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21話 吸血妃
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月明かりの街路には異様な光景があった。
まるで出来立ての肉の燻製のように、干からびた人間が二つ転がっている。そして、悲鳴を上げたと思しき男の喉元に喰らいつく妖しの姿。
がっちりと男の両腕を捕えた手は鉤爪で、ざんばらな髪を振り乱し、腐臭を漂わせ、まるで墓場から今よみがえったばかりの屍鬼のようだった。
死者に着せるような白い長丈の服は、おぞましいほどの血で赤く染まっている。
ゴクゴクと嚥下の音をたてて獲物を貪る妖しに、俊敏な肉食獣のように近づいたキリウスは、妖しの心の臓に剣を突きたてた。
レオナードが静止の声を出す暇もないほど、手妻のように素早いキリウスの動きだった。
妖しが獲物を貪るのをやめて、鉤爪を外し、食事を邪魔した闖入者のほうを向いた。
「ほう、心の臓を突かれても死なないのか。面白いな」
キリウスの口調が心なしか弾んでいるのが分かって、レオナードは溜息をつきそうになった。
そうだ、キリウス様は本来こういう荒事を好む方だった。
レーナ様と結婚してから落ち着いたと思っていたけれど、やはりその戦闘好きな本性は変わらない。
レオナードは妖しに襲われていた男の脈をとって、顔を暗く沈ませた。すでにこと切れていた。服装から自警団だと分かった。見回りの最中に襲われたのだろう。
「陛下、ここは引きましょう」
無駄だとは思ったが、レオナードは妖しと対峙しているキリウスに声をかけた。
心の臓を貫かれても血すら流さない化け物を相手に、好戦的な笑みを浮かべるキリウスもレオナードには化け物に思えた。
妖しは獲物の力量を測っているかのように、キリウスの間合いには入らずに赤く燃えるような目だけで威嚇しているようだった。
「来ないのか?じゃ、こっちから行かせてもらう」
そう言うなりキリウスは疾風の如くの踏み込みで間合いに入ると、一筋の光の線を走らせた。
ボトボトと音をたてて、妖しの鉤爪の指が何本か路上に落ちた。
ち、とキリウスの舌打ちが聞こえた。首を狙ったつもりだったが、手で防がれたのだった。
人間ではあり得ない反応の速度だ。
妖しは今までの獲物と違う異色さを感じとったように、ジリジリと後退りをして間合いから離れようとしている。
妖しが首をかばったことで勝機はあると、キリウスは踏んだ。
身体を刺しても死なないが、首を切り落とせば倒せる。
なら、それほど難しいことじゃない。
そう思ったことが、油断になった。
首を狙っていたキリウスは、切り落とした妖しの指がトカゲの尻尾のように生え戻っていることに気がつかなかった。
先に気がついたのはレオナードだった。
「陛下、妖しの手が」
その声に一瞬レオナードを見てしまったキリウスを妖しは見逃さなかった。
「!」
キリウスの目の前に血生臭い顔があった。俊敏を誇るキリウスさえ凌駕する妖しの動きは彼に反撃の一手さえ許さなかった。
キリウスの両腕は妖しの鉤爪に挟まれていた。
腕に食い込むほどの鉤爪の力で、逃れることなど無理だと思われた。
それでも、キリウスの目からは好戦的な光が消えていない。
腕が使えなければ足がある。男の妖しならば、急所は人間と同じだろう・・・
痛みを感じさせられなくても、蹴り上げれば手の力を緩めることくらいはできるだろう。
・・・しかし。
と、キリウスは妖しの顔を間近で見て、違和感を持った。
何だろう。
妖しも、月明かりに照らされたキリウスの顔を見ているようだった。
獲物を吟味するような表情ではなく、ただ見ている。何かを感じて。
違和感。
俺は、この顔を見たことがある。
赤く燃えるような瞳で、血塗られた唇、悪鬼の形相だが・・・
面影がある。
まさか・・・
「貴女は・・・クリステル・・・王妃?」
キリウスの口から洩れた言葉に、妖しが大きく反応した。
赤く燃えるような目に、理性の光が宿ったようにキリウスには見えた。
「・・・・・ローマ・・・リウ・・・キリ・・・ウ・・・」
途切れ途切れだが、自分の名前が呼ばれて、キリウスは確信した。
「貴女はカチラノスのクリステル王妃?どうして・・・こんな・・・」
こんなおぞましい姿になっている。
貴女は亡くなったのではなかったか。
それを問う前に、妖しはよろけるようにキリウスから離れると、脱兎のごとく逃げ出した。キリウスさえも追えないほどの速さで。
獣のような咆哮を上げながら。
一連の出来事を目の前にして、呆けていたレオナードがハッと我に返って、キリウスに駆け寄った。
「大丈夫ですか、陛下。お怪我は・・・」
「俺は、大丈夫だ・・・」
短く答えながら、キリウスの顔は信じられないモノを目にした衝撃で固く強張っていた。
「いったい、何があったんですか。あの妖しは何故逃げたんですか。陛下はアレをご存知なのですか」
レオナードの矢継ぎ早の問いに、キリウスは面倒臭そうに顔を顰めると「宿で説明する」とだけ答えた。
まるで出来立ての肉の燻製のように、干からびた人間が二つ転がっている。そして、悲鳴を上げたと思しき男の喉元に喰らいつく妖しの姿。
がっちりと男の両腕を捕えた手は鉤爪で、ざんばらな髪を振り乱し、腐臭を漂わせ、まるで墓場から今よみがえったばかりの屍鬼のようだった。
死者に着せるような白い長丈の服は、おぞましいほどの血で赤く染まっている。
ゴクゴクと嚥下の音をたてて獲物を貪る妖しに、俊敏な肉食獣のように近づいたキリウスは、妖しの心の臓に剣を突きたてた。
レオナードが静止の声を出す暇もないほど、手妻のように素早いキリウスの動きだった。
妖しが獲物を貪るのをやめて、鉤爪を外し、食事を邪魔した闖入者のほうを向いた。
「ほう、心の臓を突かれても死なないのか。面白いな」
キリウスの口調が心なしか弾んでいるのが分かって、レオナードは溜息をつきそうになった。
そうだ、キリウス様は本来こういう荒事を好む方だった。
レーナ様と結婚してから落ち着いたと思っていたけれど、やはりその戦闘好きな本性は変わらない。
レオナードは妖しに襲われていた男の脈をとって、顔を暗く沈ませた。すでにこと切れていた。服装から自警団だと分かった。見回りの最中に襲われたのだろう。
「陛下、ここは引きましょう」
無駄だとは思ったが、レオナードは妖しと対峙しているキリウスに声をかけた。
心の臓を貫かれても血すら流さない化け物を相手に、好戦的な笑みを浮かべるキリウスもレオナードには化け物に思えた。
妖しは獲物の力量を測っているかのように、キリウスの間合いには入らずに赤く燃えるような目だけで威嚇しているようだった。
「来ないのか?じゃ、こっちから行かせてもらう」
そう言うなりキリウスは疾風の如くの踏み込みで間合いに入ると、一筋の光の線を走らせた。
ボトボトと音をたてて、妖しの鉤爪の指が何本か路上に落ちた。
ち、とキリウスの舌打ちが聞こえた。首を狙ったつもりだったが、手で防がれたのだった。
人間ではあり得ない反応の速度だ。
妖しは今までの獲物と違う異色さを感じとったように、ジリジリと後退りをして間合いから離れようとしている。
妖しが首をかばったことで勝機はあると、キリウスは踏んだ。
身体を刺しても死なないが、首を切り落とせば倒せる。
なら、それほど難しいことじゃない。
そう思ったことが、油断になった。
首を狙っていたキリウスは、切り落とした妖しの指がトカゲの尻尾のように生え戻っていることに気がつかなかった。
先に気がついたのはレオナードだった。
「陛下、妖しの手が」
その声に一瞬レオナードを見てしまったキリウスを妖しは見逃さなかった。
「!」
キリウスの目の前に血生臭い顔があった。俊敏を誇るキリウスさえ凌駕する妖しの動きは彼に反撃の一手さえ許さなかった。
キリウスの両腕は妖しの鉤爪に挟まれていた。
腕に食い込むほどの鉤爪の力で、逃れることなど無理だと思われた。
それでも、キリウスの目からは好戦的な光が消えていない。
腕が使えなければ足がある。男の妖しならば、急所は人間と同じだろう・・・
痛みを感じさせられなくても、蹴り上げれば手の力を緩めることくらいはできるだろう。
・・・しかし。
と、キリウスは妖しの顔を間近で見て、違和感を持った。
何だろう。
妖しも、月明かりに照らされたキリウスの顔を見ているようだった。
獲物を吟味するような表情ではなく、ただ見ている。何かを感じて。
違和感。
俺は、この顔を見たことがある。
赤く燃えるような瞳で、血塗られた唇、悪鬼の形相だが・・・
面影がある。
まさか・・・
「貴女は・・・クリステル・・・王妃?」
キリウスの口から洩れた言葉に、妖しが大きく反応した。
赤く燃えるような目に、理性の光が宿ったようにキリウスには見えた。
「・・・・・ローマ・・・リウ・・・キリ・・・ウ・・・」
途切れ途切れだが、自分の名前が呼ばれて、キリウスは確信した。
「貴女はカチラノスのクリステル王妃?どうして・・・こんな・・・」
こんなおぞましい姿になっている。
貴女は亡くなったのではなかったか。
それを問う前に、妖しはよろけるようにキリウスから離れると、脱兎のごとく逃げ出した。キリウスさえも追えないほどの速さで。
獣のような咆哮を上げながら。
一連の出来事を目の前にして、呆けていたレオナードがハッと我に返って、キリウスに駆け寄った。
「大丈夫ですか、陛下。お怪我は・・・」
「俺は、大丈夫だ・・・」
短く答えながら、キリウスの顔は信じられないモノを目にした衝撃で固く強張っていた。
「いったい、何があったんですか。あの妖しは何故逃げたんですか。陛下はアレをご存知なのですか」
レオナードの矢継ぎ早の問いに、キリウスは面倒臭そうに顔を顰めると「宿で説明する」とだけ答えた。
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