうぞ!」
「ああ。すまんな」
「いえ!恐縮です!」
目を丸くしてそのやりとりを見つめていたが、アークが当然のように俺を膝に乗せたのでさすがに戸惑ってしまった。
「あ、あの…管理官、俺、一人で座れます…」
「そうか」
アークはそう返事はしたものの、膝から降ろしてくれる気配はなかった。
食堂全体から集まる視線に居た堪れない気分になったが、アークがこの調子ならば、あまり気にしすぎるのは良くないかと思い直す。
「えっと…魔導士会って、軍隊みたいなんですね?管理官は偉い人だったんですか?」
「…ああ、だが俺はそこまで偉いわけではない。煙たがられてるだけだ。俺たちは魔界の魔物から境界線を守ることで、各国から支援を受けているからな。外から入会した者は全員一年ほどの基礎的な戦闘訓練をする。その後は自由だが…毎日仕事をしていれば、嫌でも昇級する」
「戦闘訓練…それって俺もですか?」
「それを決めかねているところだ」
「え?どうして…」
そう聞こうとしたところで、厨房の料理人が二人来てビシッと直立して声をかけてきた。
「お待たせいたしました!」
「ああ」
目の前にズラリと皿が並べられる。今日の全ての料理が盛られているようだ。
料理人も敬礼をして去っていくと、アークは俺の目の前におにぎりと、なぜかフォークが乗った皿をコトンと置いてくれた。
「ほら」
「わぁ…ありがとうございます。おいしそう!いただきます!」
俺は手を合わせて軽く浄化をかけると、しけった海苔を丁寧にちぎって、大きなおにぎりを半分に割った。
「管理官、食べてもらえますか?」
「あ…ああ」
「ん、おいしい!本当におにぎりだぁ…」
一口食べると絶妙な塩加減で、中には鮭のような風味の白い魚肉が入っている。少しずつ口に運んで良く噛んで食べる。このところの療養食で胃の調子は良くなってきてはいたが、まだふとした時にもたれるのだ。
俺がおにぎりに夢中になっていると、いつの間にか食堂中が水を打ったような静けさに包まれていた。
違和感を覚えて顔を上げれば、アークが手に持ったおにぎりを見つめながら呟いた。
「お前は、本当に御子なのだな…」
「え…?あ、『魔導の御子』…ですか?でもそれって、どういう意味なんです?」
「魔導士を導くと言われる者のことだ。初代がサノ・タケジロー、次がコーダ・ヤシッチという。他にも名乗りはあげなかったが、御子だと目されていた者は何人かいた。いずれも飛び抜けた魔力と、卓越した知識や技能を有し、魔導士会を今の形に導いたとされている」
サノタケジロウ。
間違いない。明らかに日本名だ。やはりこの世界と地球…特に日本とは、どこかに繋がりがあるようだった。
「このメニューは魔導の御子を見つけ出すために残されているものだ。魔導の御子は、このコメを食べる時には必ず手を合わせ、フォークがあっても手づかみすると伝わっている」
「うえっ!?」
なんとおにぎりは元日本人発見のための罠だったか。
それで皆遠巻きに見守っていたらしい。
俺は手に持ってしまったおにぎりを気まずく見下ろした。
「なぜ御子にだけ共通する習慣があるのかはわからんが…お前は何か知っているんじゃないか?」
「え、えっと、それは…」
特に秘密にしなければいけないわけでもないのだが、前世の記憶が蘇る時に神らしき人からこっぴどく怒られたことだし、信じてもらえるかも微妙だし、かなり打ち明けづらい。
タケジロウたちも、もしかしたら同じような事情で口を噤んでいたのではないだろうか。それにうっかり誰かに話して真似をされたら、神からかなり恨まれそうだ。
そんな風に悩んでいると、アークはおにぎりを素早く食べてしまってから、ポンポンと俺の頭を叩いた。
「まあいい。御子はあまり自分を語らないと伝わっている。お前も無理はしなくていい」
「す、すみません…」
アークが知りたがっていたことをちゃんと教えられなくて、申し訳なく縮こまる。
いつかあの声の正体がわかる日が来れば、話すこともできるかもしれないが。
「気にするな。ほら、肉も食え。また軽くなってるぞ」
「え?あ、むぐ…っ、は、はんひはん…っん…!」
アークは強引に話を終わらせて、大きなウィンナーを刺したフォークを俺の口に押し当ててきた。
避けそびれてその端っこを咥えてしまうが、油臭くてまだ胃が受け付けない。
「ん、むひれふ…っ、んぐ…っ」
涙目でアークに訴えると、ようやくウィンナーを離してくれる。
「お前は…どうしてそうなるんだ」
「けほっ…な、なんですか?」
「いや、何でもない」
アークは少し苛立ったように俺が咥えたウィンナーをガブリと噛みちぎった。
なぜか隣のテーブルから悲鳴が上がる。
「ふふっ、相変わらずイチャイチャしてるねアーク。セオくん、僕の膝にもおいで?」
見上げるとヘルシエフが微笑みを浮かべて片手を広げていた。
アークは無言で身体の向きを変え、俺をヘルシエフから隠すように背を向けた。俺はアークの肩から顔を覗かせて挨拶する。
「先生、こんにちは。お昼休みですか?」
「まあね。セオくんは魔法訓練どうだった?」
「ええーっと…ボチボチ、です…」
俺は午前の魔法の出来を思い出しながら引きつった顔で返事をした。
しかしアークは額に手を当てて忍笑いを漏らす。
「ふ…っ、くっく…っ、何がボチボチなものか。この建屋ごと洗い流そうとしたくせに」
「か、管理官っ!それはご内密に!」
俺は慌ててアークの口を塞ごうとしたが、ヘルシエフにはしっかり聞かれてしまったらしい。
「へえ、それは悪くないな。一度頭の中まで洗い流してしまいたい連中ばかりだからね」
「せ、先生…?」
ヘルシエフは疲れているのか、向かいの席に着くと眼光鋭く他のテーブルを睨め回していた。
「先生、お疲れですか?俺、肩でも叩きましょうか」
「本当かい?それは嬉しいなぁ」
「お前は食え」
「あむっ!?は、っんぅ…っ」
ヘルシエフに肩たたきを提案すると、アークは今度は魚のムニエルを俺の口に放り込んできた。
熱いしホワイトソースが垂れてベタベタになった。酷い。
「はふ…、ん、く…あつい…、もう、酷いです、管理官…無理やりはやめてください…」
少し涙目でそう訴えると、隣のテーブルでゴンゴンと頭を打ち付ける音がした。何なんだ一体。
「ふふふ…アーク?それは僕への当てつけかな?僕は君の立ち入りを拒否する権利も持ってるんだよ?」
「…ならばそろそろ連れ出した方が良さそうだな。もう魔力漏洩も治まってきたことだし」
「んなっ!?ちょ、早くない!?ダメダメ、まだ退院なんてさせないよ!僕の癒しが!!」
二人は何やら剣呑な雰囲気で話し合うが、退院という言葉に俺はソースを拭っていた顔を上げた。
「退院ですか?俺、外に出られるんですか?」
思わず期待してしまうが、魔力が溢れて迷惑をかけるかもしれないと不安にもなる。
しかしアークは俺の頭を撫でて、またしても爆弾を落とした。
「ああ。だが俺の部屋に来い。一人にはさせられん」
「へ…っ?」
「な…っ」
俺は驚いて見上げたが、アークは何でもないような顔をしている。ここでは相部屋は当たり前なのだろうか。
あんなことをしてしまった身としては少し緊張するので、できれば一人部屋が良かったのだが。
「アーク、セオくんを襲う気だろう!妊娠したらどうするんだ!?まだこんなに小さいんだから、お前のものなんか入らないぞ!」
「へ!?」
「何を言っているんだ食事中に。それに俺は結婚はしない。ただの保護者だ。わかったら座れ」
「わかるか!セオくん、僕のとこにおいで?無理やり色んなものを食べさせたりしないから。ね?」
「え?えっと…」
訳がわからないまま水を向けられても、キョロキョロと二人の顔色を伺うことしかできない。
しかも妊娠というのは、あの妊娠のことだろうか。
困りきっていると、救いの手とばかりに食堂にフィリップがやってきた。
「あっ、師匠!こっち、こっちです!」
そう手を振ってフィリップを呼び寄せる。駆け出そうとしたがガッツリとアークに腰を掴まれて逃げることはできなかった。
フィリップは呆れた顔で白いローブを颯爽と翻して俺の隣に座ってくれた。
「まだこんなに食べられないでしょう。少しもらいますよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「肉は食えないか?」
「ごめんなさい、もう無理です…」
「フィリップ聞いてくれよ!アークはセオくんを部屋に連れ込もうとしてるんだ!」
「ああ…それですか…」
フィリップはアークが取り分けさせた大量の料理をトレーごと引き寄せると、俺が使わなかったフォークで食べ始めた。
興奮したヘルシエフの発言にも訳知り顔で頷いている。
「七賢人の勧めでしょう。あのお爺たちは、君たちを引っ付けようとしているみたいですよ?」
「な…っ!あの老害どもめ…!」
ヘルシエフは暗黒面を発露させて、普段の人の良さからは窺い知れないほどの殺意を剥き出しにした顔をしていた。怖い。
それにしても引っ付けるというのはもしかして、俺とアークのことだろうか。
「俺は嫁はとらん」
「そんなこと言って、離そうとしないじゃないですか。ロシオ翁なんか、ニヤニヤしながら孫が楽しみじゃ、なんて言っていましたよ。アレはマジな目でした」
「…ジジイめ、余計な真似を」
七賢人凄い言われようだな。
しかし俺は不安になってアークの膝の上からツンツンとフィリップのローブを引いた。
「ん?どうしました?」
「あ、あの、師匠?それって、俺にも関係ある話ですか?」
「え?ああ…君をアークの嫁にどうかという話なのですが…君はどう思いますか、セオ?」
嫁。なぜ嫁という単語が公然と出るのだろうか。
アークはかなり年上だし、俺はまだ子どもだし、しかも男だ。
こちらの世界で俺はまだ女の人と話したことはなかったが、家族旅行で馬車から眺めたエストバールの街中には、スカートをはいた人は存在した。
ただ女性の数が少ないだけなら、アークにだって望みはあるはずだ。
「あの…わからないのですが、嫁というのは、アー…管理官の、結婚相手、という意味で合っていますか?」
「はい?え?えーっと…もしかして意味がわかってなかったのですか?」
しかし俺はさらにわからなくなってしまった。
なぜその候補に公然と俺の名が挙がるのだろうか。俺は十三歳になったばかりの男児だぞ?いやもしかしたら、男同士でも結婚できるのか?
そんな風に思考を巡らせるが、こちらの言語で男と女という単語を知らないから、聞きたくとも聞きようがなかった。
「嫌ならはっきり伝えた方がいいですよ。アークだって、これで案外几帳面な性格のようですし。脈ナシとわかれば手は出しません。…多分」
フィリップはそう言ってアークを指で差すが、そういうことではない。
こちらの結婚事情がよくわからなくなってしまったのだ。
物心つく前には母は弟を産んで他界してしまったし、流石に赤ん坊の頃の記憶は消え去ってしまっている。
使用人にも女性はいなかったし、考えてみればこちらの世界の夫婦や恋人関係というものも、よく知らないのだと気がついた。
「あ、あの…俺、もう母が亡くなっていまして…父に戸籍を改竄されて、代わりに父の妻にさせられていたみたいなんですが…あ、それにエストバールの王太子と、すでに入籍したらしいんです」
俺がそう前置きをすると、パスタを咥えようとしていたフィリップはブッと噎せた。ヘルシエフも食事の手を止めて目を白黒させている。
「セオくん結婚してたの!?いやでも君、十三歳になったばっかりじゃ…」
「ゲホッゲホッ!…っ何ですかそのクソ親父は!?それに王太子…?まさかそんなのにまだ気があるってことじゃ…」
俺は二人から誤解されないように必死に首を振った。
「ち、違います!父も王太子も…俺の魔力に当てられただけで…おかしくなってしまったんです。国王陛下…いえ、エストバール王は、魔導士会に対抗するために、俺を盾に使うつもりらしかったとは聞きましたが…」
「エストバールめ…地獄を見せてやる…」
ヘルシエフは暗黒面のままエストバールの方角を睨みつけた。お願いだから早くいつもの先生に戻って欲しい。
「貧弱国家がやりそうなことですね。しかしその点なら安心してください。そんな結婚は無効ですし、君の国籍はすでにエストバールにはありません。魔導士会に入れば、魔導士は全ての国から制約を受けることなく活動できるのです。その分家名も失い、厳しい掟に縛られることになりますが」
どうやら魔導士というのは物凄く権力を振りかざしているものらしい。掟というのもこれからちゃんと聞いていかなければ。
「そうなんですね、良かった…。あ、でもわからないのは、何で俺が妻になるのかなってことで…それにさっき先生が仰っていた妊娠って、子どもができるってことですよね?俺に?そんなこと、あり得るのでしょうか…?子どもって、どうやってできるんですか?」
「…っ」
「な…!」
「ぐ…っ!」
思い切ってそう聞くと、三人とも声を詰まらせて黙り込んでしまった。
「師匠?先生…?」
こちらにはスマホもないので、わからないことは人に聞くしかないのだ。
しかしフィリップの答えを待つ俺を抱え、アークはすっくと立ち上がると、ほとんど手つかずの料理をヘルシエフに押し付けた。
「そろそろ午後の修行の時間だ」
「そ、そうでしたね!」
「そう?後は僕が片付けておくよ、セオくん、頑張ってね」
フィリップも合わせて立ち上がり、ヘルシエフのにこやかな笑顔に送り出されて、俺たちは食堂を後にした。
俺の質問は全力で流されてしまったのだ。
「管理官、管理官は、俺と結婚できるんですか?」
めげずに言葉を変えて質問すると、アークはいくらか気まずそうに答えを返してくれた。
「…可能か不可能かと問われれば、可能だ」
「どうして?俺は…まだ子どもですが」
俺は目を丸くしていた。しかし性別や男女を表す単語を知らないのだ。
さすがにちんこついてるのに?とは聞きづらい。いや、おちんちんの方が丁寧かな。
「魔導士会の掟には結婚年齢というものはない。魔力が覚醒すれば条件は整うからな。ただ双方合意がなければ…結婚はできないが」
「セオ、君さえ良ければアークとも、私とも結婚できるんですよ?」
「おい」
アークと並んで歩くフィリップが割り込んでくる。
「師匠とも…?それは、重婚ということですか?」
「重婚は知ってるんですね。…まあ、それでもいいですが?魔導士は妊娠しづらいですから。愛憎の末に殺し合ったりさえしなければ、浮気や不倫や重婚は、むしろ推奨されています」
「ちっ」
不倫が推奨される世界らしい。
それは日本の武家社会にもあったと聞いたことがあったので、そういうものなのかと無理矢理呑み込むことにした。
「妊娠、しづらい…やっぱり俺も妊娠するんですか?」
「君はまだ若いのに発露しましたからね…言うべきか、言わざるべきか…」
そう言葉を濁されて、結局のところよくわからない。
「まだいい。こいつはエストバールであのクソ王子に襲われてる。余計な刺激をすれば、また魔力が不安定になるぞ」
「う…」
「ほら見ろ。大丈夫か?」
「今のは君のせいでは?」
俺は王子との接触を思い出してしまい口元を押さえた。そんな会話をしながら、俺たちは再び裏庭にたどりついた。
「あれだけ作ったのにまたあふれてるな…」
「え?…あ…」
「魔力測定器をつけましょう。アーク、持ってきてくれますか」
「…仕方ない」
そう言ってアークは俺を降ろすと、文字通り姿を消した。
「あ、あれ?管理官は?」
「走って取りに行ったのでしょう。慌ててしまってまあ…ところでセオ。君は本当にアークでいいのですか?言いにくいのなら私から伝えておきますが?」
「あ、ありがとうございます、師匠…でも俺、いいも悪いも、そもそも結婚がどういうことか、よくわからないですし…ちょっと判断できないです」
「ふむ。…失礼、少し触りますよ?」
「えっ!?きゃ…っ!」
フィリップは一言断ると、アークのように俺を抱きあげた。
フィリップも目鼻立ちがくっきりとした男前な顔だ。普段の距離ではないので、急に恥ずかしくなる。
「あ、あの…、師匠…」
「君、それは誘っているのですか?」
「え?何にですか?」
「いえ…」
フィリップはおれを片手で抱き上げると、反対の手でクイと俺の顎を上向かせた。
「可愛いですね…」
「へ…っ?や…、師匠っ…」
俺は顔を赤くして身をよじった。しかしフィリップの肩は押してもビクともしない。
「それで抵抗してるつもりですか?…ここはやはり本格的に攻撃魔法が必要で…おっと!」
フィリップがそう言って素早く横に飛ぶと、今までフィリップが立っていた地面が鎌で削ったようにガシッと音を立てて抉れた。
「え?わっ!?」
「…何のつもりだ」
急に視界が回転したと思ったらアークの声がして、俺は再びアークの腕の中にいた。
何が起こったのか全然見えなかった。
「そんなに怒ることはありませんよ。アークに襲われた時に抵抗できるか確認していたのです。一つくらい攻撃魔法も覚えておかなければと思いまして。…そうですよね?セオ」
「は、はあ…」
心なしか地面の傷が増えていくように見えるのだが、フィリップは涼しげに笑いながらそれを避けている。
「ちっ」
「それではセオ、あの木に向かって雷を落としてみましょうか。呪文はこうです。『雷よ、落ちよ』」
白いローブをはためかせて、フィリップは人差し指を近くの木に向けて振り下ろした。
すると木のてっぺんから根元に向かって青白く眩い光が一閃し、バリバリと轟音を立てて幹が真っ二つに割れた。その直後にドォーンと遅れて雷鳴が轟く。
カッコいい。
これアークが王太子の部屋で使っていたヤツだ。
しかし不思議なのは、なぜこんなにも近距離なのにこちらは感電しなかったのだろうということだ。
「どうして俺たちは感電しないの?」
「ははは、感電したら死ぬじゃないですか。セオは面白いことを言いますね」
フィリップはカラカラと笑っているが、そんなものを初心者に教えるのはやめて欲しいなと思った。
「心配するな。使う魔力は自分のものだ。味方を攻撃したりはしない」
つまりこの体の魔力は勝手に味方への攻撃を無効にしてくれるということか。それは便利だ。しかし対アークの護身用とすれば、俺はやはり太刀打ちできないことになってしまう。
腕輪型の魔力測定器を左腕に付けてもらいながら、俺はアークに問いかけた。
「じゃあ、どっちにしろ管理官には当たりませんね?」
「…」
でも雷の魔法はカッコいいから使いたいなと降ろしてもらおうとするが、アークは俺の腰に腕を絡めて離さなかった。
「管理官…?」
「このままでもできるだろう。やってみろ」
「管理官、息が…っ」
首に息が当たる。
「気にするな。やれ」
「えー…と、『雷よ、落ちよ』!」
苦し紛れに右手の指を振り下ろすと、ドーンと近くの木が真っ二つに割れる。
これは、と目を見開いた。
アークもフィリップも目を細めている。
「あ…できました!同じの!どうして?」
「…お前は、俺が持ち上げていた方が安定する」
「へ」
魔力測定器を見てニヤリと笑うアークに、俺が口をあんぐり開けていると、フィリップはクスクスと笑って肩をすくめた。
「ふふふっ、ここまで全身でアークが好きだとアピールされては、私も打つ手がありませんよ。おいしくいただかれてしまってください」
「へ?…へっ!?」
フィリップの言葉に、俺は真っ赤になってフルフルと震えることしかできなかった。
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