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28.陽、働く
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「どう経費を削っても百二十万、足が出る。全部は無理でも、すこしでも利益を回収したい。でも、ただ単に追加で払えなんて言えない」
コーヒーカップを見つめながら話す。
「先方はヨウの動画を思った以上に喜んでくれた。内容も、その再生数とかエンゲージメント率もね。社長が代替わりして、新しいことを始めたいという流れもある。イベント用の専用アプリの開発と提供。追加で提案すれば、乗ってくる可能性は高い」
「それで、タダでアプリ用意して金貰って、足が出た分相殺しようって肚ですか」
「そう」
須永はうつむいたまま顔をあげない。陽はじっと待った。
SNSに書かれて炎上するかもしれないな。録音されてて警察行かれたら、もっとやばいのかもしれない。
頭ではまずいことをしているという自覚があって、けど焦りはあんまりなかった。ゆらゆらと黒い液面から立ち上ていた湯気が消えたころにようやく、須永が顔をあげる。
「なんで、やれって言わないんですか」
「……え?」
「どう考えても、責められるのはオレでしょ。ミスっといて、報告もなく逃げて、ケツ拭かせて。責任取って、損失のぶん働け。ひとこと、そう言えばいいじゃないすか」
「だって、責任を取ってほしいわけじゃないから」
陽は深く息を吸った。
「いやまあ、お願いしてることは同じかもしれないけど……須永がいなくなって、色々考えたんだ。もっと声を掛ければよかったとか、忙しいことにかまけて気を回せなかったとか……俺は、もしかしたら、自分のやり方を押し付けていただけなんじゃないかって」
「後輩ができない分をあなたがやったらいい」という水岡の言葉をずっと考えていた。
とても難しいと思った。
なんでもやってあげる、じゃあ成長につながらないとか、言葉は悪いけれど甘えなんじゃないかとか、そういう思いも確かにあった。
けど、じゃあ、俺は、須永に自分のコピーになってほしかったのか? 須永はそれを、望んでいたのか?
わからなかった。だから、須永のことを知ってみたかった。
何が得意だったのか。
どんなことができるのか。
どういうふうに仕事をするのか。
いまさら虫のいい話だけど、陽が用意した選択肢じゃなくって、須永自身が持っている武器で、一緒に仕事をしてみたかった。
「俺は、須永と一緒に仕事したことに後悔はないよ。反省はいくらでもあるけど。だから、これは先輩後輩とか、責任がどうこうで持ち掛けた話じゃない。無茶は重々承知だけど、頼れるのは須永しかいないし、できれば引き受けてほしい」
コーヒーのカップを避けて、陽は深々と頭を下げた。
「どうか、俺たちを助けてくれないか?」
◇
カフェを出るともう暗かった。スマホには仕事のメールが数通来ていて、けれど水岡からの連絡はなかった。
やっぱ、謝ったほうがよかったかな。
昼、うどんを食べながら、このままスルーは良くないよなと考えた。でもごめんと謝るのもなんだか違う気がして、ひとまず「昨日はありがとう」と連絡した。
既読のマークだけついた画面は、投げたボールがてんてんと転がり、いつまでも拾われず止まっているようでさみしい。
◇
ちいさな雪玉を坂の上から転がしたように、日々はスピードを増しながら過ぎていった。
みるみる大きく、重くなっていく仕事の量と責任が、かすかな段差につまづいてばらばらになってしまわないように、陽は目を凝らして必死で駆けた。
無理やり飛び乗った終電のなかで息を整えながら、コートのポケットからスマホを取り出す。
水岡が家に来てから、三週間が経っていた。
忙しい仕事の合間をぬってこまめに連絡をしていたけれど、一向に返事はない。思い当ることなんて一つしかないし、嫌われたのなら残念だと思うけれど、それにしても何のアクションもないのが気になった。
彼なら平気で「もう二度と連絡してこないでください」くらい言いそうだ。
想像するだけで鋭角に削った氷を突き立てられたみたいに胸が痛いのに、あまりにセリフが似合っていて同じくらいおかしい。
画面を切り替えて、ヨウのSNSをチェックする。
今日も更新はなかった。
心配のもう一つが水岡の仕事のことで、二日に一回は更新していた動画がもう一週間も音沙汰ない。香泉堂の仕事はきっちり納品していたから、陽の仕事には影響がないけれど、それでも心配だった。
カギを開け、シャワーを浴び、酒の代わりに常温の水を飲んで、軽くストレッチをする。
寝ることへの恐怖が減ったわけではないけれど、短くても寝たほうが日中効率よく、そして長い時間働けることを身体で知った。長距離の走り方を覚えるってたぶん、こういう感覚なんだろう。駆け出そうとする脚を抑えて、ペースを保ち、疲労をいなす。
起きてしっかり動くために眠るのだ、と思えば、少しだけ前向きにベッドに入れた。
首と肩回りをほぐし終え、寝室の床に寝転んで腰をねじっていたとき、ベッドの下に影を見つけた。
虫だったら嫌だなと思いながら手を伸ばすと、細長い金属だった。ペンライト。陽が百均で買ったようなプラスチックの安物じゃなくて、ずっしりと重く、優美なラインの光沢がうつくしい。
水岡のものだ。
コーヒーカップを見つめながら話す。
「先方はヨウの動画を思った以上に喜んでくれた。内容も、その再生数とかエンゲージメント率もね。社長が代替わりして、新しいことを始めたいという流れもある。イベント用の専用アプリの開発と提供。追加で提案すれば、乗ってくる可能性は高い」
「それで、タダでアプリ用意して金貰って、足が出た分相殺しようって肚ですか」
「そう」
須永はうつむいたまま顔をあげない。陽はじっと待った。
SNSに書かれて炎上するかもしれないな。録音されてて警察行かれたら、もっとやばいのかもしれない。
頭ではまずいことをしているという自覚があって、けど焦りはあんまりなかった。ゆらゆらと黒い液面から立ち上ていた湯気が消えたころにようやく、須永が顔をあげる。
「なんで、やれって言わないんですか」
「……え?」
「どう考えても、責められるのはオレでしょ。ミスっといて、報告もなく逃げて、ケツ拭かせて。責任取って、損失のぶん働け。ひとこと、そう言えばいいじゃないすか」
「だって、責任を取ってほしいわけじゃないから」
陽は深く息を吸った。
「いやまあ、お願いしてることは同じかもしれないけど……須永がいなくなって、色々考えたんだ。もっと声を掛ければよかったとか、忙しいことにかまけて気を回せなかったとか……俺は、もしかしたら、自分のやり方を押し付けていただけなんじゃないかって」
「後輩ができない分をあなたがやったらいい」という水岡の言葉をずっと考えていた。
とても難しいと思った。
なんでもやってあげる、じゃあ成長につながらないとか、言葉は悪いけれど甘えなんじゃないかとか、そういう思いも確かにあった。
けど、じゃあ、俺は、須永に自分のコピーになってほしかったのか? 須永はそれを、望んでいたのか?
わからなかった。だから、須永のことを知ってみたかった。
何が得意だったのか。
どんなことができるのか。
どういうふうに仕事をするのか。
いまさら虫のいい話だけど、陽が用意した選択肢じゃなくって、須永自身が持っている武器で、一緒に仕事をしてみたかった。
「俺は、須永と一緒に仕事したことに後悔はないよ。反省はいくらでもあるけど。だから、これは先輩後輩とか、責任がどうこうで持ち掛けた話じゃない。無茶は重々承知だけど、頼れるのは須永しかいないし、できれば引き受けてほしい」
コーヒーのカップを避けて、陽は深々と頭を下げた。
「どうか、俺たちを助けてくれないか?」
◇
カフェを出るともう暗かった。スマホには仕事のメールが数通来ていて、けれど水岡からの連絡はなかった。
やっぱ、謝ったほうがよかったかな。
昼、うどんを食べながら、このままスルーは良くないよなと考えた。でもごめんと謝るのもなんだか違う気がして、ひとまず「昨日はありがとう」と連絡した。
既読のマークだけついた画面は、投げたボールがてんてんと転がり、いつまでも拾われず止まっているようでさみしい。
◇
ちいさな雪玉を坂の上から転がしたように、日々はスピードを増しながら過ぎていった。
みるみる大きく、重くなっていく仕事の量と責任が、かすかな段差につまづいてばらばらになってしまわないように、陽は目を凝らして必死で駆けた。
無理やり飛び乗った終電のなかで息を整えながら、コートのポケットからスマホを取り出す。
水岡が家に来てから、三週間が経っていた。
忙しい仕事の合間をぬってこまめに連絡をしていたけれど、一向に返事はない。思い当ることなんて一つしかないし、嫌われたのなら残念だと思うけれど、それにしても何のアクションもないのが気になった。
彼なら平気で「もう二度と連絡してこないでください」くらい言いそうだ。
想像するだけで鋭角に削った氷を突き立てられたみたいに胸が痛いのに、あまりにセリフが似合っていて同じくらいおかしい。
画面を切り替えて、ヨウのSNSをチェックする。
今日も更新はなかった。
心配のもう一つが水岡の仕事のことで、二日に一回は更新していた動画がもう一週間も音沙汰ない。香泉堂の仕事はきっちり納品していたから、陽の仕事には影響がないけれど、それでも心配だった。
カギを開け、シャワーを浴び、酒の代わりに常温の水を飲んで、軽くストレッチをする。
寝ることへの恐怖が減ったわけではないけれど、短くても寝たほうが日中効率よく、そして長い時間働けることを身体で知った。長距離の走り方を覚えるってたぶん、こういう感覚なんだろう。駆け出そうとする脚を抑えて、ペースを保ち、疲労をいなす。
起きてしっかり動くために眠るのだ、と思えば、少しだけ前向きにベッドに入れた。
首と肩回りをほぐし終え、寝室の床に寝転んで腰をねじっていたとき、ベッドの下に影を見つけた。
虫だったら嫌だなと思いながら手を伸ばすと、細長い金属だった。ペンライト。陽が百均で買ったようなプラスチックの安物じゃなくて、ずっしりと重く、優美なラインの光沢がうつくしい。
水岡のものだ。
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