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殺人現場に詩をそえて

【刹那】亡骸

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 桜も散り、5月になった。秋葉夫妻殺害から数週間。マッドグリーンが事件を起こすことはなかった。


「しかし、暑いな」氷室先輩は扇子であおいでいるが、きっと焼け石に水に違いない。アスファルトで舗装された道は、無慈悲にも刹那たちに太陽光を照り返す。


「マッドグリーン事件と並行して別件を追うのは、かなりしんどいな」と刹那。


「刹那、これもデカの仕事だ」そういう氷室先輩もぐったりとしていた。今日の最高気温は25度。朝からこの暑さだ。昼になったら――いや、考えるのはやめよう。


「今回の聞き込みも空振りだったな」刹那は思わずため息をつく。


「ああ。ため息は良くないな」刹那が続ける。


「いや、それでいいんだ。よく『ため息をつくと幸せが逃げる』って言うが、リラックス効果もある。俺は神経を張りつめっぱなしでダメになった奴をたくさん見てきた。刹那、お前、最近根を詰めっぱなしだぞ。いくらマッドグリーンを捕まえたいからといって――」


 氷室先輩がその続きを言い終える前に、スマホの着信音が鳴り響く。画面には「西園寺警部」との表示。まさか……。


「二人とも、落ち着いて聞いてくれ。奴だ。マッドグリーンによるものと思われる事件が起きた。場所は――」




「さて、これで三件目なんだが……」


 マッドグリーンは歯止めが効かなくなっているらしい。


「で、被害者の身元は?」


「えーと、今回の被害者は夏野勉、57才。いわゆるホームレスだ」刹那は氷室先輩の問いかけに答える。


「そうなると、情報を集めるのは難しそうだな」氷室先輩が唸る。


「どうやら息子がいるみたいだ。名前は夏野海斗」


「それなら話は早い。しかし、実の父親が路上暮らしなのに、ほっとくとは。世知辛い世の中になったな」と氷室先輩。


 今回の文章はこうだった。


「私は残る、亡骸として。血を吐くやうなせつなさかなしさ」


 被害者の横には倒れたビール缶があった。被害者はビールに入った毒を飲んだのか、文字通り血を吐いて亡くなっていた。なるほど。ホームレスにはビールを買うようなお金はない。ビール缶を渡したら、喜んで飲むに違いない。




 夏野邸は閑静な住宅街に位置していた。裕福らしく、小さいながらも日本庭園がある。カコーンと鹿おどしの音があたりに鳴り響く。この静かな場所で一日中こんな音がしていたら、近所の住民にとってはいい迷惑かもしれない。


「海斗さん、父親である勉さん殺人の件でお話を伺いにきました」氷室先輩がインターホン越しに用件を告げると、すぐに返事が返ってきた。「どうぞ、お上がりください」と。普通、警察が来たら身構えるはずだ。ひょっとしたら事件の話を知っているのかもしれない。


 家に上がった刹那たちを出迎えたのは、たくさんの彫像だった。和風建物に洋風の彫像。不釣合だな、それが素直な感想だった。


「どうも、夏野海斗です」リビングと思しき部屋から顔だけをひょこっとのぞかせている。


「今手が離せないんで、勝手に上がってください」


 リビングに入るとなぜ手を離せないのか、理由が分かった。隣のキッチンから香ばしい匂いが漂っている。どうやらタイミング悪く、料理中にお邪魔してしまったらしい。


「どうぞ、おかけください」勧められるがままにソファーに腰かけると、ふわっと体を包み込む。


「父の件ですよね? それ以外で用はないはずですから」そうとなれば、話は早い。氷室先輩が切り込む。


「率直に伺います。昨晩の23時ころ、どこにいらっしゃいましたか?」


「どこって、そりゃあ自宅ですよ。ああ、これがいわゆるアリバイ確認ですか。ドラマで観た通りだ。もちろん、証人はいません」


「ちょっと待って! 親父が殺されたんだぞ。なんで、そんなに淡々としていられるんだ!」刹那は思わず叫ぶ。自身も両親を殺されたのだから。


「刹那、おとなしくしろ」


 ハッと我に帰ると、今のはまずかったと気づく。だが、これが刹那の心の叫びだった。両親をマッドグリーンに殺された時に感じた悲しさ。無念。夏野海斗にはそんな感情はないらしい。


 そういえば、今回の文章には「血を吐くようなせつなさ悲しさ」とあった。まさに、遺族が持つだろう気持ちだ。マッドグリーンに皮肉られているようで、居ても立っても居られない。




「刹那もそう思うだろ?」いきなり氷室先輩から話をふられた。


「ええっと、そうだな」どうやら考え事をしているうちに話が進んでいたらしい。ひとまず適当に返事したけれども、大丈夫だろうか。


「では、私たちはこれで失礼します」氷室先輩が一礼すると、玄関に歩を進める。


「お力になれなく、申し訳ございません」


 また空振りか。こうなると、マッドグリーンの犯行を止めるのは難しい。氷室先輩が夏野さんと話を続けているが、あまり頭に入ってこない。


「そう言えば、いたる所に彫像がありますが、芸術が好きなんですねぇ」と氷室先輩。


「ええ、まあ。これでも昔は芸術家を目指してたんです。今はしがない会社員ですけど。それにしても、エアコンをかけているのに、この暑さだ。刑事さんたちは大変ですね」


「まったくですよ。ほら、額に汗がびっしりと――」氷室先輩はハンカチを取り出そうとするが、スマホに引っかかったらしい。ふさっと紫色のハンカチが落ちる。


「刑事さん、そうとうお疲れですね。それにしても綺麗な紺色のハンカチだ」


 紺色? どう見ても紫だ。夏野さんもこの暑さで参っているに違いない。


 先輩は虚をつかれたらしいが「ああ。そうですね」と答える。どうやら、疲れが溜まっているのは刹那だけじゃないらしい。西園寺警部も滝沢も同じだろう。帰ったら二人も疲れ切った顔で迎え入れるに違いない。




 署に戻り、西園寺警部に状況を報告すると、「剛の推理通り、金持ちだが動機が見当たらないな」とつぶやく。


「しかし、今回の連続殺人、ややこしいですね」滝沢が被害者たちの情報が書かれたホワイトボードを見つめながら言う。


「ちょっと待ってください! 自分たち、第一の犠牲者の冬木さんが事故を起こした件、すっかり忘れてませんか?」滝沢の指摘にその場に居合わせた全員が我に返った。


「なんてこった! 刹那、今すぐ行くぞ!」氷室先輩が言った時だった。


「氷室先輩、これまずくないですか? ほら、被害者の名前を見てくださいよ! 木武、葉夫妻、野勉。冬、秋、夏ってなってますよ! 次は……春じゃないでしょうか」滝沢の発言に刹那は氷室先輩と顔を見合わせる。


「事態は深刻だ! 氷室、刹那、急いで春日さんのもとへ行け!」西園寺警部の指示を待つまでもなく、刹那たちは走り出していた。




 しかし、遅かった。刹那たちを出迎えたのは息絶えた春日さんだった。今度こそ先回り出来たと思ったのに!


 氷室先輩はすばやく死体に駆け寄るなりつぶやく。「絞殺だな」


 首の締め跡から犯人が分かるのでは? と思ったが、マッドグリーンがそんなへまをするとは考えにくい。ふと、床を見ると、またしても詩の一節と思われる文章が置いてあった。


「愛するものが死んだときには、自殺しなけあなりません。愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない」


「今回は『春日狂想』だな」と氷室先輩。


 今回は自殺ではないはずだ。今度はさすがに詩になぞらえることは出来なかったらしい。


 いや、「愛するものが死んだときには」の部分は、息子さんの交通事故死を指しているのかもしれない。これで春夏秋冬、季節は巡ったわけだ。詩になぞらえつつ、名前にも共通点を持たせる。前回の連続殺人よりも手の込んだことをされてしまった。思わず拳を握る。




 署に戻って報告すると「なるほど。そうか」と西園寺警部はそう言うなり、うなだれる。


 無理もない。まんまと5人も殺されたのだ。ここにいる全員が同じ気持ちに違いない。


「自分の考え、いやな意味で当たってしまいましたね……」と滝沢。


「滝沢、そう落ち込むな。新米なのに共通点に気づいたんだ。お前は将来有望だぞ」氷室先輩が滝沢の背を叩くが、そこにはいつもの力強さがなかった。




 その夜、刹那は自身の無能さに腹が立っていた。バーで一杯やって気分転換をするか。その時だった。後ろから「寛君じゃないか!」と声がかかる。


 声のした方を見ると、見知らぬ人が刹那に手を振っていた。ぱっと見では40代くらいだろう。誰だ?


「おいおい、いくら3年ぶりとはいえ、まさか私を忘れたのか? 寛君、ひどいじゃないか……」


 忘れるもなにも、刹那は初対面だ。寛の知り合いを知るわけがない。


 事情を伝えると、相手も事情を理解してくれた。早乙女聖というらしい。寛の弁護士仲間だそうだ。




「なるほどね。君たちは三人で殺人狂を追って、復讐するつもりなのか」早乙女はカクテルを飲み干すと、刹那に尋ねる。


「当たり前だ。親を殺され、オレたちも殺そうとしたんだ。自身の手でマッドグリーンを殺されないと気が済まない」


「まさか、寛君も同じ考えだとはね。では、君たち三人に、ある法律の格言を贈ろう。『人間の行為の目的は、善を行い、善を追求し、そして悪を避けることである』。君たちが殺人狂を殺せば、そいつと同類になってしまう」早乙女の発言で刹那の決意がぐらつく。マッドグリーンを殺すことは間違いなのだろうか?


「あとは君たちが考えて結論を出したまえ」そう言うと早乙女はバーをあとにした。


 ひとまず、寛には今日のことを伝えるか。刹那は自分の考えを日記に書くと深い眠りについた。
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