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第2部

フェーズ7.9-12

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 ハーブティーを淹れたマグカップを二つ、テーブルに置いた。結婚祝いで麗子さんがくれたスペシャルなハーブティーだ。コーヒーよりもハーブティーのほうがリラックスできて私は好きだ。カフェインが入っていないからぐっすりと眠れる。
 飲みかけのカップをテーブルに置いて、涼が立ち上がった。寝室へ入ってすぐに戻ってきた彼の手には長財布があった。財布の中から紙幣を数枚取り出すと、私に差し出した。
「明日の診察代」
 診察代は私のお小遣いから出すつもりでいる。それも涼からもらったお金ではあるんだけど。
「え? 出してくれるの?」
「うん。診察代は別」
「ありがとう――」
 受け取った私はぎょっとした。千円札と思いきや、すべて一万円札だったからだ。
「多すぎじゃない? いつも数千円だよ?」
 明日はいよいよ最後の外来だ。最後だからといって特別に大きな検査をする予定はない。どう考えても多い。
「予備で多めに。それと、明日は実費だから」
「なんで!?」
 言われて驚愕する。実費ということは、健康保険適用での三割負担ではなく、十割つまり全額を支払うということだ。当然、私のお小遣いでは足りない。
 涼が再びソファに腰を下ろした。
「お前、俺の扶養じゃん? で、俺の診察受けるじゃん? それだと保険が使えないんだよ」
 初耳だった。結婚したせいなの? 全然知らなかった。
「そうだったんだ。ごめんね、余計な出費かかっちゃって」
「謝ることじゃないよ」
「結婚する前に教えてくれたらよかったのに」
 自分でも調べればよかった。そしたらこんな大金がかかることはなかった。
「結婚するの遅らせるって言い出すと思って。せっかく彩が『すぐにでも籍入れたい』って言ってくれたのにさ」
 あのときか。卒業式の翌日、入籍日はいつにしようかと話し合ったときに、涼は何か言おうとしてた。このことだったんだ。
「延ばしたとしても、一カ月くらいしか変わらないけど」
「俺もお前と早く籍入れたかったから」
 そんなうれしいことを言われたら、きゅんとして何も言えなくなってしまう。
「気にするな。たいした額じゃないよ」
 涼はあっけらかんとしている。
「たいしたことなくないよ。数千円で済むところを、万札の出番なんだから」
「数万でお前と早く一緒になれたなら安いもんだ」
 きゅんが止まらない。涼が甘えるように抱きついてきた。
「節約するからね」
 お金のことは大事だ。ちゃんと考えなきゃいけないのに、涼はまったく気にする素振りもなく、服の上から私の胸を揉み始めた。私はちょっと呆れて、ため息をついて言った。
を使う枚数も少し節約しようか。けっこう高いし」
 一度、涼にいくらくらいするものなのか訊いたことがある。思っていた以上に高額だった。たぶん最新の最薄タイプだからだ。そんなものを一日に三枚も四枚も惜しげもなく使うんだもの。
「彩ちゃん、それだけは勘弁して」
 ようやく涼の顔に焦りの色が表れた。
「私、もう涼の診察は受けられないの?」
「基本的にはそう」
「じゃあ、何かあったら澄先生に診てもらうとか?」
「いや、あの病院がアウト」
「そんな……」
「大丈夫だって。なんとかなるよ」
 今後何か病気になったとしても、涼には診てもらえない。誰よりも安心できて一番信頼してる医者なのに、もう診てもらえない。
「彩? 俺の診察を受けるために離婚するとか言うなよ?」
 愕然としたままの私に彼が冗談っぽく言った。離婚なんて考えるはずないけど、ショックで答えられずにいたから涼はひやりとしたかもしれない。


 診察代の件は仕方ないとして、今日で白衣姿の涼も見納めなんだ。大好きなのに、きっともう見ることはできない。残念だな。最後に診察室で彼の写真を撮らせてもらいたいくらいだ。診察中でシャッター音なんて鳴らしたら、裏から看護師さんが飛んできて「先生はアイドルじゃないんですよ!」と怒られそう。想像するとおかしい。涼はアイドルというより、私にとっては白衣を着た王子様かな。
 診察室に呼ばれた。涼はいつものようにモニターと睨めっこをしている。最後だから私の検査結果をそれはそれは念入りにチェックしてる。この横顔も大好きだから、目に焼きつけておこう。
「問題なし。よくがんばったな」
 安心と寂しさが入り混じる。いや、ここはしっかり喜ぶべきだ。これで通院は終わり、涼と私は医者と患者ではなくなる。
「これまでもそうだったとは思うけど、もう普通に過ごしていいから。何も心配する必要はないし、通院に合わせて予定を調整する必要もない。次に先生に会えるのいつだろうって指折り数えることもない」
「指折り数えてません」
 家で毎日顔を合わせてるんだから、それこそ必要ない。
「そういえば結婚したんだ? おめでとう。偶然だな、俺と名字一緒なんて」
「アリガトウゴザイマス」
 白々しい。
「旦那さんによろしく」
 その旦那さんが何か言ってる。
 旦那さんへの報告はいいとして、母にはあとで今日の結果を伝えよう。涼とこうなってなかったら、今日は母と一緒に診察を受けたかもしれない。一緒に主治医の話を聞いて、今まで診てもらったお礼を伝えるために。
「今までありがとうございました、神河先生」
 お辞儀をすると、涼は穏やかに微笑んだ。
 初めて会ったのもこの診察室だった。不安でいっぱいの中、この人の診察を受けた。緊張していた私に対して、優しい言葉と眼差しで安心させてくれた。あれから一年と半年近く経つ。今ではこの人が私の夫だ。運命の相手に出会ったとき、「ビビビッときた」「電流が走ったよう」と表現されることがあるけれど、涼と初対面したときの私はそれどころではなかったからわからない。その代わり、私はこの人と出会うために病気になったのかもしれないと思うときがある。そんなことを言ったら怒られてしまうかな。
「神河先生に診てもらえてよかったです」
「そう言ってもらえるとうれしいよ」
 もしも思いが通じてなかったら、私は今日をどんな気持ちで迎えたんだろう。悲しんでいただろうか。それとも今ごろはもう吹っ切れて、新たな恋でもしていただろうか。
「何かあったとしても俺はそばにいるんだから、安心してていい」
「はい」
 そうだよね。これから涼に病院では診察してもらえないというだけで、体調に異変があれば家ですぐに相談できるし、なんでも聞ける。その点はやはり心強い。
 少しの間、見つめ合う。ところで、今日は涼との距離が近いな。彼はいつも患者との距離が物理的に近い。心理的な距離を縮めるためだったり、患者の話をよく聞くためだったり、理由があってわざと椅子を近づけて置いてるように思う。今日はまた一段と近い気がする。私の前に耳の不自由な患者の診察でもしたのだろうか。こんなに近いとすぐにキスできてしまいそう。こんなところでするわけないけど。
「!!」
 するわけないと思った矢先に、された。一瞬だけ、チュって。看護師さんが急にきて見られたらどうするの! と、怒りたいけど怒れない。
「気をつけて帰って。お大事に」
 最後だし、まあいいか。さようなら、白衣の王子様。
 会計を終え、帰る前に院内に併設されているカフェに寄った。飲みものをテイクアウトしていこう。昼前で混雑している。私のように午前中の診察を終えた患者だろう。病院スタッフの姿も見られる。お腹も空いてきたし、食べものも何か買っていこうかな。メニューの立て看板を見ようとして、その横の張り紙に書かれた内容が先に目に入った。
『スタッフ募集中! 一日短時間でもOK。お気軽にお声がけください』
 これだ、と瞬間的に思った。
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