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36.陽、暴露する
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手早くシャワーを浴びて、ろくに髪も乾かさずに戻ると、ソファのうえでぼんやりしていた水岡が怒ったような顔で立ち上がる。
「髪。風邪ひきますよ」
「エアコン入れてるし、すぐ乾くって」
「ダメです」
妙なお兄ちゃん力を発揮する水岡は、わざわざドライヤーを手に取ると、陽をソファの前に座らせて後ろから温風を当てる。どちらかというとぬれた動物を乾かすような手つきに、身構えた身体もすぐにほぐれる。
これはこれで気持ちいいけど、いいのかな。
もうずいぶん、ローションの出番を待たせてしまっているけれど、こんなまったりした空気でいいんだろうか。
「眠れないんですよ。あの日から」
かち、とスイッチを切って、まだ熱をもつ髪を梳きながら水岡はつぶやいた。
「あの日って、エッチした日?」
「まだしてない」
仰のき見上げようとすると、側頭部をわしづかまれて止められる。
「デリカシーってものがないんですか、あなたは」
「や、そこで恥ずかしがるの逆にやばいけど」
意味が分からない、とため息をついて、大きな手が頭から離れる。
「ともかく、色々試したんですが全然眠れなくって、当然動画も撮れないし。そんなことははじめてで、その、怖くなったんです。あなたに会うのが。もっと状況が悪化しそうで。だからって、あんな風に突き放すのはよくないとわかってはいたんだけど」
「いいってもう」
「ダメです」
あなたは何も悪くないのに、一方的につめたい態度を取って申し訳なかったと、座ったまま水岡は頭を下げた。背中を座面から離して、上体をひねり振り返る。目の前に下がった頭を、陽は撫でた。
「よかった」
「……なにが?」
「後悔とか、させちゃったかと思ったから」
手のひらの下から、とまどう気配がのぼってくる。
「自分の意志でやったこと、後悔するわけなくないですか?」
「やってみたら想像とちがったってこともあるだろ」
「もしそうでも、それは自分の責任でしょう」
というか、と水岡は膝と額の間に組んだこぶしをはさんで背中を丸める。
「そんな弱気なこと考えてる人が待ち伏せとかします?」
「いやーこれでも一瞬へこんだんだよ。まあ、すぐ吹っ切れたけど」
「信じられない」
「あなたとの仕事は終わったでしょう、って言われたから、じゃあまた仕事すればいいかーって。西洋寝具さんとお付き合いがあってよかったよ。座談会、アーカイブもあるって教えてくれたし」
生放送の収録がいつどこでされるのか、とても朗らかに教えてくれた。本当は今日、自分は野外準備に出なくてもよかったことは、言わなくてもいいだろう。
「前向きすぎる」
「図太くないと営業なんてできないからさ」
つむじから首筋をつなぐように手のひらで撫でると、伏せた顔の下から舌打ちが聞こえた。
「図太いんじゃなくて、頑固なだけでしょ。ゆるそうに見えて、こうと決めたら動かない。やっかな人だ」
「……水岡さんって、案外人のことちゃんと見てるんだ」
「バカにしてます?」
「や、だって自分のことしか興味ないって感じだったし」
かたい氷のお屋敷のドアを、ずっとノックしているみたいだった。あんまり硬くて分厚いから、氷が透明だってことも忘れていた。
まさか内側から見られていたなんて。
ちょっと気まずくなったタイミングで顔をあげるから、とっさに視線をそらしてしまう。
「溺れそうな人がいたら、助けるかどうかは別として、見ちゃうじゃないですか」
「いやそこは助けようよ」
「泳ぐの苦手なんで」
新情報だ。
「それよりずっと気になってたんですけど、まだ布団片付けてないんですか?」
窓際に寄せてあった布の山を見遣って、水岡が呆れた声を出す。やば、と思った。だって、まさか部屋に呼ぶとは思ってなかったから。いちおう畳んでおいてよかった。
「いやーあれはその」
「使わないなら、ちゃんと干して早めにしまった方がいいですよ。窓辺だと結露で濡れるし」
「いや、使ってるから」
「は?」
だからその、といい言い訳も思いつかなくて、つい口を滑らせる。
「ベッド、ひとりだと落ち着かなくて、こっちで寝てるっていうか……」
おかしい。
別にそんな深刻なことじゃなくって、ただなんとなく前より広いセミダブルに寝っ転がると、車道のど真ん中で大の字になっているような場違い感にそわそわしてしまうから、ちょっと慣れるまで布団で寝ていただけなのに、口にすると急にすごく恥ずかしいことをしていたような気になってくる。
「明日ちゃんと干すよ」
いたたまれなくて、とりあえず布団を窓から離そうと立ち上がる、その手首を捉えられた。反射的に振り返って動けなくなる。
あの日、一度だけ見た熱っぽい目が、陽をまっすぐ貫いている。
シーツは洗っていたけれど、三か月ぶりに乗り上げたベッドは、ほこりっぽかったかもしれない。
あのときみたいに性急に進めてくれればいいものの、陽と同じようにベッドの端に腰かけた水岡はなかなか手を出してこないから、ついそんなことばかり気になってしまう。
唯一ふれあっている膝頭が熱い。
なんだこれ。つき合いたての中学生カップルか。
いい大人が肩を寄せ合ってまごまごしているという図がもう恥ずかしくなって、ならこっちから仕掛けてやると顔をあげると見事に視線がかち合った。
「なに」
「いえ」
見惚れてました。
「髪。風邪ひきますよ」
「エアコン入れてるし、すぐ乾くって」
「ダメです」
妙なお兄ちゃん力を発揮する水岡は、わざわざドライヤーを手に取ると、陽をソファの前に座らせて後ろから温風を当てる。どちらかというとぬれた動物を乾かすような手つきに、身構えた身体もすぐにほぐれる。
これはこれで気持ちいいけど、いいのかな。
もうずいぶん、ローションの出番を待たせてしまっているけれど、こんなまったりした空気でいいんだろうか。
「眠れないんですよ。あの日から」
かち、とスイッチを切って、まだ熱をもつ髪を梳きながら水岡はつぶやいた。
「あの日って、エッチした日?」
「まだしてない」
仰のき見上げようとすると、側頭部をわしづかまれて止められる。
「デリカシーってものがないんですか、あなたは」
「や、そこで恥ずかしがるの逆にやばいけど」
意味が分からない、とため息をついて、大きな手が頭から離れる。
「ともかく、色々試したんですが全然眠れなくって、当然動画も撮れないし。そんなことははじめてで、その、怖くなったんです。あなたに会うのが。もっと状況が悪化しそうで。だからって、あんな風に突き放すのはよくないとわかってはいたんだけど」
「いいってもう」
「ダメです」
あなたは何も悪くないのに、一方的につめたい態度を取って申し訳なかったと、座ったまま水岡は頭を下げた。背中を座面から離して、上体をひねり振り返る。目の前に下がった頭を、陽は撫でた。
「よかった」
「……なにが?」
「後悔とか、させちゃったかと思ったから」
手のひらの下から、とまどう気配がのぼってくる。
「自分の意志でやったこと、後悔するわけなくないですか?」
「やってみたら想像とちがったってこともあるだろ」
「もしそうでも、それは自分の責任でしょう」
というか、と水岡は膝と額の間に組んだこぶしをはさんで背中を丸める。
「そんな弱気なこと考えてる人が待ち伏せとかします?」
「いやーこれでも一瞬へこんだんだよ。まあ、すぐ吹っ切れたけど」
「信じられない」
「あなたとの仕事は終わったでしょう、って言われたから、じゃあまた仕事すればいいかーって。西洋寝具さんとお付き合いがあってよかったよ。座談会、アーカイブもあるって教えてくれたし」
生放送の収録がいつどこでされるのか、とても朗らかに教えてくれた。本当は今日、自分は野外準備に出なくてもよかったことは、言わなくてもいいだろう。
「前向きすぎる」
「図太くないと営業なんてできないからさ」
つむじから首筋をつなぐように手のひらで撫でると、伏せた顔の下から舌打ちが聞こえた。
「図太いんじゃなくて、頑固なだけでしょ。ゆるそうに見えて、こうと決めたら動かない。やっかな人だ」
「……水岡さんって、案外人のことちゃんと見てるんだ」
「バカにしてます?」
「や、だって自分のことしか興味ないって感じだったし」
かたい氷のお屋敷のドアを、ずっとノックしているみたいだった。あんまり硬くて分厚いから、氷が透明だってことも忘れていた。
まさか内側から見られていたなんて。
ちょっと気まずくなったタイミングで顔をあげるから、とっさに視線をそらしてしまう。
「溺れそうな人がいたら、助けるかどうかは別として、見ちゃうじゃないですか」
「いやそこは助けようよ」
「泳ぐの苦手なんで」
新情報だ。
「それよりずっと気になってたんですけど、まだ布団片付けてないんですか?」
窓際に寄せてあった布の山を見遣って、水岡が呆れた声を出す。やば、と思った。だって、まさか部屋に呼ぶとは思ってなかったから。いちおう畳んでおいてよかった。
「いやーあれはその」
「使わないなら、ちゃんと干して早めにしまった方がいいですよ。窓辺だと結露で濡れるし」
「いや、使ってるから」
「は?」
だからその、といい言い訳も思いつかなくて、つい口を滑らせる。
「ベッド、ひとりだと落ち着かなくて、こっちで寝てるっていうか……」
おかしい。
別にそんな深刻なことじゃなくって、ただなんとなく前より広いセミダブルに寝っ転がると、車道のど真ん中で大の字になっているような場違い感にそわそわしてしまうから、ちょっと慣れるまで布団で寝ていただけなのに、口にすると急にすごく恥ずかしいことをしていたような気になってくる。
「明日ちゃんと干すよ」
いたたまれなくて、とりあえず布団を窓から離そうと立ち上がる、その手首を捉えられた。反射的に振り返って動けなくなる。
あの日、一度だけ見た熱っぽい目が、陽をまっすぐ貫いている。
シーツは洗っていたけれど、三か月ぶりに乗り上げたベッドは、ほこりっぽかったかもしれない。
あのときみたいに性急に進めてくれればいいものの、陽と同じようにベッドの端に腰かけた水岡はなかなか手を出してこないから、ついそんなことばかり気になってしまう。
唯一ふれあっている膝頭が熱い。
なんだこれ。つき合いたての中学生カップルか。
いい大人が肩を寄せ合ってまごまごしているという図がもう恥ずかしくなって、ならこっちから仕掛けてやると顔をあげると見事に視線がかち合った。
「なに」
「いえ」
見惚れてました。
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