眠たい眠たい、眠たい夜は

nwn

文字の大きさ
上 下
19 / 38

19.陽、悩む

しおりを挟む
 事務所の自販機が赤色のメーカーから青色のメーカーに変わっていた。
 こういうのって誰が指定するんだろうな、と思いながら、いつもの元気を前借りするドリンクに指をのばしかけて、やめる。
 少し悩んで、一段下のオレンジ色の缶のボタンを押した。ビタミンたっぷり、の文言はすぐ、暖房の風に汗をかき始める。

 須永は帰ってこなかった。
 休み明け、「もうわかってると思うけど」と田所に呼ばれた。

「このまま辞めますって連絡がきたよ。もうちょっと粘ってくれるって思ったんだけどなあ」

 忌引き休暇が終わり次第、有休の消化が始まるらしい。見え透いていた結果に、陽はただ「残念です」とだけ答えた。社用携帯の充電ケーブルがつながりっぱなしの、今にもトイレから戻ってきそうなデスクをながめて、久しく忘れていた後悔をした。

 俺は、あいつの苦手な料理を押し付けていたんだろうか。

 手遅れだとわかっていながら、水岡の言葉が引っかかっていた。
 もちろん現実は待ってくれない。本人不在のなか、須永の仕事をまるまる引き継ぐのは、さすがの陽にも堪えた。

 関係各所へのあいさつとお詫びと今後のスケジュールの再確認、いま進んでいること、止まっていること、諦めるべきことと喰らいついて継続しなければならないことの選別、まかせていたことの洗い直し。

 日なたに置いた氷のように、時間はあっという間に溶けて蒸発して消えていった。

 水岡と出かけた日から二週間後に、ベッドが届いた。
 できるだけ早く受け取りたくて、平日の昼間にわざわざ会社を中抜けして家に帰り、折れたベッドと引き換えに新しい寝床を搬入してもらう。設置が終わって、また出社して、不在の時間に溜まっていた仕事を片付けて、ようやく退社する頃には日付が変わっていた。

 帰宅して、即風呂に入り、洗ったばかりの部屋着に着替える。水岡が見たらため息をつかれそうな、くたびれたカットソーの寝間着は、場違いに甘い柔軟剤の香りがする。
 真新しいベッドにこわごわ座る。まだシーツをかけていない、むき出しのマットレスが陽の形にあわせてやんわりと沈む。自分から染み出た見えない汚れがくっきりと跡につくようで、落ち着かなくてすぐ立ち上がった。買ったばかりの携帯に触るときに似ている。どうせ汚れることがわかっているのに、指紋ひとつない宝石みたいな完璧さに、触れるのをためらう期間。

 どうしようかな、と思う。寝心地を試しに来てもいいから、なんて言わなきゃよかった。

 うかつな自分の発言を、陽はいまさら後悔していた。社交辞令とはいえ、自分から言い出したことをなかったことにするのは気が引ける。かといって、水岡をこの家に呼ぶのも尻込みするし、けどあんまり時間を置くのも感じが悪いし。

 ベッドから降りて、傍らに敷いた客用布団に寝転がる。
 ベッドが届くまでの間、急場しのぎとして買った四桁円の布団セットはお値段相応に頼りなくて、一度でも分厚いマットレスで寝てしまえば戻れなくなりそうだった。

 そもそも、あと四時間後には出社しなくてはならないし。

 熟睡しないためにも、と言い訳して陽は布団の方にもぐり、スマホを見つめる。
 水岡のアイコンを触るのすら緊張していて、自身のポンコツ具合がおそろしくなる。

 だって、二十八だぞ?

 それなりに恋愛だって経験してきたし、人脈とコネを操るのが仕事みたいな業界にいて、今さら他人に嫌われるのが怖いわけもない。はずなのに。
 明かりを消すと余計なことばかり考えそうで、陽はスマホをにぎりしめたまま明るいブルーライトの海を漂った。寝心地いい、パジャマ、安い、の検索結果を眺めていたとき、見覚えのある広告が目に留まる。

 須永がハマっていたゲームだ。そう言えば、この手のものってやったことないな。基本無料の文言につられて、ダウンロードする。
 外を歩いて町中のアイテムを集めていくというゲームは、真夜中に部屋のなかでやるには不向きだったけれど、チュートリアルだけでも楽しめた。

 鮮やかなグラフィック、わくわくする音楽、すこし背伸びをすれば手の届きそうなクエストに、膨大な量の報酬。

 初回サービスなのか、じゃらじゃら溜まっていくアプリ内の通貨に、現実で使えたら大儲けだな、と虚しく笑う。けど、次から次へとやるべきことを提示されるのは性に合っていた。
 マップを見ながら通勤途中に一番効率よくアイテム回収する方法を考えていると、あっという間にあたりが明るくなってきた。

 ああ、今日も寝れなかった、と思いながら身を起こそうとしたとき、手の中の機械が震えた。反射的に画面をひらく。

『ベッド届きましたか?』

 あ、やば。既読つけちゃった。つうか、起きるの早いな。
 一瞬で焦りと動揺とうれしさとが去来する。ぶちまけられたおもちゃ箱みたいな胸の内を整理する前に電話がかかってくる。え、なんで?

『なんで起きてるんですか?』
 素行の悪い子どもを叱る先生みたいな声だ。
「いや、そっちこそ」
『おれはこの時間が通常です』
「俺だってそうだよ」
『また見え透いたウソを』

 ふ、と笑う気配が電波を超えて伝わってきて、思わずスマホを取り落とす。あーもう。

『なんかすごい音しましたけど』
「手がすべって」
『はあ。で、何してたんですか?』

 降参して、事実を話した。眠れなくてゲームをしていたこと。やってみたらついついおもしろくって、ちょっとのつもりがこんな時間になってしまったこと。バカじゃないですか、と怒られるんだろうなあと思った。ちょっと、怒られてみたいとも。

『へえ、そんなゲームがあるんですね』

 予想に反して、水岡は感心したような声を上げた。

「やったことないの?」
『あるように見えますか?』
「みえない」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

23時のプール 2

貴船きよの
BL
あらすじ 『23時のプール』の続編。 高級マンションの最上階にあるプールでの、恋人同士になった市守和哉と蓮見涼介の甘い時間。

サイテー上司とデザイナーだった僕の半年

谷村にじゅうえん
BL
デザイナー志望のミズキは就活中、憧れていたクリエイター・相楽に出会う。そして彼の事務所に採用されるが、相楽はミズキを都合のいい営業要員としか考えていなかった。天才肌で愛嬌のある相楽には、一方で計算高く身勝手な一面もあり……。ミズキはそんな彼に振り回されるうち、否応なく惹かれていく。 「知ってるくせに意地悪ですね……あなたみたいなひどい人、好きになった僕が馬鹿だった」 「ははっ、ホントだな」 ――僕の想いが届く日は、いつか来るのでしょうか? ★★★★★★★★ エブリスタ『真夜中のラジオ文芸部×執筆応援キャンペーン  スパダリ/溺愛/ハートフルなBL』入賞作品 ※エブリスタのほか、フジョッシー、ムーンライトノベルスにも転載しています

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

処理中です...