上 下
20 / 23

20

しおりを挟む
 部屋には後で呼ばれた心理療法担当職員の如月、事務長の毛塚と施設長の福山の3人となった。徹は腹を括った。スマホで録音することも予め告げる。ここで有耶無耶にされたら遥香と美央の気持ちはなかったことにされる。自分たちの人生だってそうだ。激高した淳を宥めはしたが、徹とて腹が煮えくり返る思いだ。ここで立ち向かわなくては。ただ、自分には自分のやり方がある。

「お待たせしました。状況を教えてもらえますか?」
 改めてそれぞれが自己紹介し、事務長の毛塚が口を開いた。
「まず、お騒がせしましたことはお詫び申し上げます」徹は一同に頭を下げた。

「遥香も乖離性同一性障害です。耳慣れない言葉ですが、以前はそうですね、多重人格と呼ばれてました。いわゆる、ひとつの身体にいくつかの人格があるということです。
 そういう二人が出会い、わたし達は結婚しました。お互いをこれ以上にないくらい理解しあえますから」

 如月の表情は変わらなかったが、他の二人は息を大きく吸い込んだ。目には驚愕の表情が浮かんでいる。映画やマスコミは本当のことを伝えていない。凶暴な人格が社会的に問題を起こすとセンセーショナルに書き立てられ、当事者は置き去りにされている。

『暴力的な人格』か。徹もそれを最初危惧していた。だが、美央を通じて、彼らの生い立ちを知るにつけ、それは誤りだと気がついた。

 ―主人格を護るために現れた―

 精子と卵子が結合し命が始まる。親のクローンになるわけではない。同じように自分と遥香から生まれた彼らも独立した存在なのだ。親の一部を受け継ぐように似通ったところもあれば正反対のものもある。

 愛しい者達だ。ずっと一緒にいられないかもしれない。時が満ちて、融合されてしまう日がくるかもしれない。それを思うといたたまれないが、彼らの意思を尊重しよう。自分たちは今、この時を抱きしめるしかないのだから。

「診断記録があるので、それで嘘を言ってないことはお判りいただけると思います。あいにく今は手元にないですが。なぜ他の人格が現れてしまうのか、如月さんはお詳しいでしょうから、後でお二人にご説明いただけますか。もっともいろいろな症例があるので何ともいえませんが」

 如月がコクリと頷いた。徹は男と何があったのかを時系列にそって話す。こういう時は事実のみを話すのが肝心だ。

「先ほどの大橋とのやり取りの録音はしておりませんが、本人たちがそう認めている以上、彼が性的虐待を行ったことは明白であり、混乱した遥香が性交渉を担当する人格を作り出したと思われます。このことを遥香は知りません。ですので、席を外させました。またわたしにも別人格が現れました。恐らく遥香を苦しめた男が目の前にいるという事実に堪えられず、咄嗟にでてきたと思われます」

 徹は冷たくなっていたお茶を一口啜った。淳のことはもう少し話した方がいいかもしれない。しかし淳と遥香がつきあっているということは言わない方がいいだろう。二人だが4人で愛し合っているのは倫理上歓迎されるわけじゃないだろうから。
 世間一般の常識からはずれた者は信用されにくい。手の内を晒せばいいというわけじゃないのだ。

 部屋の中には重苦しい沈黙が訪れている。強くならなければ。自分をコントロールしなければ。淳が先ほどから苛立っている。

「その、一ノ瀬さんの別人格の方は、遥香さんをご存知なのですね」
「はい、交代人格はわたしの中でわたしを見ていますから。遥香がわたしにとってとても大切な人という認識があります」
「なるほど、わかりました」
「今後のことは遥香と相談して‥‥、かなりショックを受けるでしょうから、自分でも決めかねてますが、」

 一番信頼していた人間からの虐待。親に見放され、施設で生活せざるを得なかった遥香。彼が支えていたとしても、越えてはならない一線を越えてしまった男。美央が生まれたのが中学生くらいと言っていたから、グルーミング行為といって差し支えないだろう。たとえ恋愛感情からきていたとしても、弱者が強者に搾取される構図は変わらない。成人している立派な大人ならブレーキをかけるはずだ。結果的には既婚男性の性のはけ口でしかなかった。 

 彼に嫌われたくない、だが拒否反応は抑えられない。もともと生真面目なところのある遥香が生み出したのは、セックスを担当する美央の存在だ。彼女が嫌な部分をすべて引き受ければ自分は平穏でいられる。
 美央が気の毒になった。遥香を守るために、嫌な役を進んで引き受けた。そこにいじらしい想いを感じとり、徹は切なくなった。

「わたしってバカだから。セックスくらいしか能がないのよ」

 自虐的に振る舞いながらも遥香のためなら何でもする美央。
 徹は下唇を噛んだ。自分も淳に押し付けたのだ。何をされたのだろう。思い出すのもはばかれる、忌まわしい記憶を淳は抱えている。遥香に事実を告げるかどうか決める前に、自分にも向き合わねばならない。

「お話はわかりました。こちらでも調査をいたします。他にも被害者がいるかもしれません。謝って済むことではありませんが、遥香さんへの虐待、申し訳なく思っております。」
 福山が両手を膝につき深々とお辞儀をした。その場の全員も頭を下げる。

「あの、すみません。遥香さんですが、無理に事実を知らせなくてもいいのではないかと。決めるのは本人‥‥事実を知らないままでは決められないかもしれませんが、他の人格が現れるとか、フラッシュバックで日常に支障をきたすとか、体調をくずすとか、問題がでてきた時でいいと思います」如月が口を開いた。

「なかったことにするということですか?」

 徹は内心の苛立ちをこらえ、鋭い視線で如月をねめつけた。彼女はひるまない。以前行った精神科医のように表情は穏やかなままだ。

「そういうことではありません。いきなり説明して、混乱するのは目に見えてます。自殺衝動、自暴自棄による犯罪行為等、最悪の結果も起こりえます」

「では、このままあの男は刑事告訴もされず、のうのうと生活していくんですか?」
 淳が頭の中でがなりたてる。落ち着け、と徹はなだめるが、彼とて同じ気持ちだ。

「ああ、徹さん。性被害はデリケートな事案なので、現在の法律では非親告罪というのを適用できるのです。刑事告訴をしなくても検察官の判断のみで起訴ができます」
 如月はそこで福山に視線をやった。

「調査後、他に被害があったとしてもなかったとしても、警察に連絡するという方向性に変わりはないですよね。遥香さんのことは既に告訴の事案ですし」

 福山は重々しく頷いた。昨今、性被害は告発の方向に動いている。かつては闇に葬られていたものが、白日の下に晒されるようになった。

 ホッと胸をなでおろし、徹は遥香を迎えに行った。案内されて廊下を歩く。表では児童が砂遊びをしていた。大橋は恐らく懲戒解雇となるだろう。自業自得だ。何も知らない児童は一時的に悲しむかもしれないが、時間が立てば記憶も薄れるだろう。

 門を出て、見送りにきた職員に挨拶をし帰途についた。運転中ずっと無言だったが、サービスエリアで休憩した後、遥香が思いつめたような顔で訊いてきた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R-18】私を乱す彼の指~お隣のイケメンマッサージ師くんに溺愛されています~【完結】

衣草 薫
恋愛
朋美が酔った勢いで注文した吸うタイプのアダルトグッズが、お隣の爽やかイケメン蓮の部屋に誤配されて大ピンチ。 でも蓮はそれを肩こり用のマッサージ器だと誤解して、マッサージ器を落として壊してしまったお詫びに朋美の肩をマッサージしたいと申し出る。 実は蓮は幼少期に朋美に恋して彼女を忘れられず、大人になって朋美を探し出してお隣に引っ越してきたのだった。 マッサージ師である蓮は大好きな朋美の体を施術と称して愛撫し、過去のトラウマから男性恐怖症であった朋美も蓮を相手に恐怖症を克服していくが……。 セックスシーンには※、 ハレンチなシーンには☆をつけています。

副社長と出張旅行~好きな人にマーキングされた日~【R18】

日下奈緒
恋愛
福住里佳子は、大手企業の副社長の秘書をしている。 いつも紳士の副社長・新田疾風(ハヤテ)の元、好きな気持ちを育てる里佳子だが。 ある日、出張旅行の同行を求められ、ドキドキ。

10のベッドシーン【R18】

日下奈緒
恋愛
男女の数だけベッドシーンがある。 この短編集は、ベッドシーンだけ切り取ったラブストーリーです。

冷酷無比な国王陛下に愛されすぎっ! 絶倫すぎっ! ピンチかもしれませんっ!

仙崎ひとみ
恋愛
子爵家のひとり娘ソレイユは、三年前悪漢に襲われて以降、男性から劣情の目で見られないようにと、女らしいことを一切排除する生活を送ってきた。 18歳になったある日。デビュタントパーティに出るよう命じられる。 噂では、冷酷無悲な独裁王と称されるエルネスト国王が、結婚相手を探しているとか。 「はあ? 結婚相手? 冗談じゃない、お断り」 しかし両親に頼み込まれ、ソレイユはしぶしぶ出席する。 途中抜け出して城庭で休んでいると、酔った男に絡まれてしまった。 危機一髪のところを助けてくれたのが、何かと噂の国王エルネスト。 エルネストはソレイユを気に入り、なんとかベッドに引きずりこもうと企む。 そんなとき、三年前ソレイユを助けてくれた救世主に似た男性が現れる。 エルネストの弟、ジェレミーだ。 ジェレミーは思いやりがあり、とても優しくて、紳士の鏡みたいに高潔な男性。 心はジェレミーに引っ張られていくが、身体はエルネストが虎視眈々と狙っていて――――

【R18 大人女性向け】会社の飲み会帰りに年下イケメンにお持ち帰りされちゃいました

utsugi
恋愛
職場のイケメン後輩に飲み会帰りにお持ち帰りされちゃうお話です。 がっつりR18です。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

お前を必ず落として見せる~俺様御曹司の執着愛

ラヴ KAZU
恋愛
まどかは同棲中の彼の浮気現場を目撃し、雨の中社長である龍斗にマンションへ誘われる。女の魅力を「試してみるか」そう言われて一夜を共にする。龍斗に頼らない妊娠したまどかに対して、契約結婚を申し出る。ある日龍斗に思いを寄せる義妹真凜は、まどかの存在を疎ましく思い、階段から突き落とす。流産と怪我で入院を余儀なくされたまどかは龍斗の側にはいられないと姿を消す。そこへ元彼の新が見違えた姿で現れる。果たして……

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

処理中です...