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 菜穂の背筋がぞくっとした。考えられなくなった時が自分を見失う時なのだ。

「そうだな。心の疑問は人によって回答もちがってこよう。普遍化できるものがあるが、個々によって千差万別だ。正解はないのかもしれない。よって永遠にさまようことになる。まっ、いい例がこの俺だ」

「そうなんですか?」

「暇さえあれば『人はどうあるべきか、どうありたいのか』考えてる。結局のところ、人間は幸福を求めている。現段階で、わかったことはひとつ、アプローチ方法だ。

「持てるもの」と「持たざるもの」。疑問を持って考える行為、これが「持てるもの」、これが知性獲得のカギだと思ってる。いくら本を読んでも『心の揺れ』がなかったり、考えなかったら、血肉にならない。揺れを感じても感じない振りをしていたら、何かが損なわれていく。好奇心旺盛な人は心身が若いだろう。揺れは栄養なんだな。

 知性と幸福度は比例すると言われている。だから俺は学生に考える習慣を身につけてもらいたい。考え、知性を獲得し幸せになる。揺れを見逃すな。
 ああ。それにしても人生、短すぎるよな。なっ、そうだろう?」

 伸が菜穂の顔をのぞきこんだ。クックと笑ったその顔に、菜穂の心臓はドクンと跳ね上がる。
 たらしだ!


 卒論のテーマを決め、GW明けにドラフトを提出するように言われた。先輩たちはヒイヒイいいながら、いろんな文献をあたっている。ドラフトが通れば個人面談だ。
 テーマを決めるのも一苦労だが、そのボリュームにも圧倒される。原稿用紙3枚の読書感想文だって四苦八苦だったのに、平均2万字とか天文学的数字だ。テーマそっちのけで『卒論、文字数稼ぎ』を検索してしまったくらいだ。

「榛名は卒論のテーマ決めたの?」
「う~ん、中東とかエジプト、南米もいいけど、簡単に行けないところだしなぁ。福井の恐竜か、明石原人、青森の縄文遺跡か。それをどう切り取るかだよね。菜穂は決めた?」
「ぜ~んぜん!今、ゼミの先輩が残した論文を読み漁っているところ。読めば読むほど萎えるわぁ」
「卒論、買う?」
「榛名ぁ。それやったらわたし一生後悔する。でも下手な論文書いて大学に保管され続けるのもなぁ」


 桜の花も終わり、気温もぐんぐん上昇してきた。紺色のジャケットを脱ぎ、レースの半そでインナーになると、気持ちのいい微風が皮膚をなでていった。ボトムはベージュのスカート。上下セットになるとリクルート臭がするし、カジュアルに過ぎるのも学生丸出しになるから、オフィスカジュアルというのを研究した結果だ。

 本日は学生と企業の異業種交流会。
 卒論もさることながら、就活もそろそろ意識しなければいけない。倫理そのものは直接就職に反映できないだろうが、講義を通して学んだことは社会で役に立つはずだ。
 が、そうなると今度は逆に間口が広がってしまう。
 今日は業界研究及びインターン先のリサーチだ。

「でっ、今日は何時からだっけ」
 榛名は洗えば落ちるヘアカラームースで濃いめのブラウンにしている。ちょっと新鮮だ。

「17時からだよ。現地に少し早めに行って何か食べていこう」
 軽食は出るようだが、ゆっくり食べている暇はないだろう。

雄太には今日のことでいくつかアドバイスをもらっていた。
「まあ、いろんな業界、業種があるから、最初はあんまり決めつけない方がいいよ。強いていえば、この人たちと友達になりたいと思えるかどうか、かなぁ」

 友達ね。会社だけどオトモダチ感覚が大事なのか。

「会社によってカルチャーがちがう。カルチャーが同じだと意思疎通が楽になるんだよ。採用する側もそこは見ている。一緒に仕事ができるかとね。時間は有限だし、意思の疎通ばっかりに時間がかかっていたら、生産性があがらないだろう」

 そういうものなのか。

 早めに来たので会場はまだ空いていた。バックから今日のためにつくった名刺を取り出す。ネームプレートには大学名、学年、名前が記載されている。
 OB、OGがいれば声かけてもらえるかな。バリバリ自己アピールするのもキャラじゃないから、少し様子見しようかな。

「榛名は興味のある業種とか、会社あるの」
「アパレルかな。ファッションとか好きだし。コスメも興味あるかな。菜穂は」
「ホントは倫理学の講師になりたい。希望は大学院。でも、そんなお金も頭もないから、企業かな」
「藤枝先生みたく?大学は無理としても、高校とか、学校の先生は?」
 菜穂は教職課程を取っている。
「うん、それも考えてる」

 スピーカーからのキーンというハウリングの音とともに、テス、テスという声が聞こえてきた。マイク感度を調整した主催企業の担当者が会の始まりを明るいノリで宣言した。

 榛名はお洒落なグループを見つけては挨拶をしている。榛名とは仲がいいが、目指す業種はちがうようだ。

「君島さんは、大学で何を専攻したんですか」

 20代後半と思われる長身の男が声をかけてきた。菜穂のネームプレートには文学部としか書かれていない。

「はい、倫理学です」
 おう、それは、といって男が名刺をだしてきた。NPO法人 自分の可能性を引き出す会 代表とある。
「ありがとうございます。自分探しをしたくなった時はよろしくお願いしますね」

 脈がないと思ったのか、男はすぐべつのところに移っていった。
 なんとなく自己啓発セミナーっぽいんだよな。名刺交換しなくて良かった。
 学生は名刺がなくてもいいことになっている。だから交換しなくても変じゃない。

「自己啓発系、ネットワークビジネス系、ナンパもあるから気をつけろよ」
 雄太が何度も念を押すように言ってきた。「特にナンパな。あー、心配だ」

 次に声をかけてきたのは、金融系だった。外資系ファンド会社。
「英語必須ですが、それも研修体制がしっかりありますし。何といってもグローバルな環境で活躍できます。キャリアアップにも最適です。福利厚生も充実してますよ」
 身なりのいい30代の女性がニッコリと微笑んだ。名刺には小笠原とあった。

 あ、いいかも。上品で洗練された立ち居振る舞いに、撃ち抜かれる。憧れのお姉さまと働いてみたい。菜穂はおずおずとメールアドレスが印刷された名刺を差し出した。

 榛名が戻ってきたところで軽食とドリンクを取りに行った。端で食べながら会場を見まわす。学生100人、企業100人というところか。
 榛名はすでに20社の名刺を集めている。営業のセンスがある??

「気に入った業種あった?」
「業種というか、外資系ってカッコいいと思った」
「カタチから入ったわね。他に気になるとこあった」
「そうねぇ」

 見慣れてきたせいか、業界によって働く人の雰囲気があるように感じた。ゆるそうなところ。硬そうなとこ。カタカナやマスコミ系は華やかかオタクか。

「あ、あっち行ってくる」
 榛名は髪がアッシュグレーのお兄さんのところにタタッと駆け寄っていった。

「君島さんはあんまり積極的に話しかけないんだね」

 壁際の椅子に腰かけたタイミングで40代とおぼしき男性が声をかけてきた。カーキ糸のカットソーに生成りのチノパンといったいで立ちで、スーツ姿が多い中、オシャレに目立っていた。

「初めての参加で、まだ慣れなくて」立ち上がって挨拶をしようとしたところ、ジェスチャーでそのままでいいといわれた。男も隣りに腰かける。

 もらった名刺にはPR会社の代表取締役 柏木邦彦とあった。オフィスは港区北青山。
 PR会社とは企業の広報のアウトソース先だ。どこかの広告代理店で勤務し、独立したのだろうか。
 何を言えばいいのだろう。会話の接ぎ穂が見つからない。

「どう、気に入った会社あった。PRとかは興味ない?」
「えーと、あんまり興味ないです」ペコリと頭を下げた。
「だいぶ、正直だね。そういうのいいと思うよ」
「はあ、今日はどうして参加したんですか。収穫ありました」

 はは、と笑い「学生にそんなこと質問されるとは思わなかったな。たまには出てみようかと思って。顧客候補がいるかもしれないと思ったんだが、年齢が若すぎたかな。学生が来るとは知らなくてね。純粋なビジネス交流というより、企業の会社説明会というか、学生に企業をアピールする会みたいだね。だから気さくに話しかけやすいように若い人が多く参加してるんだろうな。老兵は去るべしだ」

「会社ってたくさんありますよね。普通のビジネス交流会ってどんな感じなんですか」
「まあ、ただの名刺交換会だな。独立したばかりはマメに顔を出したが、仕事のない俺みたいのがゴロゴロいた。そのうち同業者と仲良くなったがね」
「あのう、なんでPR会社をやろうと思ったんですか」

 何をやりたいか聞かれるより、聞く方がタメになるような気がした。
 みんな「何をやりたいのか?」聞くけど、同じ年頃の時、そんなにきっちり決まっていたんだろうか。これだけの離職率と転職率で企業は何を知りたいのか。
 若者の根拠のない動機を、何らかの糧にしたいのだろうか。むしろ企業担当者の学生時代の志望理由を聞いてみたい気がする。

「ああ、俺。ネクタイしたくなかったから。スーツも着たくなかったし」

 へっ、それが理由なの。

「最初に就職したのは広告代理店。理由は、なんか楽しそうだったから。毎日お祭りみたいだし、遊んでてお金がもらえるなんて最高じゃないかって思ってさ」

 柏木はそこでちょっと真面目な顔をする。「もっとも入社して、それは勘違いだと思い知らされたけどね」

「何というか、失礼を承知で言えば、あの、軽かったんですね」
「はは、そう言われると立つ瀬がないな。が、案外人間は単純なもんさ。理屈や理想だけで人生決められるもんじゃない」
「わたしもちゃんと決められるのかな」
「どんな仕事でも面白いと思えば面白いし、つまらないと思えばつまらない」
「あの、それだと範囲がすごく広がっちゃうんですけど」

 柏木は話をしていて楽しく、リラックスして何でも話したくなる雰囲気を持っていた。こうやって顧客の心をつかんでいくのだろう。ラポールの作り方は天性か、後から身に着けたものか。笑った時の目尻のシワなんか触ってみたくなるくらいだ。
 年の離れたお兄さん??親戚のおじさん?

「もし時間があれば、これから飲みにいかないか。いろんな業界の話もできるよ。少しはお役に立てるんじゃないか。せっかくのご縁だし」

 柏木がさらりと誘ってきた。
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