ドクターダーリン【完結】

桃華れい

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第2部

フェーズ8-17

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 涼が怪我をしている間でもアルバイトに支障はない。私はいつも通りに出勤している。
 来店したお客さんをカウンター越しに迎える。相手を見てはっとした。麗子さんだ。
「お疲れさまです」
 にっこりと笑って挨拶してくれた。
「あ、お疲れさまです」
 反射的に同じ言葉を返す。
「先日神河先生の病室でお会いしたとき、どうりで見覚えがあると思った」
 完全に私だとバレている。麗子さんはときどきこうしてカフェを訪れて、ドリンクをテイクアウトしていく。その際に接客をした店員の顔と、涼の病室で顔を合わせた彼の妻の顔が、一致したらしい。病院の創立記念パーティーではやっぱりプロのメイクのおかげで気づかれなかったんだ。
「彼に聞いたんですか?」
「『奥様のことどこかで見た気がするのよねえ』って言ったら『ここのカフェだろ』って言われて、それだわ! って」
 なんとなく私の顔は憶えてたんだ。病室では麗子さんとばっちり対面してしまったし、涼が教えなくても気づかれるのは時間の問題だっただろう。
「いつからここで?」
「去年の春からです」
「そんなに前から!? じゃあ、当直明けでパンパンにむくんでる顔なんかもいつも見られてたのね」
「そんなことないです。いつもおきれいです」
 お世辞ではない。いつもまるでエステ帰りのように整っている。
「ありがとう」
 また美しい笑顔を向けてくれたあと、麗子さんはミルクを無脂肪乳にカスタマイズしたカフェラテをテイクアウトしていった。
 そういえば以前に、麗子さんがすごくご機嫌に見えた日があった。あれは確か、大阪での学会の翌日だ。学会には婚約者の一ノ瀬さんも参加したはずだ。きっと大阪で幸せいっぱいの二日間を過ごしていたんだろう。
「さっきのきれいな女医さんとも知り合いなの?」
 お客さんの入りが落ち着いてきたところで、店長に訊ねられた。
「あの人も外科の先生なので」
 本当は涼の元恋人だったり、泥酔キス事件なんてのもあったりするのだけど。
「ああ、同僚さんなんだ。そういえば最近、神河先生を見かけないわねえ。忙しいのかしら?」
「今、腕を怪我してるんです」
 片手でも買いにこられなくはないだろうけど、面倒だから控えてるんだと思う。
「あら、大変じゃない。届けてあげたら?」
 店長がさらりと提案した。
「いいんですか?」
「もちろん。神河先生は常連さんだからね。それに、彩さんが届けてあげたらきっと喜ぶわよ」
 とはいえ、どこにいるかわからない。病棟か医局だろうか。ちょうどそこへ、今度は澄先生が来店した。麗子さんも澄先生も、午前中の外来がひと段落して休憩に入ったようだった。
「神河先生なら、今はたぶん医局にいるんじゃないかな」
 と、教えてもらい、ついでに私がその医局に入っていいのかも確認したら、外科部長権限で許可してくれた。
 医局は二階にある。だいたいの場所は以前に涼から聞いて知っている。実際に行くのは初めだ。緊張する。部外者が気軽に入っていい場所ではないのだから。カフェの制服を着ているし、エプロンとキャップもつけてるから不審者とは思われないはず。
 二階の外来エリアとは反対方向の、来院者はまず通らないひっそりとした廊下の先に医局はあった。扉が開放されたままの室内を廊下から覗いてみる。ここが、涼がいつもいる場所なんだ。一度見てみたいと思っていた。
 明るく広々とした部屋だ。スチール製の机や本棚が整然と配置されている。各机にはデスクトップパソコンと、分厚くて難しそうな本がどっさりだ。正面の壁の高い位置には二つの大きなモニターが並んでいて、病院のロゴが入った青色の画面が表示されている。医療ドラマみたいに手術室の様子がリアルタイムで映し出されるのだろうか。
 テーブルとイスが並んだ打ち合わせスペースのような場所がある。その横に床置きタイプのウォーターサーバーと、コーヒーポットやお菓子などが載ったワゴンを見つけた。なんだ、買いにこなくてもここで飲めるんだ。いらなかったかな。
「部外者は立ち入り禁止だぞ」
 ふいに背後から声をかけられて、びくっとした。振り向くと涼で安心した。
「澄先生に許可いただいてます」
「冗談だよ。どうした?」
「コーヒー飲みたいかなと思って届けにきたんだけど」
「お、サンキュ」
 医局の入口では邪魔になる。廊下の端に寄ってコーヒーを渡した。店長が紙カップに黒マジックで書いた「お大事に!」のメッセージを見て、涼が顔をほころばせた。
「金は?」
「奢りです」
「帰ったらお礼する」
 帰ってからするお礼とは。いやらしい物言いに少々困惑する。
「そこにコーヒーあるからいらなかったね」
「彩がわざわざ届けてくれたコーヒーのほうが何倍もうまいよ」
 一口飲んで涼が言った。思わず照れていると、別の医師が横を通った。涼より年下に見える若い先生だ。私の格好と涼が手にしているカップを見て、その先生が不思議そうに訊ねた。
「あれ? 下のカフェのコーヒー、デリバリーしてくれるんすか?」
「俺は怪我してるから特別」
「えー、神河先生ばっかりずるいなあ」
 若い先生は笑いながら医局内へ入っていった。デリバリーサービスがあれば、多忙な先生方や怪我してて買いにいけない患者さんたちが喜んでくれそう。でも人手が足りないな。
「また頼める? チップとお菓子あげるから」
 お菓子って、コーヒーポットと一緒にあったお茶請けかな。どこかのおみやげみたいな箱も見えた。そういえば涼も学会で医局用のおみやげを買ってきていた。きっとあのワゴンに置いてみんなで適当に取っていくんだろう。
「手があいたらね」
「もしいなかったら、俺のデスクに置いといて。お前の写真を飾ってあるからすぐにわかるよ」
「嘘!?」
「嘘」
 からかわれた。冗談でよかった。
「よろしく。店員さんのおすすめで。口つけてきていいよ」
 変態か。
「そろそろ戻らないと」
「ああ。ありがとな」
「お仕事がんばって。無理はしないでね」
 涼の職場であり、ドラマでしか見たことのない本物の医局だ。もっとじっくりと観察したいけど、長居はできない。私は後ろ髪を引かれる思いでカフェに戻った。
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