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23.陽、寝るのを諦める
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壁に沿って設置された真新しいベッドに遠慮なく腰掛けた水岡は、寝っ転がってはノートに何かを書き、ぐっと膝の一点に体重をかけては写真を撮り、枕元に折り畳みのスマホスタンドを置いては、端末の位置を確認して微調整して、と忙しそうだった。
ほんとに寝具が好きなんだな。
呆れたけど「ピローミスト、使ってくれてるんですね」なんて指摘されると、とたんに気恥ずかしさがムカつきを上回りそうになって、陽は怒りを手放さないよう気合いを入れなければならなかった。本当はもう怒っていないのに、すぐに機嫌を直すと思われたくなくって、不機嫌なフリをしている子どもみたいだ。
寝不足は本当によくない。つくづく思った。水岡の一挙手一投足に感情を振り乱されて、こんなの本当に、自分らしくない。
「じゃあ、俺はリビングで寝てますから。何かあったら言ってください」
「ちゃんと布団ひいてくださいね。ソファじゃ寝たうちに入らない」
「わかってますって」
なるべく不機嫌に聴こえるよう淡々と答えて、陽は持っていたペンライトを水岡に差し出した。
「なんですか?」
「夜中、地震とかあったら危ないので。適当に置いといてください」
まあ、自前があるのかもしれないけれど、備えて損することはないだろう。
手のひらにぽとんと落として部屋を出て、陽はしぶしぶ収納から、しまったばかりの布団を取り出した。
居間に運んで、ローテーブルとソファの間にねじ込むように敷く。シーツをかけるのも面倒で、そのうえに倒れ込み、電気を消した。
身体を動かすエネルギーの形は、目を閉じるとよくわかる。
全身に散っていたそれが目を閉じた瞬間、一気に脳に集まって、踏み込み過ぎたアクセルのようにぐるぐる思考が巡りだす。
あの件は返事が戻ってきていたっけ?
見積り、もう一回出してもらうよう連絡しないと。
沙苗さん、ここ辞めたら別のところで働くのかな。
あんなに優秀なら、もっと条件のいい職場はいくらだってあるだろうけど、なんて、身勝手な言い訳。
あのとき、もう三十分残業してちゃんと目を通していたら、こんなことにならなかったのに。
グラスに注いだ炭酸みたいに、後悔と不安はいくらでも湧いてくる。ぎゅ、と目を閉じ、生産性のない物思いを振り払おうとする。
明後日の会食の会場、そう言えば禁煙だった気がするけど大丈夫だろうか。須永は自分が吸わないから、いつも喫煙の確認を忘れがちだったな。
店を選ぶのは上手なのに、禁煙のせいで接待に使えなかったところはいくつもあって、いつか打ち上げで行こうと雑談したこともあった。
あいつは。
あいつは、かわいそうだったんだろうか。
俺がメンターにならなければ、まだ会社にいてくれたんだろうか。
あともうちょっと、声を掛けてやれば、見ていてあげられれば、信じて、任せてやったら、何か変わった?
――そうやって、追いつめてきたんですか?
布団をはねのけて起きあがり、立てた両膝に額を押し付ける。ぎゅうっと身体を縮めていると、波が引くように悪い考えが遠ざかっていくのを感じて、代わりに目が冴えていく。
とても寝られそうにないな、と諦めたとき、がたん、と大きな音が鳴った。
慌てて寝室へ向かうと、開いた扉の向こうに、額を押さえてうずくまる水岡がいた。
「なにしてんですか?」
「……開ききってなくて」
手前に引いたドアと自分の目測を誤ったらしい。足元には、つけっぱなしのペンライトが転がっていた。陽が渡した、百均のちゃちな光の輪。
ひとまず手当てを、と陽は水岡のひじをつかんで立ち上がらせると、ちょっとびっくりする勢いで腕を捕まれた。ふらつく身体を支えながらリビングまで誘導する。
ソファに座らせ、電気をつける。
救急箱をさがしながら、本当に暗いところが見えないんだと驚いていた。離したら二度と出会えない、とでも言うようにしっかりつかまれた水岡の指の感触がまだ残っている。
幸い、出血はなかった。保冷剤をタオルで包んで、赤く腫れた額にあてるよう渡す。
「眠れませんでした?」
「それはあなたでしょう」
ばれてたか。
「うるさくてすみません」
「別に。あなたの家ですし」
それきり、水岡はふっつりと黙り込んでいたが、やがて肚を決めたように「起きてるなら、飲みますか?」と顔をあげた。
「酒?」
「お茶です」
「うちは酒かコーヒーしかないんですけど」
「だろうと思ってました」
水岡はずいぶんやわらかくなった保冷剤を陽に返すと、紙袋から小さな包みを取り出す。
シンクの奥から急須を発見できてよかった。慣れた手つきでケトルから湯を注ぎ、マグカップにも注いで、捨てる。じっと蒸らして三分。とくとく注がれた黄金色の液体からは、薬箱みたいな香りが立ち昇っていた。
「カモミールティーです」
ダイニングのペンダントライトだけ灯し、向き合って座る。
「これ飲むと眠れんの?」
「個人差はありますけど、おれは結構効きます」
試してみたい気持ちはある。けれど同じくらい、飲みたくないなあという気持ちもある。
「においのついたお湯だと思えばいいんです」
「なにそれ?」
「ハーブティーの攻略法」
「水岡さんが考えたの?」
ちいさく、けれど確かに頷いた水岡を笑うことはできなかった。きっと、たくさん考えたんだろうと思ったから。
得意ではない、けれど効果のあるものと、どう折り合いをつけるか。
苦い薬をアイスクリームで包むように、注射のあとにキラキラのシールがもらえるみたいに。自分や、もしかしたら、自分以外の大切な人のために。
「ほうじ茶とか紅茶に見えるものから、違う味と香りがするから脳が混乱するんですよ。ちょっと苦いお湯に、葉っぱのにおいがつけてある、と思ってみると、いけます」
ほんとに寝具が好きなんだな。
呆れたけど「ピローミスト、使ってくれてるんですね」なんて指摘されると、とたんに気恥ずかしさがムカつきを上回りそうになって、陽は怒りを手放さないよう気合いを入れなければならなかった。本当はもう怒っていないのに、すぐに機嫌を直すと思われたくなくって、不機嫌なフリをしている子どもみたいだ。
寝不足は本当によくない。つくづく思った。水岡の一挙手一投足に感情を振り乱されて、こんなの本当に、自分らしくない。
「じゃあ、俺はリビングで寝てますから。何かあったら言ってください」
「ちゃんと布団ひいてくださいね。ソファじゃ寝たうちに入らない」
「わかってますって」
なるべく不機嫌に聴こえるよう淡々と答えて、陽は持っていたペンライトを水岡に差し出した。
「なんですか?」
「夜中、地震とかあったら危ないので。適当に置いといてください」
まあ、自前があるのかもしれないけれど、備えて損することはないだろう。
手のひらにぽとんと落として部屋を出て、陽はしぶしぶ収納から、しまったばかりの布団を取り出した。
居間に運んで、ローテーブルとソファの間にねじ込むように敷く。シーツをかけるのも面倒で、そのうえに倒れ込み、電気を消した。
身体を動かすエネルギーの形は、目を閉じるとよくわかる。
全身に散っていたそれが目を閉じた瞬間、一気に脳に集まって、踏み込み過ぎたアクセルのようにぐるぐる思考が巡りだす。
あの件は返事が戻ってきていたっけ?
見積り、もう一回出してもらうよう連絡しないと。
沙苗さん、ここ辞めたら別のところで働くのかな。
あんなに優秀なら、もっと条件のいい職場はいくらだってあるだろうけど、なんて、身勝手な言い訳。
あのとき、もう三十分残業してちゃんと目を通していたら、こんなことにならなかったのに。
グラスに注いだ炭酸みたいに、後悔と不安はいくらでも湧いてくる。ぎゅ、と目を閉じ、生産性のない物思いを振り払おうとする。
明後日の会食の会場、そう言えば禁煙だった気がするけど大丈夫だろうか。須永は自分が吸わないから、いつも喫煙の確認を忘れがちだったな。
店を選ぶのは上手なのに、禁煙のせいで接待に使えなかったところはいくつもあって、いつか打ち上げで行こうと雑談したこともあった。
あいつは。
あいつは、かわいそうだったんだろうか。
俺がメンターにならなければ、まだ会社にいてくれたんだろうか。
あともうちょっと、声を掛けてやれば、見ていてあげられれば、信じて、任せてやったら、何か変わった?
――そうやって、追いつめてきたんですか?
布団をはねのけて起きあがり、立てた両膝に額を押し付ける。ぎゅうっと身体を縮めていると、波が引くように悪い考えが遠ざかっていくのを感じて、代わりに目が冴えていく。
とても寝られそうにないな、と諦めたとき、がたん、と大きな音が鳴った。
慌てて寝室へ向かうと、開いた扉の向こうに、額を押さえてうずくまる水岡がいた。
「なにしてんですか?」
「……開ききってなくて」
手前に引いたドアと自分の目測を誤ったらしい。足元には、つけっぱなしのペンライトが転がっていた。陽が渡した、百均のちゃちな光の輪。
ひとまず手当てを、と陽は水岡のひじをつかんで立ち上がらせると、ちょっとびっくりする勢いで腕を捕まれた。ふらつく身体を支えながらリビングまで誘導する。
ソファに座らせ、電気をつける。
救急箱をさがしながら、本当に暗いところが見えないんだと驚いていた。離したら二度と出会えない、とでも言うようにしっかりつかまれた水岡の指の感触がまだ残っている。
幸い、出血はなかった。保冷剤をタオルで包んで、赤く腫れた額にあてるよう渡す。
「眠れませんでした?」
「それはあなたでしょう」
ばれてたか。
「うるさくてすみません」
「別に。あなたの家ですし」
それきり、水岡はふっつりと黙り込んでいたが、やがて肚を決めたように「起きてるなら、飲みますか?」と顔をあげた。
「酒?」
「お茶です」
「うちは酒かコーヒーしかないんですけど」
「だろうと思ってました」
水岡はずいぶんやわらかくなった保冷剤を陽に返すと、紙袋から小さな包みを取り出す。
シンクの奥から急須を発見できてよかった。慣れた手つきでケトルから湯を注ぎ、マグカップにも注いで、捨てる。じっと蒸らして三分。とくとく注がれた黄金色の液体からは、薬箱みたいな香りが立ち昇っていた。
「カモミールティーです」
ダイニングのペンダントライトだけ灯し、向き合って座る。
「これ飲むと眠れんの?」
「個人差はありますけど、おれは結構効きます」
試してみたい気持ちはある。けれど同じくらい、飲みたくないなあという気持ちもある。
「においのついたお湯だと思えばいいんです」
「なにそれ?」
「ハーブティーの攻略法」
「水岡さんが考えたの?」
ちいさく、けれど確かに頷いた水岡を笑うことはできなかった。きっと、たくさん考えたんだろうと思ったから。
得意ではない、けれど効果のあるものと、どう折り合いをつけるか。
苦い薬をアイスクリームで包むように、注射のあとにキラキラのシールがもらえるみたいに。自分や、もしかしたら、自分以外の大切な人のために。
「ほうじ茶とか紅茶に見えるものから、違う味と香りがするから脳が混乱するんですよ。ちょっと苦いお湯に、葉っぱのにおいがつけてある、と思ってみると、いけます」
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