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32.水岡、出演する
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含み笑いをして、彼女は魔法みたいに皿を取り出すと、鍋から煮物を取り分ける。シーツをひろげるときみたいに、ぶわっと湯気がふくらんだ。
手羽元と大根の煮物、カボチャのそぼろあんかけ、玄米を半分混ぜ込んだご飯にワカメと油揚げの味噌汁。
「冬至が近いですからね」
芳がいるときだけ使われるランチョンマットを向かい合わせに並べる。
「たくさん作ってありますから、気が向いたら食べてください」
水岡の顔色に気づいていないわけがないのに、親でも姉でもない彼女は訊いてこない。その隔たれた気遣いに救われる。
テレビのない食卓を囲んで、芳は水回り関連のストック状況を報告し、水岡はぽつぽつと近況を語った。
すべての皿を空にして、洗い物を引き受ける水岡のとなりで、芳は粗熱が取れた作り置きのタッパーを冷蔵庫に入れ、代わりに白い箱を取り出した。
「芳さん、今度は何買ってきたんです?」
手を拭きながら振り返ると、この半年でずいぶん馴染みになってしまった和菓子屋の包装が目に入る。
「冬季限定の新作が出ていたので、つい」
「好きですね」
「だって美味しいんですもの」
デザートにしましょう、芳はうれしそうにやかんに水を入れる。
「先月のきんつばも、その前のおはぎもおいしかったけれど、やっぱり最初の水ようかんの衝撃が忘れられませんねえ」
「そうですか?」
「志月さんもおいしそうに食べていたじゃないですか」
「別に普通です」
「そうかしらねえ」
急須に茶葉をいれながら、「そうそう、甘いものといえば」と芳は顔をあげた。
「頼まれていたもの、買ってきましたよ」
戸棚をあけると、個包装された飴の袋がきれいに納められている。
「気に入ったんですか? その飴」
「いえ、別に。のどによく効くってだけで」
「そうですか」
ぴい、と高く鳴いたやかんを火から下ろし、まったく信じていない顔で芳は笑う。
「でもよかった、甘い物も召し上がるようになって。小さいころからお好きでしたもんね」
◆
座談会の収録は、最寄り駅から電車で一本のスタジオで行われた。
「では次の質問です。『熟眠マクラを使い始めてから毎日遅刻ギリギリまで寝てしまっている高二です。よく眠れるせいか、寝ぐせがひどいんですがどうしたらいいでしょうか?』」
ゆるく湾曲したテーブルのはしっこで、MCが読み上げる。
「ということで寝ぐせのお悩みですが――これ読んでよかったんですかね?」
「あれ、きょうの本題なんでしたっけ?」
「眠りのお悩みに対して、親身になるフリして、熟眠寝具を買わせるってことでしょ?」
「オブラート、オブラート」
軽快なトークを繰り広げる二人組の芸人を見ながら、水岡はただ圧倒されていた。よくしゃべるな。いや、それが仕事か。
全体的に白っぽいスタジオには、水岡と、同じく演者の若手芸人が二人、それに西洋寝具の社員が一人とMCの計五人が、白いひかりに照らされていた。
向けられているカメラは二台。カメラマンと音声と配信担当、全部含めても十人ちょっとの少人数で、web配信とはいえ生放送、らしい。
水岡以外のメンバーはこの手の企画になれているのかとてもリラックスしてみえて、だから正直この場が全世界に公開されている、と聞いても、いまひとつピンと来ない。
「寝ぐせ僕も悩みますねー」
「そうなんですか」
「一刻も早くゲームしたくて、髪乾かさないでいたりするとね」
「いや自業自得ですやん」
ここでもゲームか。これまでの人生でゲームをたしなむ人間と親しかったことがない水岡には驚くべきことだが、昨今は大人でものめり込む人が少なくないらしい。
そういえば彼は、コントローラーを買ったのだろうか。
「ヨウさん、ちょっとジャンルがちがいますけど、何か工夫されてることとかあります?」
「シュッとした人のご意見うかがいたいわー」
ひとしきり盛り上がったところで水を向けられ、水岡はしばし悩んだ。
「というか、ヨウさん寝ぐせつきます?」
「もともとくせ毛なので、逆に気にしたことないかもしれません」
「あーなるほど。きょうもぴしっと決まってますもんね」
「いや、これはさっきやられて」
声はともかく顔出しはなし。ということで、サングラスにマスクという不審な姿になった水岡を哀れんでか、予定になかったスタイリングを急きょしてもらった。普段使っていないスタイリング剤の匂いが落ち着かない。
「やられちゃったんですねえ」
「ちょっとスタイリストさん、僕らのときと気合いの入り方違いません?」
「いやお前、どこにスタイリングする余地があんだよ」
つややかな頭頂でぺちっと皮膚が打ち合わさって、笑いもはじける。
「えー脱線しましたが……ヨウさん、いかがですか?」
「残念ながら、寝ぐせのつき方って視点でマクラとか検証したことがないもので」
「ですよねー」
「というか、寝ぐせ気になるなら、剃ってしまえばいいんじゃないですか? そちらの方みたいに」
水岡としてはわりといい手だと思ったのだが、なぜだか爆笑されてしまった。
「採用ですね」
「採用です。というわけで、質問を送ってくれた眠れないヒツジさん、ちょっと寒いかもしれないですけど、いっそさっぱり剃ってみては?」
和やかに笑いも交えつつ、きちんと収めるべきところに収める手腕を間近で見て、プロはすごいな、と感心した。口数の少ない自分が座談会なんて、と思っていたけれど、彼らに任せれば何でもおもしろくしてくれるだろう。
「では次のお悩みに。『好きな人ができました。その人のことばかりを考えてしまい、夜眠れません。何かいい方法はありませんか』ということなんですが――」
「甘酸っぱい!」
手羽元と大根の煮物、カボチャのそぼろあんかけ、玄米を半分混ぜ込んだご飯にワカメと油揚げの味噌汁。
「冬至が近いですからね」
芳がいるときだけ使われるランチョンマットを向かい合わせに並べる。
「たくさん作ってありますから、気が向いたら食べてください」
水岡の顔色に気づいていないわけがないのに、親でも姉でもない彼女は訊いてこない。その隔たれた気遣いに救われる。
テレビのない食卓を囲んで、芳は水回り関連のストック状況を報告し、水岡はぽつぽつと近況を語った。
すべての皿を空にして、洗い物を引き受ける水岡のとなりで、芳は粗熱が取れた作り置きのタッパーを冷蔵庫に入れ、代わりに白い箱を取り出した。
「芳さん、今度は何買ってきたんです?」
手を拭きながら振り返ると、この半年でずいぶん馴染みになってしまった和菓子屋の包装が目に入る。
「冬季限定の新作が出ていたので、つい」
「好きですね」
「だって美味しいんですもの」
デザートにしましょう、芳はうれしそうにやかんに水を入れる。
「先月のきんつばも、その前のおはぎもおいしかったけれど、やっぱり最初の水ようかんの衝撃が忘れられませんねえ」
「そうですか?」
「志月さんもおいしそうに食べていたじゃないですか」
「別に普通です」
「そうかしらねえ」
急須に茶葉をいれながら、「そうそう、甘いものといえば」と芳は顔をあげた。
「頼まれていたもの、買ってきましたよ」
戸棚をあけると、個包装された飴の袋がきれいに納められている。
「気に入ったんですか? その飴」
「いえ、別に。のどによく効くってだけで」
「そうですか」
ぴい、と高く鳴いたやかんを火から下ろし、まったく信じていない顔で芳は笑う。
「でもよかった、甘い物も召し上がるようになって。小さいころからお好きでしたもんね」
◆
座談会の収録は、最寄り駅から電車で一本のスタジオで行われた。
「では次の質問です。『熟眠マクラを使い始めてから毎日遅刻ギリギリまで寝てしまっている高二です。よく眠れるせいか、寝ぐせがひどいんですがどうしたらいいでしょうか?』」
ゆるく湾曲したテーブルのはしっこで、MCが読み上げる。
「ということで寝ぐせのお悩みですが――これ読んでよかったんですかね?」
「あれ、きょうの本題なんでしたっけ?」
「眠りのお悩みに対して、親身になるフリして、熟眠寝具を買わせるってことでしょ?」
「オブラート、オブラート」
軽快なトークを繰り広げる二人組の芸人を見ながら、水岡はただ圧倒されていた。よくしゃべるな。いや、それが仕事か。
全体的に白っぽいスタジオには、水岡と、同じく演者の若手芸人が二人、それに西洋寝具の社員が一人とMCの計五人が、白いひかりに照らされていた。
向けられているカメラは二台。カメラマンと音声と配信担当、全部含めても十人ちょっとの少人数で、web配信とはいえ生放送、らしい。
水岡以外のメンバーはこの手の企画になれているのかとてもリラックスしてみえて、だから正直この場が全世界に公開されている、と聞いても、いまひとつピンと来ない。
「寝ぐせ僕も悩みますねー」
「そうなんですか」
「一刻も早くゲームしたくて、髪乾かさないでいたりするとね」
「いや自業自得ですやん」
ここでもゲームか。これまでの人生でゲームをたしなむ人間と親しかったことがない水岡には驚くべきことだが、昨今は大人でものめり込む人が少なくないらしい。
そういえば彼は、コントローラーを買ったのだろうか。
「ヨウさん、ちょっとジャンルがちがいますけど、何か工夫されてることとかあります?」
「シュッとした人のご意見うかがいたいわー」
ひとしきり盛り上がったところで水を向けられ、水岡はしばし悩んだ。
「というか、ヨウさん寝ぐせつきます?」
「もともとくせ毛なので、逆に気にしたことないかもしれません」
「あーなるほど。きょうもぴしっと決まってますもんね」
「いや、これはさっきやられて」
声はともかく顔出しはなし。ということで、サングラスにマスクという不審な姿になった水岡を哀れんでか、予定になかったスタイリングを急きょしてもらった。普段使っていないスタイリング剤の匂いが落ち着かない。
「やられちゃったんですねえ」
「ちょっとスタイリストさん、僕らのときと気合いの入り方違いません?」
「いやお前、どこにスタイリングする余地があんだよ」
つややかな頭頂でぺちっと皮膚が打ち合わさって、笑いもはじける。
「えー脱線しましたが……ヨウさん、いかがですか?」
「残念ながら、寝ぐせのつき方って視点でマクラとか検証したことがないもので」
「ですよねー」
「というか、寝ぐせ気になるなら、剃ってしまえばいいんじゃないですか? そちらの方みたいに」
水岡としてはわりといい手だと思ったのだが、なぜだか爆笑されてしまった。
「採用ですね」
「採用です。というわけで、質問を送ってくれた眠れないヒツジさん、ちょっと寒いかもしれないですけど、いっそさっぱり剃ってみては?」
和やかに笑いも交えつつ、きちんと収めるべきところに収める手腕を間近で見て、プロはすごいな、と感心した。口数の少ない自分が座談会なんて、と思っていたけれど、彼らに任せれば何でもおもしろくしてくれるだろう。
「では次のお悩みに。『好きな人ができました。その人のことばかりを考えてしまい、夜眠れません。何かいい方法はありませんか』ということなんですが――」
「甘酸っぱい!」
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