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第1章
第20話 『辿る原点、ドロシー邂逅』
しおりを挟む目の前に広がる光景に思わずオレ様は足を止めた。動けなかったのだ。
コイツがいなくなったという話をメルトより訊いた時、ドロシーの性格上、悩み、考え抜いた末、真っ先にこの店へ向かったのだのだろうと推測した。そして、もし監禁されているのだとしたら、精神的苦痛や肉体的損傷を受けている可能性も十分に考慮していた。
だが、この状態は、現在鎖に繋がれているドロシーの様子は、オレ様が想定していたよりも遥かに最悪の展開だった。
―――考えが甘かったのだ。違法薬物を取り扱う場所で拘束された以上、精神や肉体を衰弱させる為に『黄昏薬』を使用しない保証などどこにもなかったというのにな。
……ああ、嫌になる。こんなところに相談もせずにのこのこ本拠地に出向いたコイツも、オレ様のモノに勝手に手を出しやがったクズ野郎も、なにより………こんな事で心が揺れる自分自身が。……チッ、クソッタレが。
オレ様は異様に重く感じる足に力を入れた。奥の壁際に埋め込まれている金属の鎖で手首を拘束されているドロシーの近くまで行くと、先程よりもはっきりと彼女の様子が分かった。
「よう、久しぶりだなぁドロシー。しばらくこんな場所に泊まって、カビ臭さには慣れたか?」
「う、……あぁ………?」
物音には全く反応しなかったドロシーだが、オレ様の声には僅かに反応を示した。ゆっくりとその小さな顔を上げる。
―――そのピンクの瞳は、闇の深淵を覗き込んだかのように濁っていた。やがて、透明な涙が一筋だけ流れる。
いつもの艶や輝きを失った長い銀髪、長時間拘束された事によりやせ細りこけた頬、潤いを失いカサカサになった唇、閉じる事もままならないのかその端からは涎が零れていた。鎖に繋がれていた手首を見ると何度も何度も抵抗したのだろう、赤黒い痣になって血が滲んでいる。
明らかに、ドロシーの普段の明るい快活さはそこにはない。近くで見た彼女の痛々しい様子は、話し掛けた事によりもっと明確になる。
そしてふとドロシーのすぐ近くの地面に転がっていた、ある物を見つける。それは中身が空の、数本の注射器。
オレ様は爪が食い込むほど拳を強く握った。
……クソが。落ち着け、落ち着け、落ち着け。オレ様はローランド・ラ・イクシオン。イクシオン王国王位継承第十位の王子だ。今だけはあのクズや謎の外套の人物への怒りを鎮めろ。憎しみを押さえろ。感情的になるのは今じゃない。
オレ様は『真実の瞳』の権能でドロシーを拘束していた鎖を分解・消失させる。そうして行き場を失った彼女の両腕は、だらんと地面へ下がった。
「ドロシー、待たせてしまってすまない。すぐにここから―――」
「……っやぁ!! あああ! うぁぁ、あぁぁぁぁーー!!」
「――――――ドロシー……」
声を掛けながらドロシーの頬に手を伸ばすが、大声をあげるとまるで拒絶するかのようにオレ様の手を弾く。彼女は縮こまるように両足を自分の方へ引き寄せると、震えながら目いっぱい身体を壁に押し付けて頭を抱える。
その華奢な身体を言葉にならない声と共に震わせているドロシー。身に降りかかった恐怖を極限まで味わったのだろう。いつもの彼女を、自我を、失っていた。
……ここで立ち止まる訳にはいかねぇ。失う訳にはいかねぇ。大切なモノの一つであるコイツを見捨てる選択肢は元から無い。―――ならば、オレ様がするべき行動は一つだけ。
「ドロシー。オレ様は今から、貴様の精神世界である『深層領域』に潜り、意識を引っ張り出す。多少強引な手だが、正気を取り戻すにはこれが一番手っ取り早いからな。行くぞ。―――『権能解放』」
「ぅ、うぁぁぁぁ……あぁぁぁぁー」
オレ様の『真実の瞳』の権能の一つ。この瞳は相手の思考と精神世界である『深層領域』、つまりそのとき何を考えているのか、どういう感情を抱いているのかを明確に真実として読み取る事が出来る。その力を派生しより強力にしたのがコレ、オレ様はこの権能を『心感接触』と呼んでいる。
……オレ様は小っ恥ずかしいから言わんがな。因みに命名はメルトだ。
この権能は先程もオレ様が言った通り、相手の精神世界である『深層領域』に潜り込むモノだ。あのクズに使用した際はただ覗き込んだだけだったが、これはオレ様が相手の意識や感情そのものに直接接触・干渉する。
(まぁ、制限もあるがな。オレ様が魔力吸収し、魔力回路を繋いだ者にしか出来ない権能だ。さて、強引にも貴様を連れ戻してやる!)
オレ様は震えながら縮こまるドロシーを見つめると『真実の瞳』の権能を使用する。そうして、彼女の意識へとオレ様は飛び込む。
―――瞳の力によりドロシーの精神世界へオレ様の意識が浮遊する。まるでトンネルを進むように猛烈な速度でドロシー本体がいる『深層領域』向かうが、その途中、アイツが過去経験してきた事やこれまで抱いてきた様々な感情が流れてきた。
やがて、オレ様はゆっくりと膝をつきながら華麗に地面に着地。
『ここは……ドロシーが住んでいたメーティス公爵家の屋敷、か。ふむ、やはり見た目は悪くない』
メーティス公爵家の屋敷、そのすぐ近くにある鍛錬でも出来そうな広い庭園の生垣にオレ様はいた。
屋敷と綺麗に成形されて青々と生い茂る生垣の洗練された美しさに目を細めていると、広い庭園の端から威勢の良い幼げな声が聞こえた。
『えいっ、えいっ、やぁっ!』
『あれは、ドロシー……? ……そうか。これは、あいつ自身の過去の光景か』
オレ様がその声の方向へ顔を向けると、身体を動かしやすい軽装姿の幼いドロシーが練習用の木剣を素振りしていた。現在とは違い、その銀髪は短い。
明らかに身に合わないであろう重量の木剣を歯を食いしばりながら振るうドロシーのその表情には、幼いながらもどこか鬼気迫るものがある。
すると、そんなドロシーの姿を建物に隠れて影ながら見つめていたメイドや使用人がこそこそ話す声が聞こえた。
『ドロシー様……、兄であるオズワルド様が突如不幸に見舞われて悲しいでしょうに、あんなに……っ』
『えぇ。馬車で他の使用人と共に山を越えようとしたら盗賊に襲撃されてしまうなんて……。使用人を逃がす為に善戦したそうですが、複数の大人の力には幼い身では敵いません。見つけたときには、もう力尽きていたそうです……っ。身に纏っていた物すべて剥ぎ取られ、無残な姿で……。あんなに私共にも平等に接して下さる優しい御方でしたのに……っ』
『剣技の才を持つオズワルド様、魔法の才を持つドロシー様……もしお二人ともそのまま成長していれば、比類のない存在として将来を有望されていたというのに……今やドロシー様ただおひとり』
『オズワルド様がいなくなった分、お嬢さまはお兄様の得意だった剣技を健気に習得しようとしていますが……』
『難しい、ですね……』
そのメイドや使用人は悲しげな表情でその場を離れると、オレ様は再びドロシーへと視線を向けた。
『見てて、おにいちゃん。ぜったいに、おにいちゃんの分もつよくなる! 魔法も、剣も!!そうしたら、だれもおにいちゃんのこと忘れないでしょ……っ!?』
確かに、ドロシーには五つ年の離れた兄がいるという話を本人から訊いた時があった。ドロシー共々期待されていた存在とも。
『火』属性魔法が得意で、戦略級魔法『火鳥絢爛』を使えるにもかかわらず、剣技を高めようとした理由はそういう事だったのかと納得した。
オレ様は思わず唇を曲げる。
だが次の瞬間、ドロシーが素振りをしている付近で淡く紅い光が小さく輝いた。
『あれは、火属性の下級精霊か……? ドロシーが持つ火属性の魔法適正に惹かれたのか』
『きれいな光……あれ、なんだろう……? ………っ、待って!』
それはふわふわとドロシーから離れていくが、彼女は走って追いかける。
きっとドロシーには赤く光る小さな玉のように見えただろう。だが、あれは正真正銘の精霊だ。オレ様の『瞳』には、小さな妖精のような姿に見えた。
そして、そういった生まれたばかりの下級精霊は悪戯好きだという事も知っている。現に、自分を追いかける幼いドロシーをちらちらと見ては目や唇を細めていた。
『おい待てドロシー、止まれっ!』
『きゃ……ッ!!』
オレ様の呼び掛ける声も虚しく、ドロシーは何かに躓いて転んでしまった。それもそうだ。ここはドロシーが過去に体験した風景を追体験する『深層領域』。姿の見えない意識だけのオレ様が過去のあいつに呼びかけても聞こえる筈がない。
『う、うぅ……いたい、いたいよぉ……ッ!!』
転倒したドロシーへ近づくと、彼女は涙を流しながら右肩から血を流していた。すぐさまドロシーの鳴き声を聞いたメイドが怪我をした彼女を見つけ仰向けにして確認すると、傷口が大きく抉れている。すぐ側には、先の尖った拳大ほどの大きなの石が血塗れの状態で芝の上に転がっていた。
足元を見ていなかったとはいえ、整えられた芝の上で転んだことを不自然に思ったオレ様は、彼女が転んだ場所へ目を向ける。すると、そこだけ不自然に草同士が結ばれており輪っかになっていた。ちょうど、足を引っかけてしまったら転んでしまう大きさだ。それはやがて自然に解ける。
メイドは他の使用人を呼ぶと、急いで治療する為に屋敷の中へ気絶したドロシーを運んでいく。幼い身で石が肩を抉ったのだ、痛みで気絶しても仕方がないだろう。
オレ様はその場に残り、呟いた。
『……なるほど、ハイドが言っていた幼少期の肩の傷とは精霊が原因だったのか。その後剣技が上達しなかったのは、怪我をした右肩が要因の一つ、というところか』
生まれたばかりの精霊は自分の存在意義や能力を認識してはいるが、純粋無垢、つまりは無知なのである。精霊は肉体を持たない。持たない故に痛みは分からない。”死"という概念を理解出来ていても人間という生物を知らないから自分と同じ感覚で捉えてしまう。
考え方が違うのだ。だからこそ、平気で人間が致命傷を負いかねない悪戯などを平気で行なってしまう。
周囲を見渡すが、その精霊の姿はもうなかった。
『ふん、忌まわしい事にあいつらは気紛れだからな。巻き込まれた側はたまったもんじゃねぇが………っ』
オレ様が思わず下級精霊どもに対し愚痴ると次の瞬間、まるでガラスが割れるように景色が割れた。
そうしてオレ様が立っていたのは―――、
『今度こそ久しぶり、と言った方が良いか? ―――それにしてもイイ趣味をしているな、ドロシー』
『………なんで、なんで助けになんてきちゃったのよ。ローランド……っ』
ドロシーの精神世界。心の奥底に存在する『深層領域』にて、鎖で雁字搦めになったドロシーの目の前に立っていた。
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