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第1部
フェーズ3-13
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自宅での晩ご飯の洗いものは妹と私で毎日交替制だ。今日は私の番なので洗っていると、リビングで母とテレビを見ていた花が言った。
「お姉ちゃん、携帯鳴ってるよー」
急いでタオルで手を拭き、リビングのテーブルに置いてある携帯電話を取った。画面には正木さんの名前が表示されている。夏の週刊誌騒動で護衛をしてもらったときに番号を交換したからだ。あの一件が解決してから連絡は取り合っていない。
「もしもし?」
電話に出ながらキッチンへ戻る。
「彩ちゃん? 俺、死ぬかも。助けて」
受話口から聞こえてきたのは、暗く抑揚のない声だった。
「正木さん? どうしたんですか?」
「臨海総合病院の、四〇五号室……」
それだけ告げられて、一方的に電話を切られてしまった。
「マサキって誰? 男? 先生に言いつけちゃおっかな~」
電話を聞いていた花が何か言っているが耳に入らない。
「死ぬかも」なんて、冗談だとは思う。でも正木さんが今さら私に連絡してくるのはおかしい。病院に入院しているみたいだし、まさか本当に? 胸騒ぎがしてくる。私は途中だった洗いものを花に頼み、リビングを飛び出した。
急いで病院に向かった。電話で告げられた四〇五室の病室前までくると、扉横のネームプレートを確認した。四人部屋だ。正木さんの名前がある。間違いない。私は緊張しながら病室の中へ足を踏み入れた。窓際のベッドで、パジャマ姿の正木さんが体を起こして雑誌を読んでいた。
「あっれー? 本当にきてくれたんだ?」
私に気がついた正木さんがあっけらかんと言った。意外にも元気そうだ。重病で弱っているようには全然見えない。顔色はよく、点滴もしていない。とはいえ、見た目ではわからない病気もあるから本当に元気とは限らない。
「まあまあ、とりあえず座って座って」
上機嫌に壁際に置かれた丸椅子を勧められ、私は遠慮がちに座った。
「大丈夫ですか?」
「実は盲腸だったんだけど、あれくらい言わないときてくれないと思ってさ」
「盲腸!?」
なんだ、盲腸かと私は拍子抜けした。本当に重病でなくてよかった。
「お見舞いくらい普通にきますよ」
「だよな。ごめんごめん」
正木さんがからからと笑う。
「彩ちゃんも入院してたんだよね。病院ってすっげー退屈じゃね? 雑誌読むか携帯いじるくらいしかすることなくてさ。テレビは金取るし」
慌てていたからお見舞いの品を何も持ってこなかった。盲腸と知ってたら、暇つぶしになるものでも買ってきたのに。
「ごめんなさい、手ぶらできちゃって。下のコンビニ行ってきます。トランプでもやります?」
「ぶはっ! トランプ! いいね。でもコンビニなら自分で行けるから大丈夫だよ。ありがとね」
豪快に笑われた。だってコンビニで手に入るもので一緒に遊べるものといったら、トランプくらいしか思いつかないんだもの。
「で、携帯いじってたら彩ちゃんの名前が出てきてさ。夏以来会ってなかったし、元気かなって気になったから、せっかくだし呼んじゃおうと思って」
「元気ですよ。おかげさまで」
「それはよかった」
にこにこと正木さんはご機嫌な笑みを浮かべている。重大な病気かと思って心配したのに、のん気な人だ。毎日退屈しているようだから、単純に面会がうれしいのかもしれない。
「俺ももうだいぶ元気だけどね。でも手術する前はマジで死ぬかと思うくらいすっげー痛かった」
手術と聞いて、はっとした。ベッドフレームに掛けられたネームプレートの担当医欄を見る。涼だった。まずい。正木さんとはもう会うなと言われたんだった。この時間だし、涼がいつ回診にきてもおかしくはない。面会時間ギリギリの夜の病室で正木さんといるところを見られたらなんて思われるか。私は慌てて立ち上がった。
「帰ります! お大事に!」
「え、もう帰っちゃうの? そろそろ……」
何か言いかける正木さんを無視し、急いで廊下に出ようとしたところで、涼がきてしまった。ばっちり目が合い、思わず固まった。遅かった。何も言わなくてもわかる。「なんでここにいるんだ」って顔してる。
「ああ、先生。彼女、呼んだらすーぐきてくれたんすよ。優しいっすよねー」
正木さんが逆撫でするようなことを言うから、涼の表情が一瞬、険しくなったように見えた。涼は何も言わずに私の隣を通り抜けて、正木さんのそばに寄った。
「先生、俺いつ退院できる? もう退屈で死にそうなんだけど」
「今すぐ退院させたい」
やっぱり怒ってそう。帰るわけにはいかなくて、涼が正木さんを診ている間、私は病室の入口で待った。
すぐに診察は終わった。涼に促され、一緒に廊下へ出た。
「もうすぐ終わるから一緒に帰ろう。一階のカフェで待ってて」
てっきり怒られると思いきや、涼の態度は普通だった。
「うん、わかった」
特に気にしてないのかな。それならいいのだけど。ところで、送ってくれるのではなく一緒に帰るの? どこへ? 今日は平日だ。
病院にはカフェが併設されている。昼間は待ち時間の合間に利用する患者でいつも混んでいるけれど、外来が終了したこの時間は閑散としている。
注文したドリンクを受け取ってソファ席に座ると、私はため息をついた。正木さんは相変わらずで安心した。本当に深刻な病気でなくてよかった。
カウンターの内側で店員が片づけを始めている。そろそろラストオーダー時間のカフェに、男の人が一人駆け込んできた。レジでテイクアウト用のコーヒーを注文する声を聞いて、澄先生だと気づいた。見ていたら目が合ってしまった。澄先生と会うのは夏祭り以来だ。あの日も私に気がつかなかったし、もう憶えてはいないだろう。
「神河先生を待ってるの?」
ところが声をかけられた。しかも涼を待ってることもお見通しだ。
「澄先生は知って……?」
「夏祭りのときは雰囲気が全然違うから気がつかなかったんだけど、あとになって思い出したんだ。今年の春に入院してた伊吹彩ちゃんでしょ?」
「はい」
バレてた。澄先生の記憶力の良さに驚く。
「驚いたよ。君が神河先生の婚約者だったなんて。だいたいのいきさつは本人から聞き出したんだけど」
だいたいのいきさつって、涼は何をどう説明したんだろう。
「今日はどうしたの? 今日は神河先生の外来ない日でしょ」
「友だちのお見舞いにきたんですけど、もうすぐ終わるから一緒に帰ろうって」
答えると、澄先生は私の向かい側のソファに腰を下ろし、小声になって言った。
「気をつけたほうがいいよ」
「何をですか?」
「あいつ、ケダモノになるかも」
ケダモノ?
「君のことを大事に思うあまり、すっげー我慢してるだろうから」
とたんに顔が熱くなったのを感じた。澄先生はどこまで知ってるんだろう。涼はどこまで話したんだろう。私が知らないうちにいろいろ知られてるのは、ちょっと恥ずかしい。
「お姉ちゃん、携帯鳴ってるよー」
急いでタオルで手を拭き、リビングのテーブルに置いてある携帯電話を取った。画面には正木さんの名前が表示されている。夏の週刊誌騒動で護衛をしてもらったときに番号を交換したからだ。あの一件が解決してから連絡は取り合っていない。
「もしもし?」
電話に出ながらキッチンへ戻る。
「彩ちゃん? 俺、死ぬかも。助けて」
受話口から聞こえてきたのは、暗く抑揚のない声だった。
「正木さん? どうしたんですか?」
「臨海総合病院の、四〇五号室……」
それだけ告げられて、一方的に電話を切られてしまった。
「マサキって誰? 男? 先生に言いつけちゃおっかな~」
電話を聞いていた花が何か言っているが耳に入らない。
「死ぬかも」なんて、冗談だとは思う。でも正木さんが今さら私に連絡してくるのはおかしい。病院に入院しているみたいだし、まさか本当に? 胸騒ぎがしてくる。私は途中だった洗いものを花に頼み、リビングを飛び出した。
急いで病院に向かった。電話で告げられた四〇五室の病室前までくると、扉横のネームプレートを確認した。四人部屋だ。正木さんの名前がある。間違いない。私は緊張しながら病室の中へ足を踏み入れた。窓際のベッドで、パジャマ姿の正木さんが体を起こして雑誌を読んでいた。
「あっれー? 本当にきてくれたんだ?」
私に気がついた正木さんがあっけらかんと言った。意外にも元気そうだ。重病で弱っているようには全然見えない。顔色はよく、点滴もしていない。とはいえ、見た目ではわからない病気もあるから本当に元気とは限らない。
「まあまあ、とりあえず座って座って」
上機嫌に壁際に置かれた丸椅子を勧められ、私は遠慮がちに座った。
「大丈夫ですか?」
「実は盲腸だったんだけど、あれくらい言わないときてくれないと思ってさ」
「盲腸!?」
なんだ、盲腸かと私は拍子抜けした。本当に重病でなくてよかった。
「お見舞いくらい普通にきますよ」
「だよな。ごめんごめん」
正木さんがからからと笑う。
「彩ちゃんも入院してたんだよね。病院ってすっげー退屈じゃね? 雑誌読むか携帯いじるくらいしかすることなくてさ。テレビは金取るし」
慌てていたからお見舞いの品を何も持ってこなかった。盲腸と知ってたら、暇つぶしになるものでも買ってきたのに。
「ごめんなさい、手ぶらできちゃって。下のコンビニ行ってきます。トランプでもやります?」
「ぶはっ! トランプ! いいね。でもコンビニなら自分で行けるから大丈夫だよ。ありがとね」
豪快に笑われた。だってコンビニで手に入るもので一緒に遊べるものといったら、トランプくらいしか思いつかないんだもの。
「で、携帯いじってたら彩ちゃんの名前が出てきてさ。夏以来会ってなかったし、元気かなって気になったから、せっかくだし呼んじゃおうと思って」
「元気ですよ。おかげさまで」
「それはよかった」
にこにこと正木さんはご機嫌な笑みを浮かべている。重大な病気かと思って心配したのに、のん気な人だ。毎日退屈しているようだから、単純に面会がうれしいのかもしれない。
「俺ももうだいぶ元気だけどね。でも手術する前はマジで死ぬかと思うくらいすっげー痛かった」
手術と聞いて、はっとした。ベッドフレームに掛けられたネームプレートの担当医欄を見る。涼だった。まずい。正木さんとはもう会うなと言われたんだった。この時間だし、涼がいつ回診にきてもおかしくはない。面会時間ギリギリの夜の病室で正木さんといるところを見られたらなんて思われるか。私は慌てて立ち上がった。
「帰ります! お大事に!」
「え、もう帰っちゃうの? そろそろ……」
何か言いかける正木さんを無視し、急いで廊下に出ようとしたところで、涼がきてしまった。ばっちり目が合い、思わず固まった。遅かった。何も言わなくてもわかる。「なんでここにいるんだ」って顔してる。
「ああ、先生。彼女、呼んだらすーぐきてくれたんすよ。優しいっすよねー」
正木さんが逆撫でするようなことを言うから、涼の表情が一瞬、険しくなったように見えた。涼は何も言わずに私の隣を通り抜けて、正木さんのそばに寄った。
「先生、俺いつ退院できる? もう退屈で死にそうなんだけど」
「今すぐ退院させたい」
やっぱり怒ってそう。帰るわけにはいかなくて、涼が正木さんを診ている間、私は病室の入口で待った。
すぐに診察は終わった。涼に促され、一緒に廊下へ出た。
「もうすぐ終わるから一緒に帰ろう。一階のカフェで待ってて」
てっきり怒られると思いきや、涼の態度は普通だった。
「うん、わかった」
特に気にしてないのかな。それならいいのだけど。ところで、送ってくれるのではなく一緒に帰るの? どこへ? 今日は平日だ。
病院にはカフェが併設されている。昼間は待ち時間の合間に利用する患者でいつも混んでいるけれど、外来が終了したこの時間は閑散としている。
注文したドリンクを受け取ってソファ席に座ると、私はため息をついた。正木さんは相変わらずで安心した。本当に深刻な病気でなくてよかった。
カウンターの内側で店員が片づけを始めている。そろそろラストオーダー時間のカフェに、男の人が一人駆け込んできた。レジでテイクアウト用のコーヒーを注文する声を聞いて、澄先生だと気づいた。見ていたら目が合ってしまった。澄先生と会うのは夏祭り以来だ。あの日も私に気がつかなかったし、もう憶えてはいないだろう。
「神河先生を待ってるの?」
ところが声をかけられた。しかも涼を待ってることもお見通しだ。
「澄先生は知って……?」
「夏祭りのときは雰囲気が全然違うから気がつかなかったんだけど、あとになって思い出したんだ。今年の春に入院してた伊吹彩ちゃんでしょ?」
「はい」
バレてた。澄先生の記憶力の良さに驚く。
「驚いたよ。君が神河先生の婚約者だったなんて。だいたいのいきさつは本人から聞き出したんだけど」
だいたいのいきさつって、涼は何をどう説明したんだろう。
「今日はどうしたの? 今日は神河先生の外来ない日でしょ」
「友だちのお見舞いにきたんですけど、もうすぐ終わるから一緒に帰ろうって」
答えると、澄先生は私の向かい側のソファに腰を下ろし、小声になって言った。
「気をつけたほうがいいよ」
「何をですか?」
「あいつ、ケダモノになるかも」
ケダモノ?
「君のことを大事に思うあまり、すっげー我慢してるだろうから」
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