上 下
18 / 136
第1部

(回想)フェーズ0-5

しおりを挟む
「なにちょっと涙ぐんでんの」
 花の冷めたひと言で私は現実に引き戻された。回想しているうちに気持ちまで舞い戻ってしまっていた。あのあと、涼が病室から出ていってから私は感激のあまり号泣したのだ。
「どうも大事なところが抜けてる気がする」
 花が鋭く指摘した。ありのままは恥ずかしいから、かいつまんで説明した。抱きしめてのお願いや、キスしたことは話していない。そのあたりは適当にごまかした。涼と巨乳人妻がいかがわしいことをしていたなんて夢も、怖い夢を見たと置き換えた。
「手術後からいい感じになってたってことかしら。全然気がつかなかったわ」
 回診は主に朝と夜で、母が面会にきてくれていたのは日中だった。涼に会う機会が少なかったから無理もない。
「それで、退院祝いと称した初デートはどこだったの?」
「彼の行きつけの小料理屋さん」
 退院祝いは翌週の週末にしてもらった。涼が普段からよく訪れるという店で、彼の知り合いが営んでいるらしかった。お酒も飲める店だけど、涼は病院からの緊急の呼び出しにそなえて普段はほとんど飲まないと話してくれた。掘り炬燵のある個室でウーロン茶で乾杯をして、おまかせのコース料理をごちそうになった。そういえば、あの店にはあれから連れていってもらってない。お酒を出す店だから高校生の私を頻繁に連れていくわけにはいかないのかもしれない。いつかまた行けたらいいな。
 食事のあとは涼のマンションに向かった。そのことは母と花には言わないでおく。初めてデートした日に家に行ったなんて、涼の印象を悪くしてしまいそうだから。

 先生の部屋は八階建てマンションの最上階にあった。広々としたリビングダイニングは、シックで落ち着いた色味でまとめられている。シンプルでありながらも高級感があって、まるでホテルみたい。やっぱり医者はいいところに住んでるんだな。
 感心している場合ではない。このあとはうちでいいかと訊かれて思わず「はい」と答えてしまった。先生の車に乗り、まっすぐここへ連れてこられたけど本当によかったのだろうか。
「適当に座って。コーヒーでいい?」
「はい」
 リビングのソファに腰を下ろし、改めて部屋を見わたす。先生のイメージと同様に落ち着いた雰囲気だ。先生の匂いがする。屋上で白衣を羽織らせてもらったときに、消毒液に混じってかすかに香ったあの匂いだ。
 隣は寝室のようだ。部屋を仕切る引き戸はあるようだけど、普段は閉めないのか開け放たれている。リビングからはベッドと書斎机が確認できる。じろじろと見るのは失礼だからやめておこう。
 ドキドキしてきた。先生は大人で、ここは彼の一人暮らしの部屋だ。何かあってもおかしくない。付き合うのも初めてなのに、いきなり部屋にきてしまうなんて。その前に、私と先生は付き合っているのだろうか。実感がない、というより信じがたい。
 緊張しながら待っていると、コーヒーを淹れてきた先生が私の隣に座った。
「先生、私の恋人になってくれるんですか?」
 口にしてから気がついた。家に連れてこられたくらいで恋人かどうかの確認だなんて、勘違いも甚だしいのでは。今日は退院祝いをしてくれただけかもしれない。話が飛躍しすぎだ。大人の男性なら、人によっては恋人でなくても女の人を部屋に連れ込むこともあるだろう。先生はそんな人ではないとの願望から、思い上がってしまった。私はまだ先生のことを医者としての一面しか知らないのに。
「休みは基本的に土日だけど、土曜は術後の患者を診るためにほぼ出勤。土日でも当直が入ることがあるし、学会やら講演やらで会えないことがある。それでもよければ」
 了承すれば付き合えるってこと? 全然いいです。
「高校生同士なら放課後や休みのたびにデートすることもできる。でもそれは難しい。きっと寂しい思いをさせる。乗り換えたくなったらいつでも去ってくれていい」
「去るだなんて……」
 始めからそんなことを言われると悲しくなってしまう。付き合うかどうかは私次第で、先生はどちらでもかまわないような言い方だ。しゅんとしていると、先生はふっと笑った。
「ごめんごめん」
 先生が立ち上がり、隣の寝室に入っていった。リビングからも見える書斎机の引き出しから何かを取り出して、ソファに戻ってきた。
「その代わり、好きなときにきていいから」
 渡されたものに私は目を見張った。真新しく輝く鍵だった。この部屋の合鍵だ。遠すぎて触れることさえ叶わないと思っていた人の部屋に、私はいつでもきていいんだ。
「先生……」
 感激して泣きそう。私は涙目になって先生を見つめた。
「その呼び方、もうやめない?」
 と言われても、一回りも年上でしかもお医者様のこの人を、いったいなんと呼んだらいいのか。呼び捨てなんて失礼だし、だからといって「くん」や「さん」をつけるのもどうなんだろう。私なんかがそんな気軽に呼びかけていい相手ではない。いや、合鍵ももらったのだから、もう呼んでいいのか。考えあぐねていたら、また先生が笑った。
「そういえば、俺の下の名前、知ってる?」
 沈黙の理由を私が先生の名前を知らないためと勘違いされたようだ。
「知ってます。診察室の扉とか同意書とか、いろんなところにフルネームが書いてあったから」
 先生が微笑みながら私を見つめる。「それで?」と促すかのように。
「涼……って呼んでもいいの?」
 恐れ多いような、くすぐったいような、へんな気分だ。
「いいよ」
 先生の顔がゆっくりと近づいてきて、私は目を閉じた。二度目のキスだ。屋上でしたときよりも長い。すでに大好きだったのに、光速のスピードでさらに好きになっていく。すぐに振られるかもしれないのに。だってこんなに完璧な人が私なんかを好きになるはずがない。
 それでも今この瞬間の私はまぎれもなく幸せなのだ。幸せすぎて怖いくらい。実は本当の私は手術のときに昏睡状態に陥っていて、ずっと眠って夢を見ているのではないだろうか。でもキスをしたことのない私が、この人の唇の感触をこんなふうにリアルに想像するのは不可能だ。突然すぎた一度目よりもいくらか落ち着いている二度目のキスが、現実味を増してくれる。
「高校生の私が先生の家に通うの、バレたらまずいですよね」
 あ、また「先生」と呼んでしまった。敬語もやめないと。
「知ってる人間に見られたら厄介かもな。特に病院の関係者」
 私は未成年でしかも高校生だ。まわりに知られるわけにはいかない。
「私、気をつけるから」
 涼に迷惑をかけたくない。子どもっぽく見える格好はしないように。少しでも涼とつり合って見えるようになるんだ。

「今度はにやついてるんですけど。料理、そんなにおいしかった?」
 花が呆れたように言った。またしてもあちらの世界へ行ってしまっていたらしい。マンションに行ったことは話していないから、二人にとっては小料理屋で食事をしたところで止まっている。
「それで今に至るってわけね。じゃあ最後に。プロポーズの言葉はなんでしたか?」
 花が手でマイクを持っている真似をして私に向けた。芸能リポーターになりきっている。
「それは、別に普通だから。言うと涼も恥ずかしいだろうし」
 プロポーズの言葉は、できれば心の中に秘めておきたい。
  黙って聞いていた母が急に驚いた。
「あなた、先生のこと呼び捨てにしてるの? まあ、恐れ多いこと」
「だって、涼なんとかって名前だったらちゃん付けもできるかもしれないけど、一文字で終わってるから他に呼びようが……。くん付けだと逆に失礼な気がして」
「ああ、くわばらくわばら」
 信じられないとでも言いたげに首を振りながら、母はキッチンへ行ってしまった。自分からいろいろ聞きたがったくせに。
「むしろ『涼様』って感じだけどねえ」
 まだソファに残っていた花が無邪気に言った。
「『様』!?」
 照れくさいこともあってしばらくは「先生」と呼ぶ癖が抜けなかった。それでも意識して名前で呼ぶようにしていたら、不思議なものであんなに遠くに感じていたあの人との距離が、どんどん縮んでいくような感じがした。でもまだ医者と患者なのだから、あんまり慣れすぎて今度は逆に病院でうっかり呼び捨てにしないように気をつけないとな。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

お兄ちゃんはお医者さん!?

すず。
恋愛
持病持ちの高校1年生の女の子。 如月 陽菜(きさらぎ ひな) 病院が苦手。 如月 陽菜の主治医。25歳。 高橋 翔平(たかはし しょうへい) 内科医の医師。 ※このお話に出てくるものは 現実とは何の関係もございません。 ※治療法、病名など ほぼ知識なしで書かせて頂きました。 お楽しみください♪♪

お見合い相手はお医者さん!ゆっくり触れる指先は私を狂わせる。

すずなり。
恋愛
母に仕組まれた『お見合い』。非の打ち所がない相手には言えない秘密が私にはあった。「俺なら・・・守れる。」終わらせてくれる気のない相手に・・私は折れるしかない!? 「こんな溢れさせて・・・期待した・・?」 (こんなの・・・初めてっ・・!) ぐずぐずに溶かされる夜。 焦らされ・・焦らされ・・・早く欲しくてたまらない気持ちにさせられる。 「うぁ・・・気持ちイイっ・・!」 「いぁぁっ!・・あぁっ・・!」 何度登りつめても終わらない。 終わるのは・・・私が気を失う時だった。 ーーーーーーーーーー 「・・・赤ちゃん・・?」 「堕ろすよな?」 「私は産みたい。」 「医者として許可はできない・・!」 食い違う想い。    「でも・・・」 ※お話はすべて想像の世界です。出てくる病名、治療法、薬など、現実世界とはなんら関係ありません。 ※ただただ楽しんでいただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 それでは、お楽しみください。 【初回完結日2020.05.25】 【修正開始2023.05.08】

My Doctor

west forest
恋愛
#病気#医者#喘息#心臓病#高校生 病気系ですので、苦手な方は引き返してください。 初めて書くので読みにくい部分、誤字脱字等あると思いますが、ささやかな目で見ていただけると嬉しいです! 主人公:篠崎 奈々 (しのざき なな) 妹:篠崎 夏愛(しのざき なつめ) 医者:斎藤 拓海 (さいとう たくみ)

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。

猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。 『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』 一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

【続】18禁の乙女ゲームから現実へ~常に義兄弟にエッチな事されてる私。

KUMA
恋愛
※続けて書こうと思ったのですが、ゲームと分けた方が面白いと思って続編です。※ 前回までの話 18禁の乙女エロゲームの悪役令嬢のローズマリアは知らないうち新しいルート義兄弟からの監禁調教ルートへ突入途中王子の監禁調教もあったが義兄弟の頭脳勝ちで…ローズマリアは快楽淫乱ENDにと思った。 だが事故に遭ってずっと眠っていて、それは転生ではなく夢世界だった。 ある意味良かったのか悪かったのか分からないが… 万李唖は本当の自分の体に、戻れたがローズマリアの淫乱な体の感覚が忘れられずにBLゲーム最中1人でエッチな事を… それが元で同居中の義兄弟からエッチな事をされついに…… 新婚旅行中の姉夫婦は後1週間も帰って来ない… おまけに学校は夏休みで…ほぼ毎日攻められ万李唖は現実でも義兄弟から……

処理中です...