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4. 陽、後輩に手を焼く
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自販機って、定期的にシャットダウンしなくてもいいんだろうか。
コーヒーの匂いがしみこんだ給湯室で、手の中のスマホを弄びながら、陽はそんなことを考える。
左の下段に新発売の缶コーヒー(量が少ない)、中段の真ん中より右側に昨日ラインナップが変わったジュース(ブルーベリー味ってうまいのか?)、そして右の上段には、迷える子羊を導くように、燦然と輝くおなじみのエナジードリンク。
そういや神様って、迷える羊を導くくせにヤギは供物にするよなあ。
色とか体格とか同じに見えるのに、やっぱりあのふわふわ感が庇護欲をさそうのだろうか、なんてどうでもいいことを考えながら、親の顔より見たどぎついパッケージのボタンを押した。
「ワタさん、またそれっすか」
席に戻るなり、隣に座っていた須永が横に構えていたスマホをさっとポケットに隠し、それから嫌そうに顔をしかめた。
「いやー結局、これに戻ってきちゃうよね」
「まじで早死にしますよ」
「一日一本にしてるから大丈夫」
何が大丈夫なんすか、という小言を無視して、プルタブを開ける。脳に直接届くよう、限界まで圧縮された糖とカフェインが、ざりざりのどを下っていく。
午後九時にこんなもん飲んでるから眠れないんだと指摘されればまったくその通りで、けど何か手っ取り早く覚醒できそうなものを腹に入れなきゃやってられないから、仕方ない。
「それより、ヨウとの打ち合わせ資料、できた?」
「あーいや……もうちょい練りたくって」
「打ち合わせ、明日の午後だろ? できてるところまででも見るけど」
「うーんでも、全然まだまだなんで」
自信なさそうに須永は視線を漂わせる。
完璧なんて求めてないし、いま時点でまだまだだったら、これからチェックして修正して再チェックして先方に送ってって全部ぜんぶ明日の午前中にやるんだぞ絶対無理だろだからさっさと見せろ…と喉元まで出かかって、陽はなんとかのみ込んだ。
「わかった。じゃあ明日の朝イチで見るから、そこまででできる範囲で頼むな」
「わかりました」
「定時とっくに過ぎてるし、あんまり無茶すんなよ」
須永はだまって薄く笑う。こんな人数じゃ無理っすよ、という声なき声が聞こえた。
「明日のアポって、ひょっとしてあのヨウ?」
少し離れたデスクの田所課長がくちばしをつっこんでくる。デスクトップから顔をあげようとする須永を留め、陽はええ、と声を張った。
「香泉堂さんたっての希望で、コラボしたいって」
お香を主力商品とする「香泉堂」の創立九十周年を祝うイベントは、駅前でのリアルイベントとSNSを駆使したインターネット上のキャンペーンの二本柱で進める。インフルエンサーによる新製品のPR案件は、後者の一環だった。
「まじか~残念だったね」
「なにがです?」
「ヨウさん、女性としかまともに口聞かないって有名だよ。ウワサだけどね」
「へえ」
べつに珍しくはない。華やかな世界にいる人間は総じて我が強いし、そもそもヒト対ヒトのつき合いなんだから、合う合わないはどこにだってある。その範囲が個人なのか、性別やら出身やらルックスやらなのか、それだけの話だ。つめたくされようと、仕事は仕事。
「まあ、渡来だったら問題ないだろうけど……」
ちらっと含みのある視線を後輩に向けられてひやひやする。
当の本人は気づかれていないと思っているのか、こそこそ背中を丸めてはまたスマホに夢中だ。そろそろ新しいイベントが始まる時期だっけ。
田所の沈黙に込められたメッセージに気づいていないのは、いいのか、わるいのか。わざと咳ばらいをすると、須永は電気を流されたようにぴっと背筋を伸ばした。
三か月前、凍てつく風から逃げるようにやってきた須永は、ぶかぶかのスーツを着ていて、まるで高校生のようにみえた。二年間、アプリの開発会社で揉まれてきていると聞いたときは驚いたものだ。
給料がいいわけでもない、全くの異業種に転職した理由を、須永は「未練にしばられたくなかったから」と語った。
「もともとは、ゲームクリエイターになりたかったんです。専門学校も行って、ポートフォリオとか作って……けど、ひとつも内定もらえなくて。泣く泣く、アプリの開発のSEになりました。けど、やっぱりどこかで、ゲームに携われない後ろめたさみたいなのがずっとあって。だからいっそ、まったく別の仕事しようって思ったんです」
「でも、こんな激務の会社に来ることなかったんじゃない?」
「前職もブラックでしたし、それに、働いている方が気がまぎれますから」
転職をしたことがない陽には、会社を移る心境も苦労もわからない。けれど、働いている方が気がまぎれるっていうのは、よく身に覚えのある感覚だった。だから、勤務中にこそこそアプリゲームを起動させる後輩でも、陽は見捨てることができない。
「ところで、例の件はどうすか?」
コーヒーの匂いがしみこんだ給湯室で、手の中のスマホを弄びながら、陽はそんなことを考える。
左の下段に新発売の缶コーヒー(量が少ない)、中段の真ん中より右側に昨日ラインナップが変わったジュース(ブルーベリー味ってうまいのか?)、そして右の上段には、迷える子羊を導くように、燦然と輝くおなじみのエナジードリンク。
そういや神様って、迷える羊を導くくせにヤギは供物にするよなあ。
色とか体格とか同じに見えるのに、やっぱりあのふわふわ感が庇護欲をさそうのだろうか、なんてどうでもいいことを考えながら、親の顔より見たどぎついパッケージのボタンを押した。
「ワタさん、またそれっすか」
席に戻るなり、隣に座っていた須永が横に構えていたスマホをさっとポケットに隠し、それから嫌そうに顔をしかめた。
「いやー結局、これに戻ってきちゃうよね」
「まじで早死にしますよ」
「一日一本にしてるから大丈夫」
何が大丈夫なんすか、という小言を無視して、プルタブを開ける。脳に直接届くよう、限界まで圧縮された糖とカフェインが、ざりざりのどを下っていく。
午後九時にこんなもん飲んでるから眠れないんだと指摘されればまったくその通りで、けど何か手っ取り早く覚醒できそうなものを腹に入れなきゃやってられないから、仕方ない。
「それより、ヨウとの打ち合わせ資料、できた?」
「あーいや……もうちょい練りたくって」
「打ち合わせ、明日の午後だろ? できてるところまででも見るけど」
「うーんでも、全然まだまだなんで」
自信なさそうに須永は視線を漂わせる。
完璧なんて求めてないし、いま時点でまだまだだったら、これからチェックして修正して再チェックして先方に送ってって全部ぜんぶ明日の午前中にやるんだぞ絶対無理だろだからさっさと見せろ…と喉元まで出かかって、陽はなんとかのみ込んだ。
「わかった。じゃあ明日の朝イチで見るから、そこまででできる範囲で頼むな」
「わかりました」
「定時とっくに過ぎてるし、あんまり無茶すんなよ」
須永はだまって薄く笑う。こんな人数じゃ無理っすよ、という声なき声が聞こえた。
「明日のアポって、ひょっとしてあのヨウ?」
少し離れたデスクの田所課長がくちばしをつっこんでくる。デスクトップから顔をあげようとする須永を留め、陽はええ、と声を張った。
「香泉堂さんたっての希望で、コラボしたいって」
お香を主力商品とする「香泉堂」の創立九十周年を祝うイベントは、駅前でのリアルイベントとSNSを駆使したインターネット上のキャンペーンの二本柱で進める。インフルエンサーによる新製品のPR案件は、後者の一環だった。
「まじか~残念だったね」
「なにがです?」
「ヨウさん、女性としかまともに口聞かないって有名だよ。ウワサだけどね」
「へえ」
べつに珍しくはない。華やかな世界にいる人間は総じて我が強いし、そもそもヒト対ヒトのつき合いなんだから、合う合わないはどこにだってある。その範囲が個人なのか、性別やら出身やらルックスやらなのか、それだけの話だ。つめたくされようと、仕事は仕事。
「まあ、渡来だったら問題ないだろうけど……」
ちらっと含みのある視線を後輩に向けられてひやひやする。
当の本人は気づかれていないと思っているのか、こそこそ背中を丸めてはまたスマホに夢中だ。そろそろ新しいイベントが始まる時期だっけ。
田所の沈黙に込められたメッセージに気づいていないのは、いいのか、わるいのか。わざと咳ばらいをすると、須永は電気を流されたようにぴっと背筋を伸ばした。
三か月前、凍てつく風から逃げるようにやってきた須永は、ぶかぶかのスーツを着ていて、まるで高校生のようにみえた。二年間、アプリの開発会社で揉まれてきていると聞いたときは驚いたものだ。
給料がいいわけでもない、全くの異業種に転職した理由を、須永は「未練にしばられたくなかったから」と語った。
「もともとは、ゲームクリエイターになりたかったんです。専門学校も行って、ポートフォリオとか作って……けど、ひとつも内定もらえなくて。泣く泣く、アプリの開発のSEになりました。けど、やっぱりどこかで、ゲームに携われない後ろめたさみたいなのがずっとあって。だからいっそ、まったく別の仕事しようって思ったんです」
「でも、こんな激務の会社に来ることなかったんじゃない?」
「前職もブラックでしたし、それに、働いている方が気がまぎれますから」
転職をしたことがない陽には、会社を移る心境も苦労もわからない。けれど、働いている方が気がまぎれるっていうのは、よく身に覚えのある感覚だった。だから、勤務中にこそこそアプリゲームを起動させる後輩でも、陽は見捨てることができない。
「ところで、例の件はどうすか?」
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