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白衣の天使編
恭平と真理亜の過去 1
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両親が離婚し、真理亜が父親に引き取られて引っ越したのは小学三年生の時だった。
二歳下の妹は母親に引き取られ、清瀬唯から春木唯に変わった。今まで家族四人で住んでいた家の表札は母の旧姓である『春木』に変わり、母と妹だけのものになった。
父親の再婚相手とはあまり馴染めなかった。専業主婦だった母とは違いバリキャリの女性で、相手もあまり真理亜に構う余裕はなかったと思う。
「え、唯が入院?」
高校二年生の時だった。その頃には進路希望調査票の職業欄に『看護師』と書いていたと思う。
明確な理由はなく、強いて言えば『人から感謝されたい』とか『誰かの助けになりたい』とか、そんな在り来りなものだった。
ただ母からの一本の電話で、真理亜はその進路を目指す確固たる理由を得る。
「白血病って……嘘でしょ……?」
連絡を受けてすぐ、真理亜は唯が入院している火野崎大学医学部附属病院の本院へと向かった。自宅の最寄り駅から電車で一時間程かかる距離だった。
「唯っ」
「お姉ちゃんっ」
ノックもそこそこに病室へ入ると、拍子抜けする程元気そうな唯が個室のベッドの上で退屈そうにスマホをいじっていた。
「久しぶり~! 元気だった?」
「元気だった……ってあんた……」
いつも通りの、明るくて可愛い妹だった。真理亜はしばし放心して言葉を紡げない。
「いやぁなかなか風邪が治らないなーって思ってたらまさかまさか……お姉ちゃん受験勉強とかでこれから忙しくなるのに、心配かけてごめんね?」
努めて明るく笑う唯。心配させまいとしていることは手に取るように分かった。真理亜は堪らずベッドサイドに歩み寄ると、唯を思い切り抱き締めた。
「っ……」
久しぶりの唯は、相変わらず華奢で、小さくて、守ってあげたくなるような妹だった。
「──── 唯、これ頼まれてたやつ……」
その時、病室のドアが開き低い声が聞こえた。真理亜は反射的に振り返る。
「あ……」
そこに立っていたのは、真理亜と同い年くらいの長身の男だった。
「あ、恭平丁度良かった。紹介するね。私のお姉ちゃん!」
唯は満面の笑みを浮かべた後、一転、恥ずかしそうに顔を赤らめて真理亜を見つめた。
「お姉ちゃん、えっと……彼氏の、桜井恭平くん。近所に引っ越してきて、最近、付き合うことに、なった……」
どんどん声が小さくなり、最後は俯いてしまった唯。僅かに見える耳の端が真っ赤に染っている。
「あ……どうも」
唯の初々しい反応とは正反対に、恭平と呼ばれた男はまるで何ごともないように無表情を保っていたのが印象的だった。
──────────
「……覚えてる? それが、私達が初めて出会った瞬間だった」
「ああ……」
真理亜は冷蔵庫から取り出した缶ビールを一本恭平に渡しながら、懐かしそうに微笑む。その表情はどことなく虚ろだった。
「恭平ってばすっごく無表情で……あんまり堂々としてるから、唯が女慣れした変な男に騙されてると思って最初は警戒したなぁ」
真理亜は恭平の横に腰を下ろすと、「乾杯」と言って缶ビールのプルタブを開けた。
──────────
真理亜と唯の母親は、離婚後に事務の資格を取り夜遅くまで働いていた。
シングルマザーで忙しい母に代わり入院している妹の世話をするうち、真理亜は自然と恭平と接する機会が多くなった。
真理亜達の両親が離婚し、真理亜は父親に引き取られたこと。
同じ時期、入れ違いに恭平が春木家の近くに引っ越してきたこと。
幼馴染として過ごすうち、唯と恭平は惹かれ合いつい最近付き合うようになったこと。
病院内にあるコンビニで買ったパンを食べながら、イートスペースで二人はよく他愛もない話をしていた。
きっかけは、やはりいつも通りイートスペースで遅めの昼食を摂っていた時だった。
「……なぁ清瀬、何かお前、顔色悪くないか?」
高二の春休みだっただろうか。
長期休みに入ってから、真理亜は連日病院に泊まり込んでいた。
薬の副作用で吐き続ける唯の背中を擦り、唯が僅かでも寝ている隙間時間で高校の課題や大学入試に向けて勉強をする日々が続いていた。
時々電車で一時間かけて自宅に帰り、忙しい継母に代わり家事も手伝っていた。
それでも体調の優れない唯の事を思うと、離れた場所でやきもきしているよりは、近くで世話を焼く方が余程精神衛生上マシだと思った。
今考えれば疲れを感じる程すら、心に余裕がなかったのかもしれない。
「え、そう……かな? 最近唯も治療が大変みたいで、夜眠れない時間も多いからかしら……?」
どこか他人事のように、真理亜は首を捻る。
「別に大丈夫よ。ちょっとゴミ捨ててくる、」
立ち上がった瞬間、目の前が一瞬だけ真っ暗になった。
気が付くと、背の高い恭平の腕の中に収まっていた。小さくて可愛い妹とは対照的に背が高いことがコンプレックスだったが、そんなのはお構い無しと言うようにすっぽりと、身体を抱えられていた。
「えっ、あれ、」
「ほら、無理するからだぞ」
どうやら倒れかけたらしいと気付くのに、数秒の時間を要した。
「ごめんなさい桜井君。ありがとう……」
慌てて起き上がろうとするも、やはり支えがないと足元が覚束無い。ゆらゆらと危なっかしい真理亜に、恭平は溜息を吐きながら席に座るよう促す。
「ったく、唯の世話焼いてる場合じゃないだろ。もっと自分のことも大事にしろよ」
ぶっきらぼうな物言いだが、真理亜の事を心配しているのは明白だった。恭平は真理亜が落としたビニール袋を拾うと、さっさとゴミ箱に捨ててくる。
「あ、ありがとう……」
大切にされた。真理亜は咄嗟にそう感じた。
ドキドキと胸が鳴る。
心配してくれた。嬉しい。そんな感情で心がじんわりと温かくなる。
両親が離婚して、新しい家族が出来て、妹が病気になって。
もう長いこと『自分がしっかりしなきゃ』と思って暮らしていたし、周りも当たり前のようにそれに期待していた。
(大切にしてもらえるって、こんなに嬉しいことなんだ……)
何で彼は、妹の彼氏なんだろう。真理亜が初めて、そんな風に考えた瞬間だった。
──────────
「思えばそれがきっかけだった……私はその時にはもう、恭平の事が好きになってたんだと思う」
真理亜は恭平の肩にもたれ掛かりながら、消え入りそうな声で告げた。すん、と鼻をすする音が聞こえる。
「恭平に心配されたのが嬉しかったの。変よね」
真理亜は恭平の腕にしがみついて項垂れた。
「もっともっとって欲張っちゃったの……今まで私のことを心配してくれる人なんていなかったから……」
──────────
二歳下の妹は母親に引き取られ、清瀬唯から春木唯に変わった。今まで家族四人で住んでいた家の表札は母の旧姓である『春木』に変わり、母と妹だけのものになった。
父親の再婚相手とはあまり馴染めなかった。専業主婦だった母とは違いバリキャリの女性で、相手もあまり真理亜に構う余裕はなかったと思う。
「え、唯が入院?」
高校二年生の時だった。その頃には進路希望調査票の職業欄に『看護師』と書いていたと思う。
明確な理由はなく、強いて言えば『人から感謝されたい』とか『誰かの助けになりたい』とか、そんな在り来りなものだった。
ただ母からの一本の電話で、真理亜はその進路を目指す確固たる理由を得る。
「白血病って……嘘でしょ……?」
連絡を受けてすぐ、真理亜は唯が入院している火野崎大学医学部附属病院の本院へと向かった。自宅の最寄り駅から電車で一時間程かかる距離だった。
「唯っ」
「お姉ちゃんっ」
ノックもそこそこに病室へ入ると、拍子抜けする程元気そうな唯が個室のベッドの上で退屈そうにスマホをいじっていた。
「久しぶり~! 元気だった?」
「元気だった……ってあんた……」
いつも通りの、明るくて可愛い妹だった。真理亜はしばし放心して言葉を紡げない。
「いやぁなかなか風邪が治らないなーって思ってたらまさかまさか……お姉ちゃん受験勉強とかでこれから忙しくなるのに、心配かけてごめんね?」
努めて明るく笑う唯。心配させまいとしていることは手に取るように分かった。真理亜は堪らずベッドサイドに歩み寄ると、唯を思い切り抱き締めた。
「っ……」
久しぶりの唯は、相変わらず華奢で、小さくて、守ってあげたくなるような妹だった。
「──── 唯、これ頼まれてたやつ……」
その時、病室のドアが開き低い声が聞こえた。真理亜は反射的に振り返る。
「あ……」
そこに立っていたのは、真理亜と同い年くらいの長身の男だった。
「あ、恭平丁度良かった。紹介するね。私のお姉ちゃん!」
唯は満面の笑みを浮かべた後、一転、恥ずかしそうに顔を赤らめて真理亜を見つめた。
「お姉ちゃん、えっと……彼氏の、桜井恭平くん。近所に引っ越してきて、最近、付き合うことに、なった……」
どんどん声が小さくなり、最後は俯いてしまった唯。僅かに見える耳の端が真っ赤に染っている。
「あ……どうも」
唯の初々しい反応とは正反対に、恭平と呼ばれた男はまるで何ごともないように無表情を保っていたのが印象的だった。
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「……覚えてる? それが、私達が初めて出会った瞬間だった」
「ああ……」
真理亜は冷蔵庫から取り出した缶ビールを一本恭平に渡しながら、懐かしそうに微笑む。その表情はどことなく虚ろだった。
「恭平ってばすっごく無表情で……あんまり堂々としてるから、唯が女慣れした変な男に騙されてると思って最初は警戒したなぁ」
真理亜は恭平の横に腰を下ろすと、「乾杯」と言って缶ビールのプルタブを開けた。
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真理亜と唯の母親は、離婚後に事務の資格を取り夜遅くまで働いていた。
シングルマザーで忙しい母に代わり入院している妹の世話をするうち、真理亜は自然と恭平と接する機会が多くなった。
真理亜達の両親が離婚し、真理亜は父親に引き取られたこと。
同じ時期、入れ違いに恭平が春木家の近くに引っ越してきたこと。
幼馴染として過ごすうち、唯と恭平は惹かれ合いつい最近付き合うようになったこと。
病院内にあるコンビニで買ったパンを食べながら、イートスペースで二人はよく他愛もない話をしていた。
きっかけは、やはりいつも通りイートスペースで遅めの昼食を摂っていた時だった。
「……なぁ清瀬、何かお前、顔色悪くないか?」
高二の春休みだっただろうか。
長期休みに入ってから、真理亜は連日病院に泊まり込んでいた。
薬の副作用で吐き続ける唯の背中を擦り、唯が僅かでも寝ている隙間時間で高校の課題や大学入試に向けて勉強をする日々が続いていた。
時々電車で一時間かけて自宅に帰り、忙しい継母に代わり家事も手伝っていた。
それでも体調の優れない唯の事を思うと、離れた場所でやきもきしているよりは、近くで世話を焼く方が余程精神衛生上マシだと思った。
今考えれば疲れを感じる程すら、心に余裕がなかったのかもしれない。
「え、そう……かな? 最近唯も治療が大変みたいで、夜眠れない時間も多いからかしら……?」
どこか他人事のように、真理亜は首を捻る。
「別に大丈夫よ。ちょっとゴミ捨ててくる、」
立ち上がった瞬間、目の前が一瞬だけ真っ暗になった。
気が付くと、背の高い恭平の腕の中に収まっていた。小さくて可愛い妹とは対照的に背が高いことがコンプレックスだったが、そんなのはお構い無しと言うようにすっぽりと、身体を抱えられていた。
「えっ、あれ、」
「ほら、無理するからだぞ」
どうやら倒れかけたらしいと気付くのに、数秒の時間を要した。
「ごめんなさい桜井君。ありがとう……」
慌てて起き上がろうとするも、やはり支えがないと足元が覚束無い。ゆらゆらと危なっかしい真理亜に、恭平は溜息を吐きながら席に座るよう促す。
「ったく、唯の世話焼いてる場合じゃないだろ。もっと自分のことも大事にしろよ」
ぶっきらぼうな物言いだが、真理亜の事を心配しているのは明白だった。恭平は真理亜が落としたビニール袋を拾うと、さっさとゴミ箱に捨ててくる。
「あ、ありがとう……」
大切にされた。真理亜は咄嗟にそう感じた。
ドキドキと胸が鳴る。
心配してくれた。嬉しい。そんな感情で心がじんわりと温かくなる。
両親が離婚して、新しい家族が出来て、妹が病気になって。
もう長いこと『自分がしっかりしなきゃ』と思って暮らしていたし、周りも当たり前のようにそれに期待していた。
(大切にしてもらえるって、こんなに嬉しいことなんだ……)
何で彼は、妹の彼氏なんだろう。真理亜が初めて、そんな風に考えた瞬間だった。
──────────
「思えばそれがきっかけだった……私はその時にはもう、恭平の事が好きになってたんだと思う」
真理亜は恭平の肩にもたれ掛かりながら、消え入りそうな声で告げた。すん、と鼻をすする音が聞こえる。
「恭平に心配されたのが嬉しかったの。変よね」
真理亜は恭平の腕にしがみついて項垂れた。
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