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36話 イリア、キスに惑う

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 目が覚めたのはだいぶお日様がのぼってしまった時間だった。
 普段なら慌てて起きるのだけど、私はまだスヤスヤと気持ちよさそうに寝ているリュシエール様の寝顔を見ていたかった。
 こうしていると、まるで無垢な天使なのに、リュシエール様はときどき悪魔みたいに怖いときがある。
 でも、だから嫌いになるってわけじゃなくて、それでも好きだな、って思うから不思議だ。
 そういえば、キリウス様はレーナ様に会ったらすぐにキスをしてた。ううん、昨夜だけじゃなくていつもしてるんだけど、キスって好きだからするんだよね。
 好きだったら、唇と唇を合わせたいって思うのが自然だよね。
 今、私がリュシエール様とキスできたらいいのに、って思うのも自然なことだよね。
 でも、私の一方的な想いだから、そんなことはしちゃいけないって分かってる。
 もし・・・
 もし、みんなの前で私がリュシエール様に「キスして」って言ったら・・・
 許嫁がキスしたいって言ったら、リュシエール様はしてくれるかな。
 ・・・・・・・・・・
 たぶん、してくれるかもしれない。
 でも、それってズルいことだし。
 リュシエール様の気持ちのないキスなんてされても。
 そういうんじゃない。
 私はちゃんと、私のことを好きになってもらって、キスをしたい。
 ・・・・・・・・・・・
 そんなことはあり得ないけど。
 どうしたらリュシエール様が私を好きになってくれるか、なんて。
 私には全然わからない。
 うんと、魔法が上達して、マグノリアでも1番の魔法使いになれたら、好きになってくれるのかな。
 ・・・・・無理だ。下級魔法使いの試験にさえ合格できない私が、特級魔法使いを差し置いて1番なんて、お星さまに手が届くくらい無理なことだ。
 うんとキレイになったら好きになってくれる?
 ・・・・・・・
 無理。リュシエール様以上にキレイになれる自信はない。
 どんなに考えても挫折することばかりで、絶望的になった私のお腹が盛大に鳴った。
「おはよ、イリア、お腹空いた?」
 目を開けたリュシエール様の言葉に、私は真っ赤になってベッドから転げ出た。
「お、お、お、・・・お腹は・・・空きましたけど・・・あ、あの、おはようございます」
 リュシエール様を目覚めさせたのが自分のお腹の鳴る音だなんて、恥ずかしくて私は顔も上げられない。
 ふあぁとあくびをしたリュシエール様がもそもそとベッドを抜けだして着替えを始めたのを見て、私も慌てて自分のきょう着る服を抱えると、隣の続き部屋に入った。
「もう、お昼ごはんの時間じゃない?僕もお腹空いちゃった。あ、そういやレーナが何か手伝ってくれとか言ってたね。なんだろうね」
 パジャマを脱いで、膝丈の可愛いドレスに着替えていたら、リュシエール様がそう言うのが耳に入った。
 そうだった。レーナ様にお願いされたんだった。
 私は急いで身支度を整えると、上品な商人の子息みたいな恰好をしたリュシエール様と二人で広間に向かった。

 広間にはすでに昼食のご馳走がいっぱい用意されてて、それを見てまた私のお腹が鳴った。
「おはよう・・・あら、もう『おはよう』じゃないかしら」
 先に席についていたレーナ様が私を見て微笑んでくれた。
 きょうはレオナードさんもフランさんもいないから、給仕をしているのは召使いの女性だった。
 慣れない給仕に強張った顔でお茶を入れてる。
 私はレオナードさんのお茶をいれるときの上品で優雅な手つきを思い出した。フランさんの髪を撫でているレオナードさんの手もお茶をいれているときみたいに優雅で優しかったな。
 キリウス様はやっぱりアリーシャ様を抱っこしてとろけそうな笑みだ。 
「イリア、僕の隣においで」
 リュシエール様が椅子を引いて私を座らせてくれた。 
「で、レーナ、僕たちに手伝わせたいことって、なに?」
 リュシエール様が食べ物を口に詰め込みながら、ちゃんと喋るという不思議な技をつかってレーナ様に尋ねた。
 レーナ様はとっても楽し気に口元をほころばせて
「それはね・・・」


 私たちは昼食を食べながら、レーナ様の『計画』を聞いた。

「わ~すてき!」 
 私はレーナ様の話しを聞いて、そう声を上げた。
「え~・・・その役、僕がやるの?」
 不満そうに口をとがらせたリュシエール様にレーナ様が言った。
「あら、リュシエールは嫌なの?じゃ、この魔法をかけるのはイリアに頼もうかしら。イリアはできる?」
 私に・・・?
 えっ、私が魔法をかけるの?
「ダメだよ!!」
 リュシエール様が恐怖を感じたように叫んだ。
 ・・・・・・・
 ・・・・・そうだよね。
 私が魔法をかけたら、せっかくのステキなことも地獄絵みたいになっちゃう。
 レーナ様は私が簡単な変身魔法くらい使えるって思ってるみたいだけど。
 私はまだ瞬間移動魔法が使えるようになったばかりの外級魔法使いだ。
「分かった、僕がやる」
 渋々といった感じのリュシエール様に、私は申し訳なくなった。私がちゃんと魔法をかけられれば・・・
「ごめんなさい」
 謝った私に、リュシエール様は「イリアは悪くないから、謝らなくていいよ」って言ってくれたけど。
 それでも、自分は役立たずなんだって、思うと悲しくなる。
 でも、こんなところで悲しいなんて顔はできない。みんなに気を使わせたらいけない。
 私は「他に私にできることならなんでもします」と明るく言った。
 明るく、言えたと思う。
「イリア、こっちを向いてごらん」
 リュシエール様が私の顎に手を当てて上を向かせた。
 私の体が緊張で堅くなった。
 私の胸の中まで見通すような真っ直ぐな瞳は苦手だ。リュシエール様はときどき人の心が見えるんじゃないかって思ってしまう。
「えと・・・あの、リュシエール様?」
 リュシエール様の青緑色の瞳が優しい光をたたえているように見えて私は戸惑った。
「イリアはそのままでいいんだよ。僕は今のままの君が好きだよ」
 私の心臓は飛び出しそうになった。
 あたあたと慌てふためいてから、気がついた。
 あ、そうか。
 レーナ様もキリウス様もいらっしゃるから。
 これはカリソメの許嫁への言葉なんだ。
 でも、リュシエール様がとっても優しく見えて、つい、口から想いが出てしまった。
「じゃあ、キスして」
 言ってしまってから、世界が滅亡するほどの後悔に襲われた私だった。
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