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18話 キリウス、発つ

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 最後に誰かの温もりに包まれて眠ったのって、いつだっただろう。
 お母さん?
 ううん。
 お父さん?
 ううん。
 記憶がない。
 私は、誰かといっしょに寝た記憶がない。
 お父さんは物心ついたときにはいなかったし。
 お母さんは毎日働き通しで疲れていたし。
 甘えたらダメだって、思っていた。
 お母さんの匂い、どんなんだったんだろう。
 こんなに優しくて甘い匂いだったのかな。
 こんなに優しくて温かい身体だったのかな。
 私の身体に回された腕がまるで私を守っているみたいで、とっても安心できる。
 ずっと、ずっと、この腕に包まれていたい。
 今まで何かを欲しいなんて思ったことはなかったけど、今は、欲しい。
 温かな温もりに包まれているこの時間が欲しい。
 リュシエール様。
 朝の白々とした薄明りの中で、リュシエール様の寝顔はまるで天使のように無垢できれいだと思った。
 そして、すべてを守護する天使のように、私を守ってくれているみたいだ。
 薄く紅をひいたような唇から洩れる寝息は、誰もが恍惚となってしまうくらいに耳に甘い。
 心地よさに泣きたくなってしまう。
 こんなに気持ちいいのに、なぜ泣きたくなるのか分からない。
 キリウス様とレーナ様がいつもいっしょに寝ていらして、私はそれが不思議だった。なんで、大人なのに一人で寝ないのだろう、って。
 でも、今ならわかる。
 好きな人の温もりを感じながら眠るのって、とっても幸せなんだって。
 リュシエール様は誰にでも優しい。
 天使が万人に慈悲を施すように。
 だから、私はリュシエール様に私を好きになってもらいたい、なんて思っちゃダメなんだ。
 そんなことを望んだら、きっと、この温もりも無くしてしまう。
 望んだら、ダメ。欲しがっちゃ、ダメ。
「どうしたの?イリア、なんだか泣きそうな顔してる。コワイ夢でも見た?」
 いつの間にか目を覚ましたリュシエール様が私の顔を見つめてそう言った。
「あっ、・・いえ、何でも、ないです・・・」
「何でもない、って顔じゃないけどね」
 リュシエール様は私の背中に手を回して、とんとんと優しくたたいてくれた。
 まるで子供扱いだな、って思ったけれど、それは妙に心地よくて、抗うことができなかった。
「『契りの印』が解除できたら、コワイ夢を見ない魔法をかけてあげるね」
 リュシエール様の言葉に私はもっと落ち込んでしまった。
 契りの印がなくなるということは、私が許嫁じゃなくなるってことだ。
 カリソメの許嫁は不要になるってことだ。
「怖い夢なんか、平気です」
 夢なんか、怖いことはない。怖いのはリュシエール様が離れていくことだ。
 リュシエール様は私を一人にしない、って言ったけど・・・そばには置いてくれるだろうけど、その時にはリュシエール様の本物の花嫁がいるのかもしれない。
 そうなったら、私はきっと、そばにいることも辛くなってしまう。
 暗くなってしまう気持ちを、悟られないように私は頑張って明るい声を出した。
「リュシエール様、起きましょう。もう朝ごはんの時間です。食べたらまたアリーシャ様を見に行きたいです」
「そうだね。レーナたちに朝のあいさつをしに行こうか」
 リュシエール様がそう言った時、ちょうど朝食を知らせにきた召使いが扉をノックする音がして、私たちは顔を見合わせてニッコリと笑った。

 広間に行くと泊まり客用の朝食が用意されていたけれど、私たちの他にはまだ誰も来ていなかった。
「僕たちは早く寝たからね。きっと他の人は祝宴で遅くまでお酒を飲んでたと思うから、朝は遅いかもね。誰もこないうちに食べちゃお」
 食べちゃお、と言いながら、もうモグモグと食べ物を口に詰め込んでいるリュシエール様に呆れながら、私もパンを手に取って、野苺のジャムをぬった。
 「おはよう、昨日はよく眠れた?」
 レーナ様がアリーシャ様を腕に抱いて、昨日のフランという女性と広間に入ってきた。
「おはようございます。レーナ様。アリーシャ様。フランさん。と・・・あれ?キリウス様は?」
 レーナ様がアリーシャ様をフランさんに預けて、一人でテーブルに着いたので、私とリュシエール様はキョトンと目を丸くした。
 珍しいこともある。レーナ様とキリウス様がいっしょじゃないなんて。
 レーナ様は果物のジュースを手に取ると、口に運ぶ前に
「キリウスはね、朝早くにカチラノス国に向かったの。どうしても、亡くなった王妃様の墓に花を手向けたいのですって」
「へ~」とリュシエール様が意外そうな声を出した。
「珍しいね。キリウスがレーナ以外のことに関心を持つなんて」
「何か思うことがあったみたい。でも、公式に訪問じゃなくて、レオナードと二人だけで馬車も使わず行ってしまったわ。もともと堅苦しいのは好きじゃない男性ひとだから」
「馬車なし、って・・・馬で?」
「愛馬でね。レオナードは最後まで渋っていたけど・・・あまりに国王として軽率すぎるって」
 レーナ様の苦笑いに、フランさんが溜息を吐きながら
「レオナードの言う通りですよ。国王陛下は自覚がなさすぎます。御身になにかあったらどうするつもりでしょう。レーナ様もアリーシャ様もいらっしゃるのに」
 レーナ様はつとめて明るく振る舞ってはいるけれど、そのお心は不安に違いない。私は自分が何かできないか、考えて、何もできないことが分かってガッカリと肩を落とした。
「イリア、心配だね?僕たちはきょうはマグノリア国に帰る予定だったけど・・・イリアさえ良かったら、しばらくローマリウスに滞在しないかい?キリウスが戻ってくるまで」
 まるで私の心を読んだみたいにリュシエール様がそう言った。
 私はぜんぜん役に立たないけど、リュシエール様が残ってくれたら、レーナ様も心強いに決まっている。
「私は大丈夫です!ローマリウスにいたいです」
 私の返事にリュシエール様はレーナ様の否応も聞かずに
「だって。レーナ、しばらくやっかいになるよ。あ、僕の食事はデザート多めにね」
 リュシエール様の注文に、当たり前のことのようにレーナ様が笑って「りょーかい」と気安く返事をした。
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