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24.陽、飲み込み損ねる
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まじで?
半信半疑で口をつける。ふわっと香る草木のにおいが、鼻と口に広がった。けどよく味わうと、苦みも甘みもほとんどない。
なるほど、においと味と見た目を切り分けたらよかったのだ。
好きかと問われたら首を傾げざるを得ないけれど、こんなもんか、と思えば腑に落ちた。なんだ、もっと早く知りたかった。
「小さい頃、ひどい花粉症でさ」
ひとくち、ふたくちと飲みながら陽は話す。ふー、と息をふくと、ちいさな水面にさざ波が立つ。
「もうほんと、薬飲んでも何しても三月四月は顔ぐっちゃぐちゃで。鼻の粘膜も弱ってしょっちゅう鼻血ふいてた。そしたら、母さんが甜茶っての買ってきて」
これ飲んだら症状軽くなるらしいから飲みなさい。そう言って、夕食後、毎日のように飲まされた。
「漢方だかなんだかしらないけど、テレビでやってたらしくて。でもそれが、すんごいまずいの。見た目とかほうじ茶なんだけど、変に甘いし。小さい頃って、今よりずっと味に敏感でしょ。それで、毎日ケンカしながら飲まされたのがトラウマ」
「あれは、独特な味ですよね」
「飲んだことあるんだ」
「おれも軽い花粉症で、そしたらお手伝いのひとが淹れてくれました」
お手伝いのひと、というセレブな単語と花粉症という庶民的な単語が似合わない。
「同じ番組見たのかな」
「あのころって、みんな同じ番組見てた気がします」
放送の翌日に取り上げられた商品が棚から姿を消す、なんてのも珍しくなかった。きっと同じようなことが、全国の家庭で起きてたんだろう。
それでも彼と共通する話題がうれしかった。さっきまでの苛立ちも忘れ、陽は身を乗り出す。
「ずっと気になってたんだけど、もしかして同い歳? 俺二十八」
「二歳下です。二十六」
「え、うっそ」
「なんですか」
「タメか年上だと思ってた。あ、だからずっと敬語?」
「まあ一応。おれは安心しました。歳って、実年齢がすべてじゃないですね」
どういう意味だ。
軽くにらんでみたけれど、パンパンに張った浮き輪みたいにつるつるはじいてしまってまったく効果がない。
だから、陽はにらむフリをして、カップを包む骨ばった手を見ていた。マグカップのやわらかい曲面に沿う大きな手の甲には、削り出したような筋が張り出ている。
「甜茶は効いたんですか?」
「え? ああ、うん。思い込みかもしれないけど」
寝る前の鼻づまりが改善したような感じはした。だから、嫌々ながらも飲み続けたのだ。幸い大きくなるにつれて症状は改善し、今はシーズン中に薬をもらうだけで十分問題なく生活できる。
「そうですか。お母さんも報われますね」
「そうだねえ」
常に補充されるストック、食事終わりに必ず用意されている熱湯。
夏場、水出しの麦茶すら作らなくなったいまなら、どれだけの愛情をかけてもらっていたのかよくわかる。その手間に報いる効果を、俺は出せたんだろうか。
彼女は、満足していただろうか。
ひと口、飲み込む。煮だし過ぎたわけでもないのに、やたらと苦く感じる。
半分以下に減ったハーブティーを、どうしても飲むことができなかった。ゆらゆら揺れる液面を見つめていると、
「無理しなくていいですよ」と言われる。
「いや、無理ってわけじゃないんだけど」
言葉をにごす。本当に無理じゃなかった。けど、飲み干したくなかった。
だって、なくなってしまえば、寝なくてはならない。
「カップ置いといてください。俺、洗っとくんで」
だから陽はそう申し出た。水岡のカップはもうすっかり底が見えている。
「でも」
「いいんです。俺、もう少し起きてようと思うので」
「まだ仕事する気ですか」
ぐっと低くなった声を聞き流す。目を合わせられなかった。
「ちょっといま、立て込んでて」
「そんなこと言われなくてもわかります。目の下真っ黒だし」
「なら」
「だからこそ、寝たほうがいいです。絶対に効率が悪い。集中できなくって時間がかかって、睡眠時間が減るってループに入ってるんじゃないですか?」
図星だった。けど、どうしろっていうんだ。温かな心遣いも気持ちをほぐす香りも、陽のスイッチを切ってくれる気配はなかった。すっかり冷めたカップは、死んだようにつめたい。
「わかってる」
「なら、さっさと飲んで寝てください」
「あのさ」ふいにバカバカしくなって、陽は顔をあげる。
「俺が寝不足でぽんこつになって、それって水岡さんに何か関係ある?」
「ありますよ」
水岡はきっぱりと断言した。
「おれも関わったプロジェクトです。失敗なんかされたら困る」
「別に水岡さんに迷惑なんてかけないよ」
「わからないでしょう」
「……なにかあったら、俺が全部責任取るから」
眉間を揉みながら吐き捨てる。頭痛がする。きりきりとこめかみを差し込むような痛みに、眉根が寄る。腹の奥から立ち上る、草花の風味がひどく気に障る。
「あなたひとりで背負える責任なんてたかが知れてる」
「じゃあなに。違約金が欲しいの? それとも、土下座でもしたらいいって?」
「そうじゃない」
じれったそうに水岡は指で机を叩いた。爪のたてるコツコツという音が頭に響く。
「ともかく、俺は失敗しないためにできることは全部やりたい。それを他人にとやかく言われる筋合いはない」
「わからないひとだな」
「あんたに言われたくない」
「全部やりたいって、できてないでしょう、その状態じゃ。理解ができない。半分寝てるような状態で仕事をしたって、それはもう仕事にならない。結局ミスするのがオチで――」
「わかってるよ!」
半信半疑で口をつける。ふわっと香る草木のにおいが、鼻と口に広がった。けどよく味わうと、苦みも甘みもほとんどない。
なるほど、においと味と見た目を切り分けたらよかったのだ。
好きかと問われたら首を傾げざるを得ないけれど、こんなもんか、と思えば腑に落ちた。なんだ、もっと早く知りたかった。
「小さい頃、ひどい花粉症でさ」
ひとくち、ふたくちと飲みながら陽は話す。ふー、と息をふくと、ちいさな水面にさざ波が立つ。
「もうほんと、薬飲んでも何しても三月四月は顔ぐっちゃぐちゃで。鼻の粘膜も弱ってしょっちゅう鼻血ふいてた。そしたら、母さんが甜茶っての買ってきて」
これ飲んだら症状軽くなるらしいから飲みなさい。そう言って、夕食後、毎日のように飲まされた。
「漢方だかなんだかしらないけど、テレビでやってたらしくて。でもそれが、すんごいまずいの。見た目とかほうじ茶なんだけど、変に甘いし。小さい頃って、今よりずっと味に敏感でしょ。それで、毎日ケンカしながら飲まされたのがトラウマ」
「あれは、独特な味ですよね」
「飲んだことあるんだ」
「おれも軽い花粉症で、そしたらお手伝いのひとが淹れてくれました」
お手伝いのひと、というセレブな単語と花粉症という庶民的な単語が似合わない。
「同じ番組見たのかな」
「あのころって、みんな同じ番組見てた気がします」
放送の翌日に取り上げられた商品が棚から姿を消す、なんてのも珍しくなかった。きっと同じようなことが、全国の家庭で起きてたんだろう。
それでも彼と共通する話題がうれしかった。さっきまでの苛立ちも忘れ、陽は身を乗り出す。
「ずっと気になってたんだけど、もしかして同い歳? 俺二十八」
「二歳下です。二十六」
「え、うっそ」
「なんですか」
「タメか年上だと思ってた。あ、だからずっと敬語?」
「まあ一応。おれは安心しました。歳って、実年齢がすべてじゃないですね」
どういう意味だ。
軽くにらんでみたけれど、パンパンに張った浮き輪みたいにつるつるはじいてしまってまったく効果がない。
だから、陽はにらむフリをして、カップを包む骨ばった手を見ていた。マグカップのやわらかい曲面に沿う大きな手の甲には、削り出したような筋が張り出ている。
「甜茶は効いたんですか?」
「え? ああ、うん。思い込みかもしれないけど」
寝る前の鼻づまりが改善したような感じはした。だから、嫌々ながらも飲み続けたのだ。幸い大きくなるにつれて症状は改善し、今はシーズン中に薬をもらうだけで十分問題なく生活できる。
「そうですか。お母さんも報われますね」
「そうだねえ」
常に補充されるストック、食事終わりに必ず用意されている熱湯。
夏場、水出しの麦茶すら作らなくなったいまなら、どれだけの愛情をかけてもらっていたのかよくわかる。その手間に報いる効果を、俺は出せたんだろうか。
彼女は、満足していただろうか。
ひと口、飲み込む。煮だし過ぎたわけでもないのに、やたらと苦く感じる。
半分以下に減ったハーブティーを、どうしても飲むことができなかった。ゆらゆら揺れる液面を見つめていると、
「無理しなくていいですよ」と言われる。
「いや、無理ってわけじゃないんだけど」
言葉をにごす。本当に無理じゃなかった。けど、飲み干したくなかった。
だって、なくなってしまえば、寝なくてはならない。
「カップ置いといてください。俺、洗っとくんで」
だから陽はそう申し出た。水岡のカップはもうすっかり底が見えている。
「でも」
「いいんです。俺、もう少し起きてようと思うので」
「まだ仕事する気ですか」
ぐっと低くなった声を聞き流す。目を合わせられなかった。
「ちょっといま、立て込んでて」
「そんなこと言われなくてもわかります。目の下真っ黒だし」
「なら」
「だからこそ、寝たほうがいいです。絶対に効率が悪い。集中できなくって時間がかかって、睡眠時間が減るってループに入ってるんじゃないですか?」
図星だった。けど、どうしろっていうんだ。温かな心遣いも気持ちをほぐす香りも、陽のスイッチを切ってくれる気配はなかった。すっかり冷めたカップは、死んだようにつめたい。
「わかってる」
「なら、さっさと飲んで寝てください」
「あのさ」ふいにバカバカしくなって、陽は顔をあげる。
「俺が寝不足でぽんこつになって、それって水岡さんに何か関係ある?」
「ありますよ」
水岡はきっぱりと断言した。
「おれも関わったプロジェクトです。失敗なんかされたら困る」
「別に水岡さんに迷惑なんてかけないよ」
「わからないでしょう」
「……なにかあったら、俺が全部責任取るから」
眉間を揉みながら吐き捨てる。頭痛がする。きりきりとこめかみを差し込むような痛みに、眉根が寄る。腹の奥から立ち上る、草花の風味がひどく気に障る。
「あなたひとりで背負える責任なんてたかが知れてる」
「じゃあなに。違約金が欲しいの? それとも、土下座でもしたらいいって?」
「そうじゃない」
じれったそうに水岡は指で机を叩いた。爪のたてるコツコツという音が頭に響く。
「ともかく、俺は失敗しないためにできることは全部やりたい。それを他人にとやかく言われる筋合いはない」
「わからないひとだな」
「あんたに言われたくない」
「全部やりたいって、できてないでしょう、その状態じゃ。理解ができない。半分寝てるような状態で仕事をしたって、それはもう仕事にならない。結局ミスするのがオチで――」
「わかってるよ!」
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