眠たい眠たい、眠たい夜は

nwn

文字の大きさ
上 下
33 / 38

33.水岡、想う

しおりを挟む
「甘酸っぱいですねー。え、おいくつくらいの方?」
「年齢非公開、とのことです」
「まあ恋に年齢は関係ないからね」
「なに目線なん、それ?」

 顔がほとんど出ていなくてよかったと、きょう一番安堵した。
 自分じゃない。だって恋などしていない。けどなぜか同じ名前の人と隣り合ってしまったときみたいに、名状しがたい居心地の悪さを感じる。どんな表情をしているのか自分でも想像がつかない。

「まあね、でも多くの皆さんが一度くらいは経験あるんじゃないかと」
「そうですねえ」
「そんなときどうしてたんですか?」
「どうだったかなあ。マンガとかゲームで気ぃ逸らしたり、あとは運動したりとか」
「運動」
「意味深に繰り返すなや」

 テンポ良い応酬に笑いが起こり、その空気の揺れで我に返った。

「ヨウさん、どうでしょ。睡眠ゆうよりは恋愛のお悩み相談っぽいですけど」

 絶妙なタイミングで話を振られる。マスクの下でのどを整え、水岡は口を開いた。
 緊張や不安で寝付けないときは、交感神経が優位になってしまっていることが多いです。対策にはリラックスして副交感神経を優位にする必要があり、そのためにはホットミルクやヒーリングミュージックなどが効果的で――。

「あの、皆さんそういう経験があるんですか?」

 なのに口をついたのはそんな言葉だった。一瞬でスタジオが凍り付くのがわかった。

「えっヨウさん恋バナ乗ってくれるんすか?」

 いち早く硬直から溶けたのはやはり、瞬発力のある芸人二人だった。

「やー動画のイメージから興味ないかと思てたんすけど」
「聞きたい聞きたい」
「いえ、あの」

 慌てて両手で留めるような動きをすると、スタッフから笑いが漏れた。ふっと空気が軽くなる。

「すみません、こういうことを言うつもりじゃ」
「いやいや、最高ですよ。スキャンダルほど数字とれるもんないですからね」
「なにがスキャンダルや。いやでも、好きな人できて眠れなくなるって経験でしたっけ? 全員じゃないと思いますけど、まあわりとポピュラーなんじゃないです?」

 ほらよく少女漫画とかでもあるし、とツッコミのほうがぐっと身を乗り出してヨウに親指を立てる。そうなのか? 過去にお付き合いしたこともあったけれど、そんな状況、一度だって経験したことがない。

「まあ、恋愛ばかりじゃないと思いますよ」

 そう助け舟を出したのは、西洋寝具の開発社員だった。

「眠れない、いわゆる不眠の原因には大きく二つあるんです。ひとつはお年をとって生理的に睡眠時間が短くなること。もうひとつは不安などのメンタル的なこと。その不安の原因には、圧倒的に人間関係が多いんです。好きな人、夫婦関係、親きょうだい、職場の人、皆さん何かしらはお悩みがあって、そういうことが睡眠に影響するのはめずらしくない」

 白衣を着た社員はまるで講義のようによどみなく話す。

「とはいっても、僕たちにできることは、どんなときにも安心してもらえる布団をつくることだけなんですけどね」
「いやいや、それが一番大事やないっすか」
「そうそう、シーツ新調しただけでちょっとわくわくしますもん」

 芸人たちのフォローに、恐縮ですと頭を掻く。

「ヨウさんもきっと、そういう人たちに向けて、動画を作られているんですよね」
「……ええ」

 野生動物は熟睡しないという。

 その一方で、長距離を飛んで移動する渡り鳥なんかは、右脳と左脳を交互に眠らせながら、止まり木に降りることなく飛び続けるし、ちいさな虫ですら、わずかな時間とはいえ眠りを必要としているらしい。

 生きるうえで不可欠で、けれど貪りすぎると命取りになる「睡眠」。
 彼は、そう思えば、不思議な人だ。

 眠りたくないと願い、けれど仕事のために眠りたいと願う。夜みたいな隈を張り付けて現れた人。
 好きでもない仕事を、居場所があるという理由で、真面目に丁寧に、こつこつ頑張っている人。
 眠るのが怖くて、だから忙しい仕事を選んで、そんな自分を卑下しながら、それでも頑張るのをやめない人。
 水岡の仕事を心から褒めてくれて、けど水岡からしてみれば、よっぽど自分よりすごい仕事をしていると思う人。

 最初は、よくいる「寝ずに働く俺かっこいい」タイプの人間かと思った。次に、よっぽど仕事が好きなのか、それとも真面目すぎるのかと思った。今の仕事を選んだ理由を聞いたときは、たまらない思いになった。

 水岡の家でよく眠れたからと、生活を見直す子どもみたいな素直さ。
 仕事に対する屈折した思いと、それでも踏んばり続ける芯の強さ。
 失礼と捉えられることの多い、水岡のそっけない態度をやわらかく受け止める柔軟さ。

 辛い物が好きで、ハーブティーは苦手で、初対面の男の家で爆睡するくせに、センスのいいお詫びの品なんて持ってくる、柔和な笑顔の下にたくさんの表情を隠した陽に、いま、会いたいと思った。

「えーでは、お悩みの回答としては『普通やで』ということでね」
「雑すぎやろ。まあ、ある意味一番楽しい時期かもわかりませんので、睡眠不足はつらいかもですけどもね、しばらくどきどきを味わってみてもいいのではないでしょうか」

 もちろんつらくなったらこのマットレスを……と抜かりなくCMをはさむ。
 画面から自分が外れたその隙に、視線を動かす。窓の向こうでは、昼と夜が交じり合い始めている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

処理中です...