愛しの My Buddy --イケメン准教授に知らぬ間に溺愛されてました--

せせらぎバッタ

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「ごめんなさい。取り乱して」

 黙ったまま頷くと、彩香が微笑んだ。最後に会った時に見せた泣き笑いの顔だった。

「もう終わったと思ったのに、伸のこと好きだったんだな。ちょっと、あの頃のことを思い出しちゃって」
 チャイで唇をしめらせる。

「ノーラさんを見る伸の顔。あんな顔を一度も見せてくれなかったよね。ああ、いいの。気にしてないから。ただずっと考えていた。ノーラさんにあって、自分にないもの。 

 わたしは中小企業の社長の父と専業主婦の母の家庭で、何不自由なく育ったの。小学校から今の大学の付属に入って、周りはみーんな同じような子ばかり。

『女の子は可愛くして、ニコニコしてればいいの。勉強なんかできなくてもいいのよ』そんな感じ。ただお人形みたいに親の言うことを聞いてればいいの。欲しいものは買ってもらえたけど、やりたいことは制限されたわ。女の子にふさわしくないものはダメの一点張り。
 だんだん生き苦しくなってきたの。つきあう彼のステータスが自分のステータス。

 そんな価値観に疑問を持つようになって。胸の奥に穴が開いたみたいで。毎日がつまらない。つまらない。それは自分がつまらない人間だからなんだ。わかっていてもどうればいいかわからなかった。今までお人形で生きてきて、意思を持ったところで何をすればいいかわからない。そんな時男子といると気がまぎれた。

 だって、わたしはS女の可愛い子だから。頭は良くないけど、ニコッと微笑むだけで男子はちやほやしてくれる。身体を許せば、みんな下僕のように尽くしてくれる。
 でもそのうち、自分の価値は顔と身体だけなの?と思うようになったの。誰でも年を取る。老いた時何が残るんだろう。ああ、自分は何も持ってない。からっぽな頭と若い身体。
 伸はそれまでの男子とちがっていた。塩対応だったのが良かった。本当の自分を見てくれてると思ってた。ノーラさんを紹介されるまでは。

 結局伸も、やらせてくれる可愛い子を選んでただけなんだなと思った。悲しかった。単純に雑に扱われただけだったんだ。とっかえのきく可愛い子。いつか捨てられる。いつでも捨てられる。
 誰かの奧さん、誰かのママ。そうして人生が終わるんだと思ったら空しくなった。空いた穴はどんどん広がり、今にも飲み込まれそうだった。

 そんな時、出会った言葉が『自分の穴は、結局自分でしか埋められません。傷口だって自分で再生するでしょ。それと同じ。傷は必ず癒えます。自己治癒能力を信じてください』
 花火大会の数日前かな、わたし決めたの。何者にもなれないかもしれない。でも、わたしはわたしの人生を生きたいと思った。少なくとも『私』にはなれるはず。
 伸に会えばいつだってセックスできる可愛い子を突き付けられるから。だから連絡をしなかったの」

 伸は黙って聞いていた。何て言葉をかけたらいいのだろう。社会と闘う小さな兵士に感動すら覚えた。当たり前のことだが、みんな自分の生に向き合っているんだな。

「そうか、わかった。ずいぶんステキな女の子になったんだね。正直、つきあいはじめは可愛いくてセックスできる女の子なら誰でも良かったのかもしれない。でもだんだん彩香のことは好きになってたよ。手をつないで電車に乗ってお互い黙ったまま景色を見ていた時、居心地良かった。恋していると自覚したのは花火大会の日。誰にも渡したくなかった。今だって好きだ。もう戻れないのかな」

「伸にそう言われて自信がついたわ。ありがとう」
「ちぇっ、彼氏と別れて俺とつきあおうよ」
「ダメよ。わたしたちラブラブなんだから」
「じゃあ、別れたら連絡して」
 
彩香は、あははと笑った。

「もうちょっと早くそんな目で見つめられたかったな。でも、おかげでわたしは、わたしを一歩を踏み出せた。ありがとう。楽しかった」

 とっかえのきく可愛かった女の子は、誰もが振り向くいい女になろうとしていた。

 就職活動もろくにせず卒業が視野に入る頃、さすがに伸も真剣に進路を考えだした。大学院進学だ。単なるモラトリアムなのかもしれないが、リーマンをやっている自分がイメージできない。大学は小中を過ごしたボストン。両親が住んでいるイギリスも考えたが、やはりノーラが心に残っていたせいだろうか。



 大学3年になり、希望の藤枝ゼミに入った菜穂は新歓コンパで先生の隣りに座ることになった。お酒も飲めるようになり梅サワーを注文。先生はジョッキで生ビール。簡単な自己紹介をして、先輩たちと親睦を深める。藤枝ゼミは1学年10人の計20人である。

 サークルのコンパとちがって、さすがに話す内容が固い。むつかしい言葉がずらずら出てくる。先輩たち、ちゃんと社会人できるだろうか、と心配になる。

 雄太は徐々に仕事になれてきたようで、表情もだいぶ落ち着いてきた。浮気した罪悪感と許された嬉しさのせいなのか、デロデロに菜穂を甘やかす。悪い気はしないが、なんだかこそばゆい。LINEでもしょっちゅう愛してるなんていってくる。こんなキャラだったっけ?

「君島さんは彼氏とかいるんですかぁ」

 目が据わってきた先輩がすっとんきょうな声で聞いてきた。いつの間にか場がそんな感じになってきた。倫理専攻とはいえ恋もおいしい話なのね。

「あっ、はい、います」
「そうだよねぇ。いるよねぇ。誰かいないかなぁ。いい人いたら紹介して」
「俺も、俺も。最近別れたばかりで」
「あ、ついでに俺にも」

 一同が一瞬かたまった。声の主は藤枝先生だったから。

「ええ、センセ、今フリー?独身なのは知ってたけど」

 4年の女子の声が艶をおびる。

「正真正銘フリーだ」

「なんか、先生セフレとかいそう。経験豊富そうだし」
「いそう、いそう。ついでに子供もいっぱいいそう!」
「キミたちねぇ。ほら見ろ、3年生が本気にしてるぞ」
「だって、先生なら、その気になればいくらでもいるでしょう」
「その気にさせてくれる子を紹介して欲しい、かな」
「ってか、センセの年齢にあう女子、周りにいないですよ。先生、いくつでしたっけ」
「34才。上下の幅20才までが守備範囲だ」

「ひろっ、ってか、20才下は犯罪ですから。20才上だと、おい誰か親の友達紹介してあげろよ」

 どっと笑い声がおきた。

「まあ、愛があれば年の差なんてっていうから、いくつでもいいぞ」
 隣りの男子学生に小声で、セックスできればな。

 学生がおひょっと笑い転げる。「やばい、やばい、センセ、それな」

「ええ、なんていったのぉ」
「内緒だ。二人だけの秘密」

 菜穂にはしっかり聞こえてしまった。複雑な顔で見上げると、伸が意味ありげにニヤリと笑った。
「君島さん、よろしく、ね」

 なんか、チャラい。講義は好きなんだけどな。

「先生の女性遍歴、聞きたーい!アメリカの生活も長かったんですよね」

「ばあか、誰が言うか。相手に失礼だろ。俺にも先生という矜持がある」
 一同のブーイングをいなし、一次会は解散となった。

 菜穂は2次会を断り、駅に向かおうとした。

「駅まで一緒に歩くか」
 先生がいつのまにか追いついてきていた。

「先生、二次会行かないんですか」
「俺はいつも一次会で解散だ。二次会でへまをしてもいけないしな。昨今、倫理基準が厳しくてな」
「そうなんですか」
「お酒を飲むと、理性が飛びがちになるからな。君島さんは二次会はいいのか」
「ああ、彼が心配するので」
「なに、束縛系なの」
「そういうんじゃないと思うんですけど、やたら心配するんですよね」

 仲直りしてから、確かにちょっと重たくなったともいえる。会社はそれなりにうまく回ってきたようだし。この間も「やっと俺を取り戻したよ」なんて言ってた。
 雄太らしさって何だろう。あれもこれも雄太から生まれた感情と行動なのに。

「先生、自分らしさってなんなんでしょうね」
「自分らしさか、君島さんはどう思う」

 自分らしくありたいとか、自分はこういうはずだとか。菜穂は考える。

「そうですね。善悪とか、信念とか、そういった理想の倫理基準もさることながら、結局のところ快と不快。好きと嫌いがわかっていることでしょうか。うーん、でも自分ではまだ自分らしいというのがわかってないです。他人から言われてもピンとこないところもあるし。自覚がないのに菜穂らしいって言われると、ちょっともやもやしちゃいますし」

「自分らしさというのは、一生わからないかもな。追求したところで変化するし、そればかりを探していたら、あっという間に棺桶だ。そもそも「自分探し」だが、自分はここにいるのに、探す必要があるのか、と言われている。ただ、試行錯誤して自分を知るということは有意義だがな」

「先生も自分探しとかしたことあるんですか」

「あるぞ。結局のところ、『デカルトの「我思う、故に我あり」』に尽きる」

「やっぱり、探してみないとそこまでいかないのかな。一周回るとわかっているのに。人間って納得しないと前に進めないんですね」

「現代において、いや、昔もそうだが、誰しも自分を見失って右往左往してしまうことがある。さてこの混乱している『自分』とは、自分でありながら、自分ではないと思ってしまう。『自分らしくない、と』
 君島さんのいうとおり、そこに不快な感情が伴うからだろう。好んでそういう状態に置く人間はいないからな。好きな自分と乖離がある。理想とちがう自分、感情や欲望、本能等に踊らされ理性を失っている状態。素に戻れば嫌な気持ちになるだろう。

 好き、嫌いを補完するならば、なぜそういう感情が沸き上がるのか、知ることが大事だ。すべては『心の揺れ』から始まる。『揺れ』を通して自分を知っていくことだ。同じ散歩道でも季節により、時間により、いろいろな表情を見せる。子供の頃のように、それに気がつくのが感性を磨くということだ。特別なことをするわけじゃない。小さな揺れを見逃さない。そうだろう?」

「なんか、日常に転がっている言葉ひとつでも考えたらキリがないですね」
 考えることは嫌いじゃない。むしろ好きだ。
 あ、わたし、考えることがものすごく好きなんだ!それが菜穂の自分らしさなのだ!

 我思う故に我あり、か。
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