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 黒い巨大なナメクジはまるで断末魔の猛獣のような声を上げてのたうちまわり、黒い粘膜の破片をまき散らし始めた。
「エルレーン。もう、無駄です。すべて終わりました」
 レオナードの死刑を宣告する裁判官のような声が講堂に響くと、彼の腕に絡みついていた妖物の触手が溶けるように消えた。
「なに・・・いったい何が・・・」
 四散して溶けていく妖物を驚愕の目で見ているエルレーンにレオナードは苦し気な表情で言った。
「私たちは時間稼ぎをしていたんです。国王陛下とリュシエール様があなたの森の家に行き、人形を見つけるまで」
「・・・!・・・まさか、私のヨハンを・・・」
 絶句したエルレーンに答えるように講堂に美しい声が響いた。
「見つけて、術を解いて、人形はきれいに燃やしたよ」
 風が吹くようにレオナードの隣に魔法使いの少年、リュシエールが現れた。
 魔的とも思えるほどの美貌のリュシエールはその青緑の宝石のような瞳でエルレーンを見ると
 「まさか、魔法国を追放された逸れ魔導士が絡んでたとは思わなかったよ。奇妙な魔術式を使ってくれてたね。君の息子は実験的に魔法術を施されたみたいだね。でも、失敗だったみたいだ。・・・やっぱり人間の完全蘇生は魔法術では無理ってことかな」
 最後の方はまるで自分自身に納得させるように話すリュシエールにエルレーンが噛みつかんばかりに叫んだ。
「私の子供に何をしたの!」
「燃やした。もう、いないよ」
 軽薄にも聞こえる魔法使いの少年の言葉に、エルレーンがガックリと膝を折り、慟哭の叫びを上げた。
 レオナードはあまりにもむごいリュシエールの言葉に顔をしかめた。
「まるで『鬼子母神』ね」
 女王の優し気な声で場が静まった。
「自分の子どもたちを育てるために人間の子供をさらって殺していた女鬼よ。でも自分の子供をお釈迦さまに隠されて、気が狂うほど悲しんで、気がついたの。自分がさらっていた子供の母親もこんなに悲しい思いをしたのだって」
 女王の話す異国の物語がエルレーンの嗚咽ばかりが響く講堂に染み渡る。
「それから女鬼は改心してすべての子供たちを守る神、『鬼子母神』になったのよ」
 女王の物語りが終わるのを待っていたように講堂の扉が開いて、どやどやと衛兵たちが入ってきた。
「女王陛下、ご無事ですか」衛兵隊長が女王の前に膝を折って
「このような危険な行為は差し控えていただくとありがたいのですが」と溜息とも苦言とも思える声で言った。
   衛兵隊はエルレーンが現れる前から、講堂の周囲に隠れて待機していたのだ。女王に危険が及ぶことがあれば踏み込む手はずになっていた。
「危険じゃなかったよ~魔法使いぼくたちだって、ちゃんと中の様子は把握してたんだからね」
 リュシエールが子供っぽく口を尖らせて抗議すると、衛兵隊長は恐縮して首を垂れた。
「リュシエール、キリウスは?」 女王はリュシエールと共に現れなかった国王を案じているように尋ねた。
「キリウスならイスラトルの町に残ったよ。事後処理があるから、とかなんとか」
 女王は頷いて真顔になると
「今回は色々ありがとう。リュシエール・・・魔法の報酬は後で請求して」
 リュシエールはいつものように『割引で』を持ちださなかった女王に、意外だな、という顔をして
「たぶん今回は魔法依頼報酬は発生しないと思うよ。逸れ魔導士が原因なら、僕ら魔法使いの責任だからね。レーナの侍女の喉を治したのもオマケにしてあげるよ。魔教皇とうさんにはナイショだよ」
 女王が感謝の言葉を述べないうちに魔法使いの少年は「またね!」とあっという間に去っていった。
 女王とリュシエールの会話を漏れ聞きながら、レオナードは衛兵に囲まれて講堂を出ていくエルレーンを悲し気な目で見送った。
 事情はどうあれ4人の人間の命を奪ってしまったのだ、刑は免れないだろう。けれど女王陛下は死刑にはなさらない。きっとよい形でエルレーンを救ってくださるに違いない。
「・・・・・レオナードさん」
 思いにふけっていたレオナードはフランの声で我に返った。
「私だけ・・・何も計画を知らされていませんでした・・・。知ってたら、あんな醜態は晒さなかったのに・・・ひどいです」
 ひどいと言いつつも怒ってるような様子はなく、ただ醜態を晒したのを恥じるようにフランの頬が赤く染まっているのを見たレオナードは
「申し訳ありません。計画にはフランさんは入っていなかったので・・・でも、まさか、エルレーンと掴み合いするとは想定外でした」
「うっ」
 さらに頬の赤みが倍増して、言葉に詰まったフランにレオナードがいつものように穏やかな声で、そしていつもより優しい声で言った。
「でも・・・嬉しかったです。貴女が私を助けてくれようとしたことは」
 その言葉に勇気付けられたようにフランは顔を上げて
「・・・私は、貴方が好きだから・・・」もうレオナードも知っていることを口にした。
「例え、貴方が私を・・・好きじゃなくても、助けたいって思うんです」
 レオナードはフランの言葉に引っかかったように眉をひそめると
「私が、貴女を好きじゃない?」
 フランがうつむいて小さく頷いたのを見て、レオナードの眉はさらに顰まった。
「・・・フランさん?」
「・・・レオナードさんは私のことなんかなんとも思ってないのかな・・・って。私の好意も迷惑なのかもしれないって・・・だから、もし、私がきらいなら・・・私は・・・どうしたらいいのか・・・」
 レオナードは自分が混乱の極みに達したと思った。
 フランはなぜ、そんなことを言う?
 なぜ私に嫌われているなどと思う?
 私がフランを嫌いなどと・・・そんなことは
「そんなことはありません。私が貴女を嫌うなどと・・・私は言ったじゃないですか、ちゃんと。命の終わる時に思うのは貴女だったと」
 フランも困惑の極みに達したような顔になった。
「それって・・・昨夜・・・言ったこと?」
 フランに確認されて、レオナードは困惑の表情のまま頷いた。
「・・・・?それって・・・あの・・・もしかして、私を好きっていう意味なんですか?」
「それ以外のどんな意味があるんですか?」
 逆に問われて呆けたようになったフランだったが、やっと、レオナードの真意を理解して
「分かり辛いです」
 思わず言ってしまった。
「分かり辛かった・・・ですか」
「うん・・・と、じゃ・・・私はレオナードさんの・・・恋人?」
「恋人、という言葉が適切ならば、それでいいかと思います」
 答えながらレオナードはフランの青い瞳がキラキラと輝き出すのを見て、不思議な感覚に捕われた。
 フランが笑うと、なんて心地いいのだろう。
 その華奢な身体を抱きしめたい衝動に駆られて、レオナードはフランを抱き寄せた。
 今は職務中なのだから、そういう行為はすべきではない、と今までなら律してきた自分の箍が外れるほど、フランを強く抱きしめたいと思った。
「貴女が好きです。フランさん」
 レオナードの腕に包まれて、大輪の花が開くようにフランが笑った。


 「なんだか、ものすごく、まどろっこしかったけど、やっとまとまったわね」
 レオナードとフランの様子を頬に手を当てて見ていた女王はポロリと漏らした。

 「やっぱり二人には『マタニティ教室』が必要になりそうだわ」
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