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 侍従の朝は早い。
 まだ夜が明けきらぬ前にレオナードはベッドから抜け出すと、身支度を始めた。
 いつものように鏡に向かい、完璧に身だしなみを整える。
 そして、いつもなら新米侍従のフランを起こしに、部屋を出てフランの部屋に向かう。
 けれど、今朝は。
 レオナードは今起き出してきたベッドに向かって声をかけた。
「フランさん、起きてください」
 ベッドの上ではフランがレオナードの声に反応せずに、気持ちよさそうにスヤスヤと寝息をたてている。
 昨夜遅くまで付き合わせてしまった自分のせいだが、このままでは仕事に支障が出る、とレオナードはフランの耳元に口を近づけて、
「フランさん、起きてください」と言葉を重ねた。
「う~~ん」とフランはもぞもぞと寝返りを打つと
「あ・・・レオ・・・ド・・・さん。もう、だめ・・・ゆるして・・・」
 妙な寝言に、レオナードは思案顔になり
「どんな夢をみてるのかは想像したくないのですが・・・フランさん、起きてください。きょうから貴女は侍女なのでしょう?」
「・・・じ・・・じょ・・・」
 あっ!とフランは飛び起きて、「そうです!きょうから僕、いえ、私は侍女でした!」
 それから、自分が下着姿なのに気がついたフランは悲鳴にも似た声をあげると、また布団に潜りこんだ。
「レオナードさん。あの、恥ずかしいんですけど・・・着替えますから廊下で待っていてもらえますか?」
 レオナードは不可思議なものを見るようにフランを見ると
「フランさん、昨夜、寝入ってしまった貴女のドレスを脱がせて、ベッドに寝かせたのは私です。今さら恥ずかしいと言われても」
 説得力がなさすぎる。
「え?・・・じゃ・・・レオナードさん。ばっちり私の下着姿見てるんですか?」
「ばっちりとまでは言いませんが、そこそこに。あ、安心してください。脱がす以上の行為はしていませんから」
 小動物の甲高い声を上げて、フランが身悶えした。
「脱がすんだったら、何かしてください。かえって恥ずかしいです」
 うう、と呻き声をあげるフランに、レオナードは眉根を寄せた。
 紳士的に意識のない女性フランには手を出さなかったのに、なぜかなじられているような気がする。
「じゃ、レオナードさんは私を脱がせて、いっしょに寝てただけですか」
「・・・申し訳ありません。私も貴女を寝かせたら、つい寝てしまったみたいで。私としたことが、女性の部屋で夜を明かすなど失態もいいところです」
 重苦しい溜息をつくレオナードに、
「いっしょに寝てるのに・・・手も出ないほど、私の下着姿は魅力がないですか?」
 レオナードはフランがなぜか顔を赤くして涙目になっているのを見て、やはり、話しの噛み合わなさを感じた。
 フランと話していると思考の迷宮に迷い込んでしまったような気がする。けれど、話しをしなくないわけではないから困ってしまう。
「・・・フランさんの下着姿は・・・・あ」
 考えながらフランに答えようとして、レオナードは時間に気づき、「フランさん。この話しは後にしましょう。もう、両陛下の朝食を用意する時間です」
 フランもさすがに話しを引っ張ることなく、慌てて起き出して着替えを始めた。
「私は廊下に出ていましょうか?」
 一応、気を遣ったレオナードにフランが叫ぶように
「もう、いいです。レオナードさん、お願いします、後ろのホックを止めてください。ああ、どうしよう、ドレスに合う髪ってどうすればいいですか」
 フランさん、落ち着いてと、レオナードは声をかけて、鏡の前にフランを座らせると髪を梳かし始めた。
「侍女なら、髪は上げた方がいいですね」
 レオナードはフランの柔らかな金色の髪を手際よくまとめ上げながら、本当にこの女性ひとは世話のかかる女性だと、思う。
 溜息は漏れるが、決してそれが不快な気持ちから漏れるものではないと、レオナードは鏡の中で恐縮しているフランの赤い顔を見ながら思った。



 「で、話しというのは何だ?」
 朝食を終えた国王のキリウスが、側に控える侍従のレオナードに鋭い目を向けた。
「はい、陛下。実は、昨夜考えていたことがあるのです。例の妖物のことですが」
 キリウスは神経質に片眉を上げてレオナードに問うた。
「何か、知ってるのか?昨日、襲われるときに何があった」
「いえ・・・はっきりとは・・・けれど、不可思議な符合がありまして、私なりに仮説を立ててみたのです。ただ、確証はありませんが」
「いいのよ。何でも言って。今は少しでも手がかりが欲しいの」
 女王のレーナに促されて、レオナードは重い口調で、ある考えを国王と女王に語った。
 レオナードの話しを聞き終えた国王と女王は顔を見合わせて、頷き合い「これは、俺達がやるしかないな。俺はリュシエールを連れていく」「ええ、こちらの方は私とレオナードがやるわ」
 3人が何やら話し込むのをフランだけが蚊帳の外のように不安げに見ていた。

 「フラン、きょうの『マタニティ教室』はレオナードも連れていくわね」
 そう、女王のレーナに宣言されて、えっ?という顔をしてしまったフランは慌てて、冷静な顔を作り
「かしこまりました。でも、なぜですか?」
 女王は侍女姿のフランを見つめて、フフッと楽し気に笑うと、「そうね、きっと『マタニティ教室』はフランとレオナードにも必要になるんじゃないかしら」
 冷静な顔が保てずにフランは赤い顔でキョロキョロとレオナードを探した。彼が国王と話し込んでいて、こっちの話しを聞いていないことにフランはホッとして
「女王陛下。お戯れはよしてください。私とレオナードさんはそんな関係じゃないです」
 そう、妊娠だとか結婚だとか、そんなこと以前に、レオナードの気持ちすらフランはわからない。
 昨夜は最後の口づけをしに来たのではない、とレオナードさんは言った。でも、ぜんぜん、好きだとも言ってはくれないし。いっしょに床に入っても求めてくれない。
 これじゃ、どんな関係なのかもわからない。
「そうなの?でも、そのうち、わかるわ」
 クスクスとあどけない少女のように笑う女王を前にフランは、自分はドレスを着ても女王のように可憐にはなれない、と憂鬱な気分になった。
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