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侍従の苦悩

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 「私はレーナよ。これからよろしくね、レオナード」
 そう言って、華のように微笑んだ愛らしい女性に、レオナード・ブラッシュは一目で恋に堕ちた。


 侍従として、レオナードが仕えたのが若きキリウス家の当主、トマール・デ・キリウスだった。
 公爵位にあったキリウスはローマリウス国の若き女王、レーナと結婚して今はローマリウス国の国王だ。
 レオナードはキリウスと共に王城に上がり、変わらずキリウスの侍従を務めることになった。

 主君の、国王陛下の妻に懸想するとは・・・侍従にあるまじき失態。

 そう、自身を諫めたものの、レーナの姿を自然と目で追うことを止められなかった。
 どれだけ自分の主君が妻であるレーナを溺愛しているかもわかっている。もしレーナに懸想してるなどと主君に知られたら、侍従の任を解雇どころか、殺されるかもしれない。
 たぶん、殺される。
 主君の為に死は厭わないが、不名誉な死に方はしたくない、と、レオナードは自分の恋慕の想いに封をすることにした。
 
 主君のキリウスが常々、体を鍛えていて、人並み以上の体力を誇っているのは知っていた。
 そして、何よりも妻のレーナを愛していることも。
 それにしても・・・これは、やりすぎだ。と彼は眉を曇らせた。
 婚礼してからの毎夜、休む間もなくキリウスがレーナと睦み合っていることにレオナードは懸念していた。キリウスの無尽蔵のような体力に、か弱いレーナがついていけずに、毎朝辛そうにしているのがレオナードには不憫に思えた。
 なぜ、もっと労わってやらないのだろう。自分の欲望を押し付けるだけが愛ではないのに。
 私なら、レーナ様の顔を憂いさせるようなことはしない。
 そう考えてレオナードは自分の中に起こった不遜な考えを払拭するように頭を振った。
 私なら・・・などと、そういうことが起こり得るはずもないのに。

 「レオナード・・・お酒で強いのってなにかしら?」
 酒蔵で晩餐の飲み物を選んでいたレオナードにレーナが声をかけた。
「女王陛下、このようなところに・・・」
 そう言いかけて、そうだ、この女王は破天荒で有名なのだった。と思い直した。お供も着けずに出歩くなどよくあることだと聞いていた。
「強いお酒でございますか?」レオナードはレーナが何を目的でそう尋ねているのかを推し量った。
「えっと・・・できたら、キリウスの夕食に勧めて欲しいのだけど・・・」
 モジモジとするレーナを愛らしいと思いながらも心中を隠し、できるだけ穏やかな表情を作り、
「キリウス様に強いお酒をお勧めするのですね。かしこまりました。女王陛下がおっしゃるのならそのように」
 きっと、酔い潰して夜の営みを避けようとしているのだ。と、レオナードは察したが
 キリウス様はお酒にお強くて酔い潰すことは容易ではございません。とは気の毒すぎて言えなかった。
「ありがとう、レオナード」
 レーナが頬を染めて微笑む。自分に向けられる天上の笑みを受け取るだけで満足だとレオナードは微笑み返した。
 
 

 それは偶然だった。
 陽が落ち、薄暗くなった城の廊下をレオナードは歩いていた。
 晩餐も済み、明日の予定が滞りなく行えるように算段しながら歩いていた。
 ふと、足を執務室の前で止めた。
 執務室の中から物音が聞こえたからだ。執務室を使えるのは国王と女王のみ。
 どちらかがまだ在室しているのだろうか、と、レオナードは扉をノックしようと手を上げた。
 その手が宙に浮いたまま固まった。
 
 執務室から声が聞こえた。
 キリウスとレーナの声だ。二人の声だけなら、それだけなら、レオナードもノックを躊躇ためらうことはなかった。
 けれど。
 レオナードの耳に聞こえたのは。
 レーナの喘ぎ声。
 扉の向こう、執務室の中で何が行われているのか、すぐに分かった。
 ・・・レオナードは扉にもたれかかった。
 レーナ様・・・とレオナードは口の中で呟いた。
 こんなところで・・・
 レーナの泣くようなか細い呻き声がレオナードの耳に届いた。
 キリウス様が無理強いをしたに違いない。どうしてあの方はご自分を抑えられない・・・侍従としての私が至らなかったせいなのか。
 肉食獣に捕らえられ、嬲られているようなレーナの切れ切れの喘ぎが聞こえる。
 レオナードの頭の中に白く艶めかしいレーナの裸体が浮かんだ。まだ幼ささえ残る美しく整った顔を苦痛に歪めて、主君の猛々しいものに貫かれているレーナの姿。
 やめて・・・と懇願するレーナの声が聞こえた。
 レーナ様・・・ああ
 扉にもたれたまま、レオナードは荒く息をした。
 レーナの喘ぎはいっそう高くなる。
 責められている。花園を喰い破られて、蹂躙されて、白い裸体を恍惚に仰け反らせている。
 レオナードは自分の男の部分が硬く屹立しているのに気がついて愕然とした。
 私は欲情しているのか。レーナ様に邪な欲望を抱いているのか。
 まさか、そんなはずはない、と否定しても、屹立した部分は少しの刺激でも放ってしまいそうなくらいに硬調してレオナードに苦痛をもたらした。
 私は侍従だ。このような感情を抱くことなど、許されない。レオナードは意思の力だけで欲情を抑え込もうと深く息を繰り返した。
 レーナの声が絶頂を迎える女の淫猥な叫びに変わった。
 ああ・・・レーナ様。その声を私が上げさせたい
 キリウス様でなく、私が・・・
 「レーナ様」
 思わず声が出てしまった。
 我に返ってレオナードは口を押さえた。 
 心臓が早鐘のように鳴っている。中の二人に自分の声が聞こえただろうか、と冷や汗が出てくる。
 しばらく待ってみても中から誰何すいかの声が聞こえることはなかった。
 レオナードがほっと息を吐いたとき
 「レオナード?」
 一瞬、中から声がしたのかとレオナードは固まったが、声をかけた主は廊下の先にいて、燭台の灯りを掲げて立っていた。
「こんなところで、なにを」
 訝し気にレオナードを注視して問うたのは、法務担当大臣のサラ・アミゼーラだった。
 自分の屹立したものが静まっているのを確認して、レオナードは息をつき「見回りでございます。サラ様こそ何用でございますか」
「新しい法律の草案を両陛下に確認していただこうと探しております」
 執務室に二人がいるのか?と法務担当大臣はレオナードに尋ねた。
「・・・はい。おりますが・・・今、その・・・立て込んでいまして・・・」
 言い澱むレオナードに、聡い法務担当大臣はすべてを察したように、冷たい目をして踵を返した。
「では、確認は明日にしていただきましょう」
 その後ろ姿に礼儀正しく腰を折ったレオナードに、ふと足を止めた女性大臣は振り返ることなく言った。
「どんな形でも、人を愛するということは尊いことだと私は思います」
 レオナードが返答もできずにいると、女性大臣は足早に去って行った。
 やはり、あの聡い方は私の心を読んでいるのだ。・・・気を遣われてしまった、とレオナードは暗澹とした気分になった。

 「なあ、レオナード。お前の目から見て、レーナは俺を愛してるように見えるか?」
 レーナが一人、執務室に籠り、自室で置いてけぼりをくらっているキリウスが侍従に尋ねた。
「と、申されますと?」
 香りのよいお茶をいれながらレオナードは穏やかな口調で主君に答える。
「時々、俺を拒む。なんだか、逃げ腰になる」
 ああ・・・この主君はレーナ様の体力を慮ってないのだろう・・・と、侍従は心の中で溜息をついた。
  
 私が絶対に手にすることができない物をその手に納めながら、なんと欲張りな主君なのだろう。
 もし、貴方様のことでレーナ様が泣かれることがあったなら、私が全心全霊を込めてレーナ様をお慰めいたします。

 主君に対する裏切りの心を持ちながら、レオナードは微笑んで答える。

 「人を愛する心は一朝には育ちませんよ。お待ちになることも愛でございます」


   完
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