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9. 陽、疑う
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ヨウから送られてきたばかりの動画だった。
オレンジの間接照明が照らすサイドテーブル置かれた灰色の香炉、そこにつき立てられた「夢海原」にピントが合い、テロップの言葉がつづられる。
『ラベンダーをベースにした甘すぎない穏やかな香り』
『性別を選ばず好まれそうです』
カメラはゆるゆると燃える香の先端ににじりよる。練り上げられた香りのあいまに巣食う炎が、呼吸するように明滅し、しずかに吐く息のような煙が、ゆるやかに立ち昇る。
『眠れない夜、ゆっくり変わっていくものがあると、心強いですよね』
この人は、眠れないつらさを知っているんだ、と思った。
自分ひとり動く歩道を乗り逃してしまったような焦りを、海に潜ってみんなを追いかけないといけないのに、足の裏が氷にくっついてしまって、指先で水面をなでるばかりの絶望もよく知っているのだと、なぜだかそのとき強烈に思った。
「いいね」
「いいっすよね」
ヨウにしては珍しく、製品をべた褒めしている動画だった。陽たちとの打ち合わせはどう考えても失敗だったから、「夢海原」の実力なのだろう。
恒例の睡眠の質チェックも抜群の結果を見せ、総合してみても、想定以上の良い評価となっていた。
「よかったな」
肩の荷が下りたように泣きそうな顔で笑う須永の背を叩き、さっそく各所に共有するように促す。陽もうれしかった。自分でも買ってみようかな、と思うほどには、商品に個人的な興味も沸いた。
正式にリリースされたら、水岡にも送ってみようか。
あのベッドのサイドテーブルで、大きな体を丸めて火を灯す姿を想像すると、口がむずむずした。
◇
次の日、出社すると須永の姿がなかった。
遅刻か? と思っていると、ややあって上司に呼び出される。
「あいつ、田舎のおばあさんが亡くなったんだと」
とっさに、でまかせじゃないか、と思ってしまった自分が嫌だった。
そんなわけない。だって昨日、あんなにうれしそうにしていたばかりだ。
あらぬ疑念を向けてしまった罪悪感はすぐに後悔に代わり、だから陽は、ろくな引き継ぎもない代打を文句ひとつ言わず請け負った。
一応、須永には連絡をしてみたけれど、午前中いっぱい待って返事がないので、陽はまずヨウ宛に昨晩の動画のお礼メールを送り(須永が送っていたのかもしれないが、少なくとも陽にCCは届いていない)、香泉堂にも動画のチェックを依頼して、情報公開のタイミングを相談する。その合間に元々抱えていたプロジェクトの雑事をこなし、さらに隙をみて、須永が進めていた仕事の進捗を洗い直す。
歯医者の十五分は三時間くらいに感じるのに、仕事が二倍になると一日が十秒で終わるのは本当に謎だ。いやなことが二倍になったら、感じる時間は四倍くらいにならないとおかしい。
そんなことを考えながら、フォルダのあちこちに散らばるヨウ案件のデータを一か所に集めていく。
香泉堂はヨウの動画をいたく気に入り、「可能なら一番人気の商品と香りの比較してほしい」と追加オーダーを送ってきた。当初の契約にないのでどうかと思ったけれど、ヨウはすっかり香泉堂の商品を気に入ったようで、「ただで試せるのなら」と承諾してくれた。
だから陽は、かつて須永が資材を手配した送り先を必死になって探している。個人情報保護にうるさいこのご時世、「担当者と連絡つかないからもう一度住所教えて」なんて、悪印象でしかない。
検索に検索を重ねてようやく見つけたデータを開く。
「……んん?」
オレンジの間接照明が照らすサイドテーブル置かれた灰色の香炉、そこにつき立てられた「夢海原」にピントが合い、テロップの言葉がつづられる。
『ラベンダーをベースにした甘すぎない穏やかな香り』
『性別を選ばず好まれそうです』
カメラはゆるゆると燃える香の先端ににじりよる。練り上げられた香りのあいまに巣食う炎が、呼吸するように明滅し、しずかに吐く息のような煙が、ゆるやかに立ち昇る。
『眠れない夜、ゆっくり変わっていくものがあると、心強いですよね』
この人は、眠れないつらさを知っているんだ、と思った。
自分ひとり動く歩道を乗り逃してしまったような焦りを、海に潜ってみんなを追いかけないといけないのに、足の裏が氷にくっついてしまって、指先で水面をなでるばかりの絶望もよく知っているのだと、なぜだかそのとき強烈に思った。
「いいね」
「いいっすよね」
ヨウにしては珍しく、製品をべた褒めしている動画だった。陽たちとの打ち合わせはどう考えても失敗だったから、「夢海原」の実力なのだろう。
恒例の睡眠の質チェックも抜群の結果を見せ、総合してみても、想定以上の良い評価となっていた。
「よかったな」
肩の荷が下りたように泣きそうな顔で笑う須永の背を叩き、さっそく各所に共有するように促す。陽もうれしかった。自分でも買ってみようかな、と思うほどには、商品に個人的な興味も沸いた。
正式にリリースされたら、水岡にも送ってみようか。
あのベッドのサイドテーブルで、大きな体を丸めて火を灯す姿を想像すると、口がむずむずした。
◇
次の日、出社すると須永の姿がなかった。
遅刻か? と思っていると、ややあって上司に呼び出される。
「あいつ、田舎のおばあさんが亡くなったんだと」
とっさに、でまかせじゃないか、と思ってしまった自分が嫌だった。
そんなわけない。だって昨日、あんなにうれしそうにしていたばかりだ。
あらぬ疑念を向けてしまった罪悪感はすぐに後悔に代わり、だから陽は、ろくな引き継ぎもない代打を文句ひとつ言わず請け負った。
一応、須永には連絡をしてみたけれど、午前中いっぱい待って返事がないので、陽はまずヨウ宛に昨晩の動画のお礼メールを送り(須永が送っていたのかもしれないが、少なくとも陽にCCは届いていない)、香泉堂にも動画のチェックを依頼して、情報公開のタイミングを相談する。その合間に元々抱えていたプロジェクトの雑事をこなし、さらに隙をみて、須永が進めていた仕事の進捗を洗い直す。
歯医者の十五分は三時間くらいに感じるのに、仕事が二倍になると一日が十秒で終わるのは本当に謎だ。いやなことが二倍になったら、感じる時間は四倍くらいにならないとおかしい。
そんなことを考えながら、フォルダのあちこちに散らばるヨウ案件のデータを一か所に集めていく。
香泉堂はヨウの動画をいたく気に入り、「可能なら一番人気の商品と香りの比較してほしい」と追加オーダーを送ってきた。当初の契約にないのでどうかと思ったけれど、ヨウはすっかり香泉堂の商品を気に入ったようで、「ただで試せるのなら」と承諾してくれた。
だから陽は、かつて須永が資材を手配した送り先を必死になって探している。個人情報保護にうるさいこのご時世、「担当者と連絡つかないからもう一度住所教えて」なんて、悪印象でしかない。
検索に検索を重ねてようやく見つけたデータを開く。
「……んん?」
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