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第5章
第231話 悪役令息のお見舞い(ちょい※)
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無骨な鉄の扉を潜ると煉瓦造りの巨大な建物が見えた。ここが、王都にある魔法騎士団の本拠地らしい。
騎士団の受付に白衣を着た小柄な男の人、騎士団所属の医務官ナディルさんが僕らを迎えに来て、テアの病室まで案内してくれた。
「せっかくお越し頂いたところ恐縮ですが、今は、とても話が出来るような状態ではありません」
「そんなに悪いのか?」
クライスの問いに彼は深く頷いた。
「食事も水も頑なに拒否しています。水だけでも飲んで頂かないと、彼の身体はもたないでしょう」
ナディルさんがそう嘆く中、部屋には僕が一人で入ることにした。テアは複数の人の気配を感じるとひどく怯える、というから。
「キルナ、何かあればすぐに呼べ」
クライスには隣の部屋で待っていてもらうことになった。(かなり渋い顔をしていたけれど、ついてくるのは我慢してもらった。)僕は音を立てないようにそろそろと近づいて、ベッドサイドの木の椅子に腰掛ける。
枕元に何冊も絵本を積んだベッドで、彼は眠っていた。人形のように綺麗な寝顔。でもその美しい眉は時折苦しそうに歪む。
「ここに居るよ」と言う気持ちを込めてそっと手を握ると、彼の指が驚くほど細くて、なんだか悲しくなった。弱々しく横たわる姿に、前世の自分が重なる。
しばらくそうしていると、やがて彼の瞼がゆっくりと開いた。その水色の瞳は天井をぼうっと見ているだけで何も映してはいない。でも握った手を拒絶する様子はなかったから思い切って、声をかけてみた。
「テア」
「…………」
返事はない。でも、その視線はゆっくりとこちらを向いた。
「…ようせ…? ゴホッ…」
小さな声で何かを言おうとして咳き込みはじめた彼に水を飲ませようと、枕やクッションを使って少し彼の上体を起こし、コップを渡す。でも彼は両手でコップを持ったまま動かない。もう長いこと水分を摂っていないというから、飲んでほしいのに。
「ね、水を飲んで」
必死になる僕のことを不思議そうに見ながら、彼はとても綺麗な笑顔で言った。
「……あい…たかったぁ。お話、したかったの~」
「それはうれしいけど。お話の前にお水を飲んでほしいの」
何度言っても彼は僕の目をじぃっと見つめたまま、動こうとしない。
(どうしたら飲んでくれるのかな?)
いつもはうるうると潤っているさくらんぼ色の唇が、かさついている。ガラス製の吸い飲みを口元に持っていくけれど…彼は口を固く閉ざしていて飲む気配を見せない。彼の手にふいっと押し退けられたそれをどうしようかと彷徨わせていると、テアがコロコロと笑い始めた。
「ようせいのおひめさまに…会える…なんて。すてき……」
“妖精のお姫さま”ってやっぱり僕のことなんだ。すごく嬉しそうだから、「違うよ、僕は妖精のお姫さまなんかじゃないよ」とはなんとなく言いづらい。
(まぁ、いいか、その話は後で。その前にまず水飲んで元気になってもらわなきゃ。)
「ね、お願いだからお水を……」
「テアにはもう見えないと思ってた」
「何がもう見えないって?」
「妖精」
僕は目を見開く。
「テアは、その、妖精を、見たことがあるの?」
「小さなときは、たくさん…みえたよぉ。今はもう、絵本でしかみられないけど……」
懐かしそうな目をする彼に、僕は驚き過ぎて声も出ない。自分の他にも妖精が視える人がいたなんて。
「テアは、さいごに…お姫さまに見守られ…ながら、しぬことができて、しあわ…せ……。テアがしんだら、妖精の国につれてって…ね」
彼はにっこりと笑った。とびきりの笑顔だ。そして、全てに満足したように目を瞑った。
(え、死んじゃう…気? パーティーの時まであんなに元気だったのに!?)
信じられない展開に、僕の頭はパニクっている。一体何日テアは水を飲んでないのだろう。人間の体って水なしで何日耐えられるのだっけ。前世の知識を引っ張り出し、そういえば一週間ももたないのだと思い出す。目の前の彼を見ていると、その命はもういつ尽きてもおかしくないような気がした。何より彼から生きようとする気力が感じられない。震える声で彼の名を呼んだ。
「テア、ダメだよ。死なないで!」
――死なないでよ!
「テア、生きて!」
――生きてよ!
(なんだろ。頭の奥に声が……。これは誰の声?)
でもそんなことを気にしている場合じゃない。何とかしなきゃ! 彼の口元に吸い口を持っていくけど、うまく入らず水は口元に流れ、そのままシーツに染み込んでしまう。
こうなったら……。
僕は意を決してコップを掴み、澄んだ水を口に含んだ。
そのまま彼の口に運んで、ぴちゃり、と冷たいものをちょっとずつ流し込む。乾燥しかさついた彼の唇は、それでも柔らかかった。
こくこくと喉が動き、彼が水を飲み下すのを確認して、僕はほっと息を吐く。
(よかった……飲んだ。)
なんだか無性にうれしくて涙が零れた。
飲んでくれたことに僕が感動していると、テアの目が開いた。(その目は一瞬金色に光ったような。気のせいかな?)
「お姫さまと、キスしちゃった」
真っ白だった彼の頬がぽおっと薔薇色に染まる。ちょ、キスって言われちゃうと恥ずかしいのだけど。
「えと、今のは…水を口移ししただけで、そのぉ」
と自分がやったことをしどろもどろになりながら弁解しようとしたけれど誰も聞いていない。頬を染めて笑った彼の顔は、ちょっと生気が戻ったようでうれしい。コップの水はまだまだ残っている。どうしよ。このままここに置いておいても彼が自分で飲むことはなさそうだし。
(もう、いいか。一度も二度も同じだよね! これは医療行為なのだし)
もう一度、さっきよりたっぷりの水を口に含んで彼のお口に水を運んだ。
「甘い……。お姫さまのくれるお水は、おいしぃ……」
コップ一杯分の水を全て飲んで、彼は眠った。すごく穏やかな寝顔を見守ること30分。眠る彼を眺め、今日はもう起きそうにないことを確認して、退室した。
「どうだった?」
静かに扉を閉めると、クライスが駆け寄ってきた。
「もう寝ちゃったんだけど、少しだけ話ができたよ。あとね、お水を飲んでくれた」
口移しで、ってところは恥ずかしいので省略する。
「本当にありがとうございます! 我々がいくら勧めても飲んでいただけなかったのに。これで体も少しずつ回復するはずです。あとは少しでも食事が摂れるようになれば良いのですが」
ナディルさんは胸を撫で下ろし、テアの様子を見に行った。
残ったクライスに僕は、想像以上に弱っているテアの姿を見て決心したことを告げた。
「あのね、僕、テアが元気になるまでここで看病しようと思うの」
騎士団の受付に白衣を着た小柄な男の人、騎士団所属の医務官ナディルさんが僕らを迎えに来て、テアの病室まで案内してくれた。
「せっかくお越し頂いたところ恐縮ですが、今は、とても話が出来るような状態ではありません」
「そんなに悪いのか?」
クライスの問いに彼は深く頷いた。
「食事も水も頑なに拒否しています。水だけでも飲んで頂かないと、彼の身体はもたないでしょう」
ナディルさんがそう嘆く中、部屋には僕が一人で入ることにした。テアは複数の人の気配を感じるとひどく怯える、というから。
「キルナ、何かあればすぐに呼べ」
クライスには隣の部屋で待っていてもらうことになった。(かなり渋い顔をしていたけれど、ついてくるのは我慢してもらった。)僕は音を立てないようにそろそろと近づいて、ベッドサイドの木の椅子に腰掛ける。
枕元に何冊も絵本を積んだベッドで、彼は眠っていた。人形のように綺麗な寝顔。でもその美しい眉は時折苦しそうに歪む。
「ここに居るよ」と言う気持ちを込めてそっと手を握ると、彼の指が驚くほど細くて、なんだか悲しくなった。弱々しく横たわる姿に、前世の自分が重なる。
しばらくそうしていると、やがて彼の瞼がゆっくりと開いた。その水色の瞳は天井をぼうっと見ているだけで何も映してはいない。でも握った手を拒絶する様子はなかったから思い切って、声をかけてみた。
「テア」
「…………」
返事はない。でも、その視線はゆっくりとこちらを向いた。
「…ようせ…? ゴホッ…」
小さな声で何かを言おうとして咳き込みはじめた彼に水を飲ませようと、枕やクッションを使って少し彼の上体を起こし、コップを渡す。でも彼は両手でコップを持ったまま動かない。もう長いこと水分を摂っていないというから、飲んでほしいのに。
「ね、水を飲んで」
必死になる僕のことを不思議そうに見ながら、彼はとても綺麗な笑顔で言った。
「……あい…たかったぁ。お話、したかったの~」
「それはうれしいけど。お話の前にお水を飲んでほしいの」
何度言っても彼は僕の目をじぃっと見つめたまま、動こうとしない。
(どうしたら飲んでくれるのかな?)
いつもはうるうると潤っているさくらんぼ色の唇が、かさついている。ガラス製の吸い飲みを口元に持っていくけれど…彼は口を固く閉ざしていて飲む気配を見せない。彼の手にふいっと押し退けられたそれをどうしようかと彷徨わせていると、テアがコロコロと笑い始めた。
「ようせいのおひめさまに…会える…なんて。すてき……」
“妖精のお姫さま”ってやっぱり僕のことなんだ。すごく嬉しそうだから、「違うよ、僕は妖精のお姫さまなんかじゃないよ」とはなんとなく言いづらい。
(まぁ、いいか、その話は後で。その前にまず水飲んで元気になってもらわなきゃ。)
「ね、お願いだからお水を……」
「テアにはもう見えないと思ってた」
「何がもう見えないって?」
「妖精」
僕は目を見開く。
「テアは、その、妖精を、見たことがあるの?」
「小さなときは、たくさん…みえたよぉ。今はもう、絵本でしかみられないけど……」
懐かしそうな目をする彼に、僕は驚き過ぎて声も出ない。自分の他にも妖精が視える人がいたなんて。
「テアは、さいごに…お姫さまに見守られ…ながら、しぬことができて、しあわ…せ……。テアがしんだら、妖精の国につれてって…ね」
彼はにっこりと笑った。とびきりの笑顔だ。そして、全てに満足したように目を瞑った。
(え、死んじゃう…気? パーティーの時まであんなに元気だったのに!?)
信じられない展開に、僕の頭はパニクっている。一体何日テアは水を飲んでないのだろう。人間の体って水なしで何日耐えられるのだっけ。前世の知識を引っ張り出し、そういえば一週間ももたないのだと思い出す。目の前の彼を見ていると、その命はもういつ尽きてもおかしくないような気がした。何より彼から生きようとする気力が感じられない。震える声で彼の名を呼んだ。
「テア、ダメだよ。死なないで!」
――死なないでよ!
「テア、生きて!」
――生きてよ!
(なんだろ。頭の奥に声が……。これは誰の声?)
でもそんなことを気にしている場合じゃない。何とかしなきゃ! 彼の口元に吸い口を持っていくけど、うまく入らず水は口元に流れ、そのままシーツに染み込んでしまう。
こうなったら……。
僕は意を決してコップを掴み、澄んだ水を口に含んだ。
そのまま彼の口に運んで、ぴちゃり、と冷たいものをちょっとずつ流し込む。乾燥しかさついた彼の唇は、それでも柔らかかった。
こくこくと喉が動き、彼が水を飲み下すのを確認して、僕はほっと息を吐く。
(よかった……飲んだ。)
なんだか無性にうれしくて涙が零れた。
飲んでくれたことに僕が感動していると、テアの目が開いた。(その目は一瞬金色に光ったような。気のせいかな?)
「お姫さまと、キスしちゃった」
真っ白だった彼の頬がぽおっと薔薇色に染まる。ちょ、キスって言われちゃうと恥ずかしいのだけど。
「えと、今のは…水を口移ししただけで、そのぉ」
と自分がやったことをしどろもどろになりながら弁解しようとしたけれど誰も聞いていない。頬を染めて笑った彼の顔は、ちょっと生気が戻ったようでうれしい。コップの水はまだまだ残っている。どうしよ。このままここに置いておいても彼が自分で飲むことはなさそうだし。
(もう、いいか。一度も二度も同じだよね! これは医療行為なのだし)
もう一度、さっきよりたっぷりの水を口に含んで彼のお口に水を運んだ。
「甘い……。お姫さまのくれるお水は、おいしぃ……」
コップ一杯分の水を全て飲んで、彼は眠った。すごく穏やかな寝顔を見守ること30分。眠る彼を眺め、今日はもう起きそうにないことを確認して、退室した。
「どうだった?」
静かに扉を閉めると、クライスが駆け寄ってきた。
「もう寝ちゃったんだけど、少しだけ話ができたよ。あとね、お水を飲んでくれた」
口移しで、ってところは恥ずかしいので省略する。
「本当にありがとうございます! 我々がいくら勧めても飲んでいただけなかったのに。これで体も少しずつ回復するはずです。あとは少しでも食事が摂れるようになれば良いのですが」
ナディルさんは胸を撫で下ろし、テアの様子を見に行った。
残ったクライスに僕は、想像以上に弱っているテアの姿を見て決心したことを告げた。
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