上 下
30 / 64

30話 吸血妃の慈愛

しおりを挟む
 地下部屋の闇が濃くなったように感じてキリウスは警戒をさらに強めた。
「では、やはりアレはクリステル王妃だったのか・・・しかし、なぜ?王妃は亡くなったのではないのか?なぜ妖しなどになっている」
「ええ・・・亡くなりました。私の・・・クリステルは、病で身罷みまかりました」
 カチラノス王の声音が冷たく地下部屋に響く。
「私がもっと気をつけていれば・・・風邪以外の病気を疑っていれば・・・もっと腕のよい医者に診せていれば・・・後悔が絶えず頭の中に銅鑼どらのように鳴り響きました。一縷の望みをかけて魔法使いに依頼もしましたが、亡くなった者は甦らせることはできないと、断られて・・・私は絶望にこの身も砕けんばかりでした」
 苦渋という言葉が優しく思えるほどの血を吐くようなカチラノス王の言葉だった。
「その気持ちは、わかる」
 キリウスは短く言った。他に言いようがない。
 キリウスも以前レーナが落馬して、生死の境をさまよったときに、魔法使いにレーナを助けるように依頼した。自分の財産すべて、命を投げ出しても救いたいと、狂うほどの思いだった。
 カチラノス王はキリウスを一瞥して言葉を吐き出した。
「だったら、私がとった行為も分かっていただけると思います。私は、クリステルが生き返るならどんなことでもできた。だから・・・すがったのです」
 何に。
 いったい何にすがったのだ、カチラノス王は。
 キリウスは無言で幽玄の幻のような王を見つめた。
「クリステルの棺の前で、誰も寄せ付けずに嘆き悲しんでいた私の前に、その男は現れました。そして、言ったのです。王妃を蘇らせてやる、と。多額な報酬でしたが、そんなものは惜しくはありません。クリステルさえ生き返ってくれるのなら」
「魔法使いでもない男が、死者を蘇らせると?」
「元は魔法使いだと、男は言っていました。今は魔法国を追われた逸れ魔導士だと・・・自分なら、魔法国マグノリアで禁じられている人間の生き返りの魔法も施せると」
 逸れか・・・と苦々しくキリウスが呟いた。
 レオナードも嫌なものを思い出して眉を曇らせた。自分の幼友達の子供も逸れ魔導士の魔法で生き返った。しかし、生き返ったソレは人間とは呼べない奇怪な生き物だった。
 クリステル王妃は生き返ったというのか?生前のままで、人間のままで・・・いや、それならカチラノス王がこれほどまでに苦悩している訳がない。
「王妃は生き返ったんだな?だけど・・・化け物になった」
 キリウスの言葉は刃物のように硬く冷たかった。
 刃の一撃を浴びたようにカチラノス王はよろめいて壁にもたれた。
「私のクリステルは・・・人の血がないと、生きていけない。だけど、私は彼女をもう失いたくはない・・・化け物になっても、私は彼女を愛して・・・いるのです」
 キリウスにはカチラノス王の気持ちが痛いほどわかった。
「しかし・・・」
 そう言いかけたキリウスの言葉を遮るように闇の中から細い声がした。
「あなた?」
 カチラノス王がハッしたように顔を上げて闇の中に顔を向けた。キリウスもレオナードも王の視線の先をたどった。
 いつからそこに立っていたのか、野生的なキリウスですら気がつかないほどの儚さで王妃はそこにいた。
「どなたかいらっしゃるの?」
 震えるような細い声に王は答えた。
「ローマリウスの国王が貴女の病気見舞いにきてくださったんだよ」
 暗闇から白いドレスに包まれた、銀色の髪の清楚な顔立ちの女性が現れた。
「クリステル王妃・・・久しぶりです。貴女がご病気だと聞いて・・・」
 キリウスはカチラノス王に話しを合わせると、王妃の近くまで歩み寄った。王妃は身を隠すように後ろにさがった。
「いけません。近寄っては・・・私の病は人にうつるんです。ローマリウス王にうつしたら、大変です」
 本気でキリウスの身を案じているようなクリステル王妃の言葉にキリウスは歩みを止めた。
 薄闇の中に浮かぶクリステル王妃の顔は、清らかな白百合のようだった。
 生前と変わらないたおやかな美しさに、キリウスは昨夜会った妖しはクリステルではないのではないかと一瞬疑った。
 しかし、死者が蘇るわけがない。
 ここにいるクリステル王妃は、クリステル王妃のままではない。
「ローマリウス王・・・お願いがあります」
 思いのほか強い意思を持ったようなクリステル王妃の言葉にキリウスが片眉をあげた。
「私はこのように病弱で、今まで夫に寂しい思いばかりをさせてきました。王妃の務めも満足に果たせない私を労わってくれる優しい夫です。ローマリウス王は忙しい身とは存じ上げていますが、どうかこれからも夫のよき隣人・・・いえ、友人でいてください」
 情愛のこもった王妃の瞳に、キリウスは頷いた。
「心得た」
 安心したように微笑んだ王妃の肩をカチラノス王が抱き止めて「さあ、もうベッドに戻って休みなさい。疲れると病いが治らないからね」
 素直に頷いて、王妃はまた闇の中に消えていった。
 地下部屋が静けさを取り戻すと、カチラノス王はささやくような声で言った。
「あのように優しいクリステルを、この手で・・・自分の手で殺せると思いますか?彼女には自分が何物かに変わっているという自覚はないのです。町へ出て人を襲っているという記憶もないのです。ここにいる彼女は、亡くなる前のクリステル王妃なんです。彼女に罪があると思いますか」
 その問いに答えるすべはキリウスにはなかった。助け船を求めるようにレオナードに視線を送った。
「ですが、クリステル王妃様は民の命を奪っています。自身の命を保つために他の命を犠牲にしていいということはありません。民は困り、陛下に魔法使いへの退治依頼を嘆願しているのではないですか?」
 魔法使いに妖し退治を依頼することは、クリステル王妃を殺すための依頼をすることだ。
 そんなことがカチラノス王にできるわけはないと、レオナードも分かっての詰問だった。
 カチラノス王は答えを出さなければならない。
 どのような答えであっても、王自身が選ばなければならない。
 地獄の門の前で開門を躊躇ためらうような苦悶の王と、石の上に座る賢者のように答えを待つキリウスとレオナードの間に重い沈黙が降りた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

裏切りの代償

志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。 家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。 連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。 しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。 他サイトでも掲載しています。 R15を保険で追加しました。 表紙は写真AC様よりダウンロードしました。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

彼女の幸福

豆狸
恋愛
私の首は体に繋がっています。今は、まだ。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...