ドクターダーリン【完結】

桃華れい

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第1部

フェーズ1-8

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 近所のスーパーで食材を選んでいる間も、正木さんのことが気がかりだった。涼はああ言ったものの、やっぱりバラすのは危険だ。正木さんは悪い人ではないと思うけど、万が一にもそこから広がって大ごとになったら取り返しがつかなくなる。
 こうやって涼の家に通うのも、きっとよくないことだ。私が未成年でなかったら、せめて高校生でなかったら、もっと堂々としていられるのに。私のせいで涼に迷惑はかけられない。心が痛むけど正木さんを騙しつづけるしかない。嘘をつきつづけるしかない。
 買い物を終えてマンションに戻った。涼がまだ寝ているのを確認して、私は静かに食事の支度を始めた。
 かき玉うどんとナスの焼き浸しを作り、冷や奴を用意した。簡単なものばかりだ。うどんは冷凍だし、ナスは焼いてポン酢をかけただけ。冷ややっこなんて豆腐を皿にうつしただけだ。
 食べてくれるだろうか。医者の涼は舌が肥えてそう。口に合わないかもしれない。不安に思いながらダイニングテーブルに食器や料理を並べていく。
 並べているところへ涼が起きてきた。
「悪い、寝すぎた」
 私は首を横に振った。全然かまわない。少しは疲れが取れたかな。
「ご飯の用意したけど、食欲ある?」
 訊ねると涼は驚いた顔をして、テーブルの上を見た。
「作ってくれたのか?」
「たいしたものじゃないんだけど」
 キッチンに戻ろうとしたら、いきなり後ろから抱きしめられた。突然のことに私は驚いて固まってしまった。
「ありがとう、うれしいよ」
「う、うん」
 静まれ、心臓。
「顔洗ってくる」
 ほっぺにチュっとして、涼は洗面所に行った。もしかして、めちゃくちゃ喜んでくれているのでは。作ってよかった。
 顔を洗った涼が戻ってきた。ダイニングテーブルで向かい合って席に着き、食事を始める。私は恐る恐る涼の反応をうかがった。
「食べられる?」
「うまいよ。優しい味がする」
 よかった。ほっと胸を撫で下ろす。愛情をたくさん込めた。涼の疲れが少しでも軽くなるようにと。
「また飯作って」
 食べつづけながら涼が言う。
「いいけど、炊飯器がないから麺類とかパンとかになっちゃう――」
「買う。他にも必要なものがあったら言って」
 涼が食い気味に言った。私はくすりと笑った。そんなにうれしかったのかな。

 全部完食してくれた。食後の片づけは一緒にする。涼が食器を洗い、私が隣でそれを拭いていく。
 喜んでくれたみたいでよかった。手の込んだものは作ってない。炊飯器を買ってくれたらご飯を炊いて、味噌汁とおかずを何品か作ろう。何を作ろうか。彼に作ってあげる料理といえば、ハンバーグや肉じゃがが王道だ。こういうのっていいな。母に料理を習って、いろいろ作れるようになろう。
「コーヒー飲むか?」
「うん」
 先に洗いものを終えた涼がコーヒーを淹れる準備をする。電気ケトルに水を注いで湯沸かしを始め、コーヒーカップを二つ並べた。
「彩」
 並べたカップにインスタントコーヒーの粉を入れながら、涼が私に呼びかけた。
「ん?」
「結婚しようか」
 布巾を持つ私の手が止まった。今、なんて? さらっと重大なことを言ったような。「結婚」と聞こえたけど、高校生の私に涼がそんなことを言うはずがない。きっと聞き間違いだ。それならなんと言ったのか。私は「結婚」と似た響きの単語を頭の中で探した。
「結婚すればさっきの話も解決するだろ」
 聞き間違いではなかった。驚きのあまり、すぐに言葉が出てこない。私たった今、涼にプロポーズされた?
「あの大学生だけじゃない。もう誰にも隠す必要がなくなるし、堂々と手繋いでデートできるぞ」
 そう、だけど、突然すぎて頭の中が真っ白だ。とりあえず言えることは。
「コーヒー淹れながら言う?」
「ベッドの中のほうがよかった?」
 涼がにやりと笑った。ベッドって……動揺しそうになるのを必死に堪える。
「じゃなくて……本気? 本当にいいの?」
「彩が大人になるまで待とうと思ったけど自信がない」
 そうだよね。涼はモテるからすぐに他の人が見つかるだろうし、涼と結婚したいと思う女の人だってきっとたくさんいるはずだもの。私を待つ必要は全然ない。そう考えて悲しくなる私に、彼は意外な言葉を続けた。
「抑えられるわけがない」
「そっち!?」
 ケトルからコポコポとお湯が沸く音がしてきた。
「すぐに返事しなくていい。彩はまだ高校生なんだから、よく考えて――」
「私も、大人になるまで待てない」
 とっさに答えた。私も、涼と結婚したい。だって大好きなんだもの。問題はいくつかあると思う。それよりも結婚したいという感情のほうが上回ってる。
「いいのか? そんな簡単に決めて。まあ、実際に籍を入れるのは卒業後になるだろうけど」
 こけそうになった。
「今すぐじゃないの? だって、『大人になるまで待てない』って」
「そう。だからまずは婚約」
「婚約……」
 すぐに結婚できるわけではないのか。そうだよね。私はまだ高校生なんだから。今は六月だ。卒業するまで半年以上もある。しゅんとしてしまった私に涼が問う。
「すぐしたい?」
 私はこくりと頷いた。すると涼が優しく微笑んだ。
「じゃあ、とりあえず早めに会いに行こうか、彩の両親に」
 涙が溢れてくる。私は涼に抱きついた。
「本当に?」
 さっきから私はそればかりだ。だって信じられない。
「もともと、近いうちに挨拶に行くつもりだった。でも結婚の意思くらい固めていかないと追い返されそうだからな」
「そんなわけない。きっと大歓迎だよ。涼は私を治してくれた先生なんだから」
「だからだよ」
 涼が小さく言った。私にはどうしてなのかよくわからなかった。それよりも本当に、本当に私でいいの? 私はまだ高校生で、涼から見たら全然子どもで、本当に好かれてるのか自信がなかったのに。プロポーズするくらいには、私のこと好きでいてくれてるの? 確かめたいことはいろいろあったけど、全部言葉にならなかった。
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