上 下
95 / 286
第5章

第231話 悪役令息のお見舞い(ちょい※)

しおりを挟む
無骨な鉄の扉をくぐると煉瓦れんが造りの巨大な建物が見えた。ここが、王都にある魔法騎士団の本拠地らしい。
騎士団の受付に白衣を着た小柄な男の人、騎士団所属の医務官ナディルさんが僕らを迎えに来て、テアの病室まで案内してくれた。

「せっかくお越し頂いたところ恐縮ですが、今は、とても話が出来るような状態ではありません」
「そんなに悪いのか?」

クライスの問いに彼は深く頷いた。

「食事も水もかたくなに拒否しています。水だけでも飲んで頂かないと、彼の身体はもたないでしょう」

ナディルさんがそう嘆く中、部屋には僕が一人で入ることにした。テアは複数の人の気配を感じるとひどく怯える、というから。

「キルナ、何かあればすぐに呼べ」

クライスには隣の部屋で待っていてもらうことになった。(かなり渋い顔をしていたけれど、ついてくるのは我慢してもらった。)僕は音を立てないようにそろそろと近づいて、ベッドサイドの木の椅子に腰掛ける。

枕元に何冊も絵本を積んだベッドで、彼は眠っていた。人形のように綺麗な寝顔。でもその美しい眉は時折苦しそうにゆがむ。

「ここに居るよ」と言う気持ちを込めてそっと手を握ると、彼の指が驚くほど細くて、なんだか悲しくなった。弱々しく横たわる姿に、前世の自分が重なる。


しばらくそうしていると、やがて彼のまぶたがゆっくりと開いた。その水色の瞳は天井をぼうっと見ているだけで何も映してはいない。でも握った手を拒絶する様子はなかったから思い切って、声をかけてみた。

「テア」
「…………」

返事はない。でも、その視線はゆっくりとこちらを向いた。


「…ようせ…? ゴホッ…」

小さな声で何かを言おうとして咳き込みはじめた彼に水を飲ませようと、枕やクッションを使って少し彼の上体を起こし、コップを渡す。でも彼は両手でコップを持ったまま動かない。もう長いこと水分を摂っていないというから、飲んでほしいのに。

「ね、水を飲んで」

必死になる僕のことを不思議そうに見ながら、彼はとても綺麗な笑顔で言った。

「……あい…たかったぁ。お話、したかったの~」
「それはうれしいけど。お話の前にお水を飲んでほしいの」

何度言っても彼は僕の目をじぃっと見つめたまま、動こうとしない。

(どうしたら飲んでくれるのかな?)

いつもはうるうると潤っているさくらんぼ色の唇が、かさついている。ガラス製の吸い飲みを口元に持っていくけれど…彼は口を固く閉ざしていて飲む気配を見せない。彼の手にふいっと押し退けられたそれをどうしようかと彷徨さまよわせていると、テアがコロコロと笑い始めた。

「ようせいのおひめさまに…会える…なんて。すてき……」

“妖精のお姫さま”ってやっぱり僕のことなんだ。すごく嬉しそうだから、「違うよ、僕は妖精のお姫さまなんかじゃないよ」とはなんとなく言いづらい。

(まぁ、いいか、その話は後で。その前にまず水飲んで元気になってもらわなきゃ。)

「ね、お願いだからお水を……」
「テアにはもう見えないと思ってた」
「何がもう見えないって?」
「妖精」

僕は目を見開く。

「テアは、その、妖精を、見たことがあるの?」
「小さなときは、たくさん…みえたよぉ。今はもう、絵本でしかみられないけど……」

懐かしそうな目をする彼に、僕は驚き過ぎて声も出ない。自分の他にも妖精が視える人がいたなんて。

「テアは、さいごに…お姫さまに見守られ…ながら、しぬことができて、しあわ…せ……。テアがしんだら、妖精の国につれてって…ね」

彼はにっこりと笑った。とびきりの笑顔だ。そして、全てに満足したように目を瞑った。

(え、死んじゃう…気? パーティーの時まであんなに元気だったのに!?)

信じられない展開に、僕の頭はパニクっている。一体何日テアは水を飲んでないのだろう。人間の体って水なしで何日耐えられるのだっけ。前世の知識を引っ張り出し、そういえば一週間ももたないのだと思い出す。目の前の彼を見ていると、その命はもういつ尽きてもおかしくないような気がした。何より彼から生きようとする気力が感じられない。震える声で彼の名を呼んだ。


「テア、ダメだよ。死なないで!」

――死なないでよ!

「テア、生きて!」

――生きてよ!

(なんだろ。頭の奥に声が……。これは誰の声?)


でもそんなことを気にしている場合じゃない。何とかしなきゃ! 彼の口元に吸い口を持っていくけど、うまく入らず水は口元に流れ、そのままシーツに染み込んでしまう。

こうなったら……。

僕は意を決してコップを掴み、澄んだ水を口に含んだ。
そのまま彼の口に運んで、ぴちゃり、と冷たいものをちょっとずつ流し込む。乾燥しかさついた彼の唇は、それでも柔らかかった。

こくこくと喉が動き、彼が水を飲み下すのを確認して、僕はほっと息を吐く。

(よかった……飲んだ。)

なんだか無性にうれしくて涙が零れた。
飲んでくれたことに僕が感動していると、テアの目が開いた。(その目は一瞬金色に光ったような。気のせいかな?)

「お姫さまと、キスしちゃった」

真っ白だった彼の頬がぽおっと薔薇色に染まる。ちょ、キスって言われちゃうと恥ずかしいのだけど。

「えと、今のは…水を口移ししただけで、そのぉ」

と自分がやったことをしどろもどろになりながら弁解しようとしたけれど誰も聞いていない。頬を染めて笑った彼の顔は、ちょっと生気が戻ったようでうれしい。コップの水はまだまだ残っている。どうしよ。このままここに置いておいても彼が自分で飲むことはなさそうだし。

(もう、いいか。一度も二度も同じだよね! これは医療行為なのだし)

もう一度、さっきよりたっぷりの水を口に含んで彼のお口に水を運んだ。


「甘い……。お姫さまのくれるお水は、おいしぃ……」

コップ一杯分の水を全て飲んで、彼は眠った。すごく穏やかな寝顔を見守ること30分。眠る彼を眺め、今日はもう起きそうにないことを確認して、退室した。


「どうだった?」

静かに扉を閉めると、クライスが駆け寄ってきた。

「もう寝ちゃったんだけど、少しだけ話ができたよ。あとね、お水を飲んでくれた」

口移しで、ってところは恥ずかしいので省略する。

「本当にありがとうございます! 我々がいくら勧めても飲んでいただけなかったのに。これで体も少しずつ回復するはずです。あとは少しでも食事が摂れるようになれば良いのですが」

ナディルさんは胸を撫で下ろし、テアの様子を見に行った。
残ったクライスに僕は、想像以上に弱っているテアの姿を見て決心したことを告げた。

「あのね、僕、テアが元気になるまでここで看病しようと思うの」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令息の役目は終わりました

谷絵 ちぐり
BL
悪役令息の役目は終わりました。 断罪された令息のその後のお話。 ※全四話+後日談

嵌められた悪役令息の行く末は、

珈琲きの子
BL
【書籍化します◆アンダルシュノベルズ様より刊行】 公爵令息エミール・ダイヤモンドは婚約相手の第二王子から婚約破棄を言い渡される。同時に学内で起きた一連の事件の責任を取らされ、牢獄へと収容された。 一ヶ月も経たずに相手を挿げ替えて行われた第二王子の結婚式。他国からの参列者は首をかしげる。その中でも帝国の皇太子シグヴァルトはエミールの姿が見えないことに不信感を抱いた。そして皇太子は祝いの席でこう問うた。 「殿下の横においでになるのはどなたですか?」と。 帝国皇太子のシグヴァルトと、悪役令息に仕立て上げられたエミールのこれからについて。 【タンザナイト王国編】完結 【アレクサンドライト帝国編】完結 【精霊使い編】連載中 ※web連載時と書籍では多少設定が変わっている点があります。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。