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第2部

フェーズ8-3

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 店長から土曜出勤を頼まれた。出勤予定だったスタッフが体調を崩し、他の人は都合が悪くて出られないのだそう。土曜日で涼も仕事だったから引き受けた。土曜日は外来が休みで来客が少ないため、出勤は店長と私の二人だけだ。
 今日は病院の会計業務も休みだ。ロビーの照明は最小限に抑えられている。カフェの明かりが柔らかくあたりを照らしている。午前中に退院した患者とその家族、食事制限がなく自由に歩行もできる入院患者、休憩中の病院スタッフが来店すると、すっかり手持ちぶさたになった。店長と私は器具や食器を磨いたり、ショーケースのガラスを拭いたりしていた。
「神河さんは、旦那さんと仲いいの?」
 カップを拭き上げながら店長が訊ねてきた。
「はい」
 女子高生患者とのキス事件以来はケンカをしていないし、この前の花火大会は手を繋いで一緒に歩いたし、お兄さんにはやきもちを焼いてたし、円満だと思う。
「そうよね、まだ新婚さんなんだものね。ごめんね、私、神河さんとあのイケメンドクターのことをからかったりして。神河さんには旦那さんがいるのに、迷惑だったわよね」
「そんなことないです」
 その「イケメンドクター」が夫なのだから問題ない。
 急にどうしたんだろう。店長の様子になんとなく違和感がある。実は今日だけでなくて数日前から感じていたことだった。いつもフレンドリーで親しみやすい店長なのに、最近は妙によそよそしいというか、距離を置かれてる気がしていた。だから今日は彼女と二人きりで出勤と聞いて、若干躊躇してしまった。
「ほら、あれだけかっこいいわけだし、私が盛り上げたせいで神河さんがへんにあの先生のことを意識しちゃったら困るなあって。それでもし旦那さんとの仲にひびが入ったりしたら申し訳なくて」
 気遣ってくれてうれしい。本当は涼のことを黙ってるのがつらい。話したらどんなに楽だろうと何度も思った。この人には言ってもいいかもしれない。そもそも最初から隠すようなことではないのだから。単に私が照れくさくて黙っていただけだ。
「実は、結婚してるんです」
「だからそれは知ってるわよう。新婚さんでラブラブなのよね?」
「そうではなくて、あの先生が私の夫なんです」
「へ?」
 店長がぽかんとする。
「え? あのイケメン外科医?」
 うろたえる彼女を見ながら、私はしっかりと頷いた。
「え? 待って? 略奪されたとかではなくて、最初から?」
 略奪? ちょっと意味がわからなかったが、私はまた頷いた。
 ああ、もしかして私が別の誰かから涼に乗り換えて再婚したということか。女性は離婚したら一定期間を空けなければ再婚できない。ここで働き始めてまだ三カ月の私が、この間に離婚して再婚するのは不可能だ。店長は混乱しているらしかった。
「最初から、です」
「なんですってえ?」
「黙っててごめんなさい」
 私は店長のほうに向き直って深々と頭を下げた。彼女が状況を理解する間、しばし沈黙が流れた。店の前のロビーに人通りはなく、しんと静まり返っている。
「なんだ、よかったあ」
 心底ほっとしたように店長が息を吐き出した。どういうことだろうと私は首を傾げた。
「実を言うと私、見ちゃったの。花火大会の日に、神河さんとあの先生が手を繋いで歩いてるところ」
 思わず「あ」と声が出た。相手のことは知らずに私が結婚している事実だけを知っている店長が、勤務中に私にちょっかいを出してくる医者と外で一緒にいるところを見たらどう思うか。病院からも近い公園での大きな花火大会なのだから、知り合いに見られることは十分あり得る話だった。実際、去年の花火大会ではすみ先生と遭遇している。
「私、見てはいけない場面を見てしまったと思って、ずっともやもやしてて。神河さんが不倫してるとばかり思ってて……ごめんなさい!」
 今度は逆に頭を下げられている。私は慌てて言った。
「謝らないでください。黙ってた私が悪いんです」
「不倫じゃなくてよかったああ。神河さんいい子なのに、私がからかったせいでまっとうでない道に進ませてしまったのかと思ってええ」
 店長が泣きそうなほどにほっとしている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 私も謝る。そんなふうに思わせてしまって本当に申し訳ない。私のほうが泣きそうだ。
 お客さんが来店した。気を取り直して接客をする。テイクアウトのコーヒーを渡してお客さんを見送った頃には、店長も私も少し落ち着きを取り戻していた。
「すみませんでした、黙ってて」
「ううん、こちらこそ、へんな疑いをかけちゃって」
 私が黙ってたせいだ。余計な心配をかけてしまった。もっと早く話せばよかったんだ。
「でも、あんなイケメンドクター、どうやって知り合ったの? 神河さんの年齢的に合コンとか婚活ではないだろうし。ひょっとしてあの先生の患者さんだったとか?」
 鋭い推理にギクリとした。引き算をしていくとむしろその可能性が残ってしまうのか。
「そう、です」
 小さく答えた。てっきり引かれるかと思いきや、店長の表情がぱあっと明るくなった。
「素敵! 患者さんとお医者さんだなんてドラマみたい! きっと大恋愛だったんでしょうねえ」
 なんだかうれしそうだ。大恋愛なのかはわからないけど、今も恋愛続行中ではある。
「だからかあ」
 納得したように店長が言った。
「何がですか?」
「神河さんがあの先生を接客してるときに思ってたんだけど、一緒にいる姿がなんとなく自然っていうか、しっくりきてるっていうか、とにかくお似合いに感じたのよ。ご夫婦なら当然よね」
 お似合いだなんて、涼の隣に並んでもつり合うようになりたいとずっと思ってきたから、すごくうれしい。
「ありがとうございます」
「あらあら、噂をすれば」
 店長の視線の先に目を向けると、涼が来店してきたところだった。「いらっしゃいませ」と迎えた店長がにたにたしているから、涼が不思議そうに私を見た。
「話したの、今」
 理解した涼がふっと笑う。
「妻がいつもお世話になってます」
「いえいえ、こちらこそ。今日もお休みのところを急きょ出勤してもらっちゃって、助かってるんです」
 店長が上機嫌に言った。
「それにしても、もう、先生も人が悪いんですから。その首からぶら下げてるストラップの先についてる職員証、いつも胸ポケットに入れてらっしゃるからお名前がわからないんですもの。名字を知っていればいらぬ疑いをかけずに済んだのに」
「ああ、これ?」
 涼が白衣の胸ポケットから職員証を取り出して店長に見せた。首から下げたままだとぷらぷらしてうっとうしいから、ポケットに突っ込んでるんだろう。
「外科の神河先生ね。いつもご来店ありがとうございます」
 涼に向かって改まって丁寧にお辞儀をしてから、店長が私を見た。
「これからは彩さんって呼んでいい?」
「はい」
 いつものテイクアウトのアイスコーヒーを涼に手渡す。
「先に帰ってる」
「うん、わかった」
「あ、彩さんももう上がって?」
「え、でもまだ……」
「大丈夫よ。土曜日なんて本当は一人でも回せるくらいなんだから。今日は無理言って代わりに出勤してもらったわけだし。せっかくだから先生と一緒に帰って?」
「いいんですか?」
「いいのいいの。疑ってしまったお詫びよ」
 疑いとはなんのことかわからない涼がまた不思議そうにする。あとで説明しよう。お言葉に甘えて今日は上がらせてもらうことにした。
 帰りながら話したら、涼は笑ってた。店長がイメージしていた架空の私の夫がどんな相手だったのか気になると。それと不倫なんて私と一番遠いところにあるイメージの言葉らしい。これからもずっと遠ざけたままでいるからね。
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