眠たい眠たい、眠たい夜は

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1. 陽、致命的な居眠りをする

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 タクシーのテールランプが、すいっと角の向こうに消えていく。
 赤い光が見えなくなってようやく顔を上げた瞬間、膝が崩れかけた。

 えーっと、あと何すればいんだっけ。

 タクシー乗り場からよろよろ階段をのぼり、ペデストリアンデッキの植え込みに座り込めばもう、立ち上がれそうになかった。そりゃあそうだ。この五日、ほとんど寝てない。腕を嗅いだらエナジードリンクのケミカルな匂いがしそうだったけど、持ち上げることすらおっくうだった。
 一刻も早く帰って風呂入って寝るべきだと、頭ではわかってる。けど同じくらい、どうせ横になったって眠れないし、と不貞腐れるような気持ちもある。

 身体がつかれるほど脳が冴えていくのは、人体の深刻なバグだ。神さまがいるなら、早々に修正対応をすべきである。
 例えば意識にスイッチをつけるとか。

 こう、パチッと。

 そう思った瞬間、世界が暗転したから、一瞬本気で実装されたのかと思った。
 どさっと何かが落ちる音。ちいさな悲鳴。おびえた声。そんなものをつれて、生ぬるい初夏の夜風が頬にふれる。停電? と誰かが言った。じっと目をこらしていると、少ししてぼんやりと輪郭が見えてくる。

――お客様にお知らせします。現在、送電線トラブルによる大規模な停電が発生しており――……。

 駅のなかから、そんな叫び声が聞こえてくる。雷もないのに、とことんついてない。空を仰げば星空が、なんてサプライズもなく、半端に都会化されたビルのすき間からは塗りつぶしたような漆黒しか見えない。
 薄暗さになれた人々が、ゆっくり流れる黒い川みたいに一定方向に向かい始める。ああそっか、電車止まっちゃったから。はやく立ち上がってタクシー待ちの列に並ばないと、今度こそ本当に帰宅できなくなる。重たい腰をあげたとき、その流れのなかで立ちすくむ影に気づいた。
 人波から頭一つぬけた男性らしきシルエット。足元には、荷物なのか黒々とした包みが落ちている。立ち尽くす姿が何かに似てると思った。

「大丈夫ですか?」

 かすかに動いた影の足元にしゃがんで、がさがさ鳴る包みを持ち上げた。
 思ったよりでかかった。一本釣りしたカツオくらいありそう。その割には軽くって、やわらかい。クッションかぬいぐるみか。
 遅くなったパパ。眠ってしまった小さな子ども。枕元にそっと置いておく、ごめんねの混じった誕生日プレゼント。そんなべたべたなホームムービーが頭を駆け巡る。完全に職業病だ。

「これ、落としましたよ」
「……すみません」
「いえ。プレゼントですか?」
「自分用です」

 は? と言わなかったのは奇跡にちかい。

「あの、すみません。タクシー乗り場ってどちらですか?」

 呆然としていたところに問われて、助かったと思ってしまった。いや、いいけれど。趣味は人それぞれですけれども。
 バレー部かバスケ部かって身長をした男の顔あたりを仰ぎ見ながら、「あっちですよ」と答える。と、ちょっと困った雰囲気が目の前の身体から漂った。

「申し訳ないんですが、連れて行ってもらえませんか?」
「それは構いませんけど」

 どうせ自分も行くところだったし。軽く請け負うと、男は安心したように肩の力を抜いた、ように見えた。

「すみません。夜、あんまり目がきかなくて」
「鳥目ってやつですか?」
「はい。小さいころから、遺伝で」
「それは大変ですね」

 スマホのライトでも点けたら? とは思ったけれど、この荷物じゃ難しいだろう。悩んだあげく、一抱えもある包みの端と端をにぎり合って進む。
 タクシー乗り場は行列だった。三十分ほど待って、ようやく乗り込む車がやってくる。並んでいる間に方向が同じとわかっていたから、もだもだせずに同乗した。「お礼も兼ねて支払わせてください」と言われてしまえば、固辞するのも面倒だ。
 包みを真ん中に置く。静かな車内にラジオが流れていた。停電は駅周辺だけらしくって、少し走れば、ぽつぽつ信号がともっていた。
 男はずっと、そのひかりをたどるように窓を見ている。ちいさな頭に、広い背中。ぼんやりした光に縁どられたシルエットをみて、さっきの既視感に思い当たる。

 切り離された流氷のうえで立ち尽くすシロクマ。

 まぶたを閉じれば、絵本のタッチで描かれたシロクマが、所在なさげに波間に浮かんでいる。白い氷、アイスブルーの海。
 鼓膜をゆらす感覚がするも、水中にいるみたいにもどかしく届かない。まぶたがひっついたように開かなくて、指先は上から押さえつけられているかのように重たい。

――あの、つきましたよ。

 肩をゆすられる。じんわりとしたてのひらの温度が冷えた肌にここちよいな、と思ったのが最後だった。
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