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第1部
フェーズ4-5
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私は今、涼のマンションのリビングで一人ポツンとテレビを眺めている。待ちに待っていたクリスマス・イブだったのに。「かみしめて一日大事に過ごす」つもりだったのに。涼と一緒に過ごせると思っていたのに。忙しい外科医は、病院からの呼び出しを受けて行ってしまった。
怒ってはいない。それが涼の仕事だとちゃんとわかっている。ただ、楽しみにしていた分、気落ちしてしまっていた。
テレビの中では、サンタクロースの格好をした男性アイドルグループが、スタジオでトークを繰り広げている。「クリスマスの苦い思い出」というテーマで盛り上がっているが、いまいち私は盛り上がれないし、笑えない。今のこの状況が、まさに苦い。私は時間を確認すると、リモコンの電源ボタンを押した。
「買い物に行かなきゃ」
涼は何時に帰ってくるかわからない。せめて早く帰ってきてほしいけれど、遅くなるのかもしれない。待たずに先に買い物を済ませたほうがいいだろう。私はコートを羽織り部屋を出た。
スーパーはかなり混雑していた。さすがクリスマス・イブ、それも日曜日だ。家族連れが目立つ。彼らが集まるのは、ファミリーサイズのオードブルや寿司が並ぶ売り場だ。どれもおいしそうだけど二人では食べきれそうにない。第一、今夜作るものはすでに決まっている。私は必要なものだけを手早く選び、レジに向かった。
今日はハンバーグとマカロニサラダとコンソメスープを作る。晩ご飯の食材だけでなく、平日の涼の朝食用に食パンやヨーグルトなども買った。いつも二人で買い物にきて、涼が買っていくものだ。今日のような場合は私一人で適当に買っていく。
次はよく行く臨海公園前のパン屋に向かう。予約したシュトーレンを受け取るためだ。先日、朝昼用のパンを買いにいったときに≪予約受付中≫のポスターを見かけて、「これだ」と思って予約をした。ドライフルーツがたくさん練り込まれたドイツの伝統的なパンで、甘くないから涼でも食べられると思う。ケーキとは違って日持ちするのも利点だ。
横断歩道の信号待ち中に、向かい側にいる若いカップルが目に入った。二人とも年は二十歳くらいで、同じような黒のダウンコートを着ている。女性はミニスカートと短めのブーツの生足姿で、見るからに脚が寒そうだ。隣の彼に体を寄せ合い、腕を組みながら信号が変わるのを待っている。私もあんな風に涼と一緒に街を歩きたかったな。私は生足ではなくワンピースの下に厚手のタイツを履いているから、彼女のように寄り添う必要はないかもしれないけれど。
ケーキ屋ほどではないだろうが、パン屋も混んでいた。外国人の姿も見られた。外国人も認める本場の味なのかもしれない。食べたことのないシュトーレンの味に期待が膨らんだ。
クリスマスだし花も買いたいな。でも、すでに手荷物がいっぱいだ。スーパーの食材が詰まったエコバッグ、パン屋の紙袋、私のバッグ。バッグは肩掛けだから片手はなんとか空けられるけれど、これだけの荷物を抱えながら花束を持つのは心配だ。冷蔵の食材もあることだし、一旦帰って荷物を置いてこよう。
パン屋をあとにしたところで、バッグの中の携帯電話が鳴った。エコバッグと紙袋を肘にかけ、片手で携帯電話を取り出した。
「彩、今どこ?」
涼からだった。
「パン屋さんの前だよ。いろいろ買い物してた。今からマンションに戻るところだよ。涼は仕事終わった?」
「終わった。帰ってきたらいないから、怒って帰ったかと思った」
私はあははっと笑った。心配してくれたんだ。
「怒ってないよ。すぐ帰るね」
「うん、待ってる」
「待ってる」と言われて、自然と私の足取りは軽くなった。
玄関を開けて部屋に入ったとたん、高貴な香りとともに目の前に赤い花が広がった。
「メリークリスマス」
思いがけないサプライズに言葉を失った。涼が私に差し出しているのは、バラの花束だ。それも真っ赤なバラの。
「私に……?」
「プロポーズは済んでるけど」
胸が熱くなる。私は荷物を床に置くと、バラを受け取るよりも先に涼に抱きついた。愛の象徴である赤いバラが、こんなにたくさん。今まで花束をもらったことなんてない。それがいきなり、大好きな人からバラの花束だなんて。感激して思わず目が潤んだ。
買ってきた食材を涼が冷蔵庫に入れてくれている。
うっとりしながら受け取ったバラを数えてみる。まるで深紅のベルベッドドレスのようなそのバラは、全部で十一本あった。
「お店にあったバラを買い占めてきちゃったの?」
「なんで?」
「数えたら十本じゃなくて十一本だから、ちょっと半端だなって。だから残ってたバラを全部買ってきたのかと。一本でもうれしいよ? もちろんたくさんもすごく素敵だけど。いい香り」
花の中に鼻を埋めて香りを嗅いだ。
「いや、在庫はまだあったよ」
店の人が一本サービスしてくれたのかな。クリスマス・イブに恋人や奥さんにバラをプレゼントしたいと考える人は他にもいるかもしれない。涼が買い占めたわけではないことに少し安心した。
花束はあとで家に持ち帰る。その前に鑑賞したくて、いつもの花瓶に少しの水を入れ、生けた。花を買ってこなくてよかった。
ルームウェアに着替え、タイツも脱いで楽ちんなソックスに履き替えた。
クリスマスのディナー作りを涼も手伝ってくれる。私が切ったマカロニサラダの具材を、ボウルの中でマヨネーズと和えてもらう。
「悪かったな。全部一人で買いにいかせて。大変だったろ」
「涼は行かなくて正解だったよ。どこもすごく混んでたから、仕事終わりなのに余計に疲れちゃうよ。今は大丈夫? あっちで休んでなくていい?」
「大丈夫だ。これ、明日も食える?」
マカロニサラダを味見した涼が訊いてきた。作り置きを兼ねて多めに作っている。
「冷蔵庫で二、三日は保存できるよ。でも、なるべく早く食べてね」
「たぶん明日にはなくなる」
味に満足らしい。うれしくなって、私は微笑んだ。
クリスマスだから、ちょっと贅沢にチーズインハンバーグにする。こねてまとめた生地の中心に、チーズを包んでいく。失敗しにくいポイントを母に教えてもらった。家で練習したから作るのは二回目だ。
「クリスマスっていうか、年末年始はいつも忙しいの?」
「酒関連の患者が増える。正月は餅も」
ニュースでもよく耳にする内容だ。みんな、羽目を外しすぎず楽しく過ごしてもらいたいものだ。
いつもよりがんばって作ってほんの少し豪華だったディナーのあとは、シュトーレンを食べた。大人の味だった。私が二十歳をすぎていたら、一緒にワインでも飲んだかもしれない。いずれそんな日もくるのかな。
「ケーキも食べたかったんじゃないのか。正月に買うか」
「いいの? じゃあ、また涼にも一口あげるね」
「いい。お前の一口はデカすぎる」
涼がうんざりしたように顔をしかめた。誕生日に用意してくれたホールケーキのことを思い出して、私は笑った。
怒ってはいない。それが涼の仕事だとちゃんとわかっている。ただ、楽しみにしていた分、気落ちしてしまっていた。
テレビの中では、サンタクロースの格好をした男性アイドルグループが、スタジオでトークを繰り広げている。「クリスマスの苦い思い出」というテーマで盛り上がっているが、いまいち私は盛り上がれないし、笑えない。今のこの状況が、まさに苦い。私は時間を確認すると、リモコンの電源ボタンを押した。
「買い物に行かなきゃ」
涼は何時に帰ってくるかわからない。せめて早く帰ってきてほしいけれど、遅くなるのかもしれない。待たずに先に買い物を済ませたほうがいいだろう。私はコートを羽織り部屋を出た。
スーパーはかなり混雑していた。さすがクリスマス・イブ、それも日曜日だ。家族連れが目立つ。彼らが集まるのは、ファミリーサイズのオードブルや寿司が並ぶ売り場だ。どれもおいしそうだけど二人では食べきれそうにない。第一、今夜作るものはすでに決まっている。私は必要なものだけを手早く選び、レジに向かった。
今日はハンバーグとマカロニサラダとコンソメスープを作る。晩ご飯の食材だけでなく、平日の涼の朝食用に食パンやヨーグルトなども買った。いつも二人で買い物にきて、涼が買っていくものだ。今日のような場合は私一人で適当に買っていく。
次はよく行く臨海公園前のパン屋に向かう。予約したシュトーレンを受け取るためだ。先日、朝昼用のパンを買いにいったときに≪予約受付中≫のポスターを見かけて、「これだ」と思って予約をした。ドライフルーツがたくさん練り込まれたドイツの伝統的なパンで、甘くないから涼でも食べられると思う。ケーキとは違って日持ちするのも利点だ。
横断歩道の信号待ち中に、向かい側にいる若いカップルが目に入った。二人とも年は二十歳くらいで、同じような黒のダウンコートを着ている。女性はミニスカートと短めのブーツの生足姿で、見るからに脚が寒そうだ。隣の彼に体を寄せ合い、腕を組みながら信号が変わるのを待っている。私もあんな風に涼と一緒に街を歩きたかったな。私は生足ではなくワンピースの下に厚手のタイツを履いているから、彼女のように寄り添う必要はないかもしれないけれど。
ケーキ屋ほどではないだろうが、パン屋も混んでいた。外国人の姿も見られた。外国人も認める本場の味なのかもしれない。食べたことのないシュトーレンの味に期待が膨らんだ。
クリスマスだし花も買いたいな。でも、すでに手荷物がいっぱいだ。スーパーの食材が詰まったエコバッグ、パン屋の紙袋、私のバッグ。バッグは肩掛けだから片手はなんとか空けられるけれど、これだけの荷物を抱えながら花束を持つのは心配だ。冷蔵の食材もあることだし、一旦帰って荷物を置いてこよう。
パン屋をあとにしたところで、バッグの中の携帯電話が鳴った。エコバッグと紙袋を肘にかけ、片手で携帯電話を取り出した。
「彩、今どこ?」
涼からだった。
「パン屋さんの前だよ。いろいろ買い物してた。今からマンションに戻るところだよ。涼は仕事終わった?」
「終わった。帰ってきたらいないから、怒って帰ったかと思った」
私はあははっと笑った。心配してくれたんだ。
「怒ってないよ。すぐ帰るね」
「うん、待ってる」
「待ってる」と言われて、自然と私の足取りは軽くなった。
玄関を開けて部屋に入ったとたん、高貴な香りとともに目の前に赤い花が広がった。
「メリークリスマス」
思いがけないサプライズに言葉を失った。涼が私に差し出しているのは、バラの花束だ。それも真っ赤なバラの。
「私に……?」
「プロポーズは済んでるけど」
胸が熱くなる。私は荷物を床に置くと、バラを受け取るよりも先に涼に抱きついた。愛の象徴である赤いバラが、こんなにたくさん。今まで花束をもらったことなんてない。それがいきなり、大好きな人からバラの花束だなんて。感激して思わず目が潤んだ。
買ってきた食材を涼が冷蔵庫に入れてくれている。
うっとりしながら受け取ったバラを数えてみる。まるで深紅のベルベッドドレスのようなそのバラは、全部で十一本あった。
「お店にあったバラを買い占めてきちゃったの?」
「なんで?」
「数えたら十本じゃなくて十一本だから、ちょっと半端だなって。だから残ってたバラを全部買ってきたのかと。一本でもうれしいよ? もちろんたくさんもすごく素敵だけど。いい香り」
花の中に鼻を埋めて香りを嗅いだ。
「いや、在庫はまだあったよ」
店の人が一本サービスしてくれたのかな。クリスマス・イブに恋人や奥さんにバラをプレゼントしたいと考える人は他にもいるかもしれない。涼が買い占めたわけではないことに少し安心した。
花束はあとで家に持ち帰る。その前に鑑賞したくて、いつもの花瓶に少しの水を入れ、生けた。花を買ってこなくてよかった。
ルームウェアに着替え、タイツも脱いで楽ちんなソックスに履き替えた。
クリスマスのディナー作りを涼も手伝ってくれる。私が切ったマカロニサラダの具材を、ボウルの中でマヨネーズと和えてもらう。
「悪かったな。全部一人で買いにいかせて。大変だったろ」
「涼は行かなくて正解だったよ。どこもすごく混んでたから、仕事終わりなのに余計に疲れちゃうよ。今は大丈夫? あっちで休んでなくていい?」
「大丈夫だ。これ、明日も食える?」
マカロニサラダを味見した涼が訊いてきた。作り置きを兼ねて多めに作っている。
「冷蔵庫で二、三日は保存できるよ。でも、なるべく早く食べてね」
「たぶん明日にはなくなる」
味に満足らしい。うれしくなって、私は微笑んだ。
クリスマスだから、ちょっと贅沢にチーズインハンバーグにする。こねてまとめた生地の中心に、チーズを包んでいく。失敗しにくいポイントを母に教えてもらった。家で練習したから作るのは二回目だ。
「クリスマスっていうか、年末年始はいつも忙しいの?」
「酒関連の患者が増える。正月は餅も」
ニュースでもよく耳にする内容だ。みんな、羽目を外しすぎず楽しく過ごしてもらいたいものだ。
いつもよりがんばって作ってほんの少し豪華だったディナーのあとは、シュトーレンを食べた。大人の味だった。私が二十歳をすぎていたら、一緒にワインでも飲んだかもしれない。いずれそんな日もくるのかな。
「ケーキも食べたかったんじゃないのか。正月に買うか」
「いいの? じゃあ、また涼にも一口あげるね」
「いい。お前の一口はデカすぎる」
涼がうんざりしたように顔をしかめた。誕生日に用意してくれたホールケーキのことを思い出して、私は笑った。
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