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2巻
2-3
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僕は朝の支度を終えると、今日は一人で歩いて学校に行くと言った。前と違って足も痛くないし雨も降っていないから、そんなに大変ではないはずだ。
「クライスごめん。今日も友達の部屋、あの、リリーの部屋に行く約束をしたの。だから遅くなるよ」
「あ、ああ。わかった……」
僕は普通に言ったつもりだったけど、クライスの方を見なかったことに後で気づいた。彼はどんな表情をしていただろう。……わからない。でも、確かめる勇気もなかった。
さっきまでノエルも一緒にランニングしていたんでしょ? と思うと、並んだ彼らの笑顔が頭の中を占拠してお腹が痛くなる。
考えてもいいことなんてないのだし、何も考えなければいい。
(今日はどこの掃除をしよう。キッチンとトイレは絶対だよね、それと……)
僕はリリーとベルトの汚部屋について考えながら歩くことで、気を紛らわせていた。
そんなふうに意識を逸らす努力をしつつ登校したにもかかわらず、教室に着くと僕はノエルのことばかり見ていた。
(見たくないのに見てしまう……)
彼のルビーのような鮮やかな赤い髪はどこにいてもよく目立ち、捜すのは簡単だった。
授業をそこまで真剣に受けている様子には見えないのに、テストはいい点数を取る。特に魔法基礎学と魔法薬学が得意みたい。剣術は美しい身のこなしでヒュンヒュンと華麗に剣を振るい、なんだか高貴なオーラを感じさせる。
性格は明るく陽気で誰にでも慕われていて、いつも親衛隊に囲まれ、友達も多い。
「ノエル姫、荷物をお持ちしましょうか?」
「もう、姫様扱いしないでよぉ」
彼のファンたちが荷物持ちを進み出ると、それもうまくあしらっていた。みんなの中心でくすくすと笑う姿は、本当のお姫様みたいに輝いている。
ノエルは自分とは真逆の、なんでもよくできる人物だった。
「よし、やっとキレイになった!」
昨日やり残していた部屋の一部と水回りの掃除が終わり、最後にリリーとベルトにクリーンの魔法をかけてもらうと、来た時とは見違えるように綺麗になった。
ものが散乱して見えなかった床も、油まみれだったキッチンも、曇っていた窓も全部ピッカピカだ。
「俺様たちの部屋ってこんなに広かったんだなぁ」
部屋を見回し感嘆のため息を吐くベルトに、大変だったけどやってよかったなとしみじみ思う。
なんとか片づけをやり終えたことにほっとして、ソファに座って休憩していたら、ベルトがティーセットを出してきてお茶の準備を始めてくれた。ただその手つきを見ていると、紅茶を淹れるのに慣れていないことがわかる。
「あ、ベルト、茶葉入れすぎだよ」
「ああ、ごめん。普段ちゃんと紅茶を淹れたりしないからさ。よくわからないんだ」
「言っとくけど僕もお茶は淹れられないから。そんなの面倒臭くて、いつもは水かジュースしか飲まないし」
え? 二人とも紅茶飲まないの? こんなに高価なティーセットがあるのに!? 勿体ない。
「じゃあ、僕が淹れるよ」
紅茶の淹れ方はルゥが教えてくれた。彼の淹れる紅茶はいつも素敵な香りがするの。
まずはやかんに汲みたての水を入れてしっかり沸騰させて、その間にポットとカップにお湯を入れて温めておく。それからポットに、三人分だからティースプーン三杯の茶葉を入れて熱湯を注いですぐ蓋をする。
蒸らす時間は、ん~この茶葉は細かいから二分半ってところかな。ポットの中を軽く混ぜて、茶漉しで漉しながらカップに注いでいく。僕、リリー、ベルトのカップにちょっとずつ注いで濃さが同じになるように気をつけて、最後の一滴まで、んしょ、注ぐ。
(ふわぁ~いい香り! 癒される。茶葉もすごくいいものを使っているみたい)
「できたよ。はいどうぞ」
「ありがとう。ん? なんだこれ、すごくいい香りだ。めちゃくちゃおいしい!!」
興奮気味のベルトの横で、リリーも「おっやるな、メガネ」と喜んでくれた。
「せっかくいい茶葉なのに飲まないなんて勿体ないよ」
僕がお茶の葉を褒めるとベルトはうれしそうに笑い、ちょっと自慢げに言った。
「わかる? ウェンダー商会一押しの茶葉なんだ。今王都でもすごく流行ってるやつ。でもここにあっても誰も使わないからキルナにあげるよ」
「いいの?」
「部屋を綺麗にしてくれたお礼だよ。クライス王子と一緒に飲んで」
クライスの名が出てくると、ちくりと胸が痛んだ気がした。
「あのさ、リリーとベルトはノエルのことを知っている?」
思い切って僕は二人に、ノエルについて訊いてみることにした。聞きたくないという気持ちもあるけれど、後になって嫌なことを不意打ちで知るくらいなら、今訊いておいた方がショックが小さいように思ったから。
「へぇ、メガネの口からノエル様の名前が出てくるとは。もしかして何かしてきた? ちょっと只者じゃないからね。彼は」
「う~ん、キルナには言いにくいけど、彼はクライス王子の恋人ではないかと昔からよく噂されてきた人物だ。あのずば抜けて美しい容姿、侯爵家という高貴な家柄、学友としていつも一緒にいることからそう噂されてきた」
「恋、人……?」
「もちろんただの噂だ。なんの根拠もない。でもみんなノエル様とクライス王子みたいに並んでいるだけで絵になる二人なら、ありえるだろうと思っていた。クライス王子に婚約者がいるという話を聞いたことはあっても、誰もその婚約者を見たことがない。キルナが現れるまで、実はノエル様が本当の婚約者じゃないかと勝手に思い込んでいたんだ。ところが入学式に、クライス王子が婚約者を抱きかかえてやってきた。この学園だけじゃない。学園の外までその話は広がって大騒ぎになっていたよ」
そうなんだ。そんなに大変なことになっていたのか……
「急にこんな地味なメガネが出てきてみんな混乱してるってわけ。僕からしてみたらノエル様という強敵より、メガネの方がいいけどね。簡単に勝てそうな気がするし」
「おいリリー」
窘めようとするベルトの声を無視してリリーが続ける。
「だってそうでしょ? ノエル様が何をしてきたか知らないけど、メガネは戦わずに僕たちのところに逃げてきたんだもん」
その通りだ。僕はクライスとノエルが二人でいるところを目撃して、二人に何も言えず、ここに逃げてきた。
「ノエル様のことが気になるなら、きちんとクライス王子に訊いてみた方がいいと思う。確かにそういう噂はあったけど、あの人は俺様から見てもキルナを大事にしているように見える。きっと大丈夫だ」
「そう、だね。クライスは僕のことを大事にしてくれてる」
あんなに大事にしてくれて、僕には勿体ないくらいだ。
だから大丈夫。
(──本当に?)
夕日に照らされたあの日の光景が頭にこびりついて離れない。お腹がちくちくする。
俯きそうになったところで、持ってきていた紙袋のことを思い出した。
「あ、そうだ。僕クッキー作ってきたんだった。よかったら食べて」
大皿にクッキーを並べ、みんなが取りやすいようにテーブルの中央に置くと、リリーがいち早くその中の一枚を取った。キャンディー部分を光に透かして夕日色の目を輝かせている。
「これ、メガネが作ったの!? 自分で?」
「宝石みたいなクッキー!? こんなの初めて見た! 食べていいかな!?」
「どうぞ。お口に合えばいいのだけど」
クッキーは前世のレシピだから、この世界の人に受け入れられるのかちょっぴり不安だ。ベンスは褒めてくれたし、ルゥやユジンも喜んでくれたけど、彼らはちょっと身内贔屓が過ぎるから感想が当てにならない気もするし……
でもそんな不安は、一口食べるごとに褒めてくれるベルトのおかげで吹き飛んだ。
「おいしい! 甘味もちょうどいいし、さくっとした食感も最高だ! 何よりも見た目が華やかで食べるのが勿体ないくらい! すごい、これ本当においしいよ!!」
よかった。ちゃんとおいしかったんだ。じゃあクライスにもあげればよかったかな。
「本当にメガネが? おかしい。こんなに上品な味のクッキーを? そんな馬鹿な……」
リリーは首を傾げ何やらぶつぶつ独り言を呟きながらも、次から次へと食べている。どうやらリリーにも気に入ってもらえたみたい。
「おい、リリー食べすぎだぞ。あとは俺様のだろ!」
「は? そんなの誰が決めたの? 全部僕のだよ。可愛いクッキーは可愛い僕にこそ似合う!」
またしてもギャーギャーと言い合いを始めた二人。
彼らの向かいで静かにお茶を飲みつつ、僕は真剣に考えていた。
──僕とクライスのこと、クライスとノエルのことを。
(よぅし、クライスに二人の関係を訊いてみよう。このままうじうじ悩んでいても仕方がないもの)
でも彼が恋人だった、いや、実は今も恋人だと言われたら、僕に勝ち目はないなぁと思う。
「じゃあ、そろそろ帰るね。茶葉ありがと」
「ああ、こちらこそ。クッキー最高だった! クライス様はこの国の第一王子で、容姿端麗、おまけに六属性の魔力を持ち、頭もいい。このバカ猫被りも含めて敵は多いだろうけど、でも、負けるなよ」
ベルトの爽やかな応援がうれしい。
「ねえ、メガネ。耳を貸して」
「ん、何?」
耳を近づけると、リリーはこそこそと小さい声で言った。
「部屋も片づいたしクッキーもおいしかったから、一個だけ王子をくらっとさせるいい方法を教えてあげる。僕としてはノエル様とクライス様の構図よりメガネとクライス様の方が狙いやすいから、今は特別にメガネの味方だ」
クライスをくらっとさせる方法って、そんなのがあるの!? 師匠の教え聞きたい! これは絶対メモを取らなきゃ!
……でもそれはとんでもない内容だった。
「だからさ、体で迫るんだよ。クライス王子だって男だ。せっかく同じ部屋なんだからそれをうまく使わない手はない。そうだな。お風呂に入っている時を狙うとちょうどいいかもしれない」
「ん、お風呂の時、どうするの?」
僕も彼の真似をして声を小さくしてこっそり訊いた。
「彼のね、あそこを舐めてやればいいんだよ」
「へ? あそこってどこ?」
僕が尋ねるとリリーはここ、と僕の大事なところを指差した。
(!?)
「ゆっくり丁寧にしゃぶってあげたら気持ちよくなってさ、きっとメガネのことノエル様よりも好きになるよ」
「そ、そそそ、そんなこと……」
僕は真っ赤になって、「無理だよ、それは!」と首を横に振った。
「だってノエル様相手に実際勝ち目ないでしょ。それくらいやんなきゃ。婚約者なんだし、普通にみんなやってることだから大丈夫。ちょっと気持ちよくしてあげるって言って迫ってみなよ。んで、どうなったか後で僕に教えて」
リリーはどこをどんなふうにどうやってしゃぶるかを細かく説明し……
(って、なんでそんなこと詳しく知ってるの!?)
最後にパチッとウインクしてみせた。
可愛らしい彼のウインクは男の僕でもくらっとくる。男心を掴むのがうまい彼のアドバイスは聞いた方がいいのかもしれない、けど!
(でもでも、難易度が高すぎるよぉ!!)
僕は茹でダコみたいになっちゃった顔を、パタパタと手で煽いで冷ましながら部屋に戻った。思っていたより遅くなってしまった。クライス、怒ってないかな?
カードキーでドアを開けると、すぐそこにクライスがいた。もしかしたら遅いからここで待っていてくれたのかもしれない。
「ただいま。ごめん、遅くなっちゃった」
「ああ、キルナおかえり。今日の風呂はどうする?」
お風呂!? なんてタイムリーな質問だろう。まぁでもそうだよね。大浴場は十九時までだものね。
だけどまだ、心の準備ができてない。
とはいえ待たせていたのだし、早く答えないと……
(普通にみんなやっている? じゃあ僕にもできるはず? ああ、どうしよ)
頭の中がぐるぐるして考えが纏まらない。
「今日は……大浴場に、行く」
僕はどうしたらいいのかわからないまま、とりあえず寝間着と入浴セットを持ってクライスの腕に自分の手をかけた。
「わかった。行くぞ」
ぎゅうっと彼に掴まる。彼が近くにいるというだけで心臓がドキドキするのはなんでだろう。今までも転移魔法なんて何度もやってきたことなのに、どうして今日はこんなに落ち着かない気分になるの!?
僕はこうしてクライスとくっついていることが無性に恥ずかしくなってきて、手足をばたつかせた。
「おい、なんだ、危ないから暴れるな」
転移中に転移魔法を使っている相手の体から離れてはいけない、というのは魔法基礎学の授業で習った。魔力が途切れると、どこか思いもよらない場所に飛ばされてしまう可能性があって危険らしい。
僕が飛んでいかないように、クライスは両腕で僕の体を包み込んで、しっかりと抱きかかえてくれた。ちょっと力が強すぎる気もするけれど、これなら絶対に飛ばされることはないから安心だ。
(ああ、やっぱりクライスは優しいな)
ぽおっと彼に見惚れている間に、無事転移が成功して大浴場に着いた。湯船に浸かる前に体を洗う派の僕は、いつも通り洗い場へと向かう。
すぐ隣でクライスは自分の体を洗っている。男らしく引き締まった体はなんて格好いいのだろう。彼から目が離せない。
でもぼんやり見ている場合じゃなかったことを思い出し、自分も体を洗おうとタオルに石鹸をつけた。そうしている間にも、『お風呂に入っている時を狙うとちょうどいいかもしれない』と言ったリリーの顔が思い浮かぶ。
手早く頭を洗い、手足を洗い、胸を洗っているクライス。早くしないとクライスが洗い終わってしまう、と僕は焦った。
(早くしなきゃ。早く……)
あわあわあわ、もこもこもこ。
手元では考え事をしているせいで無意味に泡立てられた泡が、前に動物園で見たののんみたいになっている。
そんな時、ばしゃっと体の泡を流し終えたクライスがこちらを向いた。そして真剣な眼差しで僕を見たかと思うと、意を決したように告げた。
「キルナ、後で大切な話がある。部屋に戻ったら聞いてほしい」
僕は無言で頷いた。
(なんの話だろう。まさかノエルのこと? ノエルがいるから僕はもういらないとか、そういう話?)
泡だらけになっている手が小刻みに震える。
嫌だ、そんな話聞きたくない。
でも僕には、ノエルに勝てるものが何一つ見つからない。どうしよう。
──実際勝ち目ないでしょ。それくらいやんなきゃ。
リリーの言葉が頭の中に響いた。
内容が恥ずかしすぎて実際のメモ帳には書かなかったけど、心のメモ帳に書いた師匠の教えを思い出しつつ僕は言った。
「ねぇ、クライス。あのさ、き、気持ちよく……してあげる」
「え?」
「ちょっと、目瞑っててくれる? すぐ済ませるから」
「なんだ? 背中を洗ってくれるのか?」
椅子から立ち上がって、背中をこちらに向けようとしたクライスに、「そのままでいいから座っといて!」と注意する。
それから僕は座っている彼の足を「よいしょっ」と広げ、その間に入ってしゃがんだ。
これで真正面には彼のもの。配置は完璧! なのだけど!?
「…………」
(ここを、な、舐めるって? みんなやっている? 本当に?)
いざ向き合うと訳がわからなくなってしまう。クライスはというと、言われた通り目を瞑っている。
僕は目の前にある彼のものをまじまじと見つめた。
(僕のより立派で……大きいな。形もキレイ。洗いたてだし、これなら大丈夫そう?)
溜まった唾をごくりと飲み込む。
いい。もうここまできたらやってみるしかない。やり方はさっき懇切丁寧に教えてもらったし、その通りにやればいい。
まずは手でそうっと持ち上げて、アイスキャンディーを舐めるみたいにゆっくりと舌を這わせていく。ぺろっ。……無味無臭。あ、石鹸の香りが少しするかも。
「はっ? なっ、キルナ。何して……」
クライスは驚いて目を開いてしまったみたい。そりゃ驚くよね。大切なところを食べられそうな状況なんだから。でも大丈夫、食べたりしない。舐めるだけだよ、と僕は証明するようにぺろぺろとそこを舐めてみせた。
前世では精通していたし、どの辺が気持ちいいかは大体想像がつく。まぁもちろんここを舐めるなんて、考えたこともなかったけれど。
(クライスが好きなのはこの辺かな? それとも裏筋?)
キルナの体はまだ精通を迎えていない。彼はさすがにしていると思うけど、どうなのだろう。
「くらえふ。もーへいふうひへうろ?」
僕がそこをしゃぶりながら尋ねると、彼は「何……言ってるか、わからない」と息も絶え絶えに答えた。
そか、それならそれは後で訊こう。これで合っているかな? 気持ちいいかな? それだけは気になるから教えてほしい。
「きもひい?」
「はっ、ああ。き、気持ちいい、けど……」
気持ちいいんだ。やったぁ、うまくできているみたい! 僕はなんだかうれしくなってきて、段々調子がついてきた。
次はお口に咥えて、と。
「んぐ」
彼のはかなり大きくて僕の口に入り切らない。先っぽだけちゅぱっと咥えて、あとは根元を手でごしごししたらいいんだよね?
しばらく手で彼のものを擦りながら先端を咥えて舐めていると……透明の汁が溢れ出てきた。自分の唾液と溢れ出てきたそれが混ざり合い、ぬるぬると滑りがよくなったところで、今日教わったテクニックを試してみる。
(ええと、リリーはなんて言ってたかな?)
そうそう。小さくチロチロ舐めるだけじゃなくて下から上に大きく舐め上げる……とか、歯を立てないように気をつけながら唇でくびれの部分を引っかけるようにして扱く……とか、割れ目を舌先でちょっとつついてみる……とか、だったよね。
手は一定のリズムで動かして、少しずつ速くしていって……と、頭では師匠の教えを理解しているつもりなのに、実際にやってみるとどれも難しくて、結局ぺろぺろ舐めてごしごし擦ることしかできていない。
クライスをがっかりさせたくないのに、思うようにできないことがもどかしい。
(思ったより大変。だけど頑張らないと! 今はまだ僕が婚約者なんだからこれくらい……)
「くっ……」
それでも少しは効いているのか、眉間に皺を寄せたクライスの口から色っぽい吐息が漏れた。こうしてちょっとでも気持ちよさそうな顔をしてくれるとうれしい。
そこからも彼の反応を励みに、頑張って試行錯誤を続けていく。
大きく開きっぱなしの顎が痛くなって、ずっと動かしている手も疲れてきて、自分の不器用さに心が折れそうになっても続けた。口の周りもべったべたで、きっと僕の顔は酷いことになっているに違いない。
ただ、その成果は出ているみたい。
彼のものはびっくりするほど大きくなって、お腹につきそうなくらいしっかり上を向いている。その硬さと弾力を手でふにふにと触って確かめ、そろそろ頃合いかなと思った僕は、もう一度ぱくりとそれを咥えてちゅうっと優しく吸い上げた。
(どう……だろ。クライスは気持ちよさそうだし、いい感じ? で、この後はどうするのだっけ?)
習った通りにできていたかは怪しいけれど、ここまでは順調な気がする。
だけど、師匠にこの先は聞いていない、ということに気づいたのは今。必死すぎてその後のことを考えるのを忘れていたよ。
するとそこに切羽詰まったような彼の声が聞こえてくる。
「キルナ、もうやめろ。だ、めだ。で、出る!」
「んんっ!? ん……ん……んくっ……」
あ、と思った時にはもう遅かった。熱い液体が勢いよく口の中いっぱいに流れ込んできて、僕はそれをどうしたらいいのかわからなくって、そのまま喉の動きに従ってごくごくと飲み干した。
さっきの質問の答えは聞かなくてもわかった。クライスは精通していたらしい。まぁどう見ても彼は僕よりずっと発育がいいもんね。
「キルナ。すまない。お、俺」
「ん、はぁ、苦っ……」
(ん~なにこれ! 苦いっ。おいしくない!)
でも流れ込んできたものでなんだかお腹がぽかぽかしていて、すごく満たされているような感じがする。
「の、飲んだのか?」
「ふぇ、うん。全部飲んじゃった」
「…………」
クライスは信じられないという顔をした後、しばらく何も言わず椅子に座っていた。
(……あれ? この表情。僕にくらっとして……いない?)
僕、間違えちゃったかな? もしかしてリリー、また僕に嘘を? 砂時計の時に彼が嘘吐きだって学んだはずなのに、また騙されたのかもしれない。
(なんてこと!?)
僕は急に正気に戻った。
あんなところを舐めるなんて変態だと思われただろう。僕だってそう思うよ。やばいよ、嫌われてしまった!? ノエルとクライスのことで頭がいっぱいで、僕、とんでもないことをしでかしちゃったんじゃ……
恐る恐る彷徨わせていた視線を戻すと、クライスと目が合った。
射精後でとろんとしていた目が段々険しくなっていき、やがてキッと僕を睨みつけた。ゲームだったらラスボスが出てくる時みたいにゴゴゴゴゴ~って効果音がついてそうな恐ろしい雰囲気!
「……おい、キルナ」
「ひぃ!! は、はい、なん、でしょう」
思わず敬語になっちゃった。
「こんなこと、どこで覚えてきたんだ」
「ど、どこでって……」
ふえ~ん。クライスがす~っごく怖いよぉ。僕はやっぱり間違えてしまったらしい。
「悪い子にはお仕置きが必要だよな」
「は……ィ」
怖すぎて反射的に返事をしてしまった。ん~あれ? またお仕置き? なんで? と考えているうちになぜか体がどうしようもなく熱くなってきた。
肌が異様に敏感になってムズムズするような……変な感じ。
「はぁ、は、ぁ。んんっ、な、にこれ? ……ねぇクライス。なんか熱いの。た……すけて」
クライスは縋りつく僕の手を握って、もう一方の手を僕の頬に添えると、じっと目の奥を覗き込んだ。そこに何か見えたのか、彼は苛立ったように舌打ちをする。
「ちっ、魔力酔いだ。俺の魔力を大量に取り込んだから」
(魔力酔いって……何?)
視界が揺れて頭がくらくらする。
彼は力が入らずくずおれそうになった僕の体を抱き留めて、そのまま床のタイルの上に寝かせた。さりげなく膝枕をしてくれたおかげで頭は痛くない。
そして、「お前は精通しているか」と訊く。なんでこんな時にそんな質問? と思いながら、僕はゆるゆると首を横に振った。
「なら口を開けろ」と言うから、その通りに口を開く。
「ん……」
クライスの美しい唇が、僕の唇と重なるのがわかった。
SIDE クライス
「また失敗だ」
魔力を込めてもぴくりとも動かない小型ゴーレムを見ながら俺は呟いた。
放課後、いつものように学友たちと共に魔法訓練所で練習に取り組んでいるのだが、どうにも調子が出ない。気になることがあって集中できていないせいだ。
というのもここ数日、またしてもキルナが俺から逃げ回っている。
今回は怪我をしている様子もないし、一体何が原因なのかわからず、俺はもやもやしていた。
「はぁ」
「クライス様、またため息ですか? 幸せ逃げちゃいますよ」
(幸せ……か)
ロイルの助言に虚しい気持ちが込み上げる。
「ため息を吐かなくてもキルナは逃げるんだ。近づくと泣きそうな顔をされて……俺はもうどうしたらいいのかわからない」
もう長いことキルナと手を繋いでいないし、抱きしめていないし、彼の笑顔を見ていない。寂しい。
今朝は宝石のような美しいクッキーを作っていたが、俺にはくれなかった。ただの一口も。
何かそんなに嫌われることをしただろうか?
ウィーン。魔法訓練所のドアが開く音がしてそちらに目を向けると、ノエルが入ってくるのが見えた。
「あ、クライス様ぁ! もう来てらしたんですね! うふふ、今日こそ僕とキスしましょ」
「ああ、来ましたよ。キス魔が」
ロイルがげっそりとした顔で言った。
ノエルは最近『混合魔法』という魔法にハマっている。
『混合魔法』とは、自分の魔力と他人の魔力を合わせることで使える魔法だ。魔力の質は人によってそれぞれ違うから、人の数だけ混合魔法は存在し、合わせる魔力の量や組み合わせを変えることで、さらに何通りもの魔法ができる。
やってみるまでどんな魔法になるのかわからないところが面白い! と熱中し始めたノエルは、自分の魔力と人の魔力の組み合わせをあれこれ試し始めたのだが、人の魔力を強奪するため誰彼構わずキスしまくり、迷惑なことこの上ない。
実際に俺以外の学友全員が、すでに彼の被害に遭っていた。
ノエルとリオンの魔力で爆風が、ギアの魔力とでピザを焼くのにちょうどいい石窯が、ロイルの魔力とでなぜか雪だるまができたという。ノエルとリオンとロイルとギアの魔力、全部混ぜたらなんと露天風呂ができた! と、先日は大喜びしていた。
「ノエル。お前、俺に少しでも近寄ったら剣で切り裂いてやるからな!」
ギアが怒りで声を荒らげながらノエルに剣を向けている。無理もない。一番被害に遭っているのはギアだった。
「ギアってばキスくらいでそんなに怒らなくってもぉ」
「そんなに魔力が欲しいなら握手でもして手から取ればいいだろ!? 時間はかかるけどキスなんかするよりよっぽどマシだ! 俺のファーストキスを奪いやがって! 許さない」
「何言ってんの。握手じゃ小さじ一の魔力を吸い取るのに一時間はかかるよ。魔力は体液から摂取するのが一番効率的で、キスが一番手っ取り早いんだよ」
はぁ、わかってないな。っていうかファーストキスまだとかお子様すぎ~と馬鹿にされ、ギアはますますノエルにブチギレている。
「ギアはもういいよ、いっぱい実験したから。次はクライス様、僕に魔力を分けてくださいよぉ」
「お前、まだ俺の魔力を狙っているのか。絶対やらん。俺に寄るな。向こうへ行け」
「だって、クライス様は妖精に魔法を授けられたという初代アステリア国王の血を引いておられるから魔力の質は最高レベルに違いないし、どんな魔法ができるか気になって仕方がないんです。一回でいいのでお願いですぅ」
「ノエル、不敬ですよ。クライス様にはキルナ様という婚約者がおられるのです。キスなんて以ての外です」
リオンが窘めるが、彼が聞き入れる様子はない。
「魔力譲渡してほしいだけですからぁ。一瞬で済みます。ね、ちょっとだけ」
「駄目に決まっている。一昨日なんて寮の入り口で待ち伏せしていただろう。あんな目立つところで迫るなど、誰かに見られでもしたらどうする。ただでさえお前とは昔から妙な噂が立ちやすいんだ。自重しろ」
「クライス様とノエルの恋人説ですか。大方コーネスト侯爵が噂の元凶なんでしょうけど。消しても消しても新しい噂を流してくる。そのくせ尻尾は掴ませない。見事に迷惑な立ち回りが息子とそっくりです」
噂が出回るたびに火消しに走り回らされているロイルが、うんざりした口調で言った。
「ああ、うちの父上ね。権力大好きで、どうしても僕とクライス様をくっつけたいみたいだから仕方ないですね。もう病気です。ほ~んと困った父です」
困った困った、と言いながら全く困ってなさそうにノエルは胡散臭い笑みを浮かべている。
俺とノエルが恋人同士だとか、実は婚約者だとかいう馬鹿げた噂がキルナの耳に入る前に、一度きちんと話をしておくべきかもしれない。と考えていると、ギアが深刻な面持ちで恐ろしいことを言った。
「あの、もしかして、それ……見られてたんじゃないですか?」
「それ?」
「寮の入り口での件です。実は一昨日の夕方、寮に帰るキルナ様をお見かけしたんです。カードキーを翳して門の中に入ったと思ったらまたすぐに出てきて、真っ青な顔をして立ち尽くしていました。声をかけるかどうか迷ったのですが、大浴場の時間が迫っていたのでそのまま。申し訳ありません」
「ギアは大の風呂好きですからね」
苦笑するリオンの声が遠くに聞こえる。
──キルナが真っ青な顔で立ち尽くしていた、だと?
俺は一昨日の夕方頃のキルナの行動を思い返した。彼は部屋に帰ってくるなり、さっさと風呂に入って夕飯も食べずに布団に潜り込んで寝てしまい、翌朝には友達の部屋に行くから帰りが遅くなると言い始めた。
「確かに。キルナの様子がおかしくなったのもその頃からだ」
一方、俺はというと……一昨日の夕方、図書館で本を借りて自室に戻るところだった。
寮の入り口付近に差しかかった時、通路脇から急に現れたノエルが俺の懐に飛び込みキスを迫ってきた。当然全力で押し退けて回避したが、不意打ちだったことで対応が遅れ、かなり危なかったことを覚えている。
もしキルナがあの時の俺たちを見ていたとしたら、どう思っただろう。
「もしかして、クライス様とノエルがキスをする仲……恋人同士だと勘違いしたんじゃありませんか?」
「そんな、俺があの時声をかけて何があったかお聞きしていれば……」
ロイルの意見にギアが蒼白になっている。おそらく自分も似たような顔色になっていることだろう。頭痛がする。吐きそうだ。
「クライスごめん。今日も友達の部屋、あの、リリーの部屋に行く約束をしたの。だから遅くなるよ」
「あ、ああ。わかった……」
僕は普通に言ったつもりだったけど、クライスの方を見なかったことに後で気づいた。彼はどんな表情をしていただろう。……わからない。でも、確かめる勇気もなかった。
さっきまでノエルも一緒にランニングしていたんでしょ? と思うと、並んだ彼らの笑顔が頭の中を占拠してお腹が痛くなる。
考えてもいいことなんてないのだし、何も考えなければいい。
(今日はどこの掃除をしよう。キッチンとトイレは絶対だよね、それと……)
僕はリリーとベルトの汚部屋について考えながら歩くことで、気を紛らわせていた。
そんなふうに意識を逸らす努力をしつつ登校したにもかかわらず、教室に着くと僕はノエルのことばかり見ていた。
(見たくないのに見てしまう……)
彼のルビーのような鮮やかな赤い髪はどこにいてもよく目立ち、捜すのは簡単だった。
授業をそこまで真剣に受けている様子には見えないのに、テストはいい点数を取る。特に魔法基礎学と魔法薬学が得意みたい。剣術は美しい身のこなしでヒュンヒュンと華麗に剣を振るい、なんだか高貴なオーラを感じさせる。
性格は明るく陽気で誰にでも慕われていて、いつも親衛隊に囲まれ、友達も多い。
「ノエル姫、荷物をお持ちしましょうか?」
「もう、姫様扱いしないでよぉ」
彼のファンたちが荷物持ちを進み出ると、それもうまくあしらっていた。みんなの中心でくすくすと笑う姿は、本当のお姫様みたいに輝いている。
ノエルは自分とは真逆の、なんでもよくできる人物だった。
「よし、やっとキレイになった!」
昨日やり残していた部屋の一部と水回りの掃除が終わり、最後にリリーとベルトにクリーンの魔法をかけてもらうと、来た時とは見違えるように綺麗になった。
ものが散乱して見えなかった床も、油まみれだったキッチンも、曇っていた窓も全部ピッカピカだ。
「俺様たちの部屋ってこんなに広かったんだなぁ」
部屋を見回し感嘆のため息を吐くベルトに、大変だったけどやってよかったなとしみじみ思う。
なんとか片づけをやり終えたことにほっとして、ソファに座って休憩していたら、ベルトがティーセットを出してきてお茶の準備を始めてくれた。ただその手つきを見ていると、紅茶を淹れるのに慣れていないことがわかる。
「あ、ベルト、茶葉入れすぎだよ」
「ああ、ごめん。普段ちゃんと紅茶を淹れたりしないからさ。よくわからないんだ」
「言っとくけど僕もお茶は淹れられないから。そんなの面倒臭くて、いつもは水かジュースしか飲まないし」
え? 二人とも紅茶飲まないの? こんなに高価なティーセットがあるのに!? 勿体ない。
「じゃあ、僕が淹れるよ」
紅茶の淹れ方はルゥが教えてくれた。彼の淹れる紅茶はいつも素敵な香りがするの。
まずはやかんに汲みたての水を入れてしっかり沸騰させて、その間にポットとカップにお湯を入れて温めておく。それからポットに、三人分だからティースプーン三杯の茶葉を入れて熱湯を注いですぐ蓋をする。
蒸らす時間は、ん~この茶葉は細かいから二分半ってところかな。ポットの中を軽く混ぜて、茶漉しで漉しながらカップに注いでいく。僕、リリー、ベルトのカップにちょっとずつ注いで濃さが同じになるように気をつけて、最後の一滴まで、んしょ、注ぐ。
(ふわぁ~いい香り! 癒される。茶葉もすごくいいものを使っているみたい)
「できたよ。はいどうぞ」
「ありがとう。ん? なんだこれ、すごくいい香りだ。めちゃくちゃおいしい!!」
興奮気味のベルトの横で、リリーも「おっやるな、メガネ」と喜んでくれた。
「せっかくいい茶葉なのに飲まないなんて勿体ないよ」
僕がお茶の葉を褒めるとベルトはうれしそうに笑い、ちょっと自慢げに言った。
「わかる? ウェンダー商会一押しの茶葉なんだ。今王都でもすごく流行ってるやつ。でもここにあっても誰も使わないからキルナにあげるよ」
「いいの?」
「部屋を綺麗にしてくれたお礼だよ。クライス王子と一緒に飲んで」
クライスの名が出てくると、ちくりと胸が痛んだ気がした。
「あのさ、リリーとベルトはノエルのことを知っている?」
思い切って僕は二人に、ノエルについて訊いてみることにした。聞きたくないという気持ちもあるけれど、後になって嫌なことを不意打ちで知るくらいなら、今訊いておいた方がショックが小さいように思ったから。
「へぇ、メガネの口からノエル様の名前が出てくるとは。もしかして何かしてきた? ちょっと只者じゃないからね。彼は」
「う~ん、キルナには言いにくいけど、彼はクライス王子の恋人ではないかと昔からよく噂されてきた人物だ。あのずば抜けて美しい容姿、侯爵家という高貴な家柄、学友としていつも一緒にいることからそう噂されてきた」
「恋、人……?」
「もちろんただの噂だ。なんの根拠もない。でもみんなノエル様とクライス王子みたいに並んでいるだけで絵になる二人なら、ありえるだろうと思っていた。クライス王子に婚約者がいるという話を聞いたことはあっても、誰もその婚約者を見たことがない。キルナが現れるまで、実はノエル様が本当の婚約者じゃないかと勝手に思い込んでいたんだ。ところが入学式に、クライス王子が婚約者を抱きかかえてやってきた。この学園だけじゃない。学園の外までその話は広がって大騒ぎになっていたよ」
そうなんだ。そんなに大変なことになっていたのか……
「急にこんな地味なメガネが出てきてみんな混乱してるってわけ。僕からしてみたらノエル様という強敵より、メガネの方がいいけどね。簡単に勝てそうな気がするし」
「おいリリー」
窘めようとするベルトの声を無視してリリーが続ける。
「だってそうでしょ? ノエル様が何をしてきたか知らないけど、メガネは戦わずに僕たちのところに逃げてきたんだもん」
その通りだ。僕はクライスとノエルが二人でいるところを目撃して、二人に何も言えず、ここに逃げてきた。
「ノエル様のことが気になるなら、きちんとクライス王子に訊いてみた方がいいと思う。確かにそういう噂はあったけど、あの人は俺様から見てもキルナを大事にしているように見える。きっと大丈夫だ」
「そう、だね。クライスは僕のことを大事にしてくれてる」
あんなに大事にしてくれて、僕には勿体ないくらいだ。
だから大丈夫。
(──本当に?)
夕日に照らされたあの日の光景が頭にこびりついて離れない。お腹がちくちくする。
俯きそうになったところで、持ってきていた紙袋のことを思い出した。
「あ、そうだ。僕クッキー作ってきたんだった。よかったら食べて」
大皿にクッキーを並べ、みんなが取りやすいようにテーブルの中央に置くと、リリーがいち早くその中の一枚を取った。キャンディー部分を光に透かして夕日色の目を輝かせている。
「これ、メガネが作ったの!? 自分で?」
「宝石みたいなクッキー!? こんなの初めて見た! 食べていいかな!?」
「どうぞ。お口に合えばいいのだけど」
クッキーは前世のレシピだから、この世界の人に受け入れられるのかちょっぴり不安だ。ベンスは褒めてくれたし、ルゥやユジンも喜んでくれたけど、彼らはちょっと身内贔屓が過ぎるから感想が当てにならない気もするし……
でもそんな不安は、一口食べるごとに褒めてくれるベルトのおかげで吹き飛んだ。
「おいしい! 甘味もちょうどいいし、さくっとした食感も最高だ! 何よりも見た目が華やかで食べるのが勿体ないくらい! すごい、これ本当においしいよ!!」
よかった。ちゃんとおいしかったんだ。じゃあクライスにもあげればよかったかな。
「本当にメガネが? おかしい。こんなに上品な味のクッキーを? そんな馬鹿な……」
リリーは首を傾げ何やらぶつぶつ独り言を呟きながらも、次から次へと食べている。どうやらリリーにも気に入ってもらえたみたい。
「おい、リリー食べすぎだぞ。あとは俺様のだろ!」
「は? そんなの誰が決めたの? 全部僕のだよ。可愛いクッキーは可愛い僕にこそ似合う!」
またしてもギャーギャーと言い合いを始めた二人。
彼らの向かいで静かにお茶を飲みつつ、僕は真剣に考えていた。
──僕とクライスのこと、クライスとノエルのことを。
(よぅし、クライスに二人の関係を訊いてみよう。このままうじうじ悩んでいても仕方がないもの)
でも彼が恋人だった、いや、実は今も恋人だと言われたら、僕に勝ち目はないなぁと思う。
「じゃあ、そろそろ帰るね。茶葉ありがと」
「ああ、こちらこそ。クッキー最高だった! クライス様はこの国の第一王子で、容姿端麗、おまけに六属性の魔力を持ち、頭もいい。このバカ猫被りも含めて敵は多いだろうけど、でも、負けるなよ」
ベルトの爽やかな応援がうれしい。
「ねえ、メガネ。耳を貸して」
「ん、何?」
耳を近づけると、リリーはこそこそと小さい声で言った。
「部屋も片づいたしクッキーもおいしかったから、一個だけ王子をくらっとさせるいい方法を教えてあげる。僕としてはノエル様とクライス様の構図よりメガネとクライス様の方が狙いやすいから、今は特別にメガネの味方だ」
クライスをくらっとさせる方法って、そんなのがあるの!? 師匠の教え聞きたい! これは絶対メモを取らなきゃ!
……でもそれはとんでもない内容だった。
「だからさ、体で迫るんだよ。クライス王子だって男だ。せっかく同じ部屋なんだからそれをうまく使わない手はない。そうだな。お風呂に入っている時を狙うとちょうどいいかもしれない」
「ん、お風呂の時、どうするの?」
僕も彼の真似をして声を小さくしてこっそり訊いた。
「彼のね、あそこを舐めてやればいいんだよ」
「へ? あそこってどこ?」
僕が尋ねるとリリーはここ、と僕の大事なところを指差した。
(!?)
「ゆっくり丁寧にしゃぶってあげたら気持ちよくなってさ、きっとメガネのことノエル様よりも好きになるよ」
「そ、そそそ、そんなこと……」
僕は真っ赤になって、「無理だよ、それは!」と首を横に振った。
「だってノエル様相手に実際勝ち目ないでしょ。それくらいやんなきゃ。婚約者なんだし、普通にみんなやってることだから大丈夫。ちょっと気持ちよくしてあげるって言って迫ってみなよ。んで、どうなったか後で僕に教えて」
リリーはどこをどんなふうにどうやってしゃぶるかを細かく説明し……
(って、なんでそんなこと詳しく知ってるの!?)
最後にパチッとウインクしてみせた。
可愛らしい彼のウインクは男の僕でもくらっとくる。男心を掴むのがうまい彼のアドバイスは聞いた方がいいのかもしれない、けど!
(でもでも、難易度が高すぎるよぉ!!)
僕は茹でダコみたいになっちゃった顔を、パタパタと手で煽いで冷ましながら部屋に戻った。思っていたより遅くなってしまった。クライス、怒ってないかな?
カードキーでドアを開けると、すぐそこにクライスがいた。もしかしたら遅いからここで待っていてくれたのかもしれない。
「ただいま。ごめん、遅くなっちゃった」
「ああ、キルナおかえり。今日の風呂はどうする?」
お風呂!? なんてタイムリーな質問だろう。まぁでもそうだよね。大浴場は十九時までだものね。
だけどまだ、心の準備ができてない。
とはいえ待たせていたのだし、早く答えないと……
(普通にみんなやっている? じゃあ僕にもできるはず? ああ、どうしよ)
頭の中がぐるぐるして考えが纏まらない。
「今日は……大浴場に、行く」
僕はどうしたらいいのかわからないまま、とりあえず寝間着と入浴セットを持ってクライスの腕に自分の手をかけた。
「わかった。行くぞ」
ぎゅうっと彼に掴まる。彼が近くにいるというだけで心臓がドキドキするのはなんでだろう。今までも転移魔法なんて何度もやってきたことなのに、どうして今日はこんなに落ち着かない気分になるの!?
僕はこうしてクライスとくっついていることが無性に恥ずかしくなってきて、手足をばたつかせた。
「おい、なんだ、危ないから暴れるな」
転移中に転移魔法を使っている相手の体から離れてはいけない、というのは魔法基礎学の授業で習った。魔力が途切れると、どこか思いもよらない場所に飛ばされてしまう可能性があって危険らしい。
僕が飛んでいかないように、クライスは両腕で僕の体を包み込んで、しっかりと抱きかかえてくれた。ちょっと力が強すぎる気もするけれど、これなら絶対に飛ばされることはないから安心だ。
(ああ、やっぱりクライスは優しいな)
ぽおっと彼に見惚れている間に、無事転移が成功して大浴場に着いた。湯船に浸かる前に体を洗う派の僕は、いつも通り洗い場へと向かう。
すぐ隣でクライスは自分の体を洗っている。男らしく引き締まった体はなんて格好いいのだろう。彼から目が離せない。
でもぼんやり見ている場合じゃなかったことを思い出し、自分も体を洗おうとタオルに石鹸をつけた。そうしている間にも、『お風呂に入っている時を狙うとちょうどいいかもしれない』と言ったリリーの顔が思い浮かぶ。
手早く頭を洗い、手足を洗い、胸を洗っているクライス。早くしないとクライスが洗い終わってしまう、と僕は焦った。
(早くしなきゃ。早く……)
あわあわあわ、もこもこもこ。
手元では考え事をしているせいで無意味に泡立てられた泡が、前に動物園で見たののんみたいになっている。
そんな時、ばしゃっと体の泡を流し終えたクライスがこちらを向いた。そして真剣な眼差しで僕を見たかと思うと、意を決したように告げた。
「キルナ、後で大切な話がある。部屋に戻ったら聞いてほしい」
僕は無言で頷いた。
(なんの話だろう。まさかノエルのこと? ノエルがいるから僕はもういらないとか、そういう話?)
泡だらけになっている手が小刻みに震える。
嫌だ、そんな話聞きたくない。
でも僕には、ノエルに勝てるものが何一つ見つからない。どうしよう。
──実際勝ち目ないでしょ。それくらいやんなきゃ。
リリーの言葉が頭の中に響いた。
内容が恥ずかしすぎて実際のメモ帳には書かなかったけど、心のメモ帳に書いた師匠の教えを思い出しつつ僕は言った。
「ねぇ、クライス。あのさ、き、気持ちよく……してあげる」
「え?」
「ちょっと、目瞑っててくれる? すぐ済ませるから」
「なんだ? 背中を洗ってくれるのか?」
椅子から立ち上がって、背中をこちらに向けようとしたクライスに、「そのままでいいから座っといて!」と注意する。
それから僕は座っている彼の足を「よいしょっ」と広げ、その間に入ってしゃがんだ。
これで真正面には彼のもの。配置は完璧! なのだけど!?
「…………」
(ここを、な、舐めるって? みんなやっている? 本当に?)
いざ向き合うと訳がわからなくなってしまう。クライスはというと、言われた通り目を瞑っている。
僕は目の前にある彼のものをまじまじと見つめた。
(僕のより立派で……大きいな。形もキレイ。洗いたてだし、これなら大丈夫そう?)
溜まった唾をごくりと飲み込む。
いい。もうここまできたらやってみるしかない。やり方はさっき懇切丁寧に教えてもらったし、その通りにやればいい。
まずは手でそうっと持ち上げて、アイスキャンディーを舐めるみたいにゆっくりと舌を這わせていく。ぺろっ。……無味無臭。あ、石鹸の香りが少しするかも。
「はっ? なっ、キルナ。何して……」
クライスは驚いて目を開いてしまったみたい。そりゃ驚くよね。大切なところを食べられそうな状況なんだから。でも大丈夫、食べたりしない。舐めるだけだよ、と僕は証明するようにぺろぺろとそこを舐めてみせた。
前世では精通していたし、どの辺が気持ちいいかは大体想像がつく。まぁもちろんここを舐めるなんて、考えたこともなかったけれど。
(クライスが好きなのはこの辺かな? それとも裏筋?)
キルナの体はまだ精通を迎えていない。彼はさすがにしていると思うけど、どうなのだろう。
「くらえふ。もーへいふうひへうろ?」
僕がそこをしゃぶりながら尋ねると、彼は「何……言ってるか、わからない」と息も絶え絶えに答えた。
そか、それならそれは後で訊こう。これで合っているかな? 気持ちいいかな? それだけは気になるから教えてほしい。
「きもひい?」
「はっ、ああ。き、気持ちいい、けど……」
気持ちいいんだ。やったぁ、うまくできているみたい! 僕はなんだかうれしくなってきて、段々調子がついてきた。
次はお口に咥えて、と。
「んぐ」
彼のはかなり大きくて僕の口に入り切らない。先っぽだけちゅぱっと咥えて、あとは根元を手でごしごししたらいいんだよね?
しばらく手で彼のものを擦りながら先端を咥えて舐めていると……透明の汁が溢れ出てきた。自分の唾液と溢れ出てきたそれが混ざり合い、ぬるぬると滑りがよくなったところで、今日教わったテクニックを試してみる。
(ええと、リリーはなんて言ってたかな?)
そうそう。小さくチロチロ舐めるだけじゃなくて下から上に大きく舐め上げる……とか、歯を立てないように気をつけながら唇でくびれの部分を引っかけるようにして扱く……とか、割れ目を舌先でちょっとつついてみる……とか、だったよね。
手は一定のリズムで動かして、少しずつ速くしていって……と、頭では師匠の教えを理解しているつもりなのに、実際にやってみるとどれも難しくて、結局ぺろぺろ舐めてごしごし擦ることしかできていない。
クライスをがっかりさせたくないのに、思うようにできないことがもどかしい。
(思ったより大変。だけど頑張らないと! 今はまだ僕が婚約者なんだからこれくらい……)
「くっ……」
それでも少しは効いているのか、眉間に皺を寄せたクライスの口から色っぽい吐息が漏れた。こうしてちょっとでも気持ちよさそうな顔をしてくれるとうれしい。
そこからも彼の反応を励みに、頑張って試行錯誤を続けていく。
大きく開きっぱなしの顎が痛くなって、ずっと動かしている手も疲れてきて、自分の不器用さに心が折れそうになっても続けた。口の周りもべったべたで、きっと僕の顔は酷いことになっているに違いない。
ただ、その成果は出ているみたい。
彼のものはびっくりするほど大きくなって、お腹につきそうなくらいしっかり上を向いている。その硬さと弾力を手でふにふにと触って確かめ、そろそろ頃合いかなと思った僕は、もう一度ぱくりとそれを咥えてちゅうっと優しく吸い上げた。
(どう……だろ。クライスは気持ちよさそうだし、いい感じ? で、この後はどうするのだっけ?)
習った通りにできていたかは怪しいけれど、ここまでは順調な気がする。
だけど、師匠にこの先は聞いていない、ということに気づいたのは今。必死すぎてその後のことを考えるのを忘れていたよ。
するとそこに切羽詰まったような彼の声が聞こえてくる。
「キルナ、もうやめろ。だ、めだ。で、出る!」
「んんっ!? ん……ん……んくっ……」
あ、と思った時にはもう遅かった。熱い液体が勢いよく口の中いっぱいに流れ込んできて、僕はそれをどうしたらいいのかわからなくって、そのまま喉の動きに従ってごくごくと飲み干した。
さっきの質問の答えは聞かなくてもわかった。クライスは精通していたらしい。まぁどう見ても彼は僕よりずっと発育がいいもんね。
「キルナ。すまない。お、俺」
「ん、はぁ、苦っ……」
(ん~なにこれ! 苦いっ。おいしくない!)
でも流れ込んできたものでなんだかお腹がぽかぽかしていて、すごく満たされているような感じがする。
「の、飲んだのか?」
「ふぇ、うん。全部飲んじゃった」
「…………」
クライスは信じられないという顔をした後、しばらく何も言わず椅子に座っていた。
(……あれ? この表情。僕にくらっとして……いない?)
僕、間違えちゃったかな? もしかしてリリー、また僕に嘘を? 砂時計の時に彼が嘘吐きだって学んだはずなのに、また騙されたのかもしれない。
(なんてこと!?)
僕は急に正気に戻った。
あんなところを舐めるなんて変態だと思われただろう。僕だってそう思うよ。やばいよ、嫌われてしまった!? ノエルとクライスのことで頭がいっぱいで、僕、とんでもないことをしでかしちゃったんじゃ……
恐る恐る彷徨わせていた視線を戻すと、クライスと目が合った。
射精後でとろんとしていた目が段々険しくなっていき、やがてキッと僕を睨みつけた。ゲームだったらラスボスが出てくる時みたいにゴゴゴゴゴ~って効果音がついてそうな恐ろしい雰囲気!
「……おい、キルナ」
「ひぃ!! は、はい、なん、でしょう」
思わず敬語になっちゃった。
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「ど、どこでって……」
ふえ~ん。クライスがす~っごく怖いよぉ。僕はやっぱり間違えてしまったらしい。
「悪い子にはお仕置きが必要だよな」
「は……ィ」
怖すぎて反射的に返事をしてしまった。ん~あれ? またお仕置き? なんで? と考えているうちになぜか体がどうしようもなく熱くなってきた。
肌が異様に敏感になってムズムズするような……変な感じ。
「はぁ、は、ぁ。んんっ、な、にこれ? ……ねぇクライス。なんか熱いの。た……すけて」
クライスは縋りつく僕の手を握って、もう一方の手を僕の頬に添えると、じっと目の奥を覗き込んだ。そこに何か見えたのか、彼は苛立ったように舌打ちをする。
「ちっ、魔力酔いだ。俺の魔力を大量に取り込んだから」
(魔力酔いって……何?)
視界が揺れて頭がくらくらする。
彼は力が入らずくずおれそうになった僕の体を抱き留めて、そのまま床のタイルの上に寝かせた。さりげなく膝枕をしてくれたおかげで頭は痛くない。
そして、「お前は精通しているか」と訊く。なんでこんな時にそんな質問? と思いながら、僕はゆるゆると首を横に振った。
「なら口を開けろ」と言うから、その通りに口を開く。
「ん……」
クライスの美しい唇が、僕の唇と重なるのがわかった。
SIDE クライス
「また失敗だ」
魔力を込めてもぴくりとも動かない小型ゴーレムを見ながら俺は呟いた。
放課後、いつものように学友たちと共に魔法訓練所で練習に取り組んでいるのだが、どうにも調子が出ない。気になることがあって集中できていないせいだ。
というのもここ数日、またしてもキルナが俺から逃げ回っている。
今回は怪我をしている様子もないし、一体何が原因なのかわからず、俺はもやもやしていた。
「はぁ」
「クライス様、またため息ですか? 幸せ逃げちゃいますよ」
(幸せ……か)
ロイルの助言に虚しい気持ちが込み上げる。
「ため息を吐かなくてもキルナは逃げるんだ。近づくと泣きそうな顔をされて……俺はもうどうしたらいいのかわからない」
もう長いことキルナと手を繋いでいないし、抱きしめていないし、彼の笑顔を見ていない。寂しい。
今朝は宝石のような美しいクッキーを作っていたが、俺にはくれなかった。ただの一口も。
何かそんなに嫌われることをしただろうか?
ウィーン。魔法訓練所のドアが開く音がしてそちらに目を向けると、ノエルが入ってくるのが見えた。
「あ、クライス様ぁ! もう来てらしたんですね! うふふ、今日こそ僕とキスしましょ」
「ああ、来ましたよ。キス魔が」
ロイルがげっそりとした顔で言った。
ノエルは最近『混合魔法』という魔法にハマっている。
『混合魔法』とは、自分の魔力と他人の魔力を合わせることで使える魔法だ。魔力の質は人によってそれぞれ違うから、人の数だけ混合魔法は存在し、合わせる魔力の量や組み合わせを変えることで、さらに何通りもの魔法ができる。
やってみるまでどんな魔法になるのかわからないところが面白い! と熱中し始めたノエルは、自分の魔力と人の魔力の組み合わせをあれこれ試し始めたのだが、人の魔力を強奪するため誰彼構わずキスしまくり、迷惑なことこの上ない。
実際に俺以外の学友全員が、すでに彼の被害に遭っていた。
ノエルとリオンの魔力で爆風が、ギアの魔力とでピザを焼くのにちょうどいい石窯が、ロイルの魔力とでなぜか雪だるまができたという。ノエルとリオンとロイルとギアの魔力、全部混ぜたらなんと露天風呂ができた! と、先日は大喜びしていた。
「ノエル。お前、俺に少しでも近寄ったら剣で切り裂いてやるからな!」
ギアが怒りで声を荒らげながらノエルに剣を向けている。無理もない。一番被害に遭っているのはギアだった。
「ギアってばキスくらいでそんなに怒らなくってもぉ」
「そんなに魔力が欲しいなら握手でもして手から取ればいいだろ!? 時間はかかるけどキスなんかするよりよっぽどマシだ! 俺のファーストキスを奪いやがって! 許さない」
「何言ってんの。握手じゃ小さじ一の魔力を吸い取るのに一時間はかかるよ。魔力は体液から摂取するのが一番効率的で、キスが一番手っ取り早いんだよ」
はぁ、わかってないな。っていうかファーストキスまだとかお子様すぎ~と馬鹿にされ、ギアはますますノエルにブチギレている。
「ギアはもういいよ、いっぱい実験したから。次はクライス様、僕に魔力を分けてくださいよぉ」
「お前、まだ俺の魔力を狙っているのか。絶対やらん。俺に寄るな。向こうへ行け」
「だって、クライス様は妖精に魔法を授けられたという初代アステリア国王の血を引いておられるから魔力の質は最高レベルに違いないし、どんな魔法ができるか気になって仕方がないんです。一回でいいのでお願いですぅ」
「ノエル、不敬ですよ。クライス様にはキルナ様という婚約者がおられるのです。キスなんて以ての外です」
リオンが窘めるが、彼が聞き入れる様子はない。
「魔力譲渡してほしいだけですからぁ。一瞬で済みます。ね、ちょっとだけ」
「駄目に決まっている。一昨日なんて寮の入り口で待ち伏せしていただろう。あんな目立つところで迫るなど、誰かに見られでもしたらどうする。ただでさえお前とは昔から妙な噂が立ちやすいんだ。自重しろ」
「クライス様とノエルの恋人説ですか。大方コーネスト侯爵が噂の元凶なんでしょうけど。消しても消しても新しい噂を流してくる。そのくせ尻尾は掴ませない。見事に迷惑な立ち回りが息子とそっくりです」
噂が出回るたびに火消しに走り回らされているロイルが、うんざりした口調で言った。
「ああ、うちの父上ね。権力大好きで、どうしても僕とクライス様をくっつけたいみたいだから仕方ないですね。もう病気です。ほ~んと困った父です」
困った困った、と言いながら全く困ってなさそうにノエルは胡散臭い笑みを浮かべている。
俺とノエルが恋人同士だとか、実は婚約者だとかいう馬鹿げた噂がキルナの耳に入る前に、一度きちんと話をしておくべきかもしれない。と考えていると、ギアが深刻な面持ちで恐ろしいことを言った。
「あの、もしかして、それ……見られてたんじゃないですか?」
「それ?」
「寮の入り口での件です。実は一昨日の夕方、寮に帰るキルナ様をお見かけしたんです。カードキーを翳して門の中に入ったと思ったらまたすぐに出てきて、真っ青な顔をして立ち尽くしていました。声をかけるかどうか迷ったのですが、大浴場の時間が迫っていたのでそのまま。申し訳ありません」
「ギアは大の風呂好きですからね」
苦笑するリオンの声が遠くに聞こえる。
──キルナが真っ青な顔で立ち尽くしていた、だと?
俺は一昨日の夕方頃のキルナの行動を思い返した。彼は部屋に帰ってくるなり、さっさと風呂に入って夕飯も食べずに布団に潜り込んで寝てしまい、翌朝には友達の部屋に行くから帰りが遅くなると言い始めた。
「確かに。キルナの様子がおかしくなったのもその頃からだ」
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「もしかして、クライス様とノエルがキスをする仲……恋人同士だと勘違いしたんじゃありませんか?」
「そんな、俺があの時声をかけて何があったかお聞きしていれば……」
ロイルの意見にギアが蒼白になっている。おそらく自分も似たような顔色になっていることだろう。頭痛がする。吐きそうだ。
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