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30話 吸血妃の慈愛
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地下部屋の闇が濃くなったように感じてキリウスは警戒をさらに強めた。
「では、やはりアレはクリステル王妃だったのか・・・しかし、なぜ?王妃は亡くなったのではないのか?なぜ妖しなどになっている」
「ええ・・・亡くなりました。私の・・・クリステルは、病で身罷りました」
カチラノス王の声音が冷たく地下部屋に響く。
「私がもっと気をつけていれば・・・風邪以外の病気を疑っていれば・・・もっと腕のよい医者に診せていれば・・・後悔が絶えず頭の中に銅鑼のように鳴り響きました。一縷の望みをかけて魔法使いに依頼もしましたが、亡くなった者は甦らせることはできないと、断られて・・・私は絶望にこの身も砕けんばかりでした」
苦渋という言葉が優しく思えるほどの血を吐くようなカチラノス王の言葉だった。
「その気持ちは、わかる」
キリウスは短く言った。他に言いようがない。
キリウスも以前レーナが落馬して、生死の境をさまよったときに、魔法使いにレーナを助けるように依頼した。自分の財産すべて、命を投げ出しても救いたいと、狂うほどの思いだった。
カチラノス王はキリウスを一瞥して言葉を吐き出した。
「だったら、私がとった行為も分かっていただけると思います。私は、クリステルが生き返るならどんなことでもできた。だから・・・すがったのです」
何に。
いったい何にすがったのだ、カチラノス王は。
キリウスは無言で幽玄の幻のような王を見つめた。
「クリステルの棺の前で、誰も寄せ付けずに嘆き悲しんでいた私の前に、その男は現れました。そして、言ったのです。王妃を蘇らせてやる、と。多額な報酬でしたが、そんなものは惜しくはありません。クリステルさえ生き返ってくれるのなら」
「魔法使いでもない男が、死者を蘇らせると?」
「元は魔法使いだと、男は言っていました。今は魔法国を追われた逸れ魔導士だと・・・自分なら、魔法国マグノリアで禁じられている人間の生き返りの魔法も施せると」
逸れか・・・と苦々しくキリウスが呟いた。
レオナードも嫌なものを思い出して眉を曇らせた。自分の幼友達の子供も逸れ魔導士の魔法で生き返った。しかし、生き返ったソレは人間とは呼べない奇怪な生き物だった。
クリステル王妃は生き返ったというのか?生前のままで、人間のままで・・・いや、それならカチラノス王がこれほどまでに苦悩している訳がない。
「王妃は生き返ったんだな?だけど・・・化け物になった」
キリウスの言葉は刃物のように硬く冷たかった。
刃の一撃を浴びたようにカチラノス王はよろめいて壁にもたれた。
「私のクリステルは・・・人の血がないと、生きていけない。だけど、私は彼女をもう失いたくはない・・・化け物になっても、私は彼女を愛して・・・いるのです」
キリウスにはカチラノス王の気持ちが痛いほどわかった。
「しかし・・・」
そう言いかけたキリウスの言葉を遮るように闇の中から細い声がした。
「あなた?」
カチラノス王がハッしたように顔を上げて闇の中に顔を向けた。キリウスもレオナードも王の視線の先をたどった。
いつからそこに立っていたのか、野生的なキリウスですら気がつかないほどの儚さで王妃はそこにいた。
「どなたかいらっしゃるの?」
震えるような細い声に王は答えた。
「ローマリウスの国王が貴女の病気見舞いにきてくださったんだよ」
暗闇から白いドレスに包まれた、銀色の髪の清楚な顔立ちの女性が現れた。
「クリステル王妃・・・久しぶりです。貴女がご病気だと聞いて・・・」
キリウスはカチラノス王に話しを合わせると、王妃の近くまで歩み寄った。王妃は身を隠すように後ろにさがった。
「いけません。近寄っては・・・私の病は人にうつるんです。ローマリウス王にうつしたら、大変です」
本気でキリウスの身を案じているようなクリステル王妃の言葉にキリウスは歩みを止めた。
薄闇の中に浮かぶクリステル王妃の顔は、清らかな白百合のようだった。
生前と変わらない嫋やかな美しさに、キリウスは昨夜会った妖しはクリステルではないのではないかと一瞬疑った。
しかし、死者が蘇るわけがない。
ここにいるクリステル王妃は、クリステル王妃のままではない。
「ローマリウス王・・・お願いがあります」
思いのほか強い意思を持ったようなクリステル王妃の言葉にキリウスが片眉をあげた。
「私はこのように病弱で、今まで夫に寂しい思いばかりをさせてきました。王妃の務めも満足に果たせない私を労わってくれる優しい夫です。ローマリウス王は忙しい身とは存じ上げていますが、どうかこれからも夫のよき隣人・・・いえ、友人でいてください」
情愛のこもった王妃の瞳に、キリウスは頷いた。
「心得た」
安心したように微笑んだ王妃の肩をカチラノス王が抱き止めて「さあ、もうベッドに戻って休みなさい。疲れると病いが治らないからね」
素直に頷いて、王妃はまた闇の中に消えていった。
地下部屋が静けさを取り戻すと、カチラノス王はささやくような声で言った。
「あのように優しいクリステルを、この手で・・・自分の手で殺せると思いますか?彼女には自分が何物かに変わっているという自覚はないのです。町へ出て人を襲っているという記憶もないのです。ここにいる彼女は、亡くなる前のクリステル王妃なんです。彼女に罪があると思いますか」
その問いに答えるすべはキリウスにはなかった。助け船を求めるようにレオナードに視線を送った。
「ですが、クリステル王妃様は民の命を奪っています。自身の命を保つために他の命を犠牲にしていいということはありません。民は困り、陛下に魔法使いへの退治依頼を嘆願しているのではないですか?」
魔法使いに妖し退治を依頼することは、クリステル王妃を殺すための依頼をすることだ。
そんなことがカチラノス王にできるわけはないと、レオナードも分かっての詰問だった。
カチラノス王は答えを出さなければならない。
どのような答えであっても、王自身が選ばなければならない。
地獄の門の前で開門を躊躇うような苦悶の王と、石の上に座る賢者のように答えを待つキリウスとレオナードの間に重い沈黙が降りた。
「では、やはりアレはクリステル王妃だったのか・・・しかし、なぜ?王妃は亡くなったのではないのか?なぜ妖しなどになっている」
「ええ・・・亡くなりました。私の・・・クリステルは、病で身罷りました」
カチラノス王の声音が冷たく地下部屋に響く。
「私がもっと気をつけていれば・・・風邪以外の病気を疑っていれば・・・もっと腕のよい医者に診せていれば・・・後悔が絶えず頭の中に銅鑼のように鳴り響きました。一縷の望みをかけて魔法使いに依頼もしましたが、亡くなった者は甦らせることはできないと、断られて・・・私は絶望にこの身も砕けんばかりでした」
苦渋という言葉が優しく思えるほどの血を吐くようなカチラノス王の言葉だった。
「その気持ちは、わかる」
キリウスは短く言った。他に言いようがない。
キリウスも以前レーナが落馬して、生死の境をさまよったときに、魔法使いにレーナを助けるように依頼した。自分の財産すべて、命を投げ出しても救いたいと、狂うほどの思いだった。
カチラノス王はキリウスを一瞥して言葉を吐き出した。
「だったら、私がとった行為も分かっていただけると思います。私は、クリステルが生き返るならどんなことでもできた。だから・・・すがったのです」
何に。
いったい何にすがったのだ、カチラノス王は。
キリウスは無言で幽玄の幻のような王を見つめた。
「クリステルの棺の前で、誰も寄せ付けずに嘆き悲しんでいた私の前に、その男は現れました。そして、言ったのです。王妃を蘇らせてやる、と。多額な報酬でしたが、そんなものは惜しくはありません。クリステルさえ生き返ってくれるのなら」
「魔法使いでもない男が、死者を蘇らせると?」
「元は魔法使いだと、男は言っていました。今は魔法国を追われた逸れ魔導士だと・・・自分なら、魔法国マグノリアで禁じられている人間の生き返りの魔法も施せると」
逸れか・・・と苦々しくキリウスが呟いた。
レオナードも嫌なものを思い出して眉を曇らせた。自分の幼友達の子供も逸れ魔導士の魔法で生き返った。しかし、生き返ったソレは人間とは呼べない奇怪な生き物だった。
クリステル王妃は生き返ったというのか?生前のままで、人間のままで・・・いや、それならカチラノス王がこれほどまでに苦悩している訳がない。
「王妃は生き返ったんだな?だけど・・・化け物になった」
キリウスの言葉は刃物のように硬く冷たかった。
刃の一撃を浴びたようにカチラノス王はよろめいて壁にもたれた。
「私のクリステルは・・・人の血がないと、生きていけない。だけど、私は彼女をもう失いたくはない・・・化け物になっても、私は彼女を愛して・・・いるのです」
キリウスにはカチラノス王の気持ちが痛いほどわかった。
「しかし・・・」
そう言いかけたキリウスの言葉を遮るように闇の中から細い声がした。
「あなた?」
カチラノス王がハッしたように顔を上げて闇の中に顔を向けた。キリウスもレオナードも王の視線の先をたどった。
いつからそこに立っていたのか、野生的なキリウスですら気がつかないほどの儚さで王妃はそこにいた。
「どなたかいらっしゃるの?」
震えるような細い声に王は答えた。
「ローマリウスの国王が貴女の病気見舞いにきてくださったんだよ」
暗闇から白いドレスに包まれた、銀色の髪の清楚な顔立ちの女性が現れた。
「クリステル王妃・・・久しぶりです。貴女がご病気だと聞いて・・・」
キリウスはカチラノス王に話しを合わせると、王妃の近くまで歩み寄った。王妃は身を隠すように後ろにさがった。
「いけません。近寄っては・・・私の病は人にうつるんです。ローマリウス王にうつしたら、大変です」
本気でキリウスの身を案じているようなクリステル王妃の言葉にキリウスは歩みを止めた。
薄闇の中に浮かぶクリステル王妃の顔は、清らかな白百合のようだった。
生前と変わらない嫋やかな美しさに、キリウスは昨夜会った妖しはクリステルではないのではないかと一瞬疑った。
しかし、死者が蘇るわけがない。
ここにいるクリステル王妃は、クリステル王妃のままではない。
「ローマリウス王・・・お願いがあります」
思いのほか強い意思を持ったようなクリステル王妃の言葉にキリウスが片眉をあげた。
「私はこのように病弱で、今まで夫に寂しい思いばかりをさせてきました。王妃の務めも満足に果たせない私を労わってくれる優しい夫です。ローマリウス王は忙しい身とは存じ上げていますが、どうかこれからも夫のよき隣人・・・いえ、友人でいてください」
情愛のこもった王妃の瞳に、キリウスは頷いた。
「心得た」
安心したように微笑んだ王妃の肩をカチラノス王が抱き止めて「さあ、もうベッドに戻って休みなさい。疲れると病いが治らないからね」
素直に頷いて、王妃はまた闇の中に消えていった。
地下部屋が静けさを取り戻すと、カチラノス王はささやくような声で言った。
「あのように優しいクリステルを、この手で・・・自分の手で殺せると思いますか?彼女には自分が何物かに変わっているという自覚はないのです。町へ出て人を襲っているという記憶もないのです。ここにいる彼女は、亡くなる前のクリステル王妃なんです。彼女に罪があると思いますか」
その問いに答えるすべはキリウスにはなかった。助け船を求めるようにレオナードに視線を送った。
「ですが、クリステル王妃様は民の命を奪っています。自身の命を保つために他の命を犠牲にしていいということはありません。民は困り、陛下に魔法使いへの退治依頼を嘆願しているのではないですか?」
魔法使いに妖し退治を依頼することは、クリステル王妃を殺すための依頼をすることだ。
そんなことがカチラノス王にできるわけはないと、レオナードも分かっての詰問だった。
カチラノス王は答えを出さなければならない。
どのような答えであっても、王自身が選ばなければならない。
地獄の門の前で開門を躊躇うような苦悶の王と、石の上に座る賢者のように答えを待つキリウスとレオナードの間に重い沈黙が降りた。
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